ちかごろのハワイ

−マクア海岸のホームレスたちから見える世界−


『書斎の窓』96年11月


 五年ぶりのハワイはさすがに懐かしかった。入国手続きと通関を済ませてホノル ル空港の玄関に立ったときは、懐かしさのあまり大声を出してしまいそうだった。

 この五年間ハワイに来なかったわけは、研究所から大学へと職場がかわり何かと 忙しかったたことや未訪問地の調査を優先し、古巣のハワイにはいつでも戻れるわ いと浮気をしていたからである。ただ、それに加えて、湾岸戦争時と真珠湾攻撃五 〇周年の時期の入国に際して、移民局とFBIの両方から事情聴取を受けるはめに なり、移民局の陰気な部屋に長時間待機させられたトラウマ体験がたたっていたか らかもしれない。

どうして私がそのような事情聴取を受けなければならなかったか、いまだ全く不明 であるが、今回も、ひょっとしてそんなことがあるかもしれないと考え、日ごろ親 しくしていただいている山本泰・真鳥ご夫妻(東大教授・法政大教授)から拝借し た在米サモア人に関する研究論文を数本、パソコン雑誌数冊を鞄に詰め込み、ま た、それでも時間があまったらと、まえからマスターしたいと思っていたアイヌの 楽器ムックリをポケットに忍ばせていった。しかし、幸か不幸かそれらに手を触れ ることもなく、実にあっけない入国であった。

 今回のハワイ訪問の目的は、オアフ島ワイアナエ地区で今年の夏から始まった日 本人学生のための研修ツアー(通称:タロイモ旅団)に付き添うためである。オア フ島最西端のどん詰まりにあるこのワイアナエ地区は、都市化の進んだホノルルと は正反対の田舎である。住民の半数以上が先住民族ハワイ人からなる貧しい地区だ が、貧しい住民が住む海岸部に対して、山側の丘には裕福な高級別荘地や日本人観 光客がリムジンで乗り付けるゴルフ場もあり、ハワイ社会の貧富の差が目にみえる 地区でもある。

 八〇年代終盤のバブル経済の時代に、日本の開発業者がこの地区に計画した高級 リゾートに対して、ハワイ先住民グループが大規模な反対運動を起こした。この運 動に関心を持ったことがきっかけで、ハワイ人の村おこし運動に関わり続けてき た。九五年には、日本からの寄付をもとにしてハレ・オ・オマルヒアと呼ぶ宿泊施 設も現地に完成し、各地からワイアナエを訪問する人々を受け入れることができる ようになった。この施設を使って、ハワイ先住民の文化に対する理解を深め、ま た、その村おこしに何がしかのお手伝いをしようというのが、このタロイモ旅団の 目的である。

 今年の訪問には、もうひとつの意味があった。マクア海岸のホームレス問題のそ の後がどうなったか知りたかったのである。話はさかのぼるが、訪問の準備をして いた今年6月に現地から緊急の電子メイルが入った。ワイアナエ地区でも、もっと も西の外れにあるマクア海岸に過去数年にわたって住み続けてきた八〇世帯、三〇 〇人ほどのホームレスたちがついに州政府から強制退去をせまられ、その執行が六 月一六日に行われるというのだった。このマクア海岸のすぐ山側のマクア谷には、 米陸軍の演習場がある。演習をつつがなく進めたい軍の強い要請もあって、州政府 はついにホームレス強制退去の挙にでたのである。ホームレスたちは、自治組織を 作って州政府に退去撤回を求める運動をしてきたが、功を奏さず、強制退去は動か しがたい事実となりつつあった。それを目前にして、現地からは、米軍の演習場を 抱えて苦しんでいる日本や沖縄の人々にも、この事実を伝えて欲しいと電子メイル が次々と届いた。(この件については、詳細な情報をインターネットのホームペー ジで紹介している。http://www.asahi-net.or.jp/~ud4k-ymd/)

