特別対談 山中速人×大森康宏(国立民族学博物館教授) 
「一億人のリュミエールの時代」
『月刊みんぱく』2000.8



「映像の時代」といわれる20世紀は、科学技術の時代でもあった。ビデオカメラと衛星放送の登場によって、いまや世界の人々が最新の映像とじかに向き合い、発信できる状況にある。特別展「進化する映像」では、映像の原点に立ちもどり、21世紀の映像と人間の関係をかんがえる。

大森 二〇世紀は映像の時代といわれていて、技術的にはいろいろと発達してきましたよね。映像技術の発達が、われわれの生活をどのようにかえたかというような問題は、どこでもいわれていることなんだけど、映像によって人間がどういうふうにかわってきたか。さらに二一世紀には、映像がどんなふうに人間をかえていくかということに、もうちょっと興味をもったほうがいいんじゃないかとおもうんです。映像にたいする期待感みたいなものもなんとなく、このごろ薄れているような気もしますよね。

山中 最近、映像メディア史に関していろんな評論がでてるんだけど、いちばんに感じることは、それらが語られる文脈というのは、もっぱら科学技術史なんですね。たとえば、映画を発明したリュミエール兄弟からはじまって、その後、テレビがでてきて、ビデオがでてきて、コンピュータ・グラフィックスがでてきてというふうに、連綿とした技術の歴史として語られていくでしょう。この歴史の語られ方というのは、基本的には、近代化論なんですね。進化論といってもいいんだけど、発展の方向が一方的で、つねにあたらしい技術でもって置き換えられ、進化していく。
 技術論としてかんがえたら、それも成り立つんだけれども、そこで大きなまちがいがおかされているとおもうんです。たとえば、リュミエール兄弟による初期の映画のひとつに「列車の到着」がありますが、そのシオタ駅に一緒にいきましたよね。

大森 そうでしたね。

山中 わざわざ南仏までいって、シオタ駅にはいってくる列車をじっと待ってたら、列車がはいってくる感動みたいなものは、いまもかわらないんですよ。当時それを映画に撮って劇場でみせると、みなびっくりして、わ-っと逃げたわけでしょう。そういう驚きはもう過去のもので、いまの人たちはそういうことには驚かないといっているのは、そのあとのメディアの歴史を経験してきた先進国の人たちなんですね。このあいだ、中国の雲南省の山中をジープで三時間、三時間と走らないといけない村までいったんです。そこでは、やっとこのあいだ電気がきたところで、テレビなんかまだ全然みられないんですよ。そういうところにビデオをもっていって液晶のモニターでみせたんですよ。すると、普通のなんということもない動画なんですけど、みんなものすごく驚くわけですね。世界の時間的な格差とか多様性を前提にしてかんがえたら、いまでも、リュミエールの映画を最初にみた人びとの感動とおなじように、動く映像にひじょうに新鮮な驚きをもつ人たちはまだたくさんいるし、それすら経験していない人たちもいるわけです。それなのにわれわれは技術史家たちのまなざしをそのまま無批判にうけ入れて、メディアのことになると技術的最先端のことしか語れないという、そういう自縛におちいってしまっているのが、この二〇世紀の終わりの現象だとおもいます。

大森 あたらしい最先端の技術、つまり動く映像をもった途端に、その技術をめいっぱいつかった科学的なものを撮るとか、あるいはうつくしく芸術作品にちかいものを撮らなければならないというような錯覚がでてくるんですね。そこがまちがいで、じつはいま、ひとつの傾向として、撮られる側の人自身が振った現地映像のほうがものすごく新鮮で、驚きをもってみられるという現象が起こっているんですよ。いままでかんがえられていた、いわゆる映像詮に即した映画を見慣れた人間にとって新畔なのは、じつは、ごくありふれた日常のシーンであったりするわけです。それは、先ほど動画に驚きをもった中国の人たちと同じ気もちなんですね。

山中 それってトラック競技でどんどん先頭を走っていったら、いちばん遅れていた最後尾の人の背中を追いかけていたみたいな話ですよね。(笑)

