くだらな日記(2002年9月)


最新日記へ


9月29日(日)
プロット破綻雑文祭の縛り
 1.プロットが破綻していること
 2.登場人物が誰か死ぬこと
 3.最後に天変地異に類したことが起こって事態が無理矢理収拾すること
 4.途中で文体が変わること

 ……全部ウチの「☆ジュンのパステル学園☆」にあてはまるやんけ。喧嘩売っとんのか。バトル上等と合体するか? あぁん?

 5.とにかくごめんなさい

 ……それはどうも。

 追記。怒ってません冗談です。本気にされた方がいたらごめんなさいごめんなさい。半茶さんいつも楽しみに読んでいます。すみませんすみません。

 しかし私ってそんなに怒りっぽく見られているのでしょうか。当然ですね。しょっちゅう怒って文章書いているからな。このままでは四十にならずして「雷親父」とか呼ばれてしまいそうです。
 しかし私なんてまだまだです。こんな私にもメールが来ることがあるのですが、その中に「○○さんに聞こうとおもったのですが、なんだか怖くて」「○○さんにメールしたら怒られそうなので」「○○さんは和田アキ子と呼ばれているというのを聞き、びびりの私としてはちょっと怖くて、筋違いとは思いますがこちらにメールしました」などと書いているのです。ええ数通。
 本人の名誉のため○○さんの名前は教えられません。私だって生命は粗末にしたくない。


9月28日(土)
 朝、ふとTVをつけると、昔の辻元清美みたいなのが遺影を抱いて歩いていた。これはひょっとして北朝鮮のドラマなのかなと思って見ているうち、ツメエリの男子学生がわらわらと登場したので日本のドラマだとわかった。NHKの連続テレビ小説「さくら」だったらしい。でもなんか演出とか北朝鮮っぽいんだよな。無理矢理感動を盛り上げるところとか。とりあえず民衆を出してごまかすところとか。これずっと見ていた人、洗脳とかされてないんだろうか。え、連続テレビ小説を見るような人は、もともと洗うものがない? 私はそこまで言う気はないなあ。


9月26日(木)
 「アンの結婚」という映画がすごいらしい。
 もともと大坪さんのサイトで知ったのだ。アンのシリーズ映画第三作。ところが比較的原作に忠実だった前二作に比べ、今回はまったくといっていいくらいのオリジナルストーリー。公式サイトで紹介されているストーリーを要約してみよう。
 「赤毛のアン」から数年後。プリンスエドワードで教鞭をとっていたアンは医師になったギルバートとともにニューヨークへ渡る。そこで雑誌記者となり、書いた小説が認められてデビュー寸前となるが、某盗作作家に盗作されオジャン。傷心を抱いて故郷に帰るが、マシュウもマリラも死に、グリーンゲイブルスは人手に渡ったうえ放置されて廃虚となっていた。そのころ勃発した第一次世界大戦に、夫ギルバートは軍医として従軍。フランス戦線で行方不明となる。たまりかねてフランスへ渡ったアンは、そこで秘密指令を隠し持った兵隊と知り合い、ふたりでスパイとして砲弾とどろく最前線を駆け抜けるのであった。数々の危機一髪を得意の機転で切り抜け、ついに秘密指令を果たすアン。そして休戦。捕虜となっていたギルバートも解放され、アンとギルバートはプリンスエドワードへ帰ろうとするが、そこで意外な事態が……。
 わはは。アンシリーズとエミリーシリーズと作者モンゴメリの自伝とをぐちゃぐちゃに混ぜ、それにモンゴメリ初期短編のご都合主義とムチャクチャな展開のテイストをふりかけ、隠し味に「キャンディ・キャンディ」と「007」と「パールハーバー」を溶かしたような話だ。これ、まじめに作ったとしたら凄いな。
 実際に見た人の意見では「騙された」「もう見ないよ!ウワァァァン」というのが大半だったとか。そらそうだな、アンを見に行ったのに三流戦争アクション見せられるなんて、宮崎アニメを見に行ったら小汚いヒゲオヤジが出てきてエコと地球共生についてくだらないご託宣を垂れるのを聞かされた、というくらいの詐欺だ。
 いちおう共通見解としては「これは原作とはまったく関係ない。まったく違う映画として見るか、あるいはアンシリーズのキャラクターだけを借用した二次創作戦争やおいストーリーだ」ということらしい。ここまで言われると、ちょっと見てみたくなる。アンとダイアナのレズシーンとか出てこないだろうか。あるいはレイチェル夫人とマリラの……いや、これは見てみたくない。


