書評:

石原俊著『近代日本と小笠原諸島〜移動民の島々と帝国』(平凡社、2007年、A5版、5000円)

 

評者:山中速人

 

 小笠原諸島とそこに暮らしてきた人々の歴史をどのように捉えるか。本書の著者は、それを捉える基本的な枠組みとして、多くの島嶼社会の歴史記述のフレームが前提としている「先住民族」対「來住者」という対立的な枠組みを採用しない。著者は、小笠原諸島に最初にたどり着いた人々を、近代世界が資本主義的に世界市場として再編成されていく過程で、それへの算入と離脱を自由に繰り返しながら、その周辺を移ろう雑多な「移動民」としての基本的性格を持つ人々であると規定するのである。

 小笠原諸島に限らず、多くの太平洋諸島は、近代において、大陸を支配する強力な主権国家群による領域分割の営みの中で、最後に残された「辺境」であった。キャプテンクックの世界周航による「発見」、「調査」そして「編入」という一連の植民地化のための手続に象徴的に示されるように、これらの島々は、ヨーロッパ大陸の法体系に依拠する「合法的」過程によって、主権国家のパラダイムの中に包含されていった。ポリネシアのハワイやタヒチのように、すでにヨーロッパによる発見以前の時代に、太平洋間の移動によって定着が完了していた「先住民族」が存在する島々もあった。しかし、著者によれば、小笠原諸島では、そこに先住する人々は、ヨーロッパ船の乗組員であったり、その船によって、ハワイやミクロネシアの島から移住や拉致されてきた住民であったり、その子孫であったりと、その性格は、先住民族というカテゴリーによる類型化からはみ出す雑多で多様な移動民たちだった。

 小笠原の歴史とは、これらの雑多で流動的な移動民たちが、著者が「主権的な力」と呼ぶ近代の主権国家による囲い込みとカテゴリー化によって、法的地位や権利、呼び名、意味づけをつぎつぎと変えられていく過程に他ならない。19世紀から20世紀にかけての小笠原諸島に接近した、この「主権的な力」は、大英帝国、日本帝国、アメリカ合衆国、そして戦後の日本国などによるものであったが、これらの力は、それぞれの主権の名において発動される「法」によって、それら移動民たちに「あたかも波」のように、ある時は制裁、ある時は温情として降りかかった。しかし、それらはいずれの場合でも、人々が移動民として自由に自らの生活を選択することに干渉し、支配しようとしてきたのである。

 人々は、その力を行使する主権の意志にもとづいて、海賊、外国人、異人、帰化人、在来島民などとさまざまな呼び名を与えられたり、改名されたりしてきた。外国人から帰化人あるいは異人へ、そして、日本帝国の時代における彼らに対する差別や排除。それが反転する戦後には、在来島民となった人々に対して与えられる特権や抑圧から救出されたマイノリティとしての優遇などである。主権国家の力は、それぞれの思惑と制度的建前を、人々の事情とかけ離れた地点から行使していくのである。

 著者は、これら小笠原諸島に住み続けてきた移動民とその末裔たちの歴史を記述するに当たって、オーラルヒストリー、つまり口述の記録を大胆に採用している。成文化されることの少ないかれらの歴史をかれら自身の視点から記述していく上で、著者の方法論は、必要不可欠なものであり、口述の記録がもつ長所を存分に発揮させるものとなっている。オーラルヒストリーは、ともすれば薄くて冗長なエピソードの羅列に終わるおそれもあろう。しかし、著者がオーラルヒストリーをさばく手腕は、文献史料との突き合わせや口述記録を採用する際の理論的な位置づけも的確で、方法論上の危惧を感じさない。

 最後に、考えてみれば、ハワイもタヒチも、そこに住む先住民族とはいっても、それらは西洋からの接触以前の移動民とその末裔たちだというべきなのかもしれない。そもそも先住性とは歴史軸に対して、相対的な位置関係を示すものにすぎないからである。しかし、今日、ハワイやタヒチの「先住者」は、先住民族というアイデンティティに自らをつなぎ止め、それを軸に、西洋によるまなざしと対抗的に、自身の歴史を記述する戦略を採ろうとしている。もちろん、そのような歴史記述のパラダイムは、オリエンタリズムに対する対抗として重要性をもつだろう。しかし、それとは別に、また新たに著者が小笠原の人々の歴史記述に際して採用したもうひとつの視点、つまり、かれらを雑多なノマドたちだとする視点のもつ意味も大きいのではないか。著者が本書で小笠原諸島に対して向けられた視点は、それをテコに、他の島嶼地域の歴史記述のパラダイムをも転換させる可能性を示唆するものに違いない。そう考えれば、著者の研究は、その可能性の鳥羽口を切り開く重要な意義をもつものといえるのではないだろうか。島嶼社会とその歴史記述の新しい展開の可能性に期待したい。