くだらな日記


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12月31日(火)
 銀行に行ったら今日は現金を受け付けないのであった。預金が少なくて振り込みできないし、すいませんしゃあさん、旅行代金は来年までお待ちください。
 新宿西口に讃岐うどんの「はなまる」ができてたので入ってみる。
 大晦日の朝十時、席は空いているのだがカウンターに十五人ほどの行列ができている。注文を聞いて店員がうどんを作り、客がそれを受け取って天カスやカツブシやショウガを入れ、隣の棚の天ぷらやコロッケを載せ、レジで精算して金を払う、これだけのことをするから時間がかかるのだ。それに比べ食うのは数分。
 かけうどん小(100円)にエビ天(120円)を頼んでみる。うどんの量は、蕎麦屋でよくあるカツ丼うどんセットのうどんくらい。つゆは薄味でいい感じ。ちょっとぬるかった。麺は柔らかめだが腰があるというか粘っこいというか、ちょっと大阪のうどんを思い出させる。なにより天カスが無料ってのがいいね。かけうどんだけで楽しめそう。

 司馬遼太郎「城をとる話」(光文社時代小説文庫)は幻の名作としてあちこちの書店で平積みされているが、ううむ幻ではあっても名作といえるかどうか。司馬遼太郎の本をぜんぶ揃えているような愛好家を除けばおすすめできない、というのが正直な感想。これまで文庫化されていなかったというのは、司馬氏本人が世に出すことを嫌っていたのでは、などと思ってしまう。
 そもそも解説によると、この小説は映画化の話が最初にあったらしい。石原裕次郎主演の「城取り」の原案を依頼して、この小説が書かれたそうだ。そこで勘ぐってしまうと、この小説、ひょっとして司馬本人はシノプシスを作っただけで、あとは映画の脚本家だった池田一朗がゴーストライターをやったのではないだろうか?
 と思いたいくらい、この小説は影が薄いのだ。たしかに主人公の車藤左は無償の奇妙な情熱に殉じるという、司馬好みのキャラクター。ライバルの赤座刑部は対照的に現実主義のリアリスト。この二者の対決は、そのまま「梟の城」の葛籠重蔵と風間五平、「風の武士」の柘植信吾と高力伝次郎に重ねることができる。しかし、生彩がないのだ。
 これは池田一朗の力量がなかったからではあるまい。なにしろのちに伝奇小説家・隆慶一郎として一世を風靡した人物である。ただ、司馬遼太郎と隆慶一郎、これが食い合わせのような関係で互いに魅力を殺し合ってしまっているのだ。
 司馬遼太郎といえばとにかく豊富な歴史知識で読者を煙に巻くペダンティズムが魅力で、小説そのもののストーリー運びよりも「作者、言う」に始まる余談のほうが面白いくらいだ。対するに隆慶一郎といえば、史実を無視した奇想天外な物語運びのハッタリズムが身上。ただ、両雄並び立たず。歴史蘊蓄を傾ければ奇想天外な展開は出せないし、ハッタリズムをきかせればペダンティズムは影を潜める。たがいに持ち味を出せず、ただ淡々と話が進むのみ。そんな小説。


12月30日(月)
 年賀状を書かないのはここ数年来のことで勘弁してもらうとして、せめて来た年賀状に返事くらいはしよう、と郵便局に葉書を買いに出かける。しかし、売り切れ。
 しょうがない、実は去年の年賀状がまだ余っているのだ。こいつを使うとしよう。なに、正月がめでたいのは去年も今年も変わるものではない。
 というわけであらかじめお詫び申し上げます。来年に私から届く年賀状はおととしのものですが、別にイヤミや恨みがあってのことではありません。私が世間からいかにズレているか、というバロメータのようなもの、と考えてご憫笑ください。
 ところで図案くらい考えておかないと。さて、来年は蛇年だったかな?