9月25日(水)
 いろんなところで書いてきた龍成さんがらみの話ですが、ネットでの発言はここで中断します。雑文祭主催者や参加者への迷惑を考えて。今後はこそこそとオフラインもしくはメールで発言します。反省しとらんなこいつ。
 「荒らされずに温和に楽しみたい」という参加者の一部の人の気持ちもわかるし、なにより雑文祭のこの騒動へのスタンスについて語ることは、一参加者の権限を越えた言動ではないか、と思うようになったのです。
 もしやるとしたら、自分が主催する「バトル上等雑文祭(仮題)」でやりましょう。やりましょうって、そんなの参加者が十人もいないような気がするが。


9月24日(火)
 雑文祭に関する論争は、なんだかドツボにはまりつつあるような。他人の掲示板で書こうとしたのだが、ますます誤解を呼びそうになったので思いとどまった。だからここで書く。でもそれも卑怯な気がしてきたので、やっぱりこの日記の一部を当該掲示板に書き込むことにした。<どっちやねん。最悪の決断のような。
 まず最初の龍成ナミバトルについては、雑文祭主催側としてはまったくタッチしていないでしょう。雑文祭主催者としては場を提供しただけで、内容についての論争は、あくまであの文章を書いた龍成さんと、不快感を感じたナミさんの間の事柄です。こういう書き方を「切り捨て」と感じて冷たいと思う人もいるかもしれませんが、文章はあくまで書いた人の責任に属するものであり雑文祭に参加したからといってその責任が移動するものではありません。
 その後の海さんについては、私もよくわかりません。もし私に迷惑がかかると思って登録削除されたのだとしたら、それはまったく無用です。<自意識過剰か
 龍成問題から派生して「こういう文章は雑文祭にふさわしくない」と退去を要求した人の件ですが、私もこれはやりすぎだと思いました。登録削除の必要があるとは思いませんでした。雑文祭にふさわしくない文章だったら今まで私がさんざん書いているし。他人弄りだっていくらも書いているし。楽屋落ちだって書いているし。<あんたが出ていけば丸く収まるんじゃないか、という気がしてきたぞ
 ただ「雑文祭に参加した仲間じゃないか」という屁理屈さんの主張には若干違和感を感じました。雑文祭というのは、極言してしまえばリンクサイトとたいして変わらないものだと思います。現実世界で言えば、風来坊たちが集まるユースホステルみたいなものか。当日だけお月見をして、明日はどこへ行くかわからない連中のたまり場です。それを仲間扱いして、メールや葉書を送ったり、みんなで助け合おうぜ、と言ってみても、あまり意味のないことだと思います。
 こういう事を書いてまた火種を投じる結果になったら、と危惧する気持ちはわかりますが、そこはこらえてつかあさい<やや私信。雑文祭を主催するということは、ある程度こういうもめごとを受け止めるのも業務の内だと思います。事なかれで済ますより、ここはじゅうぶんに論議を尽くしたほうがいいと思います。論議というのは、悪いことではないと思いますよ。
 今回ひとつ勉強になったと感じたのは、テキストサイトの人々と雑文書きとの温度差みたいなものを感じられたことかな。雑文書きというのはひねくれているので、「月見」というテーマを与えられると、なんとかして月見とまったく関係ない文章を書いてやろう、むりやりでもいいから月見以外の話にしてやろう、と情熱を燃やすものなのですよ。そういうのを、テキストサイト読みの人は「ぜんぜん月見じゃない。主旨を理解していない」と怒る。そのへんの違いを感じました。


