くだらな日記(2004年1月)


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1月31日(土)
 大阪近鉄バファローズ、命名権を売却へ。まあ既定路線としてアコムバファローズになるんでしょうが、いや待てよ、大阪で35億円をポンと払える人と言えば……ひょっとして、浪花羽柴誠三秀吉バファローズの誕生か? むろん球団マークは五三の桐、球団旗は金の千成瓢箪、そして打線の名称は「中国大返し打線」になるのだ!

交通違反の上坂内野手を謹慎処分。わはは、笑うしかしゃあない。83キロオーバー、半年のバックレ、さようなら上坂、君のいいところは2試合ほど見たことがあるよ。

WJの中嶋少年、初代タイガーと対戦。佐山はプロレスを完全に小遣い稼ぎとみなしていますな。まあそれならそれでいいけど、せめて試合までにもうちょっと身体を絞ってきてほしい。


1月26日(月)
 いかに浮世離れしてるかってことだよなあ。
 久々に堀川早苗のCDが出るというのでレコード屋に行ったのだ。たぶんシングルCDだろうと思い、シングルのコーナーを探してみたがいくら探しても見つからない。まだまだ探す気ですか。それよりボクと踊りませんか。ふふっふー。はーあぁ。イヤです。
 業を煮やして店員に問いただしてみたところ、なんかこう、遅れたヒトを哀れむ目つきで「いまは演歌しか置いてないんですよ。シングルはもうほとんど発売中止ですからねえ。どうしてもといえば、製作会社に問い合わせて注文することになりますが……」とのこと。
 私が知らないうちに、いつのまにかCDシングルというシロモノはなくなってしまったのであることよ(詠嘆)。そういや前にCDシングルを買ったのは、確か三年前に沢田研二の曲を買ったのが最後であることよなあ(詠嘆)。shit!(英単語)。そこんとこヨロシク(永ちゃん)。寛容と調和(栄ちゃん)。あソレ勝った勝った勝った勝った阪神阪神タイガース(鋭ちゃん)。もういいですかそうですか。
 ちなみに帰宅して確認したところ、堀川早苗のもシングルではなくベストアルバムでした。しかもほとんど持っている曲だよ。買い支える気になるかなあ。

 (酔)十二人もの登場人物に自己紹介させるのは容易ではない。ましてやキャラの書き分けと来てはたいへんだ。さらにドイツ語の呼称を書き分けるとなると不可能事だ。日本語の一人称を書き分けるのだってえらいことだ。「おいどん」とか「拙者」とか「愚僧」とか「あちき」とか使おうと思ったことであるよ。

 半藤一利「ノモンハンの夏」(文春文庫)を読む。ノモンハンについては伊藤桂一「静かなノモンハン」を読んでから考えようと思うが、辻政信は戦後ものうのうと生き延びて昭和三十六年、六十歳のときビルマで行方不明となり、おそらく殺害されたのだというが、その六十年前に死んでいるべき人物ですな。


1月25日(日)
 20日のアイスさんの件ですが、「あれはアイス掲示板の“2ちゃんねるで拾った面白いコピペ”というスレの中の記事であり、アイスさん作成という確証はない」という指摘をバラガキでないほうの歳三さんから受けました。確かにそうです。万が一優先権などの争いが生じた場合のためにここに宣言しておきます。アイスさんはあの作者だと主張している事実はまったくなく、すべて私の誤解によるものです。

 (酔)直木賞のおかげで京極夏彦の顔を見ることが多いのだが、なんか変になった。昔は意味もなく黒手袋をはめて、渋澤龍彦みたいなナルシスト写真を見せているだけで満足していただったのだが。髪を染めて、顔がむくんで、という変化だけではなく、美醜を別として、なんだか人間以外の顔になった、という印象。同じ印象を受ける有名人にやくみつるが存在するのだが、なんかこう人間から別なモノに変異しつつあるというか、人間以外のものが人間に擬態しているというか、どっちかだと思う。京極は前者、やくは後者かな。

