広野台場

概説 新人物往来社刊行『箱館戦争史料集』収録の「新開調記」に出てくる台場。「茂辺地、矢不来での戦闘に関連して出てくるのでこれは函館ではなく上磯地内ではないだろうか」と言っていたら、上磯の郷土史研究家Oさんが松浦武四郎の『蝦夷日誌』の中に「曠野」の記述を見つけられてそのコピーを届けていただいた。それによると富川村と三ツ谷村の間に曠野という地名のあったことが記載されている。『蝦夷日誌』の記述によると、「曠野は富川と三ツ谷の間で柳川境」の場所になる。柳川というのは流渓川のことらしい。台場を設置した場所を特定する手掛かりは無いが、河口付近と考えるのが妥当だろうと思う。
流渓川河口
訪問記[2003/09/01]現在よりももう少し国道よりが昔の河口だろうから、流渓橋あたりにあったと思われる。
所在地上磯郡上磯町富川。流渓川河口付近と推定。
参考書『道程(みちのり)ー上磯町史写真集ー』