12月29日(日)
 めっきり年末となって更新するサイトも数少なくなってしまいました。たまに更新するサイトはラグナロクやヘルブレスなど鬼畜の集うゲーム系のみ。鬼畜には盆も正月もクリスマスもないということでしょうか。
 そしてこんな時期になってからぼちぼち更新しだす私。世間より数歩ズレているのか、ゲームこそしないがすでに心は鬼畜地獄に堕ちているのか。まあいいか、年賀状も書いていないし。というか買ってさえいないし。せめて返事用に数枚くらいは買っておこう。あと途中で放棄した大掃除の続きも。ラーメンとカレーを床いっぱいに広げて悦に入っている場合じゃないぞ。


12月21日(土)
 風邪はなおりかけだが、薬でももらおうかと思って駅前の病院へ出かけた。ところがこの病院、なんだか雰囲気が変だ。ふつうの病院の感じではない。
 ありゃ、受付にあるボードには、「精神科・メンタルケア」としか書いていないではないか。たしかイエローページで確認したときには、「精神科・内科」とあったのだが。看護婦さんに聞いても「うちは内科もうやってません」とのこと。ううむ、精神科のほうが儲かるので内科は廃業したか。
 ちなみに雰囲気が妙な原因はすぐわかった。ばあちゃんと幼児がいないのだ。みんな成人男女ばかり。たいがいの病院って、ばあちゃんが世間話をしたり幼児が走り回っていたりするのだが、精神科にはこの二大派閥の侵略は来ていないらしい。みんなおとなしく暗い表情でじっと順番を待っている。

 あしたからバンコクに出かけるので美食はそれから、日本では粗食で過ごそうと決意してずっと食パンとか牛丼とかで暮らしてきたのだが、きのう田舎から宅急便が送られてきてそうもいかなくなった。きのうは焼き牡蠣と焼きシイタケ、きょうは美作牛のすきやき。うう、うまい。うまいんだけど何かメリハリがつかないというか、明日からの美食へのステップになっていないというか。いっそ逆に、バンコクでスナック菓子ばかり食っていようか。「あき−ご」印の塩パパイアとか。


12月20日(金)
 風邪は小康状態。だが掃除は放棄。
 韓国大統領のノムヒョンって、なんか名前がかわいい。のむひょんとひらがなで書くともっとかわいい。阪神の前監督をかわいくしたような名前だ。野村監督もノムさんでなく、のむひょんという愛称で通せば阪神でも成功したかもしれない。著書も「負けに不思議の負けなし」とか「勝つために何をなすべきか」とかの硬いタイトルじゃなく、「のむひょんが勝っちゃうのだー。だー。だー(エコー)」とか、「克っちん軍団、のむひょんと愉快な下僕たち」にして。下僕一号ぜぶちん(ゼブラ今岡)、下僕二号いがたん(ゲーセン井川)、下僕三号むーちゃん(ヒゲムーア)、下僕四号のーりん(メッツ中村)。もちろんブロッコリーがアニメ化。

 夜、いきなり宅急便が来て慌てる。
 開けてみたらいきなり殻付き牡蠣がごろりごろりと。瀬戸内は日生の漁港で買った新鮮牡蠣を親が送ってくれたのだ。
 さっそく牡蠣オフを、と勇むが、考えてみればそんな昨日今日ですぐに糾合できる人員もあるはずがなく、やむなくひとりで消化することに。
 さすがに宅急便だから生は避けて焼き牡蠣に。炭火をおこしてコンロの網にのせてくつくつとしてきたらレモンとだいこんおろしをたらしていただきます。ちびっとだし醤油をたらすのもいいけど、そのままでもいい。ふと思いついてナンプラーをちびっと垂らしてみたら、それもまた美味。いっしょに送ってきたシイタケも焼いていただきました。こちらもぷりぷりしてほのかに甘くて美味。


