裏返しのメディア論

威厳ある一世の父を見つめる悩める二世のまなざし
移民家族映画にみる世代間葛藤

『季刊民族学』110号 pp77-78


 最近、移民をテーマにした映画が注目を浴びている。グローバリゼーションの進展と社会のボーダーレス化の反映なのだろう。新天地にやってきた一世たちの苦闘、そこで生まれた二世たちの文化葛藤や成功への努力など、移民をめぐる人間ドラマに関心が集まっている。しかし、なかでも注目されるのは、自分自身が移民二世世代である映画製作者たちが自らの出身文化について作品を続々と発表しはじめていることである。
 思いつくままに作品をあげれば、最近、封切られて若い少女たちに圧倒的な支持を得た『ベッカムに恋して』(2002年、イギリス)。主人公はサッカーに打ち込むインド系イギリス人少女だが、監督のグリンダ・チャーダ監督自身もインド系二世である。また、ギリシア系移民二世の女性が結婚にいたる波瀾万丈のエピソードを描いた『マイ・ビッグ・ファット・ウエディング』(2002年、アメリカ)もそうだ。映画に主演したギリシア系二世女優のニア・ヴァルダロスが脚本を書いている。ほかにも、パキスタン系イギリス人の一家を描いた『ぼくの国、パパの国』(2000年、イギリス)が記憶に新しい。ここでは脚本を書いたアユーブ・カーン=ディンがパキスタン系イギリス人二世である。
 彼らの作品に共通する特徴は、すべて製作者の自伝的要素を含んでおり、二世たちの自己主張とアイデンティティの確認が執拗に追い求められていることだろう。新天地に到着して想像を絶する苦労に耐え、そこに定着し、仕事をみつけ、財産を蓄え、営々と生活を築いてきた一世たち。かれらは誕生した二世たちの成長に満身の期待を込める。二世たちは、その期待の重さに押しつぶされそうになりながらも社会上昇を果たしていく。そんな二世の中で、メディアの仕事に就いた者たちが自らのアイデンティティを確かめるかのように自らのエスニック文化を作品化し始めるのである。しかし、一世にとっての新天地は、かれら二世たちにとっては生まれ育った社会である。出身文化を全身にまとった一世と居住地の文化に染まって生きる二世たち。この両者の間には、親と子という葛藤とともに、出身地の文化と居住地の文化の葛藤という二つの葛藤がよこたわっている。一世と二世の葛藤は、人間の営みとしての移民現象にとって、欠くことのできない重要かつ永遠の課題といってよいだろう。

 さて、かれらの作品にかならず登場するのが父親である。これら父親たちは、共通して、出身文化の伝統と誇りを右手に、移民後の被差別体験から得た人生知を左手にもって家族の中心に君臨し、二世たちの前に立ちはだかる存在として描かれる。
 『ベッカムに恋して』ではこうだ。主人公の秀でた才能を惜しむコーチがサッカーを続けさせるべきだと父に直訴するのに対して、きりっとターバンを巻いたシーク教徒らしき父親は、こういい放つ。
 「ナイロビでは、私はクリケットで学校一番の速球投手だった。東アフリカ杯では優勝もした。しかし、イギリスでは無視され、どのチームにも拒まれた。クラブでは、白人たちは私のターバンをからかい、私を犬のように追い出した。」この言葉に、コーチは「お気の毒です。でも・・・」と反論を試みるのだが、父は、すかさずこう言うのである。「でも何だ。英国のリーグにインド人選手がいるのか?娘に希望を抱かせるな。」そして、「時代が違う」と食い下がる娘をにべもなく一蹴するのである。
 映画を撮ったインド系二世のグリンダ・チャーダ監督は、イギリス文化とインド文化のハイブリッド的性格をみなぎらせた主人公の少女についてこう語っている。
「この映画は私の自伝的要素が濃い作品だ。故郷サウスホールを舞台にしているだけでなく、主人公と父親との関係は私と私の父との関係によく似ている。私はこの作品を父へのトリビュートとして作った。」
 威厳のある父である。インド人であることによる被差別経験の痛みは、文化的誇りのコインの裏側でもある。父は、それゆえ子どもである二世たちを独力で守ろうとする。同じマイノリティとしての被差別体験を共有する二世たちは、父の苦悩や愛情を痛いほど理解している。しかし同時に、若い二世たちにとっては、父の庇護は抑圧でもあるのだ。

