社会調査におけるマルチメディア利用の実践と展望

ーフィールドワークにおける映像データの取り扱いをめぐってー

『社会学評論』No.237特集

山中速人

 

要約

 

 本論では、フィールドワーク(FW)における映像メディア利用の形態が整理され,筆者が実施したFWにおける映像メディアとデジタル映像データを活用した調査事例が紹介・評価され,最後に映像FWの今後の展望と課題が提示されている.

 FWにおける映像メディアの利用形態には,(1)対象者自身によって記録された映像メディアの利用,(2)調査記録としての利用,(3)調査手段としての利用,(4)調査報告としての利用の4つがある.(3)についてさらに分類し,a.映像撮影によるラポール形成,b.映像によるメモ,スケッチ,フィールドノーツ,c.映像による対象者へのフィードバックと参加の3形態があると指摘される.

 つぎに、調査事例については,(1)ライフスタイル調査への応用としてタイにおける8ミリビデオを使った生活財調査,(2)防振ステディカムを使った大阪生野コリアタウンの映像記録事例,(3)デジタル映像とハイパーテキストによるライフストーリーの記録CD-ROMの制作事例,の3つが紹介され,方法の概説と評価が行われている.

 最後に,映像FWの展望と課題について,(1)映像メディアを社会学研究に活用する際のマルチメディア技術の有効性が指摘され,さらに,(2)社会学研究の過程で作成された映像コンテンツに対して,研究者と対象者の非対称性を克服するため、開かれた「読み」への参加の重要性が指摘されている.

 

キーワード:映像フィールドワーク、マルチメディア利用、社会調査技法

 

 

はじめに

 

 本論では,フィールドワークにおける映像メディア利用の実践についてその形態を整理し,いくつかの事例を紹介・評価し,最後に今後の展望と課題にかかるいくつかの論点を提供したい.ただ,前提として,フィールドワークとは何かという定義なしに議論を展開することは難しい.しかし,フィールドワークの概念は,実際,研究者のみならず,多くの実践家にも共有されており,このいわばパブリックドメインと化した概念を操作的あるいは限定的に定義することは困難だし,本論の目的にはそぐわない.そこで、フィールドワークをここでは,佐藤(1992)にしたがって,「調べようとする出来事が起きているその「現場」(=フィールド)に身を置いて調査を行う時の作業(=ワーク)一般をさす」と広義に定義しておく1)

 ただ同時に,研究者個人の経験的領域に深く依存するという,フィールドワークの特性は,フィールドワークにおける映像の実践についても当てはまる.このことは,社会学研究における映像的な接近について紹介した近年の代表的な著作であるKnowlesSweetman(2004)が,個々の研究者の映像実践の集成として成り立っていることからも伺える.よって、本論の議論も,そのような時空の内側にあることを了解していただきたい.

 ところで,フィールドワークにおける映像メディアの活用が,即、視覚経験に対する社会学的接近であるわけではない.とはいうものの,フィールドで積み上げられた映像メディアの活用についての具体的な知識と技能の蓄積なしには,所詮,社会学的想像力を触発しうるに足る映像的接近の実践も困難だろう.フィールドにおける調査実践と映像との関係は,長い歴史的経緯を持っている.写真技術のない18世紀の世界探検の時代では,専門的訓練を受けたスケッチ画家が関与し,写真が発明され19世紀の学術探検調査には公式の写真記録を撮影する写真家が調査に随行した2).社会調査における映像の実践も,まずは,このようなフィールドワークにおける映像実践の歴史的経験の中に位置づけられるものである.

 そのような認識にたって,フィールドワークにおいて映像メディアが実際にどのように活用されてきたかを概観するところからはじめたい.

 

1 フィールドワークにおける映像利用の諸形態

 

 まず,実際に試みられてきたフィールドワークにおける映像メディアの利用形態を,()対象者自身によって記録,保存された映像メディアの利用,()調査記録としてのメディアの利用,()調査手段としての映像メディア,の3つの領域として整理する3)

 

1.1 対象者自身によって記録された映像メディアの利用

 フィールドワーカー自身が映像メディアで対象を記録する以前に,調査対象者自身が記録し保存している映像メディアが存在する.写真(ネガ/原版),映画フィルム(8/16ミリフィルム),ビデオテープなどがそれに当たる.また,行政や地元報道機関などには,現地の歴史文化,祭事,人事,事件事故,イベントなどその土地で起こった出来事に関する映像資料が保存されている.これらの映像素材に対するアプローチはフィールドワークにおけるドキュメント調査の重要な一部であった.