9月23日(月)
 なにをもってオヤジと認定するかについてはいろいろと意見もありましょうが、私に関しては三十五くらいが分水嶺だったような気がします。カラオケが判断基準のような気がします。
 つまり、三十五までは、カラオケで歌うのはウケを狙うというのが根本にあったのですね。最近のヒット曲を歌うにせよ、昔のマイナー歌謡を歌うにせよ、コミックソングを歌うにせよ、他人に聞かれることが前提でした。
 ところが三十五を過ぎたころから、そういうのがどうでもよくなってきました。いいじゃん、自分が歌いたいのを歌えば。自分が歌って気持ちいいのを歌えば。という感じで、投げやりな姿勢になってきたのですね。
 ちなみに三十五になる前は替え歌をよく歌っていました。ハラ君といっしょに「ダーウィン」などというのを作っていたなあ。

 突然変異してくれ 遺伝子組み替えてくれ
 たそがれに淘汰されてくれ
 その首を長く伸ばされてくれ
 ダーウィン ダーウィン ダーウィン
 進化がわかったと言ってくれ
 世界中に発表してくれ
 あなたが元祖 あなたが本家 あなたが親分
 ダーウィン ダーウィン ダーウィン
 進化はもうあなたしかない
 ラマルクが来ても キュビエが来ても オーウェンが来ても 
 コープが来ても アガシが来ても ルイセンコが来ても
 進化はもうあなたしかいない
 ダーウィン

 ちなみに同じ元歌で「スターリン」「マリーンズ」というのもあるのですが、同じような歌詞なので省略。

 「ちびまる子ちゃん」のアニメが始まった頃には、ハラ君が「こういうのを作ってみました」と歌ってくれたっけ。

 どいつもこいつもみんな ぼくより劣っているよ
 戦後のドサクサでおおっと インチキおじさん登場
 いつだって忘れない ヒトラーはユダヤ人
 そんなの常識(たったたらりら)
 ぴーひゃらぴーひゃら(たったららら)
 ぴーひゃらぴーひゃら(劣るユダヤ人)
 ぴーひゃらぴーひゃら 金歯がちらり(たったたらりら)
 ぴーひゃらぴーひゃら(たったたらら)
 ぴーひゃらぴーひゃら(送るアウシュビッツ)
 ぴーひゃらぴーひゃら
 ユダヤが減ったよ


9月22日(日)
 ひさしぶりにK−1の中継を見ておどろく。
 マイク・ベルナルドの試合。「負けたら即引退」という、どこかで聞いたようなキャッチコピーといい、2ダウンを奪われてふらふらになりながら逆転KO勝ちを決めた試合ぶりといい、まさにプロレスそのまま。
 他の試合も、前のように一撃必殺というのではなく、ダウンの応酬が多かった。四天王プロレスのようなバチバチの打ち合い。KOのチャンスでも、わざとケリをつけないような仕草も感じられたし。判定ドロー延長戦が多いのも、四天王時代の60分フルタイムドローを連想させる。石井館長は全日本プロレスと提携しているが、そういう試合がしたかったのかな。いまひとつ期待に応えられない武蔵は、昔の田上明の役どころかな。
 今後のプロ総合格闘技界は、新日本プロレス+PRIDEと、全日本プロレス+K−1の二大勢力で、ともにプロレス化を進めていくのだろうか。そして孤立するNOAH。あてどなく漂うNOAHに、ZERO−ONEは救いの手をさしのべるのだろうか。純プロレス連合。小川直也の印象が強いけれど、強豪外人とかベルト強奪とかトップに牙をむく若手とか、いちばん昔のプロレスっぽいことやってるのは、ZERO−ONEなんだよね。


9月21日(土)
 頼むから海凍音さん、「正しく年を経た」とか言わないでください。さっきから耳鳴りのように私のココロの中で断罪が行われています。「オマエはこの四年間何をしてきた?! どう生きてきた?! 生きてきたのか!! 生きてきたと言えるのか!!! オマエの人生は何だ、何だ、何なのだ!!!」