 マイノリティ出身の二世監督たちにとって、このアンビバレンツな感情は、かれらに共通する主題なのだろう。インド系とは仲の悪いパキスタン系でも事情は似ている。『ぼくの国、パパの国』ではこうである。
 この映画の舞台は70年代のマンチェスターの労働者街のフィッシュアンドチップスの店である。父親は、敬虔なイスラム教徒であり、「パキ」と蔑称で呼ばれることに耐えながら店を開き、苦心のすえ永住権をとった苦労人である。しかし、彼は同時に、家庭内暴力も辞さない家父長制の権化のような男でもある。ただ彼の妻は白人である。だから、彼女が産んだ五人の子どもは、混血としての人生を生きる宿命を背負わされている。物語は、イスラム聖職者の媒酌で息子たちにパキスタン系女性との結婚を無理強いする父とそれに対する息子たちのさまざまな反応を軸に展開していく。聞き分けのよい三男は、自分を抑えて婚約を受け入れるが、白人女性と交際中の次男は徹底的に抵抗し、同じく父に反抗し家出した長男宅に逃げ込むのである。
 二世たちにとって、一世の父はかくも圧倒的な存在である。この威厳と抑圧の源泉である父を乗り越え、自らの存在の意味をうち立てない限り未来はない。だから、二世の作家たちは、必死になって、自己の存在の意味を父との相克の中に探し求めていくのである。
 これら二世の映画製作者たちの位置は微妙だ。多数派が支配する社会の中で、かれらを映画人としての成功に導いた個性は、自分が背負うマイノリティ文化と表裏一体のものである。だから、かれらの表現活動は、必然的に自伝的世界を描くことに向かわざるをえなくなる。そのとき、父という存在は出身国の文化や価値を体現する無類の象徴なのだ。

 そこで気になるのは、二世たちは威厳ある父と結局のところどのような関係を結ぶのかという点だ。威厳ある父は重い。そこから逃げるのか、対決するのか、受け入れるのか。二世たちの映画をみていると多種多様の解決が模索されている。
 たとえば、『マイ・ビッグ・ファット・ウエディング』では、花嫁は、反発しながらも父から受け継ぐギリシア系移民の文化の側に、典型的なアメリカ中間層出身の花婿を引きずり込んで大団円となる。強烈なギリシア伝統文化が歴史性のない脆弱なアメリカ中間層文化を飲み込むのである。別の見方をすれば、父と娘の関係は永遠に親密なのだろう。
 また一方、在日韓国人出身の映画監督、中田統一の場合はもっと鮮烈である。彼の第一作であるドキュメンタリー映画『大阪ストーりー』(1994年、イギリス)では、ロンドン留学中の主人公(監督自身)に帰国と結婚をせまる父母に対して、言を左右に返答をさけていた主人公は、最後に自分が同性愛者であることを映画の中でカミングアウトするのだ。つまり、この映画は、家族の発展を至上の価値とする一世の父に対する決別と自己表明となっている。
 しかし、父の文化を忌避し逃走しても、自分の中に刷り込まれた文化から逃れることはできない。というのも、かれらの優れた才能の一部だからだ。しかし、それはあくまで一部にすぎず、「それだけが自分じゃない」と二世たちは葛藤し続けるのである。葛藤のないところに創造はない。
 二世たちは、二つの文化の中でもがきつつも、その異種混雑的な状況を肥やしとして新しい映像表現を産み出そうとしている。