パラボラアンテナが立つ辺境の村

山中 最近、雲南省以外にもカンボジアとか、ラオスとかのまだ映像文化に触れでないような村にはいっていって、そこに映像がどういうふうにはいってくるのかといったことをみているんです。いまは最先端の映像文化がいきなりはいってきたりしますよね。インドネシアなんか、地上波がこないところに衛星のパラボラアンテナだけが空に向いてて、ラジオも届かないのに衛星放送がはいってきてますでしよう。われわれがメディア史として経験してきたような、まずはじめに写真がはいって、それから映画がはいり、テレビがはいりというふうな過程をいっさいすっ飛ばして、最先端のものがポンとはいってきたわけですよね。この現象をみて、現地の人びとが適応できなくて混乱を起こすとかんがえる人もおおいけれども、実際は、ひとつの現実として、人びとはそれをじゅうぶん生活のなかにうけ入れて暮らしているほうがおおいんですよ。だから、近代においてわれわれが経験してきた映像の歩みは、二一世紀には通じないとおもいます。人間が最新の映像と歴史性をぬきに、じかに対面する状況をとらえるあたらしい見方をわれわれも獲得しておかないとだめでしょうね。

大森 その点、日本のメディア関係の人たちというのは、ビル・ゲイツみたいな人をとりあげて、メデイアはグローバルに世のなかを変革させるから、みなさん用意しなさいというようなことをいうんだけども、実際の生活はなんか縁遠いさ?な感じがしますよね。

山中 もちろん、そういうグローバルなメディアの変化は、たしかに人間生活に影響をあたえるとはおもう。情報通信にこれだけ投資がなされているわけですから、経済構造それ自体がメディアによって大きくかわるということは当然起こってくるでしょうね。でも、人びとが日常生活のなかで手にするメデイアは、すこしまた次元がちがうでしょう。日常生活世界における映像というものが、世界の人びとにとってどういう意味をもつのかということは、これからぼくたち社会学者や人類学者が研究していかなくちゃいけないテーマだとおもいますね。

大森 そのときに、先ほどの発達論的なとらえ方だけではだめだとおもう。

山中 カンボジアのトンレサップ湖のすぐそばの漁村にいったときのことですが、シアヌークさんの写真が家のなかに飾ってあるわけですよね。あとは先祖の古い写真が飾ってある。ほかに写真がありますかといったら、家族の集合写真とか、観光地にいったときに写してもらった写真とかたくさんもってきてくれましたね。そういうものを丹念にみていって、この人たちが映像にどういうふうに接触しているのかを調べる。たとえば、家族の団らんを写したものがあるかとか、さらにみていけば、視線がどうなっているかとか。古い写真はみなカメラのほうをみているんですよ。ところがだんだんあたらしい写真になってくると、カメラ目線がないんですね。また、ある村ではおたがいに撮りあって、写真を交換するんですね。でもまったく交換しない地域もあって、そういう人たちは自分の写真よりも友だちの写真がたくさんアルバムのなかにのこっているわけです。普通、他人の写真を撮れば、その人にあげるでしょ。そういうことをしないで、他人の写真ばつかりアルバムに保存してるのはいつたいなぜなんだろうとおもってみたりするんですが、そういうふうに写真ひとつとっても、それぞれの社会や文化によって映像の位置づけは多様です。そういうものを丹念にみていかないと、その社会のなかで映像かこれからどういう展開をしていくのかということはみえてこないですよね。だから、最先端技術の話というのは、こんなことができますといっているだけです。未来の選択肢を示しているだけであって、どう選択するかは、それぞれの地域や文化でちがうんじゃないですか。

大森 ぼくも、ヨーロッパの移動民族マヌーシュ、かつてジプシーといわれていた人たちを撮ったとき、ひじょうにおもしろかった。一九七〇年代です。当時、ビデオがなくて映画で撮ったから、完成するまで時間がかかりますよね。だけど、ポラロイド写真機をもってたから、撮ってみせると「あっ、自分が写ってる」というんですが、二、三日すると、また写真を撮ってくれとくるわけですよ。なんでしつこく、おなじ人がくるんだろうとおもったら、彼らにとってはその写真自体が自分が今日、いま生きてるということの証なんですね。だから二、三日したらまた今日生きてる自分の姿を撮ってくれというわけです。

二一世紀の映像の潮流

山中 あのマヌーシュの映画のなかで、おもしろいなとおもったのは、町の市場に、自分たちがつくった編みかごを女の人たちが売りにいきますよね。そのときに大森先生は後ろでカメラを構えているわけですよ。

大森 ドキュメンタリーというのは、カメラマンは後ろにいて撮っていることを意識させないというのがいままでの例ですね。

山中 そのなかで、「これ、テレビですか」って買いに来たフランス人がいうのね。そうしたら、マヌーシュの人たちが「これはおれたちの記録なんだ」とかいう。それでも、テレビと錯覚したのか、カメラの前で村の人たちがかごを買いだしたでしょう。そのあとで、マヌーシュは「うまいこと売りつけてやった」とかいって。