 これらのメディアを二次分析することでさまざまな情報を入手することが可能である.たとえば,地域組織の調査では,行政や地域の公的な行事の際に撮影された集合写真は,その地域社会や組織における個人の地位や序列関係を反映する指標として利用できる.また,ライフヒストリー調査では,家族写真は,家族成員の変化や集散をたどる上で,口述のデータを補正する重要なライフドキュメントである.また,民俗調査では,記念写真に写り込んだ生活スタイルや風俗を分析するために活用されてきた.

 これら対象者自身によって記録・保存されたメディアは,調査対象に関する情報をもたらすだけでなく,そのメディアが制作,保存されること自体が社会的威信の醸成や親族関係の強化などの社会的意味をもっている4).これらの映像資料の収集と分析は,フィールドワークの中の重要な部分として位置づけられてきたのである.

 

1.2 調査記録としてのメディアの利用

 つぎに,フィールドワークにおける映像メディアの利用は記録であり,写真やビデオが記録手段として活用されている.これらは,もっとも単純で一般的な映像メディア利用の形態である.調査目的との直接的な関連の有無にかかわらず大量の映像(静止画/動画)が調査者によって撮影されており,最近のデジタル映像技術の発展によって,この傾向はさらに増大している.このような映像データには,つぎのようなものがある.

・調査地域の地理的景観や社会的環境を撮影した映像

・行事やイベントの過程を撮影したスナップ映像

・調査対象者たちの日常生活の様子や民族衣装や民具など生活に関わるさまざまな品々の映像

・インタビューなど取材を行った人物のポートレイト,訪問した集団や組織などの関係者との集合写真

・ 調査活動自体を撮影した映像など

 である.

 これらの映像による一次データは,多くの場合はフィールドワーク過程の付帯物としての映像記録にとどまる。しかし、映像メディアとしての特性を十分に意識することによって,たとえば,MeadHeyman(1965)の写真集が記録写真と文化人類学的知見の融合に成功したように,より効果的な研究手法ともなりえる.社会学の領域では、たとえば,1930年代のアメリカ地域研究で写真が果たした役割は大きかった.Lynd1929)の地域調査では,職業生活,地区開発,室内装飾などに表象される階層別のライフスタイルについて、体系的な写真記録が行われている。

 

1.3 調査手段としての映像メディアの利用

 つぎに,取材・調査の道具として映像が利用される.調査過程で映像を道具として活用する方法には,ラポール形成のための撮影,映像によるメモやスケッチ,映像による対象者へのフィードバックや参加などが挙げられる.

1.3.1 映像撮影によるラポール形成

 取材・調査対象者との良好な人間関係,いわゆるラポールを醸成したり,維持したりするために写真を活用することは頻繁に行われている.インスタント写真を撮影して,調査対象者や協力者に記念品として贈与したり,次回の調査の手がかりにしたりとさまざまに利用されている.これについては、ことさら論じる必要はないだろう。ただ,このような映像の道具的利用に,フィールドワークにおける映像利用の原型がある.

1.3.2 映像によるメモ,スケッチ,フィールドノーツ

 映像によるメモでは,インスタント写真が頻繁に利用されている.これら撮影されたメモ写真の大半は,フィールドノートにホチキスなどで添付され,書き込みが加えられる.たとえば,街頭や建物壁面のポスターや掲示物,覚えておくべき人物の顔と名前,説明してもらった生活用品や民具,食べ物,その他の品々の名前と解説などである.インスタント写真をスケッチ7)に代用させることも行われる.

 スケッチやメモとしての映像利用を調査における中心的な手段に位置づけた試みの1つに宮本常一の民俗写真がある.民俗調査で写真を重用した宮本(2005)の方法では,大量のスナップ写真が撮影される.それはメモやスケッチであると同時に調査の重要な一部であり,調査後,写真の整理過程における「読み」による「発見」が重要視されるのである.

 さらに,フィールドノーツを映像によって行うことも試みられている.調査地で撮影されたセルフビデオは,調査記録であるだけでなく,フィールドから調査者が受けるさまざまな影響を事後に推定するための重要な比較指標となりうる(山中, 2009).