 ところで小久保は無償トレード、カツノリは金銭トレードってことは、カツノリのほうが格が上ということでファイナルアンサー?(まあどうせ野間口込みの格だろうが)
 まあ、まじめに考えると、カツノリは巨人の方が出場機会はありそうな気がする。阪神では正捕手矢野、サブが野口で確定。いざというときの第三捕手兼代打は浅井で、捕手としても代打としても浅井の方がカツノリより上。いっぽう巨人は、阿部と村田が正捕手を争い、第三捕手兼代打は原。原にならカツノリでも勝てないことはない。長打なら原だろうが、打率ならカツノリだと思う。とりあえず幸あれ。と余裕で言えるのは、どんなにカツノリが活躍しても優勝の牽引車にはなるまいと信じているからだ。北川にはなれまい。

 自衛隊イラク派遣に関して、オランダ軍将校に「自衛隊員の安全はそちらで確保してもらえるのですか?」と聞いたテレビのインタビューアーはそうとうイカレてるなあ。どこの世界に、ヨソサマに護ってもらう軍隊があるというのだ。たぶんオランダ部隊の間では「役立たずの足手まといが来たぞ」「おとなしく金だけ出してりゃいいのに」などという会話が交わされているのでしょうな。それもこれも、小泉クンのアホウな目立ちたがり根性が諸悪の根元だ。


1月20日(酔)
 かつて2ちゃんねるでの雑文系コピペといえば半茶さんの「ペペロンチーニの作り方」だったが、最近ではアイスさんが掲示板に書いていた「北朝鮮のニュース番組はだいたいこう聞こえる」が躍進している模様。少なくとも三箇所で確認。

 バラガキでないほうの歳三さんのご教示により、頭脳警察ファーストを購入。これ、90年代にCD発売されたときにもまだ発禁だったのか、ファーストだけは発売されなかったんですよね。2001年にようやく再発売されたらしい。たぶん「世界革命戦争宣言」の「我々にも、ニクソン・佐藤・キージンガー・ドゴールを殺す権利がある」という固有名詞が祟ったのでは。いや、それより「戦争しか知らない子供たち」での作曲料をジローズに払わなかったとかだったら面白いんだが。いや、まあ、「てめえのマンコに聞いてみな」というありがちなオチなんだろうな。
 頭脳警察はロックか、というとそういう気はしないんですけどね。どちらかというと、ギターを出鱈目にかきならしながら政治的な暴言をはきまくるキャラ、というイメージで。それがロックだといえばそうなんですが。でも「さようなら世界夫人よ」は美しい曲だなあ。


1月19日(酔)
 WJ物語はまだまだ終わりそうにないのに、リアルWJは勝手に終わろうとしている……。
 ちなみに、いしかわじゅん「至福の街」(アクションコミックス)収録の「時」という漫画は、たぶん猪木を念頭に置いて描いたのだと思いますが、今読んでみると長州と中嶋君のラブストーリーとして読めます。WJファンで入手可能な人はぜひ読んでみてください。
 とはいうものの入手困難らしいので、ちょっとの間だけこっそり。




1月18日(日)
 管代表、牛丼食ってアピール。管ちゃんはむかしカイワレ騒動の時にもカイワレを食って新屋さんに怒られていたが、こんどはにょしかわさんに怒られたいのか。

 センター試験の歴史問題を見ていてはじめて気がついた。伊藤博文って朝鮮総督だとばかり思っていたのだが、韓国総監だったのね。朝鮮総督と韓国総監は別モノだったのね。
 それにしても日本史はなんとか合格点を取れそうな気がするが、世界史はあかんわ。人名や地名などの固有名詞がぜんぜん出てこない。


