裏返しのメディア論

立体映像でみるエスノグラフィックな世界
〜見せ物からヴァーチャルリアリティへ〜

『季刊・民族学』106号、2003年10月




 3Dという略称は、ずいぶんと定着してきたように思う。スリー・ダイメンジョナル・スペース(three dimensional space)つまり、3次元空間のことである。しかし、昨今「3D」というと、3次元空間的に表現された映像のことをさす場合が大半である。近年、現実には存在しない仮想空間の内部で動き回っているような感覚をコンピュータ・グラフィクス(CG)を駆使してつくり出すヴァーチャル・リアリティ(VR=擬似現実)技術が急速に発展を遂げているが、この技術にも3D表現は欠かせないものとなっている。
 しかし、3Dなどと無味乾燥な言い方ではなくて、たとえば立体写真とかステレオ・スコープなどという言い方をすると、とつぜんまったく異なった想像の世界が開けてくるから不思議だ。
 立体写真・・・。子供の頃、学習雑誌に特集されていた飛び出す漫画の世界が一気に脳裏によみがえってくる。一つのコマの中に赤色と青色の微妙にずれた2つの線画が印刷されている。それを赤青のセロファン紙を左右別々に貼り付けた付録メガネをかけて眺めると、あら不思議!正義の味方やら古代の恐竜やらが眼前に飛び出してくるのだ。
 この青赤で描き分けて立体視させる方法はアナグラフと呼ばれているが、他にも、立体的に画像を表現する方法はいくつかある。もっとも単純なのが、同じ対象を左右にずらして撮影した写真を2つ並べて裸眼で見るフリービューイングと呼ばれる方法。これには寄り目で見る交叉法と遠目で見る平行法がある。(左頁の写真は交叉法を使っている。)一般に普及しているステレオビューアは、このフリービューイング法を発展させ、裸眼ではなくプリズムやレンズを使っためがねで見る方法である。
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 立体写真の歴史は意外と古い。1838年にイギリスのチャールズ・ホィーストンによって、左右それぞれの眼から別々にみたように描かれた手書きの絵画を向かい合わせに配置し、その真ん中にプリズムを置いて正面から覗くステレオスコープが考案された。この方法をもとに改良が加えられ、また、この間、写真技術の発明によって手書きの絵は写真にとってかわられ、1861年には、アメリカのオリバー・ホームズによって手持ち可能で安価なステレオ・ビューアーが売り出された。これによって、ステレオスコープは当時の中産階級を中心に広く普及するところとなった。
 このビューアーを使って観るステレオカードも普及した。今世紀初頭では、ちょっとした金持ちの居間の本棚には、ステレオスコープ用の写真を満載した豪華装丁の百科事典などが並ぶようになったといわれる。都市や景勝地の風景写真や歴史的な事跡を記録した博物趣味の写真、あるいは男性たちの密かな楽しみのための裸体写真など、多種多様なステレオカードが出版された。今日でも、これら年代物のステレオカードは、欧米では蒐集家たちの垂涎のお宝として珍重されている。
 その後、写真技術の発達に寄り添うように、立体写真の技術も発展し続けた。立体写真専用のカメラも登場した。ソ連製のスプートニクやコダック社製のコダック・ステレオなど、今でも多くのステレオカメラが現役で活躍している。
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 動画の世界では、2つのプロジェクターを使って左右で直交させた偏光フィルターをとおした映像を投射し、それを同じく偏光フィルターを使っためがねで見るポラライザー方式が普及した。この方式はスクリーン上に立体映像を投影できるから、大勢の観客を相手に作品を上映するような場合ではたいがいこの方式が使われている。この他にも、毎秒30フレームというビデオ映像のフレームごとに左右別々の映像を画面に表示させ、それに同期させた液晶メガネで右の映像が映っているときは左目をブラックアウトさせるという方法で立体映像をつくり出す技術もある。
