2003年11月1日

石原慎太郎氏の「日韓併合は韓国側の総意で日本を選んだ」という発言が正しいなら、
戦後憲法だって天皇が公布したんだから天皇の意志と言うことになる。
それでよかったの。

 

 10月28日、石原慎太郎東京都知事は、1910年の日韓併合について「彼ら(朝鮮人)の総意で日本を選んだ」と発言した。

 いつも奇抜な発言をして、世間の顰蹙を買っている石原氏であるが、しかし、私は、この石原発言を、日韓併合を正当化する論理として歴史的に繰り返されてきた陳腐なレトリックに過ぎないとみている。このレトリックの根拠は、「併合条約」が、形式的に李王から日本の天皇に対して併合を申し出るという形をとっていることに尽きる。この併合の形式論を持ち出して、「併合は韓国側の総意」といっているのである。(ところで、石原氏は、その後の記者会見で、「当時の韓国国会が議決した」などととんでもないことを付け加えていた。)

 日本社会が併合をどのように合理化したかについては、拙論「エスニック・イメージの形成と近代メディア2−近代日本の新聞メディアにおける朝鮮人イメージの形成過程(戦前期)」『放送教育開発センター紀要』第8号1993年3月、「日韓併合時の新聞報道と在日朝鮮人像」『在日朝鮮人史研究』no.4,1979、「朝鮮同化政策と社会学的同化(下)−ジャーナリズムをとおしてみた日韓併合時の民族政策論の構造−」『関西学院大学社会学部紀要』第46号、1983年などを参照していただきたい。

 1910年当時、日本国内には、日韓併合を合理化する言説として、大きくいって2つの潮流があった。一つは、欧米列強がアジア各地を帝国主義的に植民地化することそれ自体を正当化し、日本も帝国主義国家として海外に植民地をもってもいいのだとする論理があった。これは、福沢諭吉が主催する「時事新報」などにみられる論理だった。紙面には、日韓併合は人類進化の結果だとか、文明普及の道理であるなどという言説が頻繁に登場した。

 他方、アジア主義の流れをひく天皇ナショナリストたちは、欧米の帝国主義には反対の立場をとりつつも、日韓併合はそれとは別の正当な併合だと主張した。そして、その根拠として、日韓併合は神代の時代への回帰、つまり古代では日韓は一体だったからその秩序に復帰するのだとか、韓国人も日本人と等しく天皇の赤子になるのだから対等の合邦であるなどと正当化のレトリックを展開した。これは、徳富蘇峰が主催する「国民新聞」などに見られた。

 併合が李王からの請託によるものだとするレトリックも、後者の天皇ナショナリズムのレトリックに含まれるものだといってよい。私はこのレトリックを併合形式論的レトリックと呼んでいる。そして、欧米の帝国主義は批判したいが、日本の帝国主義は例外的に容認するには、この併合形式論的レトリックは好都合だった。当時の新聞には、この併合形式論によるレトリックが何度も繰り返し登場している。

 石原慎太郎氏のレトリックは、この天皇ナショナリズムの論理を律儀に踏襲するものといってよいだろう。

 私は、この人物が、もう少し歴史というものに真摯な姿勢を持っているんではないか、セクハラで失職した大阪のノックなどとは違って、もう少しは、まともな歴史に対する知的態度をもっているのではないかと思っていたが、本当に失望した。

 石原慎太郎氏のレトリックが成り立つなら、彼が批判する戦後憲法だって、天皇の名において公布されたのではなかっただろうか。形式を盾に正当化するなら、戦後憲法を批判する言説の多くが依拠している「GHQによって強制された憲法だから」という言説は、成り立たなくなってしまうのではないのか。慎太郎氏はそれでよかったのかいな。

 歴史から学ぶと言うことは、そのようなレトリックの背後に存在するものを明らかにすることであって、自分のイデオロギーを正当化するためにそのようなレトリックにすがることではない。