1月17日(土)
 若い娘が芥川賞を取ったとニュースになっているようですが。
 もうひとりの娘の方は知らない。綿矢は売り出しのときから芥川賞プロモーションでいくのがミエミエだっただけに、アホくさいと思う人も多いだろうが、まあ芥川賞の価値がこんなもんになったという方が正しいと思う。大江健三郎が取ったときの芥川賞が、ルーテーズが巻いていた頃のNWA世界チャンピオンベルトの価値があったとすれば、いまの芥川賞は無名のインディレスラーが巻いているいまのNWAチャンピオンベルトくらいなもので。
 紅白歌合戦の視聴率といい、芥川賞最年少記録といい、だいたいにおいて、数字のみが語られるようになったジャンルは衰退していると思ってさしつかえない。
 しかし純文学は吉行淳之介の予言通りになってきていますな。生前、吉行はこんな意味のことを書いていた。
「これからはコンプレックスやトラウマを持たない人が小説を書くようになるだろう。文学にとってはいいことではないだろうが、ひとつだけ利点がある。それは、若く美しい女性がたくさん文学界に入ってくることだ」

 そんなことはどうでもいい。最近いちばん驚いたニュースは、「元南ベトナム副大統領(実質的には一時期独裁していた)のグエン・カオ・キ、亡命後はじめてベトナムを訪問」だ。中国の張学良、ロシアのケレンスキーと並んで、「世界三大“まだ生きていたのかよ”政治家」だと思う。

 冬の時代と言われているプロレス界のうちでも、女子プロレスは厳冬の時代とまで言われています。ことし一年潰れる心配をしないでいいのは、創価学会が支えているGAEAと吉本がスポンサーのJDスターだけではないだろうか。
 そんな時代を打ち破るのは、やはり世紀の一戦を開催することしかない。むろん、広田さくら対マスクド・チェリーの「リアルサクラ大戦」しかありません。チェリーの軽快な動きをさばいて、広田が必殺技ときめきメモリアルを命中させるか? そして広田のコーナーポスト倒立に、チェリーはどう対処できるか? どちらのパンチラが萌えるか? 興味はつきない。

 あ、自分のサイトに「くだらな」とつけたのは、世間的には実利に何の意味もないアイドル、プロレス、ワイマール時代のドイツ、歴史の情報にみちみちているからです。「駄文」と称したのは東海林さだおの三十年前の発言「最近は雑文もステータスアップしたので、ぼくの文章などは駄文と称したほうがいいかもしれない」からです。


1月16日(酔)
 今日から、酔っぱらったときに書いた日記は曜日でなく「酔」と書くことにしました。酔余の戯言だから許してね、というアザトイ打算。

 屁理屈太郎さん、丁重なお返事ありがとうございました。貴方のサイトは「父親の屁理屈」のサーバばかりチェックしていたのですよ。
 で、旧仮名遣いの件ですが、了解しました。文体練習なのですね。なんのために練習しなければならないのかは、よくわかりませんが。
 「帝國」などという旧字体を使用しているサイトの主人がこう言うのもなんですが、もしも私が旧仮名遣いで文章を統一したとしたら、三日で飽きるでしょう。「縛られている」という意識をつねに感じなければならず、つらすぎるからです。私にとって新仮名遣いは自由に感じ、旧仮名遣いは不自由なのです。
 むろん新仮名遣いも「闇黒日記」の人が言うようにいろいろと不都合な点はあるでしょう。おまえは自分が新仮名遣いの奴隷なのに気づかないだけじゃ、と言われるかもしれません。しかしだからといって、わざわざ拘束衣や鎖を身にまとう趣味はないわけでして。
 たぶん旧漢字、旧仮名遣いも、美しいと思う人はいるのでしょう。北杜夫がどこかに書いていましたね。「おほきい」と「おおきい」はぜんぜん違うのだと。しかし私は生まれたときから新仮名遣いで育ち、太宰治も夏目漱石も内田百間も新仮名遣いで読みました。だから旧仮名遣い、旧字体の美しさはまったくわかりません。たぶん、私が文語調に感じる美しさのようなものを、旧仮名で育った人は感じているのではないかと推測するだけです。聖書はやはり、「あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」よりは、「汝は塵より産まれしものゆえ、塵に還れ」というほうが感じがでる気がするのです。
 そんなわけで旧字体や旧漢字は、私にとっては無意味なハードル以外のなにものでもありません。屁理屈さんのように旧仮名遣いだけなら、まあスラスラ読めるのですが、やたらに画数の多い漢字が頻出する「闇黒日記」はちょっと読む気がしない。「ばりかめ」は内容が面白かったので、ハードルを越えて読む気になったのですがね。


