95-06-01
アミオニ島奇たん


『まほら』95年6月

 アミオニ島は、ハワイ諸島の中で今世紀に入って発見された小さな島である。この島に行くには、オアフ島から船で西に舵をとればよい。三時間も波に揺られれば、遥か海上に島影がみえてくる。船が近づくと、一筋の白い砂浜がみえ、やがて椰子の木々で覆われた美しい島の全貌が明らかになってくる。
 最近、多くの日本人がハワイに行くようになったが、不思議なことに、このアミオニ島を訪れた人の話は聞かない。しかし、アメリカ人たちには、古くから有名な島であった。
 戦前からこの島については、いろいろな記録が残されてきた。記録映画も撮影されている。ウォルター・ラングが戦前に撮影した記録映画によれば、この島には、大きなポリネシア系先住民の集落が存在していた。
 ハワイ王朝が一八九三年に崩壊した後でも、このアミオニ島では、先住民社会がほぼ原始的な形態を維持しつつ残存してきたことは、驚嘆に値すると思われる。
 白砂の海岸に上陸し、椰子の林を抜けると、先住民の集落がある。集落の中央には、気持ちの良い泉が滾々とわき出している。そして、その泉のそばに広場があり、広場では、ルアウと呼ばれるポリネシア式の宴会がいつも繰り広げられている。住民のほとんどは、きわめて陽気な人々である。
 今日、ワイキキあたりではすでに旧式となったペッピングアップのリズムのハワイアン音楽が演奏され、その陽気なリズムにあわせて、美しい女性たちがフラを踊っている。
 キリスト教の侵入によって禁止されたはずの肌を露出するコスチュームも、この島には残されている。木の葉の形にあしらわれたブラジャー様の布を胸につけた踊り子たちの姿は、伝統に忠実な証拠かも知れない。
 しかし、こんなへんぴなアミオニ島にも、白人文明の痕跡は色濃く刻み込まれている。集落のはずれの高台には、プランテーション様式の牧師館が建っていて、そこには、小太りの牧師が住んでいて、陽気で騒々しい先住民の中年のメイドが世話をやいている。  こんな風景が、記録映画に残されている。
 アメリカからやってくる観光客の多くは、この島にたいそうなあこがれをもっているのが常だ。ハワイにやってきた以上は、是が非でもこの島に行ってみたい。しかし、残念なことに、島への交通はきわめて不便で、アミオニ島を訪れることは非現実的だった。そのかわり、ホノルルのリゾートホテルの中には、この島の風景や集落を再現した形態のものがあり、観光客たちは、そのリゾートの景観にアミオニ島の片鱗を嗅ぎとって、満足して帰っていくのだった。
 麗しのアミオニ島は、太平洋の楽園ハワイの原イメージそのものであったし、今も、その姿を留めている。
 「え?」アミオニ島に行きたいって? 飛行機のチケットとホテルの予約は、どうすればよいかって?残念ながら、私のアミオニ島についての情報は、一九四二年にウォルター・ラングが二〇世紀フォックスの資本で撮った「ソング・オブ・アイランズ」というミュージカル映画以外にないのである。もうみなさんもお気づきのことと思う。アミオニ島は、この映画に登場する架空の島なのである。
 しかし、肉体派女優ベティ・グレイブルが主演したこのB級ミュージカル映画は、今日のハワイを考える上で、二つの重要な歴史的意味を持ったと私は考えている。
 第一の意味は、このB級映画でロスの映画セットに作り上げられた架空の楽園の風景が、戦後、ワイキキに続々と建設された、今日につながるトロピカル・リゾートの原型となったということ。第二の意味は、この映画で初めて先住民女優ヒロ・ハッティ、本名クララ・インターがハリウッド映画に出演したという映画史上のものである。
 当時ハリウッドは、好んでハワイを舞台にした楽園ミュージカル映画を製作している。その理由は、すでにあちこちで書いているとおり、一九三〇年にアメリカ映画製作者配給者協会(MPPDA)が作った自主規制だった。性表現をめぐるキリスト教多数派による厳しい批判に対して、寝室での足の位置に至るまで制限する自主規制を行ったハリウッドにとって、楽園ミュージカル映画は、裸を登場させる絶好のいいわけであった。銀幕を飾る多くのセックスシンボルたちが、この楽園映画に出演した。ベティ・グレイブル、ジャネット・マクドナルド、クララ・ボウ、ドロレス・デルリオ………数えれば、きりがない。
 しかし、彼女たちがハワイにやってくることはなかった。これらB級映画のほとんどは、ロスの大スタジオかカリフォルニアの海岸で撮影されたのである。その結果、スタジオの中に楽園ハワイを構成するさまざまな要素がコンパクトに詰め込まれることになった。白砂の海岸、椰子の林、泉、広場、先住民の集落、宴会、半裸の女たち。
 これらの映画をとおして、アメリカ大衆のハワイ観は決定されていく。そして、戦後、大衆化されたハワイ旅行で本土からやってきた観光客は、刷り込まれた楽園イメージを目の前のリゾートの中に発見するのである。
 そして、先住民の文化であるフラや音楽も同様の手法で、観光客相手の余興に変容されていった。ヒロ・ハッティは、そのような先住民エンターティナーを代表する。  しかし、八〇年代のエスニシティ革命を経た今日、先住民の文化復興であるハワイアン・ルネッサンスの台頭の結果、このような楽園幻想は、急速に後退した。だからこそ、そのような楽園を求めるややアナクロニックな旅行者には、ぜひ、アミオニ島をお奨めしたい。そう、その島へは、簡単に行けるのである。往年のハリウッド映画をビデオ化するケチな商売で儲けているいくつかのビデオ会社のカタログを取り寄せればいい。一本二〇ドルも出せば、それは手にはいるのである。