1.3.3 映像による対象者へのフィードバックと参加

 現地で撮影された映像を取材・調査活動に利用することも行われてきた.調査対象者に現地で撮影したインスタント写真やビデオ映像を見せて対象者たちからの反応を得ることができる.この調査方法が興味深いのは,写真に記録された状況や事物の解釈や評価が対象者によって異なるからである.1つの映像を複数の関係者に示すことによって,出来事の理解を多面的に行うことができる.それは,出来事の事実関係の記述のためだけではなく,出来事の解釈のされ方のパターンと特徴を手がかりにして,解釈を与えた人々の認識や価値の特徴を知りうる.また,映像を使って,対象者間に相互フィードバックを起こさせ,対象者の認知や評価が収束するか拡散するかを観ることで,出来事に対する人々の認知や評価が一義的か多義的かを推測することができる.

 また,対象者自身を映像的実践に参加させることも試みられてきた.対象者の生活世界にフィールドワーカーが接近することが困難な場合,対象者自身に映像メディアを与え,対象者自身が,家族や地域集団など自らの生活世界を撮影させる方法がある.その1つが写真投影法6)である.たとえば,オーストラリアの先住民族であるアボリジニにカメラを貸与し,彼らの環境に対する認知のあり方を分析した中西(2002)の研究,住民参加のまちづくり計画の立案に応用した瀬在・大貝・三浦(1996)の事例などがある.

 対象者の参加は,たんに調査者が踏み込めない世界の映像を対象者に撮影させるという便宜性だけでなく,従来,非対称的であった観察者と対象者の関係を均衡させる意義をもち,対象者にとっては,自らが表現者として振る舞う可能性を開くこととなる.最近では,たとえば,先住民コミュニティの長期にわたる記録をおこなうため,住民にビデオカメラを貸与し,撮影技法を訓練し,先住民自身による自己イメージの表現7)を記録する試みも行われている(大森, 2000).

 このような試みが可能となるには,レンズ付きフィルムや小型ビデオカメラなど,比較的安価で操作が簡単な映像メディアの登場が決定的な条件となった.

 

1.4 調査報告(リポート)の形式としての映像メディア

 調査報告の形式として,映像メディアが従来から使用されてきた.たとえば,民族誌映画は,フィルムやビデオを主要な媒体として発展してきた.今日の劇場用映画の様式を発明したLumiere兄弟のコレクションには,すでに数多くの「異文化」との出会いの映像記録が保存されており,その萌芽を認めうる8).民族誌映画は,その後,Jan RouchJohn Marshall, Ian Dunlopなどの人類学者によって継承されきた.

 また,先述のMeadHeymanの写真集のように,書籍メディアの形態をとった報告も一般的に存在する.社会学の領域でも,その先駆的試みとして,Russell Lee, Dorothea Lange, Walker Evansらの写真集は,アメリカ社会に対するすぐれた社会学的まなざしとなりえている.しかし,Harper1988)が「映像社会学は,アメリカ社会学の初期の数多くの研究に貢献を果たしたのち,1960年代に再登場するまで,姿を見ることがなかった」と述べるように,映像を研究報告の手段とすることに消極的であった.

 しかし,今日,デジタル技術やそれにもとづくマルチメディア技術の発展によって,映像メディアは,フィールドワークによって得られた学術的知見の表現媒体として,その重要性と可能性はいままでになく拡大しつつある.たとえば,DVDCD-ROMを添付した報告書や成果物の出版も頻繁に行われるようになった.これらのデジタル媒体は,伝統的な紙媒体と随伴させることも容易であり,その利用は徐々に拡大している9).本論の続く部分では,その具体的試みをいくつか紹介したい.

 

2 フィールドワークにおける映像メディアの実践

 

 つぎに筆者自身の実践を過去にさかのぼって振り返りながら,映像をフィールドワークに活用する方法論上の特徴と意義を論じる.

 

2.1 小型ビデオカメラとデータベースのライフスタイル調査への応用

2.1.1 (事例1)タイにおける8ミリビデオを使った生活財調査

 フィールドワークでの写真の撮影と調査後の整理という映像利用のもっとも一般的な利用方法に,映像のデジタル化とデータベース化技術を加えることで,分析の組織化と効率化を図った事例を最初に紹介する.タイの都市生活者のライフスタイルの変容を明らかにするために1989年に行われた訪問調査で,アナログ形式の8ミリビデオ映像とデータベースを活用した事例である.

