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52年ぶりの陸軍幼年学校

平成10年4月15日中央線高尾駅で幼年学校同級生の秋山君と久しぶりに会った。1時間後には野上君も現れることになっている。野上君の音頭取りで、秋山君をガイドとして東京幼年学校の跡地を私としては52年ぶりに訪れようと言うわけである。その前にまず秋山君が高尾駅の近くの農林省の森林科学園の桜を案内してくれることになっていた。

森林科学園にて

秋山君はスキーでジャンプして頭から着地し、首の骨を痛めて入院したというがまことに元気でうらやましい限りである。

東幼観音

森林科学園の見学を終わり野上君(写真左から秋山君、野上君)の自動車で高尾駅からまず東照寺境内の東幼観音を訪れる。終戦直前の幼年学校の大空襲で亡くなった生徒職員10名の供養のため有志が建立した白色の観音像と芳名碑が、かっての幼年学校敷地の西の端からさらに西100m位の所に建てられている。

秋山君によると48期の助教であった清水準尉が戦没者の慰霊をかねてから考えておられ殆ど独力で観音像を用意されていたよし。東幼の記念碑が出来たころ、そのことを聞いた東照寺の住職が快く境内の一隅を提供して建立されたものである。清水さんは水沢市で<千年茶>とゆうお茶の会社を経営しておられたが まもなく亡くなられたが、その遺志をついで毎年四月の第一土曜日に有志が集まり観音祭をおこなっているとのこと。

幼年学校跡地の地図

参考のために幼年学校跡地を5万分の1地図から示しておく。当時の幼年学校の俯瞰図は東京陸軍幼年学校に載せられている。

御盾橋

かっての御盾橋(上の地図では誤ってみたけ橋)の位置には現在横山橋がある。この橋を渡って右に回ると正門から本部に達した。案内してくれた秋山君は空襲のよるをこの橋の下でふるえながら過ごしたという。

裏山の仮設生徒舎跡を望む

3人(左から秋山君、野上君、酒井)の後ろの竹林の奧に、空襲後、我々が生活した仮設生徒舎があったという。道路に面した住宅の位置にはかって生徒鑑達が住み込んだ宿舎があったという。

均のぺージ

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