 このように立体映像はVR技術に不可欠の要素だが、厳密にみればすべての立体映像がVRの条件を満たしているわけではない。というもの、立体的に見えるということと、視界に広がる事物の形象を肉眼と同じ距離感とスケール感で正確に再現できるということとは根本的に違うからである。たんに飛び出てみえるというだけでは、人間の視知覚を正確にシミュレートする仮想現実とはいえない。だから、世間で一般的に通用している立体映像は、この意味でテーマパークの楽しい見せ物にはなりえても、学術研究や科学的シミュレーションの水準には達していないのである。
 人間が事物を立体視できるのは、互いにやや離れた左右の両眼で対象を視認する際の視差を脳が処理するためであるといわれているが、知覚心理学の研究などによれば、人間の立体視を支えているメカニズムはそんなに単純なものではないらしい。遠いものほど網膜により小さくより上側に映ること、こちらが移動したとき手前の物ほど視界内の動きが大きくなること、また、遠近で空気感に違いがあることなどの微妙な差異を識別し、両眼視を伴わなくとも人間は事物を立体的に感じ取る能力を持っている。だからVR技術として立体映像技術を考えた場合、このような人間の立体視のメカニズムをより正確に再現する必要がある。立体視を支える複合的な要素を十全に満たしながら立体映像を再現してはじめて立体映像技術はVRの領域に進入したといえるのだ。
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 勤めている大学が情報と福祉の学際領域研究の一環として障害者や高齢者の実際の視覚環境を再現するための設備として立体映像技術を応用したVR環境を導入することになった。映像ソフトの再生だけではなく制作を含めた高度な立体映像技術が大学に供与されるのは今回が初めてということで、受け入れ側の教員は猛勉強を続けてきた。種明かしをするとこのコラムで述べてきたうんちくはそのお陰である。
 ところで、この高度な立体映像に関する基本技術は日本の純国産技術である。その開発に専念してこられた村上幹次さんのご自宅を訪ねる機会があった。山手線恵比寿駅近くのマンションのリビングルームは、壁には高反射性能のスクリーンが常設され、立体映像が上映できる試写室ともなっていた。その部屋で村上さんは自前の技術で制作してきた立体映像作品を次々と試写してくださった。
 作品の多くは、博物館や美術館の常設展示や博覧会などのイベントにあわせて制作された立体映像作品である。たとえば、なにわの海の時空館(大阪市立)の常設展示で地中海都市の海洋生活を記録した「海の映像館」や明日香村の史跡を紹介する明日香資料館の常設展示「飛鳥散策」、97年のヴェネチア・ビエンナーレで特別賞を受賞した「ニルヴァーナ<涅槃>」(企画:森まり子)など、自然誌や民族誌に関するテーマをあつかった作品や精神世界をイメージ化した作品など、立体映像の特性が生かされている。
 「立体映像は、人間の知覚に直接大きなインパクトを与える力を持っていますから、映像技術だけを切り離して一人歩きさせず、作品と一体のものとして考えていきたいと思っています」と村上さんは言う。
 メディア技術だけが先行し作品を制作する環境に後れをとる日本の現状の中で、立体映像技術は、技術と作品制作の釣り合いのとれた数少ない表現領域だと言えるだろう。とりわけ立体映像の可能性は、これからますます広がりをみせようとしている。そして、その領域の中で、民族誌的なモチーフは欠くことのできない重要な位置を占めることは間違いない。
 歴史を振りかえれば、人類学と立体写真の技術は親密な関係を結んできた。少なからぬ人類学者が、先住者やエスニックグループを記録する手段として、立体写真を活用してきた。また、研究手段としても、たとえばスミソニアン博物館の人類学者たちがFBIに協力して骨から人物の形態を推測する研究の一環として実際の人物と頭蓋骨の照合に立体写真の技術を使用したように、立体映像の利用が工夫されてきた。
 出来事のよりリアルな記録を目指すなら、立体映像は映像人類学や民族誌映画を志す研究者や学徒にとって無限の可能性を秘めたメディアだといえるだろう。立体映像が可能にする表現世界の広がりに期待したい。