オルタナティブツーリズムとしてのスタディツアー
〜その現状と課題〜

『開発教育』No.44, 2001.8



オルタナティブツーリズムの登場
 「オルタナティブ=Alternative」という表現は、70年代以降、先進国の中で登場してきた脱産業社会的価値観にそった新しいライフスタイルを提案する際に好んで用いられたものである。この言葉を日本語に訳するときは、「もうひとつの」といった言い方が定着しているようだが、多くの場合は「オルタナティブ」という表現をそのまま借用している。
 したがって、このオルタナティブツーリズム(以下AT)についても、「オルタナティブ」という表現が暗示しているように、従来の大量生産・大量消費を志向する商業的なマス・ツーリズムとしての近代観光に対する批判的なアプローチとして登場してきたことは間違いない。
 ただ、観光の商品化を志向するマス・ツーリズムに対する批判それ自体は、かなり以前から存在してきた。たとえば、D・ブアスティンは半世紀も前に、その著書The Image(邦訳『幻影の時代』)の中で、かつては冒険と驚異に満ちあふれていた「旅」が、資本主義の発展によって、パック旅行とガイドブックに象徴される「観光旅行」という偽物としての商品に堕落したと嘆いている。
 ブアスティンのような近代観光批判は、今日でも、多くの人々によって共有されている。実際、ATの参加者の中にも、「一般観光客の行かないような場所」に旅することの期待は大きい。しかし、このような観光批判には、かつて旅遊することが許された特権的な階級のノスタルジーが混在しており、特権層の側に立って、マスツーリズムの担い手である大衆を差別する意図も含まれている。
 しかし、ATが登場してきた歴史的背景を考慮にいれたなら、ATにおけるマス・ツーリズム批判は、このようなエリート主義的な観光批判とは別の文脈を有していたというべきだろう。ATが提起する近代観光=マス・ツーリズム批判は、以下のような特徴を持っていた。
 まず、第一に、リゾートなどの巨大開発がもたらす環境破壊に対する批判である。自然環境の破壊は、先住民族や地元の零細漁民などの生活破壊を伴うことによって、より深刻な社会問題に発展する事態が各地で見られ、社会正義の観点からもマス・ツーリズムへの批判が高まった。
 第二に、リゾートに押し寄せる先進国の観光客(ゲスト)と受け入れ側の開発途上国の地元住民(ホスト)の間の不平等な関係に対する批判である。富んだゲストと貧しいホストとの関係は、かつてフィリピンや韓国で国際問題化した日本人男性による買春ツアーに端的に示されたものであり、ATはそのような不平等な関係を告発し、そこからの脱却を志向した。
 第三に、マス・ツーリズムによるホスト側文化の変容が批判の対象となった。伝統舞踊のエンタテインメント化や女性習俗のセクシャライゼーション(性の手段化)などが批判された。
 ATによるマス・ツーリズム批判は、ブアスティンのようにエリート主義的視点から大衆観光それ自体を罪悪視する立場とは異なり、マス・ツーリズムがデスティネーション(その土地の自然・文化・社会)を搾取したり、オーバーユースすることを批判し、そのような問題を克服する「もう一つ」の観光のあり方を提示し、実際に行動化するところにその特徴があった。したがって、その意味で、ATはひとつの社会運動であるということができた。
 ATがもっとも明確に今日的な文脈において主張されるようになったのは、1980年代である。この時期は、対抗文化運動や新しいライフスタイルの提案が先進諸国で活発に行われた時期でもあり、ATもそのような潮流の一角を形作っていた。
 他方、この時期は、アジア(とりわけ東南アジア地域)では観光開発事業が日本などの先進国の資本によって活発に展開された時期でもあった。中でも、海浜リゾートに象徴される巨大開発は、工業化に遅れをとる熱帯の途上国にとって、重要な外貨獲得手段とみなされた。タイのプーケット、フィリピンのセブ、インドネシアのバリなどリゾート開発は途上国の国策となった。そして、それはフィリピンのマルコス政権、タイの軍事政権、インドネシアのスハルト政権など開発独裁を掲げる途上国側の政権と多国籍企業としての観光産業との癒着を招来させた。
 先進国において、ライフスタイルの変革という意味づけを伴って進められたATの運動は、このような途上国の現実と直面し、新植民地主義批判を強める途上国側の民主化運動とも交錯することによって、質的な転換を遂げることになったのである。

ATとしてのスタディツアー〜多様な姿と共通の特徴〜
