泉 岳 寺
港区高輪
赤穂浪士の墓所として知られている泉岳寺は、徳川家康により幼少期に縁のあった今川義元
の菩提を弔う寺として創建され、その縁で諸大名の菩提寺にもなりました。その中の一つが播
州赤穂浅野家で、主君浅野内匠頭の墓があったので四十七士もこの地に眠っています。
境内は市街地に囲まれていて広くはないのですが、総門、山門、本堂が一直線に並んでいて
禅宗寺院らしい伽藍配置になっています。そして左手の奥に赤穂浪士の墓所があって、入り口
の門は赤穂藩の江戸屋敷から移築されたもの(注)とされています。
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中 門
天保七年(1836)に建てられ
た四脚門形式の門で、右側に
番所もあって格式の高さを示
しています。今は境外に面し
ているのに中門となっている
ので、江戸時代は坂下の東海
道に面して別に総門があった
のかも知れません。
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山 門
やはり天保年間に建てられ
た二層門形式の立派な門で、
二十三区内で江戸時代から残
る二層門は他には増上寺くら
いなもので、貴重な門として
上記の中門と共に港区の文化
財に指定されています。
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本 堂
本堂は戦災遭って庫裏等と
共に焼失してしまったので、
昭和28年になって再建され
ました。それから60年余り
経って古色を帯びて、周囲の
喧騒をよそに落ち着いた雰囲
気の本堂となっています。
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注・・・赤穂義士の墓所については浅野家屋敷門の章で紹介しています。
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