足利氏館

概説 足利義兼が文治年間(1185〜89)に築いたといわれる。征夷大将軍となる尊氏は義兼の七代孫にあたる。義兼は出家し法名を鑁阿(ばんな)とし邸内に持仏堂を建て、三代目義氏が堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺とした。これが鑁阿寺の起源である。尊氏は生涯で一度もこの足利庄に入ることはなかったらしい。
南東角から
その他の写真
  1. 南東側に隣接する足利学校全景
訪問記[2006/06/19]単純かつ典型的な方形館址。財団法人日本城郭協会の選定する「日本100名城」に入っているのだが、歴史的な意義を酌んでという部分が大きいのだろう。南東側に隣接する足利学校の土塁の方が立派に見えた。
所在地栃木県足利市家富町。鑁阿寺(ばんなじ)境内となっている。また、南東側には足利学校が隣接する。
参考書