「マルチメディア教育事始め〜メディア工房の経験と教訓(連載11回・最終回):メディア工房から巣立つ学生たち」『視聴覚教育』2000.4


 連載も最後になりました。最後に、メディア工房のこれまでを振り返って、これからの大学教育におけるマルチメディア教育のあり方についていくつか考えをまとめてみたいと思います。

「進みたい者から進んでよい」
 メディア工房が活動を始めて今年で五年目を迎えます。学内のコンピュータ教育といえば、いわゆる表計算とワープロと電子メイルといった「読み書き算盤」的常識に捕らわれず、自ら工夫してビデオ、コンピュータ、インターネットなどを組み合わせたメディア・コミュニケーションを試行錯誤する。そんな学生たちの自主的な意欲を満たし、より先に進みたい者には可能な限り機会と資源を提供しようという方針で工房を運営してきました。
 工房は教室でもありますので授業を行うこともできますが、その場合でも、設備に余裕があれば、授業以外の学生を外に出さず、混在させながら授業を進めるようにしてきました。あらゆる学生にできるだけ門戸を開き、好きなだけ自由にメディアに触れさせることを方針としてきました。
 しかし、他方、ただウエッブをダラダラ閲覧しているとか、たんにレポートの入力だけをするといった単純な作業をしている者は、より高度なメディア利用、たとえば3Dグラフィックスの制作やノンリニア・ビデオ編集などをしようとしている者が現れたら、その学生に席を譲らなければならないと言った暗黙のプライオリティ(優先順位)も方針としてきました。
 工房の設備の更新や配置もこのような方針に沿って進めてきました。一例を挙げれば、工房のウインドウズマシンにはあえてMSオフィスは導入されていません。MSオフィスなどの統合ソフトは、なにも工房のハイエンドな機材でなくとも稼動しますし、工房の多媒体な環境で単にワープロ入力や表計算だけの作業をすることは機材の有効利用とはいえないからです。つまり、通常のパソコン教室と差別化し、よりマルチメディア表現に特化した活動を指向する学生を対象とするよう努めてきたのです。
 ですから工房では、ただインターネットでウエッブを閲覧するだけの利用者には、部屋の隅のちょっと居心地の悪い席と古い中級機が用意されているだけです。一報、何か新しい試みにチャレンジしようという学生には、工房のスタッフが積極的に情報や援助を与えます。普通、大学のパソコン教室やパソコン自習室では、管理上の都合からコンピュータは卓上に固定され、背後のケーブルの差し替えはおろか、筐体を開けてボードを差し替えたりするようなことは認められていないことが多いのですが、工房では、必要があれば、ケーブルの差し替えや機器の接続、ボードの挿入など自由に行えます。
 また、機器の組み合わせも、学生のそのようなニーズに合わせて弾力的に変更します。そのためには、部屋のレイアウトも固定せず、現場の指導管理スタッフの判断を尊重し、柔軟に変更できるようにしています。たとえば、最近は、ビデオのノンリニア編集が人気なので、それに合わせてパソコンとデジタルビデオデッキの組み合わせを増やしました。反面、以前マルチメディア制作で多用してきた8ミリビデオ編集機をビデオキャプチャーボード経由でパソコンに接続するという組み合わせは利用の減少に応じてバラし、それぞれ単体で利用できるようにしました。
 コンピュータと他のメディア機器が有機的に結びつくことによって、より効果的なメディア表現が可能になるのがマルチメディアの特徴です。この意味で、メディア工房が採用してきたフレキシブルな機器の運用という方針は、大学などの教育機関が今後どのようにメディア教室を運営していくかを考える上で欠くことのできないものになると思われます。パソコンやビデオ機器をラックに固定し、操作面しか触れさせないといった管理至上主義の発想は捨てなければならないのです。

単位には関係なく
 さて、このような環境の下で四年間の学生生活を送った学生たちをみているといくつか気がつくことがあります。とくに彼らの大学での学習行動についてみると、メディアとの関係でいくつかの特徴があるように思えます。
 一つは、ここにやってくる学生の多くは、授業の課題をこなすために受動的にやってくるというより、むしろ単位には関係なくても、ここが好きでやってくるということです。