1月14日(水)
 あなたは知っているか、パセラの「名古屋はええよ、やっとかめ!」の歌詞が変わっているという事実を?! 間奏の時間が減っている気がするし、どういうわけか「最初に蛸を食べたのは名古屋人だでね たぶん」が「最初にゴリラに命名したのは名古屋人だでね」に変えられているのだ。私は上野動物園の花子さんが最初かと思っていたんだけどな。どうせ変えるなら、ナナちゃんやグランパスも登場させてやってほしいものだ。

 私はMMORPGよりもMNORPGのほうが好きだ。


1月11日(日)
 「セロ弾きのゴスロリ」というのを思いついたがどこにも入れられず断念した。わざわざ断念するようなネタでもないような気がするのだが。「0匹のゴスロリ」のほうがよかったかもしれん。あるいは「ゴスロリ焼酎」とか。
 しかしゴスロリって言葉ほどキュゥトな感じがしない文字も珍しいね。ひらひらドレスの少女よりも黒眼鏡で葉巻を銜えマシンガンを構えた髭面の中年男をイメージさせる。ファッション用語というよりどっちかというと、「ゴジラ対ゴスロリ」とか「宇宙凶悪怪獣ゴスロリ」とか「肉食巨大暴君竜ゴスロリザウルス(竜盤目獣脚亜目カルノサウルス下目ティラノサウルス科タルボサウルス属)」とか「宇宙猿人ゴスロリ」のほうがぴったりくる。


1月10日(土)
 石川英輔などが江戸時代のリサイクル事情をほめたたえる本を出して儲けているようだが、あんなもん実行するのは単純だ。あんたの本を出版するなというのは前提だが、それはともかく、日本人の所得を、のきなみ今の十分の一くらいまで落とせばいい。
 そうすると食料や資材を輸入する購買力がなくなり、国内生産のみでまかなわざるを得なくなる。輸入途絶により綿や絹は高騰し、江戸時代のように、中産階級でも年に一枚の服を買うのがやっとという事態になるだろう。そのため衣服の価値が高くなり、古着市場は重要になる。さらに人件費はひじょうに低廉になり、すりきれた服や破れた靴下の布を解きほぐして、また布に仕立て直す再生布も、コストに見合った利益を得るようになるだろう。
 肥料も輸入されなくなるから、堆肥や人糞が重要な肥料としてふたたびクローズアップされる。江戸時代のように、近郊の農家が肥溜めを汲む権利を買いに来る世の中になるだろう。
 紙や紐といった資源も重要であるから、ごみひろいやどぶさらいという職業がふたたび重要になる。彼らの活躍により市内は、塵ひとつない清潔なものとなるだろう。
 もっともそういう理想社会が実現するまでには、日本の人口の三分の二は餓死し、およそ四千万人となることが予測されるが、そのくらいのこと、理想のリサイクル社会を実現するためにはささいな犠牲ですよ、ね。

 屁理屈太郎さんの日記はなくなったと思っていたのだが、どっかのリンクから発見して潜入に成功。雑文日記を書いていたのですね。
 その中で「こういう雑文はよくないと思う」と書かれていることのほとんどが私の駄文に該当することがわかり、面白かった。いや、本当に面白かったのです。私の駄文は雑文から分化して独自の方向に進化していかないものかとひそかに願っている(願っているだけで努力はしない)折でしたから。
 しかしなんだってわざわざ旧仮名遣いにしたのでせう。他にも何人かそういう人がいるけれども、その意味がわからん。本気でアッチの方が書きやすい妙な人種なのか、そちらのほうが美しいと信じているのか、それとも衒っているだけなのか。


