概説 | 蛎崎季繁の館。蛎崎氏はここを拠点とし上ノ国に勢力をたくわえていた。頂部後方に空壕が切られ、前面と両側は急斜面をなす。コシャマインの攻撃にも陥落しなかったという。その後の道南和人社会統一の原動力となったといわれる。国指定史跡。[続上ノ国村史よりの抜粋] |
登り口は標柱の右脇![]() |
訪問記 | [2001/06/04]今日は雑草が生い茂っていて登るのを躊躇してしまった。6月中旬の夷王山まつりの前に隔年で草刈りされるとの情報を得たので、今年がその年であることを期待している。草刈り後にもう一度行って郭の様子を見て来る予定です [2001/08/13]今日は強力な案内役を得て、ものすごい雑草の藪を掻き分けて主郭部南端の土塁上まで到達。堀切を上から確認するも雑草に遮られる [2002/06/10]隔年で草刈りが行われると聞いていたが今日はその直後に通りかかったようで、郭内も遮るもの無く見渡すことができた。昨年のあの藪漕ぎが夢のようだ。 [2003/06/16]今年も昨年に続き、幸運にも草刈りが終わった後に当たった。昨年以上にきれいだったように感じた。 |
所在地 | 北海道檜山支庁上ノ国町勝山 |
参考書 | 『図説中世城郭事典第1巻』、『北から見直す日本史』、『中世のかたち』 |