 スタディツアーをマス・ツーリズムに対する批判的観光の一つの形として理解する立場は確かに存在するが、本来、スタディツアーそれ自体は決してマス・ツーリズムに対する批判的性格を有するものでもなく、また、そのような文脈として歴史的に形成されてきたわけでもない。18世紀のイギリス上流階級の子弟たちがヨーロッパ文明の起源としてのギリシアやイタリアを目指して我先に旅立ったグランドツアーや19世紀に入って産業革命の時代において労働者の啓蒙と教化を目的としてトマスクックなどによって組織された団体旅行においても、教育や修養は旅行の大切な名目であった。
 また、日本の近代教育において、諸外国にその例をみないきわめて特殊な学校行事としての修学旅行は、マス・ツーリズムと教育とが融合したスタディツアーのひとつの究極の形態を示していた。
 しかし、近代観光が大衆化と娯楽化によって当初の啓蒙主義的色彩を失うことによって、スタディツアーはマス・ツーリズムに対する対抗的文脈の中に位置づけを得るようになった。とりわけ、このような傾向は、1980年代以降、ATなどマス・ツーリズムに対する批判的観光形態の拡大と多様化の中でより一層明確になってきたものである。
 その意味で、今日のスタディツアーは、娯楽と遊行を専らとするマス・ツーリズムが対象としないようなデスティネーションを設定し、社会問題や民族問題などに関する学習や体験を行う場合が多い。したがって、スタディツアーはATの重要な一角を形成している。
 たとえば、80年代初頭、日本でのATの草分け的存在の一つであるラテンアメリカ・ニカラグア内戦の監視ツアーでは、革命政府サンディニスタと反共ゲリラ組織コントラとの戦闘の前線を訪問し、双方の兵士から話を聴くといったプログラムが組み込まれていた。今日でも、ATの多くが、スタディツアーをそのプログラムに組み込んでいるし、また、ATの多様化と他の旅行形態との融合によって、スタディツアーそれ自体も多様な形態をとるに至っている。
 多様化を遂げつつあるスタディツアーだが、しかし、ATとしてみた場合、これらのスタディツアーに共通してみられる特徴も存在する。
 スタディツアーでは、通常、社会問題や歴史的事件の現場(現地)を訪問し、教育的な関与を行おうとする。現地への訪問や関与の形態は多様である。たとえば、巡礼者のように歴史的な出来事のちなんだ場所やモニュメントを順に訪問する(阪神淡路大震災の被災地を訪ね歩く「アイ・ウォーク」)とか、現地で開催される関連イベントや問題の当事者が執り行う儀礼に参加する(ハワイ先住民の和解儀礼への参加ツアーや北米先住民の祭典参加ツアー)とか、歴史的事件や当事者の経験を追体験する(沖縄戦跡のガマと呼ばれる洞窟に入り、明かりを消して暗闇を体験する)といった現地での何らかの体験を伴う。
 こういった現地体験は、観光という行為の本質そのものであるが、スタディツアーでは、それだけではなく、現地の事情に詳しい当事者や関係者からのレクチャー、講演、聞き取り、インタビューなどが併せて行われる。これによって、参加者は見地での見聞に意味づけを与えられ、主催者が意図する方向で社会問題や歴史的出来事に対する見方や評価を形成するのである。
 スタディツアーは、現地に対する見方を通常の旅行のように訪問者の自由にまかせるのではなく、当事者の声に耳を傾ける機会を積極的に用意することによって、訪問者の現地理解を一定の方向に導くようにプログラムされている点に最大の特徴がある。このようなスタディツアーの特徴は、訪問者の自由な対象理解に主催者が介入するお節介な行為のように一見思われるかもしれない。
 しかし、スタディツアーがそのようなプログラムを用意するのは、一般の商業的なマス・ツーリズムが現地に対する新植民地主義的な搾取や剥奪を無意識のうちに含んでいるという認識をツアーの主催者たちが持っているからである。このようなマス・ツーリズムの問題点を克服するため、まさにATの存在意義を賭けて、参加者の現地体験に対する積極的誘導が行われるのである。もちろん、企画者や参加者たちは、このような誘導を偏向と理解するのではなく、マス・ツーリズムによって歪められた現地認識に対する是正として積極的に評価するのである。

スタディツアーの現状と課題
 さて、特定の訪問先に対するスタディツアーが繰り返し企画されるようになるにつれ、ツアー参加者(ゲスト)と受け入れを担当する現地NGOのスタッフや当事者団体(ホスト)の間に、AT固有の、あるいは、マス・ツーリズムにも共通するようないくつかの問題が生じてくる。
 まず第一に、ゲスト側がツアーを通してもたらす金銭や物品がホスト側に混乱や不正をもたらす場合がある。とりわけ、経済格差の激しい先進国−途上国間でツアーが行われる場合、ツアーがもたらす金品が現地に与える影響は、ゲストの想像をはるかに超えて大きくなる。私の知るケースで例をあげれば、タイの山岳少数民族の村の村興しを支援する目的で計画されたツアーが集めた村への募金が、あまりにも大きすぎたため、その資金の使い道に窮した現地スタッフが受け取りを拒否するといったこともあった。また、現地の労働組合の集会のためにと寄贈したラジカセがいつの間にか私物化されたり、工場労働者の就労環境の改善のためと寄付した耳栓が闇に流されたりしたこともあった。これらの問題の多くが、ゲスト側では軽微な金額に過ぎないものが現地では非常に高価になってしまうことに由来している。
