初崎台場

概説 海防総司山野辺氏によって築かれた。ここには延徳年間(1489頃)に友部山尾城主小野崎憲通の二男直通により築かれた相賀館(管理人註:遺跡地図ではここは新城館で相賀館は500mほど南西とされる)があり、台場はその館跡に嘉永6年(1853)頃に築かれた。形状はコの字形に土塁を築き手前を砲台とした。大正年間まで高さ1mの土塁が二ヵ所残っていたという。「会瀬村絵図」には津神社北側に上部が四角形をした3基の土壇が描かれ、大砲場と注記がある。同絵図からは3基の砲台と解釈できるが、大正年間の遺構とは相違がある。[『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』より]
浜側から初崎を臨む
その他の写真
  1. 砲台の隔墻の土塁?かもしれない
訪問記[2004/09/07]駐車場になっている新城館の堀跡から土塁を越えて郭内へ入ると、北西南に土塁がある。海へ向く東側には大きな土塁はないようだ。そこから郭の海際に沿って歩いてみた。確証は無いが台場の隔墻(かくしょう)と思われる土塁残欠らしきものがあった。同行いただいたとらさんの『常陸古文化探求室』初崎台場のページでは日立製作所健康保険組合初崎保健センターの場所を台場跡に比定している。これは『村絵図に見る日立』に掲載されている会瀬村絵図の読み取り方の違いで、私のものは日立市の説に準じている。(-->新城館参照)
所在地日立市相賀町初崎。会瀬漁港の北側に突き出る初崎の台地上。中世城館である新城館を改築して海側に砲眼用の土塁を造ったと思われる。初崎の先端には津神社が祀られる。日立製作所健康保険組合初崎保健センター駐車場東側の藪中の海寄り。
参考書『村絵図に見る日立』(日立市郷土博物館)、『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』