 高等教育が階層形成に及ぼす影響を調査するため,タイの高等教育機関の在学生/卒業生を家庭訪問し,インタビュー調査が行われた.訪問調査に際して,生活財の保有状況に関する観察記録を行い,インタビューで得られた対象者の所得階層とクロスさせて,階層が異なると生活財の保有や使用状況にどのような差が出るのかを明らかにしようとした.この観察調査にあたって,当時開発されたばかりの8ミリビデオカメラを利用した.

 まず,家庭訪問時に,調査者が,画角をワイドに固定した小型ビデオカメラで家屋内の生活財の配置状況を撮影しながら,口頭で個々の生活財の名前や用途,価格などを居住者に質問し,その返答を音声として映像と同時に収録した.ビデオカメラの使用は,生活財の映像記録を効率化するためであった.

 しかし,持ち帰った大量のビデオテープをもとに生活財の配置と使用状況を整理する作業過程で,問題が生じた.ビデオテープのままでは整理や分類が困難だったのである.その解決策として,ビデオ映像のデジタル化技術を使って,ビデオ動画からデジタル静止画を切り出し,その画像をデータベース化していくという方法を考案した.

 まず,撮影されたビデオ映像をフレーム単位でデジタル化し,コンピュータに取り込み,Photoshopなどの画像処理ソフトを使って生活財の画像だけを切り出し,色調補正などの加工を施し画像データ化する.それらに,インタビューから得られた個々の生活財の名前,場所,使われ方,価格などの文字情報を加え,生活財画像データベースを作成した.このデータベースをもとに,生活財を調査対象者の階層別にソートし,生活財の利用と使用方法に階層による特徴がないか検討していった.その結果,生活財の使用状況と階層別ライフスタイルの関係が明らかになった.

 まず,冷蔵庫,洗濯機,台所ガスレンジの保有,配置,使用方法と所得階層との興味深い関係が明らかになった.たとえば,冷蔵庫でみれば,低中間層家庭では冷蔵庫は居間にあり,もっぱら接客用の飲料水の保冷用に利用されていた.その冷蔵庫の上面は学位や賞状,王族との記念写真の陳列棚の役割を果たしていた.これに対し,上層・高中間層の家庭では,冷蔵庫は,居間とキッチンにあり,後者は食料品の貯蔵機能を果たしていた.

 インタビューとつき合わせると,さらに,次のようなことが明らかになった.低中間層の家庭の多くは,タイの都市住民の慣習として食事の大半を屋台の総菜など外食に依存していた.よって冷蔵庫は食材の保存庫としての機能を持たなかった.ところが,上層では生活の欧風化が進行し,システムキッチンや電化調理機器の普及とともに家庭内調理も欧米式ファッションとして持ち込まれていた.その結果,冷蔵庫もキッチンに配置されるようになった.

 以上のようなことが,一連の分析によって分かった.

 

@   ビデオ映像から切り出された冷蔵庫の画像(タイ・バンコクでの生活財調査より)

 

2.1.2 映像メディア利用の評価

 この調査では,データ収集をビデオカメラによって効率的に行うことが意図された.従来なら,家庭内の生活財について1点ごとにカードを作成し,聞き取り調査を行いながら写真撮影していくところを,この調査では,データの収録をビデオ撮影によって効率化し,また,その分類と分析にデータベースを用いることで大量データの集約化と分析の効率化を試みたのである.ビデオカメラによる撮影,映像のデジタル化,データベース化という手段の採用は,短い研究期間により効率的にデータと分析を行わなければならないという実際的な必要に応えるためにとられた選択であったが,デジタル映像技術の本格的なフィールドワークへの応用の可能性を占うものであり,成果があった.

 しかし,課題も残った.その最大のものは,小型ビデオカメラのもつ画質と解像度の低さだった.冷蔵庫などの大型機器については問題がなかったが,小さな調度品や化粧品などについては,製品のブランド名や品名の特定ができなかった.これは従来のビデオ画質がもつ技術的限界であり,その解決はハイビジョンの登場を待たねばならなかった.