大森 そうだったね。(笑)

山中 メディアをちゃんと自分たちの関係のなかにとりこんで、そのパワーを利用していたでしょう。近代市民社会のひとつのルールとして、メディアはそういうことをしちゃいけないということになってるんだけど、メデイアのもつ社会状況をかえていく力というのは、本質的にパワーであり、メディアをとりこんだほうにパワーが生じるんです。だから、権力のないものは、あたらしいメデイアを手にいれることによって、従来の社会関係を逆転しようとする。そういう社会を変動に導くようなメディアの力をめぐって、いま大きく動いている局面がふたつあるとおもいます。ひとつは、女性です。女性のメディアヘの参加がひじょうに高くなっているでしょう。コンピュータなんかもそうですよね。コンピュータは最近、メディアとしてつかわれることがおおいんですが、ぼくが以前に教えていた学部なんか、女子学生のほうがコンピュータにたいして、親和性が高かったですね。つまり、これを手にいれれば自分もパワーをもてるかもしれないと。

大森 それは錯覚でしょう。

山中 錯覚かもしれないけど、いつとき英語をしゃべれるようになったら、それで就職できるとおもってみんな英会話に走ったでしょ。それと似ていて、画像系のメディアとしてのコンピュータにはっと飛びついたのは、女子学生のほうがはやい。だから女性は感覚的にメディアがパワーだということをわかっているのかなとおもいます。もうひとつは、発展途上国です。これまで発展途上国の人びとって、撮られる一方だったでしょう。いま彼らの側で、自分たちの手でエスノグラフィ(民族誌)を書こうという機運がどんどん起こってますよね。いまは衛星放送とかで、自分たちが撮られている映像がどんどんはいってくるでしょう。そうすると、こんなふうにおれたちが撮られるのはおかしいと異議申し立てがでてくる。当然、おれたちのほんとうの姿はこうだというアイデンティティというか、自己イメージをメディアによって逆に表現したいという機運が、途上国の人たちのなかで高まってくるとおもいます。

大森 民博でもいま、共同研究のひとつで、現地の人にカメラを渡して、自分たちで自分たちの文化を記録してもらうということをやっています。それを編集して、ひとつの映像をつくりあげる。それは彼らがどう自分たちをみているのかという調査でもある。当然われわれとはちがった視点で日常生活をみているでしょう。それともうひとつは、自分で撮るんだから、われわれがはいりこめないところまで細かく撮っているわけですよね。それは個人の生活のなかでの対話、たとえば、母と娘が激突するシーンなんかを父親とか弟が撮ったり…

山中 そうそう。先進国の撮影者ではぜったいに撮れない世界を表現してしまう。それをみることで、こちらの先入観が大きくゆすぶられるんです。それにしても、これまでは一方的にメデイアをもっている側、つまり近代ヨーロッパ、アメリカ、日本もそれにちょっとはいったかな、そういう人たちが自分たちの価値観と選択でもって、世界を記録してきたわけでしょう。でもこれからは、安価なビデオカメラを世界中の人たちが手にすることによって、映像の世界はひじょうに多元化するとおもう。これまで一方的にまなざしを奪われてきた発展途上国の人たちが自分で映像を撮りはじめる。それがたぷん二一世紀の潮流だとおもいます。大森じつは今回の特別展「進化する映像」の最後のコーナTでも、ラオスやベトナムの人たちに渡した撮影フィルムの映像を上映しています。

ビルマ人がみた「ビルマの竪琴」

大森 「進化する映像」のテーマは、いわゆる映像の技術史もふくめて、映像によって人間の内面的なものがどうかわってきたか。いわゆるソフトの問題と、人間同士の関係のあり方を、展示をとおしてかんがえてもらおうというんです。

山中 むずかしいいい方をすれば、ポストコロニアリズムの時代の映像は世界をどう描くかということですね。そうするとどういうものがでてくるか、おもしろいなあ。というのは、自分たちがどうみられているかということもじゅうぶん意識しているわけでしょ。たとえば日本人が日本の文化をヨーロッパで表現しようとしたときに、森英恵が洋服のデザインにチョウチョをとりいれたり、山本寛斎だったかな、刺し子をとりいれて表現したり。いまの日本人がつかってないものを、パリで突然日本の伝統だといって注目をあつめたでしょ。人びとが自己表現するときには、戦略的にそういうものをハッとつかうわけですよ。

