アメリカ南部の町 Nashville より(續)

大村恒雄

Vanderbilt 大学で仕事をするためにアメリカ南部のこの町を度々訪れるようになって3年目になりました。毎回1ケ月くらいずつ滞在しますので、もう延べで1年以上は Nashville で生活したことになります。アメリカは外国人にとっては気楽に暮せる国ですし、市街地の治安が良くないことと食べ物がまずいことを除けば単身赴任型のアパート暮らしでも生活に困ることはありません。毎日の時間にゆとりがある客員教授生活ですので、もう一度 Nashville 便りを書かせていただきます。

 日本は地震、火山噴火、台風など自然災害の多い国だということになっているようですが、アメリカも大規模な自然災害の結構多い国だと感じます。夏の乾期に西部などで頻発する山火事、夏から秋にかけて南部と東部の沿岸地域を襲うハリケーンなどは年中行事ですが、特に春から夏にかけて南部の諸州でひんぱんに発生するトルネードはアメリカ特有の恐ろしい自然災害です。特別に大きな被害があると日本のテレビでも報道されることがありますが、実際にはこの季節には毎週のようにどこかでトルネードの被害が報告されており、今年の4月には 私が滞在していた Nashville の町もトルネードにやられました。

 トルネードが発生しそうな気象状況になるとかなり広い範囲に "Tornade watch" という予報が気象台から出され、実際にトルネードの発生が確認されると局地的に "Tornade warning" という警報が出されて、直ちにその地方の全てのテレビ番組の画面に自動的に警報が文字で流されます。時間と地域を指定して住民はその時間中は地下室に避難しているようにとの勧告が出されるのですが、なかなか迫力のある警報で私は見ていて戦時中の空襲警報を思いだしました。

十何年か前に大きなトルネードのために南部の州で町が一つ壊滅し200人以上の死者がでる惨事があってから、多数のドップラーレーダーを各地に配置して24時間体制で監視する現在の警報システムが作られたようです。現在でもアメリカ全土ではトルネードのために毎年平均100人くらいの死者が出ているとのことですから、この警報システムの必要性は理解できます。

 広い範囲に強風が吹く台風と違いトルネードの被害は局所的で、大きなトルネードでも被害地域は幅がせいぜい数百メートル、長さが数キロメートルていどですが、何十軒もの家が土台だけを残して跡形もなくなっていたり、大きなトレーラートラックが吹き飛ばされていたりする被害状況をテレビで見ると、その激しさは日本の台風の比ではありません。

大きなトルネードでは中心部の風速は秒速100メートルを超えると測定されているようですから、アメリカの田舎の町に普通に見られる木造の住宅ではとても耐えられないでしょう。しかも突然に発生するもので、現在でも "Tornade warning" が間に合わない場合が時々あるようです。住民が地下室に避難していなかったら多くの犠牲者が出るのは確実です。

 去る4月に Nashville の町にトルネードが来た時には私は大学の図書館にいました。その日は朝から雷雨があって荒れ模様の天気でしたが、急に大声の館内放送があって図書館内にいる全員がすぐに地下の部屋に避難するよう命令されました。図書館は近代的なガラス張りの建物ですから、もし大きなトルネードに直撃されたらひどいものだったと思います。

幸いこの時のトルネードは規模の小さなもので、しかも大学からかなり離れた所を通りましたので大学の建物には被害はなかったのですが、市内の住宅地で家が何十軒か壊れたようでした。南部の諸州でもNasvhille のような大都市がトルネードの被害にあうのは珍しいことのようで、翌日のテレビでは全国ニュースでNashville のトルネードが報道されました。

 アメリカで多い自然災害には大規模な山火事があります。もっとも「山火事」というのは山にしか森がない日本独特の言葉のようで、平地にも森林が広がっているアメリカでは "Forest fire" です。夏の乾期の森林火災の原因のほとんどは落雷のようですから、人が住む以前の大昔からアメリカ大陸の各所で毎年繰り返し起こっていた自然現象で、それを災害と呼ぶのは人間の勝手かも知れません。ただしアメリカでも人口の増加とともにこれまで人が住んでいなかった地域にも住宅地が広がり、森林や原野の火災で多数の住宅も焼ける災害の例が増えてきたようです。

アメリカでは都市の市街地に住むのは低所得層で、市街から遠く離れた土地に林に囲まれた広大な敷地のある家を建てるのは富裕階級ですから、森林火災では大きな立派な住宅が焼け落ちる場面がよくテレビで報道されます。カリフォルニア州などでは乾期にそのような郊外の高級住宅地を'狙って周りの林に放火する犯人が出没するようですが、貧富の差が大きいアメリカ社会の暗い一面を示しているように思えます。

 アメリカ西部の国立公園などで野生の動植物への森林火災の影響を研究して来た生態学者達は、森林火災は太古から繰り返されてきた自然現象であり消火したりする必要はないと以前から主張していたようです。西部の多くの地域での現在の動植物生態系は森林火災が繰り返し起こることで作られ維持されているので、自然の生態系を守るためには森林火災はむしろ必要であり、住宅などに危険がなければ自然に消えるまで放置すべきだという主張です。

最初にこの議論を聞いた時にはずいぶん過激な主張のように思えたのですが、実際には長年の地道な研究と議論の結果だったようで、その主張が国立公園や国有林を管理する連邦政府の機関に受け入れられることになり、2年ほど前から少なくとも西部の国立公園では森林火災が発生しても消火活動はほとんどしないことになったようです。

