空から撒かれた食糧のゆくえ
〜米軍がアフガンで撒いた食糧援助を悲しむ〜
2001.10.12


アメリカ軍がアフガニスタンの空爆の合間に、空から食糧を撒いているらしい。アメリカ軍としては、食糧を空から撒くことで自分たちがいかに慈悲深いかをアフガン民衆に知らせ、空爆によって断ち切られたNGOからの援助の代替えにしようということかもしれない。

このことをニュースで知って、あることを思い出した。毎年、夏に学生たちをつれてハワイのカウアイ島で日系人2世のお年寄りから生活史の聞き取り調査をしている。そのとき、インタビューに答えてくれた1人の沖縄系二世の大戦中の思い出話である。この人は、通訳兵として沖縄戦に参加した経験がある。それは大変な経験で、死線をかいくぐり、いくつもの悲惨な出来事を目の当たりにした。ここで、それに触れるには、あまりにも重すぎる経験であるが、ただ、その中で、ひとつのエピソードを、今、思い出すのである。

沖縄戦の最中、この兵士は、ガマといわれる洞窟の中から奇跡的に生きたまま出てきた1人の少年を見た。何日間もガマの中で暮らし、おびえきっている少年に、なんとか日本語で話しかけ、水と食べ物を与えようと試みたという。しかし、少年は、けっして水も食べ物も口にしようとせず、ただじっとうずくまっていたという。

「米兵がくれる食べ物や水には、毒がはいっている。そう信じ込んでいたんだね」とその二世の老人は私に言った。

考えてみれば、敵から与えられた食べ物や水を怪しみもせず飲み食いする者があるだろうか。民間人であれ、兵士であれ、戦争ともなれば敵に対して徹底的に憎しみと不信を抱くように教え込まれるだろう。アフガンの人々もきっとそのように教え込まれているに違いない。情報の自由がないアフガンの民衆に比べて、はるかに自由なアメリカ人だって、そうだろう。ハリウッド映画にでてくるテロリストは野蛮で非道なアラブ系なまりの恐ろしげな男たちばかりではないか。そんな男たちから水や食べ物をもらったとしても、誰が口にするだろうか。

食べ物や水は、たんに物理的に人間にとって栄養の糧となるというだけの存在ではなかろう。ほんとうに人間がそれを口にするまでには、信頼と受容という前提が成り立っていなければならない。そのような基本的な問題をアメリカ軍はどこまで理解しているのだろうか。

そこには、自分が善意なら、他人もそれを無条件に信じてくれるものという思いこみがあるのだろう。自分を信じてくれないのは、相手が愚かであるか無知であるかで、自分の側に問題があるとはけっして思わないのではなかろうか。

以前、私の家に夜更けに1人の青年が訪ねてきたことがある。彼は、突然、ドアを開けた私に数種類の珍味の入ったプラスチック容器を突きつけ、その珍味を試食してくれ、そして、気に入れば買ってほしいといったのである。私は、目を見張った。容器の中には、イカの塩漬け、蛸の酢漬け、海草の佃煮などの珍味が、仕切られた格子の1つずつに並べられていた。

しかし、私は、もちろん、食べることが出来なかった。私が躊躇していると、その青年はこういったのである。

「お代はいただきません。ただです。ですから是非試食してください」

青年があまりに執拗に試食をすすめるので、私は、ついにこういった。

「あの、夜更けに突然訪問してきた見ず知らずの人物が差し出す食べ物を口にする人間がいたら、それはよほどいやしいか、不用心な人物でしょ。考えてもごらん。この食べ物が安全な食べ物かどうか、誰が保証してくれるのですか?食べ物というのは、そういうものでしょ。口に出来るかどうかと言うのは、安いかどうかという前に売り手に信頼を置けるかどうかと言う問題が最初にあるんじゃないですか」

そう私がいっても、この青年は理解できないようだった。私が、押し出すようにドアを閉めたため、彼は結局その商品を私に売りつけることはできなかったのだが、あとで聞いたところでは、近隣の家々を回り歩き、同じような商売をし、同じように追い返されたらしかった。

私は、正直に白状すると、この青年が統一原理教の珍味売りであることを最初から見抜いていたのである。

このカルトに取り憑かれた青年は、自分がしていることがいつも絶対に善で、だから、自分が差し出す珍味が他人からどのように見られているかについて、まったく予見することができなかったに違いない。自分の善意と正しさを確信する者の救いようの無さがここにある。そして、これは今回のアメリカ軍による食糧空中散布にもどこか通じているように思う。

援助するということは、施すことではない。まして、囚人の口に有無を言わせず食事を流し込むことではない。その当たり前のことが、いつになれば、理解されるのであろうか。強者が弱者を理解することは、かくのごとくに絶望的に困難なのであろうか。

ところで、空から撒かれた食糧は、いまごろはタリバン兵士の夕食になっていることだろう。沖縄戦の際、多くのガマで沖縄の民衆を押しのけて、日本兵が真っ先に残り少なくなった食糧を口にしたように。