 実際、パソコンやビデオを使ってマルチメディア作品を制作したり、また、もっと単純にフォトレタッチングの作業をするだけでも、たいそうな時間がかかります。したがって、通常の授業時間の枠では、とうてい足りません。そこで、授業時間では、作業手順の説明と最低限の操作法だけを教え、後の作業は各自が空いている時間帯を使って自習自作することになります。多くの場合、差はここで生じてきます。メディアに興味をもっていない学生は、授業時間中はしかたなく作業に参加し、また、与えられた課題を最低限こなすことはしますが、それ以上には手を出しません。しかし、メディア制作は手を掛ければそれだけ作品の質も高まる部分が大きいのです。したがって、メディア制作に深く魅入られた学生は、授業での課題が終わっても、また、授業では求めない高度な水準の作業でも、自分の心の命ずるままにどんどんとのめり込んでいきます。最初は、単にデジタルな画像処理のおもしろさやデザインすることの楽しさがきっかけであることが多いのですが、だんだんメディア・コミュニケーションの本質を考えるようになっていきます。
 ここまで進むと、もはや先生は必要ありません。ときどき技術的なアドバイスをしてくれるコンサルタントがいればよいのです。工房のスタッフがその役割を実質的に果たします。もちろん、実際、そこまでのめり込む学生は全体からみればごく少数です。しかし、少数ではあっても、彼らが到達する地平は随分高いところにあります。特定のメディアに関しては、大学の教員の力量を遙かにしのぐ水準に達することも稀ではありません。
 当初、メディア工房が開設されたころ、試験が終わり学生が休暇期に入ると工房の利用者も減少しました。しかし、現在では、大学が休みなのに工房は相変わらず多くの利用者でにぎわっています。むしろ、学期中にできなかった大きなテーマを仕上げようという学生がこの時期増えるのです。この意味で、メディア工房は大学にありながら狭い意味でのカリキュラムを離れ、自由に自分の意志で学ぶことのできる空間としての性格を強めています。
 考えてみれば、本来の大学とは、このようなものではなかったでしょうか。学びたい者が自由に学べる空間です。大学で図書館が重要なのは、そのような大学本来のあり方をこれまで象徴してきたのが図書館だったからでしょう。(多くの大学で図書館長は学長に継いで高い地位にあると見なされています)そして、これからはメディア表現の場として、メディア工房のような施設がこれからの学生の自由な学習表現活動の場になって行くべきだと考えます。
 そのためには、カリキュラムに必要な最低限の設備(ハードとソフト)を大量に用意するだけでなく、個々の学生のより高度な表現欲求を満たすような設備を積極的に用意する必要があると思われます。また、利用に際して高度なアドバイスができる優れたスタッフを用意することも必要なのです。
 現在、多くの大学でパソコンやメディア機器を整備する必要が叫ばれ、多大な投資がされているようです。しかし、現状をみると、必修化したパソコン入門などの授業が最優先され、低水準の機器が大量に配備される傾向がみられます。他方、高レベルな設備を導入しても、数が少ないという理由で学生が自由に触れることができないよう制限を設けたり、教員用として別の部屋に設置されたりしています。また、機器は買っても、その活用を支援する専門スタッフは配置されていません。
 この状況は、日本の教育に蔓延している「横並び主義」そのものと言ってもよいかもしれません。古い考え方の管理者は、もし特定の学生が高価な機器を長時間使用している状況があれば、それを公平性が失われていると捉えがちです。そして、一人当たりの利用時間を制限したり許可制にしたりして、できるだけたくさんの学生に広く薄く利用させようとします。その結果、強く動機付けされた学生を排除することになってしまいます。学習意欲のある学生の要求は少数派として切り捨て、やる気の乏しい多数派のレベルにあわせて貴重な資源が配分されてしまうのです。水を飲まない馬の分を確保するために、水を飲みたい馬が好きなだけ飲めないという状況が生まれています。
 しかし、メディア工房の経験に照らしてはっきりと言えることは、関心の低い学生のレベルにあわせて機器やアプリケーション・ソフトの水準を下げても、低い学生の関心が惹起されることはないということです。逆に高価な機器や高度なソフトを学生に自由に公開しても、混乱が生じたり極端な奪い合いになったりすることはありませんでした。むしろ、そうしたおかげで、少数ではありますが、通常の授業では教えきれないような高度な技術を身につけた学生が何人か育ちました。
