なにが人質を解放させたのか

政府は無力であると同時に障害物でしかなかった。
そして、人質を解放したのは、結局、彼ら自身の活動の正当性と
それを支えた市民の迅速な行動とそれを報じた国際メディアの映像だった。


04.4.15


 事件が起こってから日本政府がしたことは、何だったんだろう。政府は自衛隊を撤退させないとモンキリ調の会見をした後、何をしたのか判然としない。外交文書の情報公開は難しいとはいえ、この間、政府が何をやったのか今後徹底的に解明されねばならないだろう。メディアで伝えられた範囲では、政府には危機管理マニュアルがあるそうで、それに従った対応だったそうだ。しかし、マニュアルがあっても、それをやり通す情報収集能力と実行能力がなければ意味がない。政府がまがまがしく立ち上げた危機管理室なるものも、情報の確認に追われるだけで何ら実効ある対応をした形跡はなく、外務副大臣を現地派遣したものの、派遣先はバクダッドから1000キロも離れたアンマンで、彼がどんな役割を果たしたのかも判然としない。アルジャジーラで呼びかけるために収録した川口外務大臣のビデオたるや、強ばった顔面を引きつらせ、威圧的に日本政府の主張を声高にまくし立てるだけの惨憺たる内容だった。(あのビデオが放送されたから、犯行グループの反感をかって、逆に人質の解放が遅れたのではないのか)その上、渋いのは顔だけなのかお調子者の阿部自民党幹事長は、まだ人質が解放されてもいない段階で、自衛隊を撤退させないと政府が決断したのが解放に役立ったなどとヌケヌケと手前勝手な演説をし、それがニュースで報道された。インターネットを経由すれば、その程度のニュースは世界中からチェックできるということすらこの愚かな二世政治家は失念しているし、その後、長々と人質は解放されなかった。もし、犯行グループがそれに反発して人質の解放を中止したらとしたら一体どういう言い訳をするつもりだったのだろう。

 衛星テレビの対談番組によれば、ただ、バグダッドにいる臨時大使は獅子奮迅の活躍をしたということらしい。しかし、だからといってそれで政府の無策があがなわれるわけではない。現場が犠牲をはらい献身的に働くと言うことと、政府というシステムが問題解決に機能するということとは、まったく次元の違う話であろう。林則徐が高潔で有能な官吏だったからといって、清朝がアヘン戦争に勝利できたわけでもなく、湾岸署の青島刑事がいくら孤軍奮闘し「事件は会議室でおこっているんじゃない」と叫んでも、現場に血がながれなくなるわけじゃないからだ。政府が無策であったことは、この臨時大使が一番よく知っているに違いない。もちろん、本人は退職するまでそうはいわないだろうが。

 一方、政府の声明は、唯一、アメリカ政府関係者だけには受けがよかったようだ。小泉首相の対応に安堵したアメリカは、事件の解決に全面協力すると約束した。しかし、それがいかほどの事態の解決に役立ったというのか。イラク中の反感と憎悪を一身に背負っているアメリカ軍の協力を得ると言うことは、明らかに敵と手を組むと言うことではないか。また、もし、アメリカが事件に介入していたら武力で武装集団を急襲するといった暴力的な解決手段に走り、これもまた人質の命があやぶまれたことだろう。こういうときに、抑圧者として現地民衆から敵視されているアメリカに人質解放策を依存するということの危険さと愚かさは計り知れない。何でもアメリカに依存する政府の体質が今回の危機をいっそう深刻なものにしかねなかった。

 これに対し、非政府の市民たちの運動はめざましいものがあったといわねばならない。犯行グループは、当初からアルジャジーラをコミュニケーションの場として選んだ。そして、それ以外のチャネルでの接触はまったく無視したのである。人質をとって要求を突きつけるハイジャック犯と決定的に異なる種類のコミュニケーションの戦略がそこにあった。すべてのコミュニケーション、いやすべての出来事はメディアの中に登場して初めて実態と意味を与えられたのである。E・カッツは、このようなメディアの中においてのみその存在を知覚できる出来事をメディア・イベントとよび、現代の世界メディアを読み解く重要なコードとして位置づけている。カッツがいう祝祭性はないとはいえ、この枠組みを借りれば、今回の人質事件は、今日の世界を覆うメディア・イベントそのものであった。

 このような現実を日本政府はあきらかに読み違えていたといってよい。政府は伝統的な人質事件の解決枠組みにこだわり、犯行グループと直接的にコンタクトできるチャネルを見いだそうとしたが、それに失敗し続けた。結局、日本政府は、アルジャジーラに外相が出演して語らざるを得ないところまで追い込まれた。政府はこの事件がメディア・イベントであるということを最後まで理解できなかったのではなかろうか。

 政府が犯行グループとの直接的チャネルの確保に固執したのに対し、そのような手段を始めから期待できない市民たちは、アラブ系メディアへの積極的なアプローチに全力を傾けたといってよい。そして、このメディアを効果的に利用するという意味においては、日本政府より、市民たちの方がはるかに今日のメディアのそのような性質をよく捕まえたといえるだろう。

 まず、人質の家族と彼らを支える市民グループが積極的にアラブ系メディアのインタビューに応え、人質のこれまでのイラクにおける活動の実績を伝えた。さらに、彼らがアメリカに追随する日本政府を批判し、政府とは異なったイラク支援活動に従事してきたことをはっきりと伝え、自衛隊の撤退を否定する政府を批判した。日本の国内に自衛隊派遣について強い対立があることが鮮やかにあぶり出された。そして、3人の解放と自衛隊派遣反対を求める市民や若者たちのデモの映像がメディアをとおして世界中に届けられた。