無人に近い広大な土地があるアメリカだからできることかも知れませんが、生態学者の主張が取り上げられ国の政策に反映されたのには感心しました。日本では自然保護を訴える生態学分野の研究者は最近までは国の開発計画を邪魔する反体制分子扱いされていたように記憶しますし、海岸や山の現状変更をする開発計画が進められる場合には現在でも大学の生態学分野の研究者の意見などはほとんど聞き入れられないのが日本の実情のように思えます。

 同じような例ですが、西部にある有名なイエローストーン国立公園に野生の狼の群れを復活させることになったのもアメリカらしい計画です。白人が入植する前にはアメリカ全土に灰色狼 (Grey Wolf)という大型の狼が多数いたのですが、各地で森を切り開いて牧畜が始まると家畜が襲われる被害が続出して狼は銃、罠、毒薬とあらゆる手段で懸賞金付きで駆除されほとんど絶滅してしまったのです。狼は人も襲う危険な猛獣だという考えも一般的で、狼の駆除を正当化していたようです。

その結果、アメリカの灰色狼は10年ほど前にはミネソタ州のカナダとの国境地帯に少数が生き残っているだけの状態になっていました。ところが狼がいなくなると生態系の平衡が崩れて鹿の仲間が大繁殖し、木の若芽が食べられるようになって国立公園などの森林の植生が変化し始めたのです。

これから先がアメリカらしいのですが、生態学研究者の意見が取り入れられて、銃で鹿を駆除するよりは森に狼を復活させて自然の生態系の平衡を回復させることを試みる計画が立てられました。イエローストン国立公園が第一の試験地になって連邦政府の予算で計画が進められ、数年前からミネソタ州やカナダで捕獲された野生の狼が数十頭次々と放されたわけです。

結果は順調のようで、昔のように集団で狩りをする狼の群れがイエローストン公園一帯で確認され、年々周辺地域に広がっているとのことです。昨年にはニューヨーク州北部の Adirondack 州立公園にも狼を復活させようという提案がされ、現在議論されています。狼は人を襲う危険な猛獣だという常識は誤っているという生態学研究者の説得が説明会で住民の同意を得ることができれば計画が進むことになるのでしょう。

 アメリカに白人が入植する前には西部に数千万頭以上もいたといわれるアメリカバイソンが19世紀にはほとんど絶滅寸前になり、それが連邦政府主導の保護政策で復活したのは野生動物保護の成功例として有名ですが、今回の狼も成功例になるかも知れません。もちろん、これは人が住んでいない広大な土地が残されているアメリカだから可能なことかも知れませんが、トキ、カワウソと保護に失敗した例が続く日本と比べると自然の動植物生態系に対する基礎研究の蓄積に大きな差があるように思えます。

アメリカでは大きな都市には必ず自然史博物館があり、ただ化石などを展示するだけの場ではなく生態学や古生物学などの研究者が館員として活発な研究活動を行なっているのが普通です。日本では20年位前から立派な建物の美術館があちこちの都市に作られましたが、自然科学博物館あるいは自然史博物館のある都市はまだ少ないと思います。

日本の気候風土は穏やかで、土地の開発や過剰な農薬の使用などで破壊された生態系を回復させることはアメリカに比べるとはるかに容易だろうと思われるのですが、生態系を研究している研究者の意見が広く聞き入れられるようになることが望まれます。環境問題が日本でも今後の大きな課題であることは確かですが、現状に異論を唱える大学の研究者を行政側が反体制の邪魔者扱いするようでは環境問題は解決しないでしょう。

 環境問題といえば、アメリカでは河にダムを建設することの可否が長く議論されて来たようです。大勢としてはダムの建設で河の水質が悪化し流域の生態系も荒廃する例が多いという結論に傾いているようで、新しいダムの建設はほとんど行なわれていません。

今年になって、ワインで有名なカリフォルニア州のNapa Valley で住民投票が行なわれ、その地域を流れる河からダムや人工的に作られた放水路をすべて撤去して河を自然の流れにもどすことが決定されたというニュースが報道されました。ダムの建設によってむしろ洪水の発生回数が増し、洪水の被害も大きくなったという事実を住民が認めた結果とのことです。

ダムの撤去費用や河の流路が変わることによる水没農地の補償費用はその地域の住民税の増徴によって賄うというのですから周りから文句の出る余地はありません。日本でも森や河の自然環境の保全が重要と皆が考えるならば、住民の発案によるこのような試みがあってもよいと思います。

 アメリカに住んで日本と比べてうらやましく感じるのはやはり広大な自然です。この Nashville のあるテネシー州はアメリカでは中規模の大きさの州ですが、日本の1/3ほどの面積に人口は400万人ほどに過ぎません。この広大な土地がトルネードや森林火災のような大きな自然災害の原因にもなっていますし、日本では考えられないような思いきった環境保護対策を可能にもしているようです。

私は森林火災の放置や狼の復活など環境問題に関して生物学分野の研究者の意見が国の政策に反映されて大きな方針転換がなされた例を知って驚きを感じ、アメリカの健全な力強い一面を見た思いがしました。

アメリカの社会は日本だけでなくヨーロッパの国々とくらべても異質な点が多いですし、大学制度なども日本に全面的に適用するのは無理だと感じますが、アメリカに学ぶべき点もまだ多くあることは確かです。 (1998年5月)