 ……ええと、ちと気を取り直して雑文界の話でもしましょうか。私がその任にあらずということはわかっていますが、でも私ですらすでにネット雑文界の故老なんですよね。とほほ。ひとつジジイの懐旧談&自慢話だと思って。

 まず「雑文館」ありというのは動かせないでしょう。今はなき新屋さんのサイト。ここで雑文の面白さに目覚めた人も多いかと思います。ここは、1996年あたりからの稼働でしたっけ。実際にはその前にパソ通時代というのがあって、新屋さん、おがんさん、みやちょさん、ぽいうさん(当時のハンドルネームはマジン)、といったところがニフティで「いかに面白い文章を書くか」というのに精進していたらしいのです。同じ頃、ニフティの違うフォーラムでは、田口ランディが大口叩いていたんですよね。私が小説を書くなら、このへんを面白おかしく書いてみたいなあ。
 私が「雑文館」をはじめて見たのは、1997年ごろでしたっけ。仕事がらみで検索していて、「がんばれ!ゲイツ君」というパソコンサイトのリンク集から辿っていった「ひまわり戦記」がはじめでした。そこで、「ああ、ネットでもこんな面白い文章を書く人がいるのか」と、新屋さんはじめ、新屋さんのリンク集からどんどんと雑文サイトを追いかけて。
 雑文界の最初は、いまの日記才人の前身である「日記猿人」にある、ということでいいのでしょうか。そのころ日記猿人には、新屋さんはじめ、みやちょさんの「みや千代日記」、うえださんの「補陀落通信」などが存在していました。まあ、この三人が雑文御三家でしょうか。
 御三家に影響されて、雑文を書き始める人が徐々に増えてきました。「それだけは聞かんとってくれ」のkeithさん、「大西科学」のジャッキーさん、「どーでもいいコトを真剣に考えてみよう」のにょしかわさん、あたりが第二世代でしょうか。このへんの人物によって、伝説の第一回雑文祭「ある朝突然に」が開催されたんですよね。あれはびっくりしました。
 このころ、雑文サイトの多くは、リードミーに登録していたのではないかと思います。日記猿人から離れて。ところがそのころから、リードミーの上位がエロサイトとゲーム系ニュースサイトに占拠されてしまったんですよね(そのころはまだネット系ニュースサイトというものはなかった)。そんなわけで雑文サイトの多くはリードミーを離れ、新屋さんがやっていた登録型の「勝手にリンク」、その発展系の「オフィスの友」に参加したのではないかと記憶しています。私のサイトの「オフィスの友海賊版」は文字通りそのパクリです。
 さらにここから派生して、雑文サイトがいっきに増えたのが1998年ごろだったと思います。keithさんの後輩である「森で屁をこく」のlouさん、貧乏ミュージシャンが売りだった「破竹の勢い」のいっしょうさん、文章の破綻しかたがすばらしかった「203号室」のやかたさん、などなど。
 むろん、この流れとはあまり関係ないところでも雑文は動いていました。もっとも大きいのは「我が妻との闘争」で有名な呉さんのアミーゴ人脈でしょうか。「MICK WORLD」のMICKさん、「湘南から元気倶楽部」の静炉厳さんなど、こちらも多士済々。独立系では「もんちゃんのKnowみそ」も見逃せません。
 1999年ごろに暇な職場に飛ばされたのをきっかけに私がはじめたのが「雑文日記」です。あれは「日記猿人」によくあった「日記読み日記」がパクリ元で、なかでも夜久さんという人がやっていた「BOWDO」が手本でした。騒動大歓迎というあの方のキャラには、いまも影響されています。たぶん、龍成さんもあの方の呪縛から抜けきれないのではないかな。
 文章あんまり読まない、脊髄反射で反応する、批評するよりネタをくれ、をモットーに始めたいいかげんな企画でしたが、なぜか一年余続きました。なぜか続けてくれた奇特な方がいらっしゃるのですが、いいかげんな態度をとることができないためか長くは続きませんでしたね。今の四号館はほどよくいいかげんなので、けっこう長いかも。
 雑文祭は第二回からオープン参加となり、第三回か第四回で参加雑文が百を超えたと大騒ぎしていたのではないかな。あのころ、ネットで日記でも意見でもない文章を書くサイトが百はなかったのですよ。雑文系サイトプラス、日記系サイトの奇特な方の参加で、ようやく百だったと。
 だから、雑文サイトというのは、いまも昔も、栄えたことはないです。生物進化におけるクマムシのような存在でしょうか。ほそぼそとしているのにやけに打たれ強くしぶとい。
 つーわけで私は故老ではありますが、雑文界を代表しているわけではありません。もちろん。当然。代表するべきひとは他にいっぱいいますが、正しく歳を経てしまったせいか、このころの雑文祭にはお出でなされていないようです。いやまあ、コップの中とはいえ、それなりに嵐があったりはしたのですよ。
 ま、そういうことで。