 これからの日本の大学教育を考えるとき、従来の横並び主義のままでよいか、今、問われているのです。そして、現実問題として、これからは中等教育レベルで行われるようになるだろうパソコン入門のような教育を必修化し、ローエンドな入門機を画一的に大量に揃えることが、これからの大学に本当に必要かどうか真剣に再考すべきだと思います。
 
卒業後の進路
 メディア工房から巣立った学生たちの進路をみますと、特徴的な傾向が読みとれます。まず、工房に日参し、デジタル・メディアに深く触れることによって、才能を開花させた学生たちがいます。これらの学生たちの中には、工房の機材のレベルに飽きたらず、さらに上の技能を目指して、大学と並行して専門学校などに通い始める学生もいます。また、同様にデジタルコンテンツの制作会社やビデオ制作会社にアルバイトで働き始める学生もいます。これらの学生たちの多くは、卒業後、メディア制作関連の職業に就くことを希望し、実際、多くはそうなります。中には、なんと留年したにもかかわらず、その学生の実力を嘱望する企業が受け入れてくれたというような羨ましいケースもありました。
 もちろん、全員が希望の分野に就職できるわけでないことは当然ですが、それでも、やる気のある学生はどうにかしてメディア関連の会社に潜り込んでいきました。
 つぎに、工房に頻繁に出入りして、ここの設備を学生生活に縦横に利用しながら、しかし、卒業後の進路はメディア制作などの分野でではなく、他の分野を目指そうという学生もいました。数の上から見ると、工房の常連の中ではこの種の学生が多数派でした。彼らにとって、工房は高価なメディア機器に自由に触れることができ、自分が試したいメディア表現を実現できる手っ取り早い空間だったのです。就職運動の季節が来ると、ここで身につけたさまざまなメディア操作能力とそれらを組み合わせる方法を武器にして、一般企業への就職を有利に展開しようという学生も現れました。実際、工房で自作したCD-ROMやビデオテープを修飾面接に持ち込んだ学生も多くいました。その結果、メーカーや流通といったメディア制作とは関係のない分野の企業に就職しても、企業の中でシステム・エンジニアの仕事に就いたり、広報関係のセクションに回されたというようなケースも多かったように思えます。
 つぎに、とくに何か心に決めたテーマがあるわけでもないけれど、何となくメディア工房に溜まっている学生たちもいました。たとえば、たんに楽譜を音楽ソフトに転記しているだけとか、ただフォトレタッチング・ソフトで画像をいじっているだけといった一見意味のなさそうな作業に長い時間を工房で過ごす学生たちがそうでした。今から考えると、これらの学生にとってはメディア工房は保健室の役割をしていたのかもしれません。そして、工房のスタッフは彼らにとって養護の先生だったのでしょう。これらの学生の中には、卒業後も就職しない学生たちがいました。希望の就職先がなかったというのではなく、いわゆるプータローと若者たちが呼ぶようなフリーター暮らしを始める者もいました。
 やる気一杯の学生たちのかたわらで、アンニュイな学生たちが同じようにモニターに向かい雑談をかわしたり、刺激しあったりすることもよくみられました。学生たちの間には、緩やかな仲間意識が芽生え、卒業後もつきあいを続けている者たちもいます。また、デジタル技能を活かしたボランティア活動(たとえば阪神大震災の記録CD-ROMの制作やナホトカ重油流出事故対策ボランティア基地のホームページ立ち上げ支援)に参加した学生たちの間には、確実に市民としての社会性が根付いたように思えます。
 いろいろな学生たちが工房から巣立ち、また、これからも巣立っていくのでしょう。さまざまな特徴をもつ学生たちをひとくくりにすることはできないでしょう。ただ、一つ言えることは、彼らがメディア工房にやってきたのは単位のためではなかったということ、そして、少なくとも自ら学びたいという自発性を共有していたことではないかと思います。短い数年間の経験ではありましたが、メディア工房の活動から私が得た最大の教訓は、学生たちがみせた学ぶと言うことの本来の姿ではなかったかと今思うのです。