95-07-25
書評:小熊英二『単一民族神話の起源』新曜社


『サンケイ新聞』1995年7月25日書評欄

「日本社会は単一民族社会である」という神話は、どこからきたのだろうか。著者は、この神話は意外にも戦後生まれだという。
 本著は、この国が近代に開国して以来、自らをどのような民族として自己規定してきたかを、古代史学、人類学、民俗学などの碩学たちの学説を始め、国体論者やキリスト者たちの言説、ジャーナリズムの論調など、さまざまな言説の分析を手がかりに、その形成と変遷を明らかにしている。
 分析は多岐にわたるが、重要と思われるのは、日本が周辺諸国を植民地化しつつあった戦前期には、日本民族=混合民族論が支配的であったのに対し、敗戦後、領土が縮小し、周辺アジアを覆う冷戦の緊張から「一国平和主義」的に距離を置こうとする戦後期に入って、むしろ単一民族論が主流になったという指摘だ。戦後の単一民族論とは、日本は古来から単一民族の社会で民族間抗争の経験がない平和な稲作社会だったという主張である。
 著者はこのような日本人の民族に関する自己規定の変遷を「国際関係における他者との関係が変化するたびに、自画像たる日本民族論がゆれ動く」のであり、「日本民族の歴史と言いつつ、じつは自分の世界観や潜在意識の投影」に過ぎないと言い切る。
 とすれば、この単一民族神話が批判の矢面に立っている昨今の情勢はどう理解すればよいのか。それは、異文化が共生する多元主義社会へと日本をいざなう胎動なのか、それとも、「国際国家」という名の大国主義への露払いなのか。いずれにせよ、日本は再び新しい自己の民族像を求めようとしているらしい。
 ただ、一つの民族のアイデンティティとは自己と他者の二つのまなざしの交点に像を結ぶものである。とするなら、他者とくに周辺のアジア諸民族が日本をどのような民族として規定し、また、してきたかを覚知することが必要だ。本著では取り上げられなかったこの課題に著者の次なる挑戦を望みたい。
(やまなかはやと、東京経済大学教授、社会学)