 

2.2 防振ステディカムを使った地域景観のデジタル映像記録と調査

2.2.1 (事例2)大阪生野コリアタウンの映像記録の制作

 タイ調査での成果をふまえて,映像による体系的な生活景観の記録と通時的な分析を試みたのがこの調査である.大阪の生野区にある御幸森商店街は,通称「コリアタウン」と呼ばれ,在日韓国・朝鮮人の商店や住宅が集まっている.この周辺は,かつて「猪飼野」と呼ばれ,在日韓国・朝鮮人が集住する地域社会である.このような地域社会を一定の体系性をもって映像記録する試みを1990年と2008年に行った.記録の手法として,数キロにおよぶ街路をシームレスに連続移動で撮影する方法を考案した.具体的には,防振ステディカムにビデオカメラを装着し,地図をもとに対象地域を選定し,その中の街路景観を,広角レンズを装着して,歩行速度を守りながら街路の両側を移動撮影した.

 防振ステディカムは,走行中の戦車から射撃する軍事技術が転用された振動吸収装置である.これを使用すると,揺れが吸収されカメラがぶれないため,スムーズな連続移動撮影が可能となる.また,音声は,一切編集を加えず,背景音はもとより,撮影者の声や機械の操作音もそのまま録音した.

 次の段階として,収録された映像を長期保存用にレーザーディスク化し,それをコンピュータで制御することによって,地図上の任意の街路をなぞるとそれに対応した街路映像をレーザーディスクから取り出すことができるようなマルチメディアコンテンツに加工した.90年当時,動画を直接処理するにはパソコンの能力は低すぎたため,レーザーディスクとの併用で対処する方法が選択された.この過程で,たんに地図から映像をインタラクティブに読み出すだけでなく,映像から文字情報を取り出すインデックス機能をつけ加えた.動画/地図/従来型の文字情報という3種類の異なった形式の調査情報を統合的に検索・分析しようとしたのである10)

 たとえば,映像に韓国料理の総菜を見つけたとする.そこで,映像を静止させ,画面上の総菜にリンクボタンを付け,自動的に生成されたフィールドに文字情報を書き込む.これを繰り返し行うことによって,映像から文字情報を検索する映像データベースが作成された.一方,この街の街頭景観の映像記録をインタラクティブに視聴するために映像視聴ユニットも作成された.この二つのユニットをもちいて,対象地域の映像情報が集積され,その読み取り作業が行われた.

 このマルチメディア・ユニットが制作された18年後の2008年に,科学研究費補助金を得て,同じ地域に対して,同じ方法を用いた映像データの撮影を行った.同じ手法で同じ地域を同じ季節に撮影し,二つの映像データを比較することによって,18年間のこの街の表象レベルの変化を在日コリアン社会の歴史的な変容の中に位置づけることが目的であった.撮影に当たってはフルスペック仕様11)のハイビジョンカメラをもちいることで,より解像度の高い映像の収録が行われた.2つの映像を比較する項目は,エスニック表象の分類,出現量,新たに出現したエスニック表象,消滅したエスニック表象などである.分析に当たっては,撮影された映像を事後に再生し,住民当事者(在日コリアン住民,商店主,地元校教員など)や複数領域の研究者たち(文化人類学,宗教社会学,観光学など)に見せ,読み取りを依頼した.主な分析結果は,以下のとおりである.

90年の映像に対して,08年の映像では,コリア文化をしめす指標記号(百済門,道祖神,済州島の民俗である石像など)が増加している.この18年間に,コリアタウンは可視的なレベルでエスニック化の傾向を強めた.

・コリア料理の食材や民族衣料などを販売する店の数は,ゆるやかに増加していた.ただ,その視覚的プレゼンスはより顕著であった.その原因として,商店街の観光化を指摘できた12)

・店舗の中には,韓国から輸入された食材や韓国ドラマのキャラクター商品などを販売する店舗が加わった.これは,ニューカマーの増加と現代の韓流ブームを反映していると思われる.

・非コリアン商店の数は,08年でも大きな変動はなかった.しかし,90年の映像では,日本の民間信仰を表象する祠が街路に設けられていたが,08年では撤去されていた.このように全体としてコリア文化の可視化が進み,コリア文化への単色化が進んだ印象が強く現れた。

 

A  小型化したステディカムとハイビジョンカメラによる撮影(2008年)

 

B 撮影されたコリアタウンのシームレス動画の1フレーム(2008年)

 

2.2.2 マルチメディア利用の評価

 映像による地域社会の記録のひとつの方法として,移動カメラによって街頭景観をシームレスに撮影する方法13)を採用した意図は明確であった.つまり,撮影対象の選択に際して機械的基準を設定する,つまり(1)対象とする地域社会のすべての街路(路地や幹線道を含む)を対象とし,(2)ビデオカメラにワイドレンズと防振ステディカムを装着して,(3)対象とする街頭景観を連続撮影することで,撮影における恣意的なフレーム構成と編集を排除することにあった.

