裏返しのメディア論 連載4 『季刊民族学』no.104, 2003.4

絶滅するメディアをみつめて〜マルチメディアCD-ROMの盛衰〜

 最近の大学図書館は、紙媒体の図書や雑誌以外に映像系や音声系のメディアの収集にもようやく重い腰をあげてくれるようになった。私が勤める大学でもメディア情報学科という新学科の開設のための予算枠があるというので、思い切って映像媒体を大量に揃えようということになった。普段は高価でなかなか手が出にくい写真集とか、名作だけではなくてカルトっぽい映画のDVD-VIDEOもまとめて買っちゃおうとか、夢は膨らんできて、図書館の職員たちが入手してくる各種カタログやインターネットのウエッブページを検索しながら、数人の委員でリストアップする作業に取りかかった。
 さて、その作業を始めてみてしばらくすると、一つの大変深刻な事態が起きつつあることに気づくようになった。以前からうすうす予感はしていたのだが、CD-ROMを媒体として制作されているマルチメディア系の作品が、実は次々と市場から姿を消しつつあるとことを実感させられたのである。まず、CD-ROMを扱った総合カタログは九〇年代後半で休刊になっており、新しい作品を調べるのにたいへん手間がかかるようになっていた。さらに、旧版の総合カタログを頼りに発注をしても、絶版状態になっている作品が実に多いことに気づかされた。
 マルチメディアという言葉がブームになったのはつい最近のことである。私自身、九〇年代の研究開発活動の成果の多くをマルチメディアCD-ROMの形で発表してきた。研究成果を発表するための手頃な手段がCD-ROMであった。ところが、現実には、この一世を風靡したマルチメディア系CD-ROMが、今、急速に姿を消しつつある模様なのである。

 一例を挙げれば、ペドロ・メイヤーの『I Photograph to Remember 』(Voyager,1991年、邦題『思い出のために』)という作品があった。出版された時はずいぶん話題をさらった作品で、日本でもマルチメディア関連の賞も受賞した。一人の写真家が病身の父親が亡くなるまでの日々を写真で綴った作品である。ナレーションがついた写真をパソコンの画面で淡々とめくっていくという単純な構造をしたマルチメディアCD-ROMだった。ナレーションは、原版では英語とスペイン語、日本版では英語と日本語の二通りがあって、それを最初に選択できるようになっていた。
 当時、CGデザインで過剰に装飾され、これ見よがしにハイパーリンクを張り巡らしたマルチメディア作品が闊歩していた時代の中で、モノクロの写真を単純なレイアウト・デザインで見せるこの作品は衆目を集め、高い評価を得た。賞の選評で一人の審査員が「泣けるCD-ROMが初めて登場した」と絶賛したことを覚えている。
 ところが、この作品がすでに絶版状態なのである。当初マッキントシュ版で登場したこの作品の販売を担当したボイジャー社に問い合わせたところ、すでに販売用の在庫はなくなっていた。そこを拝み倒して特別にCD本体だけを分けてもらった。
 賞を取った著名な作品ですら廃盤の憂き目にあっているのだから、マイナーな作品群などは、もっと惨憺たる状態だった。八〇年代後半、マルチメディア時代の到来を象徴するかのように次々と発表されたマルチメディア制作ツールを使った作品の大半が、ツールを製造した会社が消滅したり、バージョンの更新を中止したりしたため、最新のOSに対応できず視聴不能になってしまっている。
 私の手がけた作品にもそういう事態がたくさん生じるようになっていた。たとえば、阪神大震災のボランティアたちの活動を記録するために制作したマルチメディアCD-ROM(『阪神・淡路大震災−マスメディアが見落としていた現場からの証言』(株)一期一会、1997年 )は、使用したソフトが生産中止になったため視聴不能、大阪生野区にあるコリアタウンの一九九〇年の時点における街並みの記録映像(『民族誌映像作品集』国立民族学博物館、1996年 )もハイパーカードという制作ソフトを使ったために、現在の大半のパソコンでは視聴しにくくなってしまった。

