鹿島航空隊安中水上隊

概説 安中大山地区の東端は日中戦争・アジア太平洋戦争当時は海軍航空隊の基地だった。昭和12年頃、大谷からの軍用道路建設や周囲の埋立工事を行った。当初、仮称で安中航空隊と言われていたが、昭和13年5月11日霞ヶ浦航空隊安中水上隊となり、昭和13年12月15日、日中戦争たけなわのときに開隊された。最初は練習航空隊であった。現在も霞ヶ浦に面した北側・東側に当時の水上機の滑走路が残っている。この水上隊基地はどんな風向きに対しても飛び立てる立地条件をもち、練習に好適地だったと伝わる。昭和20年5月5日に、練習航空隊の指定を解除され、鹿島北浦派遣隊となり鹿島航空隊と呼ばれるようになったが、昭和20年8月、終戦とともにその役目を終えた。[『美浦村誌』を参考にしました]
 戦後昭和21年、航空隊跡地の東側地区に結核療養のための東京医科歯科大学霞ヶ浦分院が置かれた。その後、西側地区には国立公害研究所が置かれた。現在は西側地区には独立行政法人国立環境研究所の施設が置かれている。一方、東側地区は霞ヶ浦分院が廃止されそのままの荒れ地となっているが、ここには国立科学博物館分館建設の予定があると聞く。
 今、波打ち際の水上機滑走路はバス釣りや遊泳客で賑わい、ちょっとしたリゾート地もどきの風景が見られる。
霞ヶ浦分院跡地の建物も航空隊時代からの遺産か
その他の写真
  1. 水上機の滑走路跡
  2. 滑走路跡も夏になると華やかなビーチパラソルの咲く遊泳場となる
  3. ロマンス山
訪問記[2004/08/16]終戦の日に因んで、過去の戦争の惨禍を思い出すきっかけになる村内の戦争遺跡の現況を見に行った。滑走路に並ぶバスボート、華やかなビーチパラソルにビキニ姿のお嬢さんを見て、戦争遺跡はともかくとして美浦村にもリゾート地みたいな風景があったんだと驚いた次第。
[2005/09/19]東側滑走路から北へ向かって300m行くと、国立環境研究所霞ヶ浦臨湖実験施設の北端に標高10mほどの小山がある。太平洋戦争中に射撃訓練用の標的として作られた人工の小山だそうだ。戦後、隣接の東京医科歯科大学霞ヶ浦分院の医者や看護婦らの逢い引きの場となり、地元では「ロマンス山」と呼ばれたらしい。
所在地稲敷郡美浦村大山。県道122号大山江戸崎線の終点。ゲートの手前を右折、突き当たりを左折してすぐのところに「記念碑・元鹿島海軍航空隊の跡」と航空隊時代の倉庫が残っている。その先を右折して道なりに進むと南側の滑走路へ出る。さらに奥に進むと東側滑走路がある。
参考書『美浦村誌』