 ただ,この映像は,もちろん地域社会全体の記録ではなく,街路という公共空間から街並みの表層を捲り取るように撮影したに過ぎない.しかし,この試みの意義は,追撮影が可能な機械的基準を設けることにあった.社会調査において,構造化面接調査法を用いて調査過程の標準化を行うのと同様に,機械的でシームレスな撮影法を用いることで,データ収集の標準化を行おうとしたのである.

 映像による記録を試みたもうひとつの理由は,映像の読み取り作業に住民当事者や他領域の専門家の参加を試みたことにある.多様な読み手の視覚を交差させることで,地域社会のもつ多文化で多義的な特性を1つの映像データの上に多声的に共存させる可能性を開こうとしたのである.

 

2.3 デジタル映像とハイパーテキストによるインタビュー記述の試み

2.3.1 口述のライフストーリーのための記録CD-ROMの制作

 非構成的で自由度の高いコミュニケーション形態である会話やモノローグなどを通して表現された個人の口述のライフストーリーを体系的に記録し,分析する方法として,デジタル映像とハイパーテキストを組み合わせたマルチメディアCD-ROM(山中,1997)の制作を試みた.

 インタビューやモノローグ形式の情報は,(1)音声と身ぶり(非言語的コミュニケーション),(2)内容の非体系的・非構成的組立ての2つを特徴としている.そこで,記録の方法として,(1)デジタル映像化によって言説(会話やモノローグ)を単位化(クリッピング)し,(2)時系列,テーマ別分類,キーワードによる3種類の検索方法によって口述データにアクセスできるシステムを考案した.

 対象として,部落問題の実践家であると同時に研究者としての経歴をもつ人物を選んだ14).同氏が2時間にわたって制約なく自由に発話するその過程をHi8ビデオカメラで収録し,デジタル動画に変換し,およそ50個からなる映像クリップ・ファイル(AppleQuickTime)を作成,ハードディスクに保存した.さらに,それらの映像クリップ・ファイルを検索するためのハイパーテキスト形式のデータベースを作成した.最終的な保存の形式としてCD-ROMを媒体とするマルチメディアタイトル(ボエジャー社エキスパンド・ブック)を制作した.


C マルチメディア化されたライフストーリーコンテンツのトップページ

 

2.3.2 マルチメディア利用の評価

 この研究の目的は,マルチメディア技術の利用によって,ライフストーリーなどの口述データの映像による記録を3つの異なった検索方法によって検索者の関心に応じて検索し視聴することを可能にすることであった.この方法を用いることで,テープ起こしされた文字テキストだけでなく,身ぶり・表情などの身体的情報や収録背景などの環境的情報を含む口述のデータの記録,分類,分析が可能となった.また,これによって,文章のようなリニアーで画一的なテキストとは異なる,非系統性,状況依存性,一回性,論理的な飛躍など,口述データのもつ特性を損なわずに取り扱う可能性が開かれた.

 この研究は,マルチメディアを利用した口述データの記録方法を確立し,ライフストーリー研究への応用を視野に入れたものであった.その後,デジタル動画をライフストーリー研究に活用する試みは,活発に行われるようになっている15)

 

3 映像メディアの利用にかかる展望と課題

 

 概要では伝えきれない部分も多かったと思われるが,映像メディアとそのデジタル化技術を使った3つのフィールドワーク実践を紹介した.これらのコンテンツは,これらは,もっぱら個々のフィールドワークにおける実践上の課題に応じて,アドホックな解決手段として試行的に選択,開発されてきたものである.そのような限界をふまえつつ,最後に,これらの実践をとおして,今後の映像フィールドワークの実践のための展望と課題を2つ指摘しておきたい.