 世界の観光地であり、物価と土地価格の異常に高いハワイ州では、ホームレス問 題もまた深刻である。約一二〇万の州人口に対して、住む家をもたない人々は、約 二万人ともいわれている。ホームレスには、都市ホノルルの街路や公共施設に住み 着く人々も多いが、ハワイ独特の形態として、海岸にテントやダンボール小屋を建 てて、住む人々も少なくない。マクア海岸のケースは後者の典型にあたる。海岸の ホームレス集落は、カウアイ島やハワイ島にも存在しており、いずれも、強制退去 を迫る州政府と対決を続けてきた。最近のハワイのホームレス事情には、日本人観 光客も深く関与していることを知っておいて頂きたい。バブル時代に行なわれた日 本企業による土地の買い占めとゴルフ場やリゾート開発の結果、地価が高騰、家賃 も並んで驚異的な上昇を示した。その結果、高い家賃を払えない低所得者層の一部 がはじき出され、ホームレスとなったのである。地価はその後安定を取り戻したも のの、一旦ホームレスになった人々の生活は戻らなかった。

 このホームレス問題をさらに複雑にしているのは、これらのホームレスの大半が 先住民族ハワイ人であることである。マクア海岸のケースもその例にもれず、住民 の八五パーセントが先住民だった。このマクア海岸のホームレス問題は、ハワイで はすでに以前からいろいろと地元メディアで取り上げられており、ハワイ人の権利 問題も絡まって、微妙で複雑な問題として世間の注目を集めてきた。また、おりか らハワイ人の独立の是非を問うために州政府が行う住民投票を控えて、独立運動 (ハワイアン・ソブリニティ・ムーブメント)派の人々もこの問題に積極的な関心 を示した。彼らの主張を簡単にいえばこうである。

 州政府はいかなる正当性を根拠にして、これらの土地の権利を主張できるのか。 これらの土地は本来先住民であるハワイ人のものだった。しかし、一八九三年の白 人クーデタによって、ハワイ王朝が不当に倒され、それに続くアメリカへの併合に よって、これらの土地はアメリカの手に渡った。しかし、近年、クリントン大統領 は正式にこのクーデタと併合が不当なものであったと謝罪したではないか。それな ら、これらの土地にハワイ人が住むことを咎めるいかなる正当性も州政府にはない はずであると。

 しかし、結果的には住民たちの抗議もむなしく、軍の威光を背景にした州政府 は、六月一八日、ついに強制退去を強行し、一六人の逮捕者がでた。

 その後、現地の海岸は、住民たちによって作られたささやかな記念のモニュメン トの存在がそこにかつてホームレスたちが住んでいたことを伝える以外、波がただ 打ち寄せるだけのどこにでもある美しいハワイの海岸に戻った。

 しかし、この一連のマクア海岸での出来事に、私は、そこにハワイ固有の特徴を 感じずにはおれないのである。

まず、ここに定着したホームレスの人々には、アメリカのホームレス一般の例にも れず薬物依存の人々が少なからず含まれていた。ところが、彼らの多くは、マクア 海岸の自然に囲まれた生活を続けるうちに、いつのまにか健康を取り戻したという のである。しかたなく都市を追われてマクアに定着した後のテント生活はたしかに 大変ではあったが、海草を採り、漁をして一日の糧をえ、また、仲間たちと励まし あって暮らす生活は、とりわけハワイ人にとって、自分たちの文化に根ざす伝統の 生き方を思い起こさずにはおかなかったに違いない。

このような生き方は、たんにホームレスたちのほかに選択の余地のない最後の生活 手段というより、そこにもっと積極的な何かを発見することができるものだったに 違いない。

 ホームレスたちには自治組織が生まれ、それまで不法投棄のゴミで汚れていた海 岸は、彼らのボランティア活動できれいに清掃された。多くのホノルル市民が、マ クアのホームレスたちに共感した。オアフ島の最果ての地で自然を友に静かに暮ら している人々の生活はそれはそれですばらしいではないかというのが、大方の意見 だったのである。実際、彼らを支援する多くの人々の輪が各地に生まれ、地元の ケーブルテレビは特別のクルーを現地に送ったし、また、地元の著名なハワイアン 音楽のグループは歌を作って彼らを応援した。ホームレス問題が環境保護やライフ スタイルの問題として語られる文脈がハワイにはつねに存在するのである。