12月19日(木)
 慣れない掃除などして窓を全開にしたのが悪かったのか、焼酎のヨーグルト割りを三杯(コップ大)飲んだのが悪かったのか、その酒の勢いでひとさまのネットラジオを聞きながらはじけてたのが悪かったのか、どうやら風邪をひいたらしい。発熱、咳、鼻水、筋肉痛、吐き気。熱は三十七度とたいしたことはないので、インフルエンザではないらしい。
 ううむ日曜日から外出するので、できるだけ早く治したいのではあるが、近所の内科はきょうあす休診らしい。とりあえず薬を飲んで暖かくして酒をひかえて、様子を見よう。土曜日まで調子が悪かったら病院へ行こう。ああ、ベッドのある部屋だけでも掃除していてよかった。
 しかし食欲はあるのにそれを身体が受け付けないのはつらい。自分の身体への要望だが、吐き気があるときには食欲もなし、とか調節してくれないだろうか。
 ええい、食いたいのだからその欲望に身を任せよう。じぶんに素直になろう。後のことなど考えないでいよう。……だからといって油をたっぷり使った大盛り牛丼なんて作るなよ自分。ぜんぶ食うなよ自分。そして予想通り気持ち悪くなるなよ自分。


12月18日(水)
 プチ大掃除。大なのか小なのかどっちなんだ。
 まず自室の埃がそろそろ許容限度を超えてきたので、まず本棚やらビデオラックやらにハタキをかけたら、もうもうと埃がたちこめて全身にアトピーが発症した。これはいかんと思い、窓を全開にしてマスクをして掃除機をかけ、落下した埃ともとからある埃を吸いまくる。
 そして換気扇。台所の換気扇カバーを外してみたら、なんというか黒くてどろどろしてねばねばしたもので覆われていて、触ると接着して手から離れない。まるでゴキブリホイホイのようだ。考えてみれば入居してから約五年、フィルターを交換したことこそあったものの、カバーの掃除はしたことなかったもんね。おまけに、ここ二年はフィルターを使っていなかったし。きっと、ニーナの換気肺もこんな具合になっているのだろう……涙。
 こやつはどうにも取れるような汚れではなかったので、浴槽にぬるま湯を張って洗剤といっしょに一時間放置し、浮いてきた汚れを歯ブラシでこすりとって、なんとか許せる程度にして完了。換気扇もどうやら同程度汚れているようだが、外しかたがわからないので今回は温かい目で見守る。
 それからトイレも、ずっと水の出が悪かったので調べてみる。説明書を頼りにスパナだとかドライバーだとかを駆使して解剖してゆくと、どうやらこちらもフィルターの目詰まりが原因のようだ。水の石灰質がフィルターに沈着しているので、こすり落とすと水がよく出るようになった。
 そして浴槽の換気扇フィルターも外してみるが、こちらはエアコンのような良性の埃が詰まっているだけだったので、水洗いで一件落着。
 で、これだけ掃除すると、いろんなゴミが流れるため、今度は洗い場と浴室の水はけが悪くなってしまった。またこれもフィルターに詰まった大量のゴミを取り外して、今日はここまで。あと自室以外の掃除と窓拭きとトイレと台所が残っているのですが。
 たいした運動量ではないのだが、中腰になったり身体をよじったり、無理な体勢での作業が多いのですっかり疲れてしまった。主婦って大変ね。

 アトピーだと暴露されてから、私もそれなりに勉強してみた。とにかく油ものが悪く、香辛料も悪く、生野菜も必ずしもいいとは限らないらしい。悪いばかりではないか、と思ったがさすがにそうではなく、たとえばヨーグルトなどはいいらしい、腸内の悪役細菌を駆逐し、体内のバランスを正常化する働きがあるとか。
 それを聞いてすぐ、ビフィズス菌錠剤を買ってきた。それを食後に飲む。それからヨーグルトも買った。固形のはめんどくさいので、ヨーグルトドリンクを買った。今までは焼酎をジュースで割っていたのだが、健康を考えて焼酎のヨーグルト割りに転向した。これはこれなりに甘酸っぱくて飲みやすい。酒がどんどんすすむ。さて、これは健康にいいのだろうか?