 第二に、このようなスタディツアーが継続的に行われることによって、ツアーを主催するNGOや市民的活動団体が、その活動資金の少なくない部分をツアーに依存するようになってくることである。たとえば、筆者の卑近な例を挙げると、カンボジアへのスタディツアーの案内料は、現地の受け入れNGOの活動費の大きな部分を占めるようになり、ツアーが不成立になると現地の活動が滞るため、活動の中でツアーの企画と実行の占める位置が年々増大している。
 マス・ツーリズムが途上国の観光依存経済を生み出したことを批判して始まったATが、それに関わるNGOや市民団体の依存構造を生み出しているとすれば、それは皮肉な展開であるといわざるを得ない。
 第三に、ゲスト側の諸条件がホスト側のプログラムに大きな制約を及ぼすことが挙げられる。たとえば、日本からのツアーについていえば、短い日程に原因する過密スケジュールや盛りだくさんの訪問先やイベント、分刻みのセミナーや体験学習などが計画され、多くの参加者は、これらの過剰な体験や学習を未消化なまま受動的に受け入れてしまいがちである。短期で過密なスケジュールのカミカゼツアーは、日本人の海外旅行に共通して言われてきた特徴だが、スタディツアーでもこのパターンは踏襲されているのである。この原因は、スタディツアーの財政的な基盤があくまでもゲスト側の参加者個人に依存していることからきている。
 第四に、ホスト側で受け入れに当たる人員の固定化と専門化である。現地で訪問者の相手を務める当事者は、歴史的事件の生存者、社会問題の被害者などとさまざまである。たとえば、戦時収容所の生存者や開発によってすみかを追われた先住者、スラムで活動するNGO活動家などが、これらの当事者による語り部の役割を担うのである。訪問地が海外にあるような場合は、これらの語り部としての役割は、現実的には、その中でも外国語(なかでも国際語としての英語)を話すことのできる現地当事者によって専ら担われていくのだが、彼らはスタディツアーが繰り返されることによって、意識しているかどうかにかかわらずガイド化していく。
 受け入れスタッフのガイド化は多くの問題を含んでいる。まず、ガイド役の利権化が起こり易い。これはフィリピンでの事例だが、ツアーで訪問したスラムの住民やホームステイ家庭のずべてがガイド役スタッフの親戚で賄われ謝礼金がすべて一つの親族集団に配分されてしまった。
 また、人員の固定化や専門化は、ゲストが体験する出来事の意味づけを狭め、特定の言説だけが繰り返される傾向を生む。たとえば、多文化主義の台頭によって、欧米の先進国を中心に少数民族や先住民族の政治的文化的覚醒が進みつつあるが、このような動きは、当然ATにも投影され、先住民族の文化や伝統を体験するスタディツアーは拡大を示しつつある。このようなスタディツアーでは、多くの場合、先住民族の運動家がツアーの受け入れを担当するが、彼らの伝統文化についての真正性についての言説は、「政治的に適正(ポリティカリィ・コレクト」であるかもしれないが、他の民族グループから見たとき必ずしも妥当であるとはいえない場合もある。このような場合、ホストによる文化の意味づけからどの程度自由な視点をゲストが取りうるかは、きわめて微妙な問題なのである。

問題の克服に向けて〜観光をNPO事業に〜
 ただし、これらの問題は、決してスタディツアーを根本的に否定するような問題ではないといいたい。ようするに資本主義が地球(グローバル)化した現代世界において人々が出会い、交流し、影響を与え合うことから生じる不可避的な問題だからである。さらに付け加えれば、現実的には、非営利的な活動によって担われているスタディツアーの大半は、巨大な開発資本が展開するマス・ツーリズムと比較して、環境や現地社会に及ぼす負の影響の規模は比べるまでもなく小さいことは言うまでもない。
 ただ、しかし、これらの問題は、NGOや市民活動の理念と深く関わる点において、看過できない重要な意味を含んでいるのである。
 あまり紙数が残っていないので、このような問題を克服するために筆者たちが行ってきた試みや努力を最後に述べて、この論を閉じることにしたい。
 筆者が関わってきたハワイやカンボジアでのスタディツアーを核としたATのプログラムでも、同じような問題が過去起こっている。これらの問題を克服するための決定的な処方箋はないが、しかし、いくつかの試みは行ってきた。