1月9日(金)
 クサンティッペといえばソクラテスの悪妻として有名だが、悪妻になったのも仕方ないのかな、というふしがある。
 まず夫婦の年齢差がはなはだしかった。クサンティッペの正確な生年はわからないが、ソクラテスが死刑を宣告されたときに乳飲み子を抱いていたというから、そのとき年齢は三十を越えてはいなかっただろう。ソクラテスはそのとき七十歳だった。父親よりも遙かに年上の夫、しかもそんな歳になっても子供を産ませるほど好色なひひじじいだったのである。
 第二にクサンティッペだけがソクラテスの妻ではなかった。もうひとり、ミュルトという妻がいた。当時アテナイでは人口減が問題になっていたので、一夫多妻を議会で可決し、ソクラテスが率先してそれを実戦したのだ。しかし、その議案自体がソクラテスの提案であったという説もある。
 第三にソクラテスはモテモテだった。といっても主に男相手だが。ソクラテスが当時評判の美青年、アルキビアデスと相思相愛だったという話は有名である。あるときソクラテスに迫り、ベッドで同衾したが、ソクラテスは手を出さなかったという話を、アルキビアデスはうらみがましく語っている。しかしソクラテスもまんざらではなかったらしく、のちに戦争の功績をアルキビアデスに譲っている。
 最後に、クサンティッペは人間扱いされていなかった。いくら怒ってもヒステリーを起こしても、ソクラテスが相手にしなかった話はいくらも残っている。たとえばあるとき、クサンティッペ怒ってわめきたてたとき、「よくあんなうるさいのを我慢できますね」と言われたソクラテスは、「だってガチョウだってガアガアわめくけれど、みんなそれを我慢するじゃないか」と答えた。「だってガチョウは卵やひよこを生むから役に立つじゃないですか」と言われたら、「クサンティッペだって子供を産んでくれたから役に立つよ」と答えたそうな。
 夫は好色漢のひひじじい、よそに女をこさえて、しかも男にまで手を出している。おまけに自分のことを子供を産む機械扱いして、家事も手伝わずにそこらをほっつき歩いてはわけのわからぬたわごとをほざいている。そのあげくみんなに嫌われて死刑宣告では、そら怒り狂わない妻がいたら見てみたい。


1月1日(木)
 少林サッカーの主人公、いったいボウリングでどんな技を編み出したのか、気になってしかたがない。扇風脚でピンをなぎ倒すってのはナシだぞ。脚でボールを蹴るのもナシ。
 ふと思ったのだが少林サッカーの元ネタって、ひょっとしたら五味康祐の「一刀斎は背番号6」かもしれないな。武道の達人が他のスポーツに手を出して成功するという意味で。そういえば「侍ジャイアンツ」にも昭和の剣の天才児、太刀風兵庫というキャラクターが登場しましたね。

 田舎からおせち料理を送ってきたので、「八つ墓村」を見て田舎をしのびながらいただく。栗きんとん美味しゅうございました。サーモンの大根巻き美味しゅうございました。カズノコ美味しゅうございました。煮しめ美味しゅうございました。伊達巻き美味しゅうございました。カマボコ美味しゅうございました。梅干しの甘露煮美味しゅうございました。子を持って知る親の恩ともうしますが、子を持てない宿命だけになおさら感じる親の恩もあるのでございます。
 でも「八つ墓村」は犯人も動機も原作とは変わっていて、はっきりいって改悪でした。横溝正史の小説は、祟りや怨念としか見えないような不可解な犯罪が、実は合理的な財産めあてだったりするところが特色なのですが、八つ墓様の祟りだと思われていた殺人が実は代々の怨みでは、まるで京極夏彦の小説のようではないですか。不合理をもって不合理を説明するのでは、もはや推理小説とは呼べません。
 ちなみに「八つ墓村」は江戸川乱歩の「孤島の鬼」へのオマージュであるという説に、私はそうとうの自信を持っています。どちらも白痴かとおもわれた女性が人間的に成長して主人公の妻となるし、どちらも鍾乳洞での宝探しがあるし、どちらも探偵が刺身のツマ程度にしか登場しないし。


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