 さて、もうひとつ私が社会学者として興味深かったことにこんなことがあった。

 抗議運動が盛り上がっていたころ、現地のハワイ人ホームレスを組織するため に、ここにも独立派の活動家が訪れた。ところが、ここにホームレスたちは、ハワ イ人だけを組織することに難色を示し、ついにマクア海岸のハワイ人たちが運動に 加盟することはなかった。

 ホームレスたちが加盟を渋った理由は、こんなことであった。つまり、ここの住 人は、もちろん、八五パーセントがハワイ人だけれども、一五パーセントは他民族 の出身である。白人、日系、サモア系、それにいろいろな民族の血が混ざったハワ イ独特の人々がいる。これらの人々もみんないっしょに加盟したい。そうでなけれ ば、コミュニティの団結が失われてしまうではないか、というのである。特定のエ スニック・グループへの帰属意識より地域コミュニティへの帰属意識の方が、これ らホームレスたちには強く存在したということだろう。

 近年、ハワイではハワイ人の権利運動が活発である。私が滞在中の九月一一日に は、ハワイ人を対象に行われたハワイ人の自決権の是非をめぐる投票の結果が発表 された。投票の結果、大きな方向としてハワイ人の自決を進める方向が支持され た。今後、ハワイは、かつて白人政権が不当に奪った先住者の権利を回復させる方 向で政治の舵取りがなされていくに違いない。政治的にはこれからますます激しい 論争と利害の葛藤が予想される。

 アメリカ本土のメディアは、このような最近のハワイの動きをみて、このハワイ の社会も、アメリカ本土のようにエスニック・グループ間の激しい対立と憎悪の泥 沼に沈んでしまうかもしれないという観測を流している。

 たしかに、そうかもしれない。そのような兆候はあちことにみられる。しかし、 一方で、この社会には、マクア海岸のホームレスたちが示したような濃密なコミュ ニティ意識もまた存在しているのである。小さな島の中で、互いに助け合い協力し 合い、また、エスニックの垣根を越えた通婚を繰り返しながら築いてきた「縁」の 社会は、移動と競争を原理とするアメリカ本土の社会とはずいぶん異質である。

 それに加えて、ハワイのエスニック別の人口構成も、アメリカ本土とはずいぶん 異なっている。最大の白人でも四分の一、日系人がそれとほぼ互角、ハワイ先住民 系が五分の一、フィリピン系が八分の一、それ以外にも、中国系、ポリネシア系な ど、どれをとっても過半数を制するエスニック集団がいないのが、ハワイの社会の 特徴である。みんなマイノリティなのである。加えて、エスニック間の通婚(外 婚)も盛んである。たとえば権利運動の盛んなハワイ先住民も、その大半は混血系 の「パートハワイアン」と呼ばれる人々で、中には、他のエスニックの血の方が濃 い人々もいる。このような外婚によって生まれる家族間の親類づきあいはエスニッ ク・グループ間の垣根をやすやすと越え、ハワイ社会を網の目のように濃密に結び つけている。通常、アメリカ社会においてエスニック内結合を強化するはずの親族 ネットワークが、ハワイではエスニック間結合を保証する因子となっているのであ る。

  最後に、そのようなハワイ固有の雰囲気を象徴するような発言をひとつ紹介し て終わりたい。かねてから交友のある、日系とポルトガル系と中国系とハワイ先住 民の血が混ざった独立派の「ハワイ人」リーダーのひとりが私にこういった。

 「本土のマスコミはね、ハワイにも本土のようなエスニック戦争が巻き起こるこ とを内心期待しているんだよ。ついにハワイ人たちが戦争を始めたとね。でも、そ うじゃないよ。私たちハワイ人が考えているハワイは、今よりもっともっと本質的 に多民族で多文化の社会なんだ。考えてもごらんよ。純血主義を守り、自分たちが 世界で一番優れた民族だといってきのは、白人なんだよ。私たちハワイ人は、ご存 知のようにすべての民族と分け隔てなく付き合ってきたんだからね。」

(終わり)