9月20日(金)
 「北朝鮮に消えた友と私の物語」(萩原遼・文春文庫)を読む。去年買ったのだが、ちょっと読んで投げ出していたのだ。
 在日朝鮮人だった友人が帰国してからの足どりを追う話なのだが、ううむ、正直言ってあまり説得力がないのだ。
 著者は赤旗の平壌特派員をやっていたとき、旧友の消息を聞いて回っていた。そのとき、金英三という人から友人が来ていると連絡を受けるのだが、それは罠で、著者を逮捕し投獄する囮だったと書いている。ところが、その証拠はまったくないのだ。ただ「何かいやな感じがした」「本能的な恐怖を感じた」という、ただそれだけ。
 のちに日本人妻として来日した福間浩子なる女性もスパイで、著者に謀略をしかけてきたと書いているが、こちらも当然のように証拠まったくなし。名指しでここまで書くのなら、しかるべき根拠を提出すべきだと思うのだが。
 ただ、北朝鮮の外国人警戒の雰囲気や、帰国事業の根底にあった在日朝鮮人内の主導権争いの話などは興味深い。平壌では地図も手に入らないし、一般住民と外国人との接触は許されない、なんてくだりは、ジョルジュ・ボリトリが「スターリンの死」(ハヤカワ文庫)で書いていたモスクワ風景とまったく同じ。ま、北朝鮮がソ連をお手本にしたのだろうけど。でも記事をいちいち検閲しないだけ、北朝鮮の方がややゆるいか。


9月17日(火)
 北朝鮮に拉致された日本人のうち、六人死亡、四人生存ですか。まあ、あの国だととくに虐待しなくてもそのくらいの死亡率達成できるんでしょうね。
 李恩恵はまあ、生かしておけばラングーンテロとか大韓航空機爆破とか、ヤバい部分の証言が出てくる可能性もあるから、生きて日本人の前に出すわけにはいかなかったでしょうな。韓国で生きている金賢姫のコメントが聞きたいものです。
 それにしてもこういうショッキングなニュースを最初に流すということは、これさえ乗りきれば首脳会談はうまくいく、と小泉内閣が考えたのでしょう。この問題で被拉致者親族や自民党内反対派などの最大の難関を突破さえすれば、国交正常化は成功する、と計算して。したたかですからね小泉は。遺族がヒステリックに泣いたくらいでどうにかなるようなタマではない。
 下の者に責任を押しつけて逃げた金正日は、もっとしたたかだが。軍部などが独走してやったことだって。あんた、映画監督の申相玉と女優の崔銀姫(怪獣映画プルガサリコンビ)を拉致したのは、明らかにあんたの命令だろ。