大森 ナショナリズムとくっつくわけだね。

山中 くっつくけれども、文脈はぜんぜんすっ飛ばしている。つまり、文化的な伝統とか、文化の全体構造のなかで位置づけられてきたものをぜんぶとばして、モノだけ切り取ってみせる。ある種伝統の破壊なんだけれども、これから発展途上国の人たちが自己表現するときにも、そういうことをするとおもいます。突然タイの王宮のデザインがなんの脈絡もなくポンとつかわれたりすることになるかもしれない。でも一方で、それを先進国の側がやると、ものすごい反発と抗議が起こってくるんです。このあいだミャンマーに「ビルマの竪琴」という映画をもっていって現地の人にみせたんですよ。なぜかというと、ミャンマーでは一度も上映されてない。しかも原作の竹山道雄はミャンマーに一度もいったことがない。そのことは本人もいっていて、日本軍とイギリス軍とが同じ歌を知ってるっていう戦場のシチュエーションがほしいだけ。すると舞台はミャンマーしかなかったという、ただそれだけの理由でミャンマーを舞台に選んでるんです。そういう作品をもっていって、パガンの町のホテルのロビーで、みなに来てもらってみせたんです。そしたら、いきなりみんな怒りだしてしまってね。ぼくは、最初なにを予想してたかというと、日本の軍隊はもっとひどかったというような内容にかかわる批判がでてくるとおもっていたわけです。ところがそれ以前に、坊さんがオウムを肩に乗せてるはずがないとか、あのビルマ僧の飯の食いかたはあまりにもひどいとか、入り口のところでシャットアウトされてしまったわけですね。逆の意味で、映像のもつパワーに圧倒されました。おもしろかったのは、中井貫一が扮する僧侶は、小説では完全にミャンマーの文化に溶けこんで、敵中何百キロと、ヤンマーの人たちの目をだまして目的地にたどり着くわけですね。すぐれた日本人とおろかなビルマ民衆という、そういう二項対立のなかで描かれているわけですが、映画をみせたミャンマーの人たちに聞くと、あれはハレバレやというんです。敗残兵がミャンマーのなかをさまよっているだけの映像にしかみえないんです。それで、最後に聞いたんですよ。ミャンマーではこんなシチュエーションはありえないですねと。すると、「いや、ある」というんです。僧侶の袈裟を着ていたら、どんなやつでも仏陀に仕える者だから、敗残兵ということがわかっていても、ちゃんと喜捨をし、托鉢には応じて助けてやるだろうというんです。ここには、あきらかに途上国の人びとの側からみた独自の視点があるとおもうんです。

大森 自分たちの文化を発信するとなると、そういうことになるんですね。

ボーダーレス時代の映像人類学

大森 いま日本国内でも、ヨーロッパでも、自分たちのことを表現する時代になってきています。フランスでもそ、りいう映像が映画祭なんかにでてきている。そうすると「こんなのいまでもやってるの」って、フランス人自身もびっくりするわけだね。そしていままでほかの国ばかり撮影の対象として選んできたことを、もう一度反省してみよ,?とい?動きがでてきている。

山中 そうですよね。そのときに日本の伝統文化はこれだとか、ヨーロッパの伝統はこれだとか、つくる側がおもってしまうと、それはけっきょく、そのときの文脈のなかで都合のいい伝統をつくってしまうわけでしょう。文化とか映像というものは、そのときどきにつくられていくものであって、そのなかにはことなった要素がどんどんはいってくる。だから固定的な本質があるのではなく、そのときどきにつくり手の自由な解釈と理解でつくっていくものとかんがえるべきです。そういうことからかんがえて、これからの映像のジャンルとして注目したいなとおもうのは、マージナルな、少数派の人たちが撮ってる映画、たとえば日本では在日韓国人の人たちが撮った映画がおもしろいとおもう。多数派の日本人とは全然ちがった視点をもっているけれども、自己のなかにある日本文化の部分と、親の世代がもつてきた文化が混ざって、それも日本文化の一部を確実に構成してますよね。フィクションだけれど、たとえば崔洋一さんの映画なんかが日本のフィリピン女性を撮ったりしてますでしょ。これまでは西と東とか、スタティックな文化イメージをどう表現するかを議論してきたんだけれども、これからはむしろ、世界の境界がなくなった、ボーターレスな状況を、ボーダーレスな人たちが描いていくという映像がおもしろいとおもう。映像人類学の分野ではどうですか。

大森 実際、ある一定の地域を長時間細かく撮ってると、そういうものがすべて交差してきますね。ある民族の文化というのは一様には決められないということがわかる。そして多様性ということをいかにしめすかということに撮り方がかわってくるわけです。