 もちろん、その映像がアラブ世界に流れるには、アルジャジーラのようなアラブ系独立メディアの存在が不可欠だったろう。アラブ系メディアはまさに仲介者としての役割を獲得したのである。アメリカ/ヨーロッパ系の通信社が世界のメディア配信を独占していたかつての時代には、このような事態は考えられなかった。だから、いくら(かつてテレ朝を買収しようと暗躍した)マードックのシンジケートが先進国のメディアを買いあさり、寡占体制を敷いても、これらの新しいメディアの登場を阻止することはできないのは時代の主流なのに違いない。

 一方、国内では、インターネットを通じて3人の解放を政府に求める署名運動が、かつてのような中央の文化人や知識人による呼びかけを待たずに、ねずみ算式に広がっていった。さらに、それらの呼びかけに応えて、市民の中で外国語の使える多くの無名の人々が、海外メディアのウエッブ掲示板に直接的な意見と解放の呼びかけを次々と行っていった。さらに、インターネットを媒介して形成された国内外にまたがる多数のメイリングリストを連鎖しながら、人質たちのイラクでの活動が正確にアラブ世界、そして、武装勢力にも、伝達された、これらの活動がイラクの人々に影響を与えたのは間違いない。

 統治的な権力が崩壊している現在のイラクのような社会では、ゲリラ的な武装集団の行動も統制されたものではなく、個別化し自律化していると言ってよい。そのような状況の下では、現地のメディアやウエッブに人々が直接書き込んだ生々しく暖かくかつ多様で直接的なメッセージの方が、そして、メイリングリストなどの地下水脈をつうじて流れでるメッセージの方が、政府の公式的なチャネルから繰り出されるような官僚的文法によって統制され、調整され、その結果、言葉としての躍動感を失って凍結した文体より遙かに説得力をもったといえるだろう。

 アラブ系メディアが伝えたそれらの直接的メッセージは、イラクの宗教指導者によって受信され、彼らが強い影響力を行使する一般民衆としてのゲリラたちに波及的に影響を与えた。また、インターネットを通じて連鎖的に伝えられた日本からのメッセージがかれらを動かしたといってよい。興味深いことに、報道では、これらスンニ派の宗教指導者たちも、犯行グループとは直接コンタクトしていたわけではないといわれている。宗教指導者たちがメディアを通じて発した声明文に対して、犯行グループが反応したというのである。ここでも、直接の接触はなく、メディアが効果的な回路を切り開いたのである。

 そのようにして、人質の家族や市民たちは、イラク民衆への支援に関して人質たちの果たした実績と彼らの心情を訴え、また、支援者たちは日本政府に対する批判と人質の解放を一体のものとして伝えることに成功した。

 それと比べて、政府の説得の論理はあきらかに空転し独りよがりのものであった。川口外相は、ビデオで「人質は純粋の民間人であり、イラクの友人であるから解放せよ」と主張した。しかし、それはみるからに説得力を欠いていた。自衛隊派遣に反感を持っている犯行グループなのだから「人質は、政府の自衛隊派遣に反対していた民間人で、中にはアメリカ軍と日本政府の活動を批判的に報道するためにイラク入りした若者がいる」と言えば、もっと効果があったはずである。それをいえば、あきらかに犯行グループのかかげる論理の矛盾を突くことができた。かれらの救出をより効果的に成し遂げるためには、自衛隊を派遣した政府の政策と人質たちの意志が相容れないことを強調し、それを犯行グループに伝えることが必要だったからだ。しかし、自衛隊の派遣に反対している民間人という存在自体を建前として受け入れることができない政府は、犯行グループの説得について最も効力をもつはずの論理を構築することができなかった。

 政府は始めから自分で自分の手を縛っていたと言うことになるだろう。そうでないというなら、一体政府は裏交渉の場で、どんな論理を使って説得したのか聞いてみたいものだ。手詰まりの証拠に、政府はそれだけ米軍を頼みの綱にしようとしたのだろうが、しかし、それが逆効果でしかないことは、先述したように冷静に考えればわかることであった。

 今回の人質救出劇の全体を冷静にみつめてみると、国境をやすやすと越え世界をリアルタイムに結びつけるメディアの存在を抜きにして、その実現はなかったという厳然とした事実に突き当たる。それぞれのメディアは地域や言語によって分立していようとも、それを横断的に連鎖させ、有機的にネットワークさせることに精力を注ぎ込めば、いくつものコミュニケーションの回路を経て、人質の家族と彼らが住む社会の一般市民と、はるか戦乱の地に潜む武装犯行グループとの間に、理性的で冷静なコミュニケーションを成立させることができる。このような新しい非階層的なネットワーク・コミュニケーションの潜在的能力を今回の事件はまざまざと提示したのである。と同時に、これまで国際間の力関係を支配してきた国家の垂直的で統制的なコミュニケーション・チャネルが今日のような事態の中ではほとんど効果的な役割を果たせなかったという事実も同時に明らかにしたのである。

実際、人質解放の正確な予測をアルジャジーラが伝える以前の一日早い段階で、一部の日本のメイリングリストには人質解放の予測にかかる正確な情報が流れていたという。

 今から約40年前、日本とアメリカの間に初めて衛星テレビ放送のチャネルが開かれ、その最初のメッセージがケネディ大統領の暗殺の悲報であったことに驚いたわれわれが、今日、その手にしているコミュニケーション手段の潜在的能力の大きさと可能性にあらためて気付く必要があるのだ。