9月16日(月)
 満月の夜に団子でなくうどんの話をするのは時季に逆らう詐欺のような話だが、そもそもうどんを愛する人は世間に意外なくらいいるもので、それは私がこれまで書き散らした駄文の中でもっとも抗議のメールが多かったのはhideの自殺の話でも天皇の話でもなく、うどんの悪口だったことからしてもわかることだが、それにしてもやっぱり讃岐日帰り旅行でうら若き乙女が一日に九軒の製麺所を回ってうどんを八杯食べた、デザートにうどんアイスなどという面妖な食品を摂取した、などと聞くと、いかに普段は一日あんぱん二つで過ごすすきっ腹とはいえ、こいつやっぱりどうかしとんのちゃうか、などとつい思ってしまう。
 そのくらいうどん将軍とかうどん大臣とかうどん女帝とかうどん大帝とかうどん元帥とかうどん官女とかに満ち満ちている世間であるから、そのうち千麺女王とか麺テルとかクイーン麺ラルダスとかが大集合して女性限定うどんオフを開催しても不思議ではない。
「私の名は麺テル……お月見の夜にも団子でなくうどんを食う女……」
「いいのよ月見うどんだから……私は千麺女王……私は……ラーメタルでありながら……ラーメンでなくうどんを千年間食い続けた……」
「私の名は麺テル……機械麺爵に対抗し手打ちをこよなく愛する女……鉄郎、もっと力を入れて小麦粉を踏みなさい……コシが弱いわ……」
「私は宇宙をさすらいながらうどんを食う、クイーン麺ラルダス……! 命果てるまで、私の心はうどんとともにある……! トチローよりもこのうどんが……私の血を熱くわきたたせる!」
「うどんにはカマタのだし醤油をぶっかけるだけで食べる……それが私たちの哀しいルール……」
「鉄郎……うどんは湯きりをして……いったん冷水で揉むのよ……いいわね……おかわり……」
「まずい、このままではうどんが尽きてしまう……! 麺テルは食べる速度を落としなさい!」
 などといいながらうどんを食べ続ける女性たちの体型を見ると、やっぱり丸かった。


9月15日(日)
 「怪著」という言葉がもっとも似合う本として、福田定良「新選組の哲学」(中公文庫)を推薦したい。
 タイトルから想像すると、新選組の尊皇思想と佐幕思想のせめぎあいだとか、新選組の組織論だとかを書いているように思えるが、そういうことは一切書いていない。著者と見知らぬ老人との会話を発端として、土方歳三や沖田総司、斉藤一といった新選組隊士たちが妙に呑気な会話を交わしているだけである。
 実はこの著者、実際の新選組についてはほとんど知識がないらしいのである。すべては司馬遼太郎の「新選組血風録」と、それをNET(現テレビ朝日)がテレビドラマ化したものからの情報なのだ。これについては著者も、「この本に出てくる新選組の隊士は実在の人物ではない。二十数年前、司馬遼太郎氏の『新選組血風録』を何度か読み返し、そのころNETから放映されていた同名の連続ドラマを見ているうちに、いつの間にかぼくのなかに根をおろしてしまった隊士たちである」と書いている。
 つまりこれは、司馬遼太郎の「新選組血風録」とそのテレビドラマに感動したミーハーによる二次創作、すなわち新選組やおい物語なのだ。昭和四十九年に書かれたというから、先駆的やおい作品といえよう。
 このミーハー的やおいスタンスと、当時五十七歳で哲学教師という著者のキャラクターとのアンバランスが、巧んでか巧まずしてか奇妙なユーモアをかもしだしている。篠原泰之進が知ったかぶりの外国知識をひけらかすところや、斉藤一の訓話に土方歳三がツッコミをいれるところなど抱腹絶倒。
 残念ながら絶版らしいのですが、古本屋で見かけたらぜひ読んでほしい本です。