山中 最近大森先生は、ダイレクトシネマ、つまり効果音をいれないとか、テロップもいれないような映画を実験的につくっておられるでしょう。この手法は、こういう世界の混沌とした状況を撮るのに適しているとおもいます。一年前、いっしょに撮らせていただいた「ハワイイ」というDVDの作品で先生の撮り方がおもしろいなとおもったのは、若いフラの先生が先住民文化のスピリットを語る場面だったんです。いかに先住民のスピリットや環境がアメリカによって侵略されたかを彼が語っているうしろに、真っ赤なスポーツカーが彼のガレージにとまっているのを画面にいれておられましたよね。

大森 あれをみると後ろのほうに目がいくんだよね。

山中 映像っておもしろいですよね。たぶん、これを文学作品にしようとしたら、そういう矛盾しているものは。大森いっしょには表現できない。その意味では、映像はそこにあるものの状況をそのまま写しちゃうから、いろんな意味で矛盾が起きるんですけれけれども、逆にその矛盾が成立するからこそ、おもしろいんじゃないかとおもう。映像記録のもつ力というのは、そういう複合したひとつの矛盾みたいなものをいっしょに写しこむところにあるんです。そのなかで、みる人はこうもかんがえられるけれども、ああもとらえることができる。矛盾を批判するんじゃなくて、映像を現地にフィードバックする。そして互いにそれを認識しあったうえで、それをもとにあたらしい仮説をつくったり、研究の材料にしてゆくことがひじょうに重要なんです。これが映像人類学のひとつの大きな役割であり、メリットだとおもうんです。

マルチメディアは人間をどうかえるか

山中 ぼくもいろんなマルチメディアの作品をつくってきたけれとも、そのなかでかんがえてきたことは、論文ではひとつのストーリーを描かねばなりませんよね。線的なイメージとして論旨を展開する。でもこれに飽きたらないから、ハイパーテキストにして、それに関連したいろんなものをリンクさせでどんどん自由につなげていく。ひとつのマルチメディアの作品で、ハイパーテキスドリンクがたくさんあるということは、読む者が自分の文脈に応じてべつべつにすすんでいくわけだから、ひとつの閉じられた作品ではあるんだけれども、自由があるんだとかんがえてきました。しかし、実際それらを教材にして学生たちに視聴させたら、けっしてそんな自由な見方はしないということがわかってきたんですね。答えをぱっとみつけて終わりというふうに、ひじょうに直線的な見方をしている。じヤあ、なぜこれだけ豊かに、いろんな見方ができるようにつくってあるものを、もっとも貧しい見方しかできないのか。

大森 けっきょく、みる人間のまずしさはいかにマルチメディアでも克服はできない。

山中 それで、以前大森先生が指摘しておられたように、じゅうぶん豊かなものをみないと答えにたどりつかないようなものをつくればいいじゃないか。そういうもののほうが人間の感動というものをよび起こすかもしれない。そうおもって、いまはいかにストーリーをつくるかをかんがえています。だからデータベースみたいにつぎからつぎへとパッパッと検索していって終わるようなものじゃなくて、ひとつひとつストーリーを通過していかないと終わらないようなものにしている。

大森 ある種の映像リテラシー、映像を読む力をつける教育が日本はおくれてるんじゃないですか。なにをどうみて、どうやったらいいのかがわからない。欠如しているんじゃなくて、よび起こされてないところがある。これは将来、発展途上国の人たちがつくってきた映画によって、むしろ目覚めさせられるという時代がやってくるんじゃないかとおもいますね。

山中 けっきょく日本の場合、映像を教育にもちこむときに、百聞は一見にしかずみたいな論理だけで映像をつくってきたでしょう。でもそれではだめで、映像をいかに批判的にみるかという訓練が必要なんです。そこにはウソもふくまれているし、制作者の意図をこえた真実もあるわけですね。

大森 これからは映像リテラシーがますます重要になってくるとおもいますよ。技術が発達して、いまはビデオカメラというものがでてきましたよね。これはリュミエールの時代に戻ったということだとおもうんです。リュミエールは、台で撮影も映写もできるシネマトグラフを発明した。いまのビデオカメラですよね。

山中 ビデオカメラが家庭にはいって、自分たちで自分たちのことを記録するなり、表現することになった変化というのは、やっぱり見逃すことができないとおもいますね。はじめはひとりのリュミエールだったけれども、これで一億人のリュミエTルが生まれる環境ができたということだとおもいます。

大森 そういう意味で、今回の特別展では、動く映像の原点から現在までをかけ足でみていただいて、いま一度、人間にとっての映像の意義をかんがえていきたいとおもっています。