 1つは技術的制約の問題である.社会学的な思考の手段として映像情報になにがしかの意味を見いだそうという試みは,その前提として,映像メディアをめぐる技術的な制約を受け入れざるをえない宿命の下にある.社会学的想像力の対象は,映像コンテンツそのものにあるとしても,それはメディアの物理的特性による制約を受けざるを得ない.とりわけ動画は,今日でも,強い技術的制約の下にある.たとえば,Rouch(1961)の民族誌映画にみられるような被撮影者の自発性に依存する撮影技法が可能となったのは,手持ち16ミリカメラや超高感度フィルム,同時録音技術の登場があったからである.したがって,映像フィールドワークや映像社会学の試みは,結局のところ,どの程度の技術的可能性の射程に包含されているかという問題を抜きにできない.このことは,映像への社会学的アプローチが,その方法論上の目標を達成するのに必要なメディア技術に対する現実検討の上に成り立つことを再認識させるものである.この点に言及すれば,写真あるいはデジタル静止画は,比較的安定的に利用できるメディアであるだろう.また,調査データとして分析を行うには取り扱いにくいメディアであった映画やビデオ映像も,デジタル化によって,近年,データとしての操作性が向上してきた.さらに,マルチメディアは,そのデータ処理能力の大量性と高速性,プラットフォームとしてのハイパーテキストのもつ柔軟性,さらに,文字,数値,図像,映像など異質なコンテンツに対する処理の統合性などの諸利点を考慮すれば,映像フィールドワーク,さらに映像社会学にとって今後とも活用価値の高い技術であると思われる.

 しかし,他方,データの保存性という観点からみれば,デジタル・データのもつ脆弱性について指摘しておきたい.たとえば,90年代に制作されたCD-ROMなどのパッケージ型マルチメディアは,現在のコンピュータ環境で,その大半が作動不能に陥っており,現状のままでは,膨大な資源を投入して制作された多くのコンテンツが実質的に失われたのに等しい.再生と操作のための安定したプラットフォームが確保されなければ,デジタル・コンテンツは,アナログデータにも増して保存性において脆弱であることを指摘しておかねばならない.この点については,映像データのアーカイブ化に関する議論に期待したいところである.

 もう1つは,「読み」の多様性をめぐる問題である.Hall(1980)が指摘したメディアコンテンツを脱コード化する,多様ではあるが相互に対立や葛藤を孕む人々の存在である16).このような現実を生きる多様な人々が脱コード化する対象としてのメディアコンテンツには,社会学研究者が撮影し,分析し,意味づけ,公表する映像も当然含まれるはずである.とするなら,社会学は,その領域の内側に,映像を「読む」行為を閉じこめるのではなく,そのような多様な人々による「読み」の可能性に対して積極的に開かれている必要があるのではないか.開かれた「読み」に対する人々の参加こそが,研究者と対象者との非対称性を克服するための不断の営みとして研究者の側に自覚されるべきなのだろう.映像利用のフィールドワークにおいて模索されてきた,映像的実践へのフィードバックや参加の試みが,ここでは有効な手がかりとなるはずである.映像の記録者としての参加,映像の読み手としての参加,さらに映像の表現者としての参加という3つの水準における参加のあり方を本論では取り上げたが,これらの参加の試みをたんにフィールドワークの技術的問題として矮小化せず,現実理解の多義性と開かれた社会学的想像力の問題として捉え直す視点が,これからも映像社会学の実践には必要なのだと思われる.そして,そのような多様な「読み」を可能にする映像記録とはなにかについて,さらなる議論の深まりと意欲的な実践が望まれるのである.

 

[注]

1) 佐藤は,分野を超えた広い知的営みのなかにフィールドワークを位置づけ,その営みに共通する知識や技術として取り扱っている.(佐藤, 1992)p31.

2) たとえば,JWLindtは,1885年に行われたP.Scratchleyのニューギニア探検の公式写真家として参加し,多くの記録写真を撮影し持ち帰った.(Lindt, 1887).

3) 高橋一男(1996)で,高橋は,調査におけるメディア利用を「1題材としてのメディア,2手段としてのメディア,報告手法としてのメディア」の3つにまとめている.本論では,これにもとづき,さらに手段としての映像メディアに限って類型化した.

4) 山中速人(1999)は,ラオス,カンボジアで写真などの映像媒体が生活場面でどのように活用され保存されているかを調査し,カメラや写真の保有それ自体が共同体におけるステータスとなっている事実を指摘している.

5)写真では表現できない見取り図,透視図,三面図などの図像表現ができるスケッチは重要な映像情報である.スケッチを効果的にフィールドワークに用いた初期の研究としては,今和次郎「考現学」研究を挙げることができる.(今和次郎, 1971,1987)など.