9月14日(土)
 高校生のころ「いまからキリスト教徒に改宗するとして、どんな洗礼名にされたらいちばんイヤか?」という話題をしたことがありました。そのとき、ダントツで「イヤな洗礼名第一位」に輝いたのは「ヤコブ」でした。
 ヤコブ。いかにも語感が悪い。木の瘤みたいな名前で、いかにもあか抜けずどんくさそうだ。おまけに最近では牛や羊にはびこるイヤな病気にまでこの名前をつけられて、ますます印象が悪くなっている。
 洗礼名はガブリエルでもウンブリエルでもラケルでもヨハネでもいい。バラバやユダやピラトと名づけられるのも許そう。だけどヤコブだけはカンベンして。ヤコブ絶対拒否。ヤコブだったら東北福祉大に進学します。こんな洗礼名をもらってしまったら、思わず十字架をふんづけてしまいそうだ。
 もっともヤコブは英語ではジェイコブス、ドイツ語ではヤーコブとなるので、怪奇小説「猿の手」のW・W・ジェイコブスもヤコブの仲間になるのですね。作曲家のメンデルスゾーンもヤーコブ・ルートヴィッヒ・フェリクス・メンデルスゾーン・バルトルディという長ったらしい名前だからヤコブの一員です。こんなにも偉大な先人がいるのですが、でもヤコブはイヤだ。イヤだあぁぁぁ。
 全世界にいるかもしれないヤコブさん、ジェイコブスさん、ヤーコブさん、ごめんなさい。

 おめーら、いい加減につまらん話題で大騒ぎはやめやがれの三タ。貴乃花、タマちゃん、多発テロ一周年。

 きょうから日本テレビでプロレス情報番組「コロッセオ」が再開。しかしテレビ朝日の新日本プロレス中継とかぶって、ただでさえ少ないプロレスファン人口を二分してどないすんねん。それとも新日本プロレス潰しか。もしくはノア中継消滅の兆しか。金曜日コロッセオ、土曜日新日本、日曜日ノア、月曜日WWEという棲み分けがいちばんありがたいんだけどなあ。とりあえず今日は、阪神が頑張って野球中継を四十分延長にしてくれ。と、阪神に望むのも空しいか。

 なんだか今日は追記が多いな。
 ふと思い出してしまったのだが、数年前タイに旅行に出かけたときのこと。
 ピーピー島のプリンセスリゾートというホテルに泊まったのだが、なんか島中欧米人だらけで、どうにも心細かった。申し込んだ島巡りツアーでは劣等人種扱いされていたし。
 そんなとき、ホテルのガイドというか、案内人をしていたタイ南部出身の人間が「日本の本あるよ」と言って持ってきた本は、静岡県のどこかの市長が書いた自費出版めいたもの。なんか五十過ぎて富士登山をやり遂げたとか、どうでもいい話満載。
 でも読みましたよ。他に読むものなかったし。
 それにしても不思議でならないのは、あの本を寄贈していった人間はいったいだれなのか。あんな本をわざわざ外国まで持っていく人間はだれなのだ。
 今でもあの本はプリンセスリゾートにあるのだろうか。誰か確認してはくれまいか。


9月13日(金)
 横綱は 気楽な稼業と きたもんだ
 一年以上も 休んでいても
 無理したフリで 出場すれば
 テレビも客も 応援するのさ
 チョッコラチョイと 番付は落ちゃしねェ
 アッソレ ヤオで行こうぜ ヤオでね
 ア 安易な感動ドラマ 行きましょう


9月12日(木)
 ネットラジオがこの業界で(どの業界だよ)流行しているようですね。あんな人やこんな人が放送していたり。うふんあはんなセクシー系放送あり、おばさんの世間話風あり、自分のサイトの裏話系あり、学生の自慢話風あり、芸風もさまざまなようです。
 そんななかで共通しているのは、みんな「自分ひとりで喋ること」に戸惑いを感じているようですね。
 リアクションがないというのはつらい。自分の話していることがうけているのかいないのか、話をこの方面に持っていっていいのか、判断がつけづらいからです。リアクションをもらうことによって、自分の喋るペースを整える効用もありますから。本物のラジオ放送なら、横にアシスタントがいて、とりあえずリアクションをしてくれる。たけしのオールナイトのバウバウ高田文夫なんかその典型ですね。パーソナリティひとりでも、ディレクターや放送作家がそばにいて、反応してくれる。まったくひとりというのはありえないのです。
 リアクション代わりにチャットや掲示板を活用する人も多いようですが、どうしてもリアルタイムの反応にはならない。つらいところです。
 そんな悩めるラジオ人たちに提案。たとえ自動的でも、リアクションさえあればなんとかなります。というわけで「釈お酌」をパートナーに放送するというのはどうでしょう。