 消滅しそうなメディアは、それだけではない。一時期は実質的な世界標準だったソニーの八ミリ幅のビデオテープを使うビデオカメラやデッキも、デジタルビデオの出現ですでに余命幾ばくもない。レーザーディスクも、DVD-VIDEOの登場で近々退場することは間違いなかろう。そのような状況の中で、これらの絶滅寸前のメディアに刻まれた文化の記録は、今後、どのように継承していくことができるのだろうか。
 メディアの開発に携わる技術者たちにこのことを問うと、彼らはちょっと眉を潜める程度に「ご愁傷様」といった表情を浮かべながら、「これからはデジタル媒体なんですから、フォーマットが変わっても劣化しませんよ。大丈夫、大丈夫」とこともなげに答える。しかし、本当にそうだろうか。実際に記録された大量のビデオテープやデジタルデータをフォーマット変換するためにどれだけの人力と時間が必要になるのか。そして、誰が変換する価値のある作品とそうでない作品とを選別するのか。私の周辺にあるお金にならない学術記録などのメディア制作の現状に照らしてみるなら、そんなコストを負担できるほど、予算も人的資源も潤沢ではない。IT革命に狂奔し新しいメディアを次々と市場に投入しようとする仕掛け人たちは、自分たちが開発したメディアが貴重な文化や学術の記録に使われているのだという意識や歴史的な責任感を欠落させているようだ。

 考えてみれば、このような現象は、今に始まったことではない。映画『薔薇の名前』(ジャン・ジャック・アノー監督、1986年)には、ヨーロッパ中世における書写技術の上に確立した巨大な教会図書館が登場するが、この書写技術による「知」の生産と保存という体系は、グーテンベルグが印刷機を発明したとき、崩れ始めたといってよい。もちろん、印刷技術によって、それまでの知的資産のある部分は、印刷された書物として継承されたかもしれない。しかし、当時、印刷というハイテクノロジーによって複製継承される価値があると判断されなかった多くの書物は、書写システムの崩壊によって、その後の歴史に形をとどめることはできなかったのである。
 たとえば、ルネッサンスの時代の空気に同調できたギリシアやローマの古典や、逆に、新時代にふさわしいと目された科学的知識などの情報は、印刷技術によってさらに普及されていった。しかし、その反面、時代遅れだと判断された中世文化のさまざまな著作や記録は、印刷技術によって複製されることなく、消えていく運命をたどったのである。これをグーテンベルグ印刷術がもたらした文化継承の「ボトルネック現象」だと指摘する中世学者たちもいる。
 このような現象は、今日、いっそう頻繁にめまぐるしく起こるようになったというべきだ。それはかつてのようにゆっくりと世代を超える時間の中で起こる現象ではなく、一人の人生の時間、いや、もっと過激にごく数年の短い時間の中で起こるようになった。光学技術を使った映画が電子工学を使ったビデオに変わるのに要した時間よりはるかに短い時間でデジタル媒体のフォーマットは変わっていこうとしている。これを指して情報化社会というなら、そのような情報社会は、歴史を記録する手段を忘れた刹那的社会であるといわなければならないだろう。
 そして、その結果、金太郎飴のようにどこを切っても同じようなエンターテインメント映像や巨大国家のCMのごときハリウッド映画ばかりが、大量に次世代に継承されていく、そんな世界が待ち受けているのだろうか。

 二〇〇三年の二月は、日本でテレビ放送が始まって五〇年目に当たるということで、NHKがたくさんの回顧番組を放送した。それをご覧になった視聴者の方々は、私たちの脳裏にあれほど鮮烈に刻みつけられている優れた番組ですら、実は、その大半が現存していないという事実に気づかれたのではなかろうか。当時、テレビ番組は、日々の気紛らわし程度にしか考えられていなかった。だから、高価なビデオテープを再生利用するのを優先させ、二度と復元できない大量の番組をあっさりと消去したのである。
 新しいカメラや録画機、記録素材など、テクノロジーの開発には投資を惜しまない日本の社会は、それを使って制作された作品の保存や記録形式の保持にはずいぶんと無関心だ。急速に進行するデジタル革命の片隅で、大量に失われていく文化や学術の記録。きっと二一世紀後半には、これらの解読困難になったデータを読み出すためのメディア考古学なんて学問が成立しているかも知れない。