96-05-03
メディアがつくったハワイ


『毎日新聞』1995年

 一九三〇年代のハリウッドは性表現の暗黒時代だった。ユダヤ系が主力の映画産業は、キリスト教モラル多数派の攻撃に折れ、寝室での足の位置まで規制する厳しい自主規制を布いた。
 そんな時代に流行ったのが、ハワイ・ミュージカル映画だった。白人男性と半裸のフラガールのたわいない恋物語。「裸の原住民」は、規制をかいくぐる口実だった。ただ、フラガールは、クララ・ボウやベティ・グレイブルなど本土の性シンボル女優が演じた。セロファンの腰蓑の後ろから光をあて、素足を透けさせる演出も開発された。
 今日、観光客が期待する官能的なハワイ女性のイメージは、このような三〇年代の性表現規制が作り出したといってもよい。当時のハワイでは、すでにキリスト教的モラルが普及し、裸体の風俗は戒められていたからだ。
 さらに、これらB級ハワイ映画の多くは、ロスのスタジオでセット撮影された。白い砂浜、草葺きの家、冷たい泉、原住民の宴会、楽園を彩る風景の一切がコンパクトに詰め込まれた。このセットが、今日のリゾートの原型となる。観光客は、映画で見たハワイを求めたのである。
 このように、メディアと観光産業の複合体が、ハワイのイメージを作りあげたといってよい。それは、たしかにビジネスになった。しかし、先住民ハワイ人たちの文化は抹殺された。今日、台頭する先住民運動が観光開発を攻撃する理由が、そこにある。