 まず第一に、現地側の受け入れ組織や村落とは別に、現地に長期間滞在し現地の社会やコミュニティと深く関わる継続的な媒介者(団体)を見つけることが必要である。いくらインターネットが普及しEメイルで情報がやりとりできても、受け入れホスト側の説明や言説の正当性を判断するためには、現地で異なった情報チャネルを持つ以外にない。そのためには、受け入れ団体とは別に、現地に精通した別の人物や団体、たとえば、日本人援助関係者、現地の宗教リーダー、教員、別の民族グループのリーダーなどとの緊密な連絡が必要である。また、こういう別のチャネルが受け入れ団体や地域に影響を与えることによって、現地での新しい動きを誘発することもある。たとえば、ハワイのワイアナエの村興し参加スタディツアーのケースでは、ハワイの沖縄系団体のリーダーがツアーをきっかけに現地の村を訪問することで村興しに新しい運動の広がりが生まれた。
 第二に、スタディツアーを中心に据えたNPOの設立、あるいは、既存のNPOがツアー事業を定款の中に正当に組み入れることが必要である。筆者の関わるATの運動では、これまで取り組んできたアジア太平洋の農村フィールドワークを発展させて、昨年、スタディツアーを事業として定款に組み込んだ「アジア太平洋農耕文化の会」(渡部忠世代表、http://www.asahi-net.or.jp/~ud4k-ymd/asia.html )を結成した。事業としてのツアーは、義務づけられた公の活動報告や財政報告を通して公開されるものとなっている。
 これまで海外援助団体やNPOの多くは、観光をどこか卑しいものと見て、NPO活動の中で正当な位置を与えてこなかった。その結果、実際はスタディツアーから多くの収益を得て、それを活動に還元しているのに、それらを明らかにすることをためらい、ツアーの収支内容の報告が不十分だったり、また、スタディツアーの開発や維持のために目に見えない多くの費用が必要なのに、それらを顕在化できず参加者への説明責任を十分果たしてこなかった。
 しかし、ツアーを定款の中に正当に位置づけ、非営利団体の行なう収益事業として妥当な会計基準を設けることで、少なくともそのスタディツアーが「正当な」価格で提供されているかが、評価できる基盤を作ることができるはずである。もちろん、現実的には、ツアーの収支項目をどう設定するかは多くの技術的問題を含んでいるが、問題の解決は、スタディツアーを事業として位置づけることから始まるのではなかろうか。
 実際、近年、スタディツアーの多様化や数の増加が見られ、また、大学などで海外体験を単位化する試みも増えてきていることから、主催の異なる複数のスタディツアーを比較したり、内容を評価する必要(コストが正当であるかの評価を含めて)が生じている。これらの評価は、熱心なツアーの主催者の話をいくら聴いてもできるものではなく、やはり第三者の評価や他のスタディツアーとの比較情報が必要なのである。スタディツアーのNPO事業化はその前提となろう。
 また、そのようなNPO活動を通して、「観光」についての消費者教育、言い換えれば、「観光リテラシー」教育を進展させることも必要だろう。「学ぶための旅(=スタディツアー)」は、同時に、「旅についての学び」でもあり得るからである。スタディツアーへの参加を通して、参加者がより賢い旅行者として成長できるよう旅行についてのさまざまな知識や情報が提供されるべきである。
 さらに、NPO化によってツアー参加者以外から資金(たとえば寄付や補助金)の調達が可能になれば、全額を参加者に依存することによる弊害(先述の第三の問題)を改善する糸口が見つかるかもしれないし、お金のない有意な人材がツアーに参加したり、途上国からの人々を招く招待ツアーも可能になるだろう。(現在、著者の関わるNPOではツアーの代金の一部を途上国の人々を日本に招く費用として積み立てている。)これは今日の双方向性を持たないATの弱点を克服する有力な方法の一つとなろう。
 NPOが観光部門に進出することはこれ以外にも多くのメリットがある。まず、市民参加による国際交流が一層促進されるのは当然として、旅行業界全体に関わる航空運賃やサービス価格の決定メカニズムの透明性が高まることが期待できる。さらに、従来見えにくかった受け入れ国側での観光開発をめぐる環境破壊、人権侵害や経済的搾取に対する監視も容易になるだろう。
 この分野で先行するアメリカでは、実際、NPO主催のツアーが中南米の先住民族に対する人権弾圧の抑止に一役買っているし、また、NPOツアーが既存ツアーより市場競争で優勢を示す場合すら現れているのである。
 スタディツアーをはじめとする「観光」はNPOの単なる資金稼ぎの場ではなく、それ以上の意味があることに気づくことが必要なのではなかろうか。


 日本におけるATについては、『オルタナティブツーリズムの思想と行動』マイチケット社(http://www.asahi-net.or.jp/~ud4k-ymd/index.html )が詳しい。