12月17日(火)
 奇書「新選組の哲学」(中公文庫)の著者、福田定良さんが先日亡くなられたことをはじめて知りました。新聞読んでなかった。心からご冥福をお祈りします。


12月9日(月)
 陳舜臣「インド三国志」(講談社文庫)を読み返す。
 最初読んだときはなんだかややこしそうで、話がよく頭に入らなかったのだ。最初の王位争いのところを、ベルニエ「ムガル帝国誌」(岩波文庫)と読み比べ、地図を書きながらようやく理解する。
 この本が同じ作者の「秘本三国志」「曹操」「諸葛孔明」など本家の三国志ものにくらべ、難しく思えたのは、ふたつの理由があると思うのだ。
 ひとつは元の物語の違い。三国志は数百年にわたって語り継がれた物語を元にしている。だからもともと、面白い逸話も豊富だし登場人物のキャラも立っている。それに比べ、「インド三国志」の元は実話の歴史だ。キャラも物語も自分ではじめなければならない。陳舜臣がいかに有能でも、数百年のあいだ語り継がれ磨き上げられてきた物語には勝てない。
 もうひとつは固有名詞だと思うのだ。
 「インド三国志」では、アウラングゼーブだとかアクバルだとかシヴァージーだとかのややこしい横文字名前がやたらに登場し、ひじょうに覚えにくい。ええと、このシャーイースタ・ハーンって野郎は、前の章に登場したっけ、などと乏しい記憶を頼りに読み返したりする。従ってわかりにくい。
 それに比べると三国志は、曹操、孫権、劉備、諸葛孔明、関羽、漢字できわめておぼえやすい(もっともそれですら、孫権と孫堅をしばらくごっちゃにしていたのだが)。
 やはり同文のよしみで、漢字名前がいちばん頭に入りやすく親しみ深いのではないかと、私は思うのだ。三国志がソーウ・シャーとかスワン・カーンだとかシューカリャグャー・クーンミョーンだとかいう登場人物だったら、今ほど萌える人が多かったかどうか。
 そういえば現地名優先ということで朝鮮半島の人名を日本語漢字読みしなくなってから久しいが、あれからなんとなく朝鮮半島が縁遠いもののように思えてきたのは私だけだろうか。金大中と呼ばれていたころのあの人は、とても親しみが持てたのに。キムデジュン大統領などと呼ばれるようになってから、ふーん勝手にすればどうでもいいや、となんだか冷淡な気分になってしまった。


12月7日(土)
 昨日はしゃあさんとこにお邪魔してネットラジオをやりました。とはいってもただの宴会実況中継。酔っぱらったkasumiさんの魅力にメロメロになった数名がkasumi教団を設立した模様。教祖kasumi、本部長おきかげ、幕僚本部長徳田、宴会本部長下条。

 きょう放映したK−1の試合は面白かった。ヘビー級の肉弾相打つ戦いは、かつてのジャンボ鶴田対テリーゴディを思わせるものがありました。ただ、サップに負けたホーストがサップの負傷棄権で敗者復活し優勝というのは納得いかない。ま、そもそも、仮にも真剣勝負を名乗る試合を、一日に何試合もやるなんてワンデイトーナメントに無理がありすぎるんだけどね。石井館長、興行師としてのセンスは天才的なんだが、選手の体調を思いやるとか選手生命を心配するとかいうところが皆無なんじゃないかと思えるんだよなあ。
 ちなみにボブサップの試合のときアナは「さあボブサップ! 今度は真剣勝負の舞台です!」と絶叫していた。フジテレビとしてはK−1は真剣勝負、全日本プロレスのW−1はファンタジーなエンターテインメントということで売り出しているわけですね。よくわかりました。


12月1日(日)
 ラグビー早稲田明治戦を見る。しかし関東大学対抗のチームは、早稲田を除くとみんな肝心なところでポカをするので見ていてあまり楽しくない。早稲田はそつがないが、敵の失策を待つ野球のようでいまひとつ面白くないし。
 早稲田がPKを狙ったときに明治の応援団が騒いだのにふれて、解説者が「ラグビーは紳士のスポーツですから、いいプレーは敵味方問わずに讃えなければいけません。サッカーじゃないんですから」と言ったのはちょっとひどい。ラグビーとサッカーが別れたのはそんな昔の話ではないだろ。せいぜい明治維新のころなんだから、そんなに敵視しなくても。

 ところで11月29日の日記のことなんですが、日付だけ見ると私がまるで後出しジャンケンでしかもイヤミを言っているみたいなんですが、そんなことはありまっしぇん。私は無実です。あのときはまだ読んでなかったのです。本当です。信じてくだっしゃい。


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