書評・吉野耕作著『文化ナショナリズムの社会学』(名古屋大学出版局、1997年)

『図書新聞』97.5

現代の日本におけるナショナリズムの位相を、近年注目を浴びているカルチュラル・スタディーズの方法を採り入れながら分析した好著である。

 近代のイデオロギーとしてのナショナリズムは、国民国家の統合を求めるエリートたちが生産し、国民教育を介して伝播されるものとして考えられてきた。しかし、著者は、このようなナショナリズムのいわば「生産」側に注目する視点では、現代のナショナリズムは十分にとらえられないという。それにかわって、著者が注目するのは、言説としてのナショナリズムが人々によってどのように「消費」されているかという側面である。

 著者が取り上げるのは、戦後いくどかブームを引き起こした日本特殊論としての「日本人論」である。そして、これらの「日本人論」を一般大衆がどのように理解し、日常生活や職業生活の中で使用したかという「消費」の側面に注目し、この「日本人論」の消費が人々のナショナルアイデンティティの形成にどのように関与したかを分析することによって、今日の日本人のナショナリズムの様相を描き出そうとする。

 具体的作業として、著者は、日本の平均的な地方都市である「中里市」をフィールドに定め、そこに在住する教育者と経営者に対して、かれらが日本人論をどのように受けとめ、どのように評価し、また日常の生活や仕事にどう役立てているかを丹念に面接調査した。調査の結果は、それ自体、非常に興味深い。教育者より企業人の方に、日本人論の肯定的な受容度は高く、日本人の日本らしさを「日本人論」の枠組みを借りて理解する傾向があったという指摘は、首肯できるし、現代社会における文化媒介者としての企業人の役割を改めて確認させるものである。

 また、これらの分析と並行して、文化ナショナリズムを生み出す装置のひとつとして、著者は、八〇年代以降、日本企業に普及した異文化間コミュニケーション・マニュアルや日本文化の特徴を「日本人論」の文脈にそって解説する英会話教材の存在に注目し、それらを組織的に生産する「異文化産業」の役割に言及する。

 現代のナショナリズムは、ナショナリストによって明示的に担われるのではなく、「文化の差異に関する理論(日本人論)が異文化マニュアルという形で商品化・大衆化され、それが消費される家庭でナショナル・アイデンティティの意識が促進され、文化ナショナリズムが展開する」という著者の指摘は非常に説得的であり、示唆に富んでいる。

 さて、著者のいうように、日本特殊論としての「日本人論」の消費のされ方があるなら、日本同質論としての「国際主義」の消費のされ方もあるのではなかろうか。九〇年代に入って、アメリカで対日リヴィジョニストたちの「日本異質論=対日排除」発言が活発に行われるようになると、日本の外交担当者や企業人の間で「日本人論」的言説は急速に後退し、「日本も同じ資本主義国です」という日本同質論が声高に叫ばれるようになった。「国際主義」がむしろナショナリストに担がれると言うこのパラドックスが蔓延する状況を著者ならどのように解くのだろうか。更なる展開を期待したい。