6) 写真投影法の事例として,野田正彰(1988)がある.野田は,対象者である子供たちにレンズ付きフィルムを渡し,彼らの日常生活の一日を撮影させ,分析した.

7)小林直明(2006)で,小林は,映像化の意義は住民たちが自らの力で自らを映像化し自己表象へと至ることことで彼らをエンパワーメントすることだと指摘している.

8) ただし,Jordan(2000)によれば,これら異文化の映像記録は,エキゾティシズムの表象としてもっぱら撮影されたものであった..

9) たとえば,DVDを添付した北村皆雄,新井一寛,川瀬慈(2006)やマルチメディアCD-ROM『七人のフィールドワーカー』を添付した山中速人(2002)などがある.

10)完成したプログラムは,ハイパーカード(OS:Macintosh)によって作成され,映像データ化ユニットと映像視聴ユニットの2つから構成された.映像データ化ユニットは,外装されたレーザーディスク・プレーヤーを操作し、連続撮影された映像データをインタラクティブに呼び出し、任意の地点で停止させ,静止画として,取り出し保存する機能をもち、また、その静止画上にボタンとフィールドを設定し,文字情報を書き込む機能を持たせた.(山中速人,1996

11)画素数1920×1080を指す.

12)たとえば,90年の映像で商品陳列を観察すると,コリアンの食材(キムチや乾燥わらびなど)には,商品名がつけられていない場合が多く,また,商店名も日本式屋号が多い.これに対し,08年の映像では,商品名を明示する場合が多く,ハングル表示やコリアを明示した店舗が増えていた.

13)移動カメラによる空間の連続撮影法は,Vertov(1929)によって実験的に試みられ,その後,Rouchによって発展されたダイレクトシネマからヒントを得たものである.Vertovは,革命後のロシアの街頭景観を自動車にカメラを搭載して連続的に移動撮影するという方法で記録している.その結果,革命後の社会にも,小市民的な消費文化があちこちに散財していることが確認できた.

14)対象者である領家穣氏は,兵庫県部落解放研究所所長として部落解放の実践に関わると同時に,関西学院大学名誉教授として研究活動に携わってきた.

15) たとえば,報告書での利用としては山中速人(2000),展示としての公開としては,海外移住資料館(横浜)の「ニッケイ・ライフ・ヒストリー」など.

16 Hall(1980)はもっぱらテレビメディアのコンテンツについて言及しているが,ここでは,広く映像コンテンツ一般に拡大して考えてみたい.

 

[文献と映像コンテンツ]

Hall, Stuart, 1980, "Encoding/decoding" in S. Hall, D. Hobson, P. Willis(eds.), Culture, Media, Language: Working Papers in Cultural Studiess, 1972-79, London: Unwin Hyman in association with the Centre for Contemporary Cultural Studies, University of Birmingham, pp.128-138.

Harper, Duglas, 1988(spring), Visual Sociology: Expanding Sociological Vision, American Sociologist,pp.54-70.

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Current and Future Uses of Multi-media in Sociological Research:

On the Use of Visual Data in Fieldwork

 

YAMANAKA, Hayato

Kwansei Gakuin University

hayato@kwansei.ac.jp

 

   This paper first provides an overview of ways in which visual media are being used in field research, and then introduces specific examples of research conducted by the author in which digitalized visual data were used. Finally, future challenges facing visual field research are discussed

Uses of visual media in field research can be grouped as follows: 1) the use of filmed recordings or visual media produced by research subjects themselves; 2) the use of such media to document field research; 3) the use of visual media as a means of conducting research; 4) the use of visual media as a form of reporting.

Concerning case studies of field research in which digitalized visual data have been used, I will look at an example of field research conducted in Thailand in which a small-sized 8mm video camera was used in a study of lifestyles to record data for a database. Second, I will discuss the production of a visual documentary of the Korean Town in Osaka, in which a steadicam was used to make visual documents of the neighborhood. Finally, I will discuss production of a CD-Rom used to record oral life histories, as an attempt to document digital and hypertext interviews.

In conclusion, concerning the development and future potential of visual field research, the question of technical limitations that must be considered when using visual media in sociological research, and the possibility of using multi-media techniques as a means to solve these problems are discussed. I will argue that more open readings made possible by the participation of diverse viewers are not only important when considering the visual contents produced in the process of sociological research but also necessary in participatory field research as a way to overcome the asymmetric relationship of the researcher and subject.

 

Key words: visual field research, use of multimedia, social research techniques.