「ではネットラジオ、スタート」
「ふんにゃかしてください」
「どうしろっていうんだよ」
「釈のお酌って駄洒落みたい」
「あんたが勝手に言ってるんだよ」
「お疲れさまー」
「まだ始めたばかりだってば」

 それならばハロという手もある。

「ではネットラジオ、スタート」
「何か用か?」
「いや、ラジオだってば」
「ハロっ」
「もう夜だってば」
「イライラするぞ」
「……」

 やはりここは腹話術かなにかで自作自演したほうが賢明かもしれない。右手におんぷちゃん抱き枕、左手に綾波フィギュアをかかえてひとり三役生放送。孤独な私から孤独なあなたへ送るラジオ。


9月8日(日)
 意味もなく蒙古斑のうた。

 あれは 何だ 何だ 何だ
 あれは 蒙古 蒙古斑 蒙古斑
 若輩者の 名を受けて
 誇りを捨てて 闘う男
 蒙古野郎は 未成年
 蒙古サイトは カデイレ
 蒙古リングは 好事家の
 蒙古ミートは ジンギスカン
 子供の力 身に受けた
 未熟なヒーロー 蒙古斑 蒙古斑

 誰も知らない 知られちゃいけない
 蒙古斑が誰なのか
 何も言えない 話しちゃいけない
 蒙古斑は誰にある
 その尻に斑がある その背に斑がある
 この美しい青を 守りたいだけ
 今日もどこかに蒙古斑
 今日もどこかで蒙古斑


9月7日(土)
 深夜のテレビで見た親善ラグビーの試合がすごく面白かった。
 先月25日にやった試合だそうですが、イングランドの強豪クラブチームサラセンズ対日本一のサントリー。なぜかサラセンズにチビの東洋人が混じっていたのだが、日本代表の岩淵選手が所属するチームだったのですね。いや岩淵選手もけして小さくはないのだが、なにしろ他の選手がでか過ぎる。
 はじめ怒濤の突進力で19点先取したサラセンズだが、そこから見せはじめた荒さにサントリーがつけこみ、栗原や小笠原の快走で逆転。逆に35対19とサントリーがリード。
 ところがサラセンズ、後半になると怒濤の力を取り戻し、押して押して押しまくる。サントリーは止めることもできずなすがまま。結局、61対42でスコア的にはサントリーの善戦だが、内容はサラセンズの圧勝。終盤、ふらふらになったサントリー選手につきあって、わざと転んだり、ミスしてチャンスをくれてやったりもしてたし。
 いやぁなんというか、親善ラグビーというか接待ラグビーの典型のような試合というか、あるいは若手選手と全盛期のスタンハンセンとのプロレス試合のような、ちょっと相手にもいいとこ見せてやって最後はラリアット一発というか。好きだなこういう試合。
 プロレスといえばこの試合、元全日本プロレス中継の若林アナが放送していたせいでもないだろうか、サラセンズの選手が随所にプロレス技を見せていた。タックルにいって倒した選手をそのままぶっこ抜きジャーマンのように後方に投げたり、崩れた選手をストンピングよろしく踏みつけたり。走るサントリー選手にとびかかるタックルも、まるでスピアーのような迫力。って、それはもともとラグビーやアメフトから来たプロレス技やんか。


9月5日(木)
 一般の小説は想像力を広げ、話がどんどんふくらむ方向へ向かうのに比べ、推理小説は同じ想像力をトリックの中へ閉じこめ、話を縮める方向へ向かう。要するに、思い詰める傾向が強い。そのせいか推理作家は、一般の作家よりも奇人変人度が高いような気がする。
 ドイルは心霊術に凝って、妖精のインチキ写真を本物と信じ込んだり、フーディーニがいかに弁明しても、彼の魔術は肉体を霊体化させることにより手錠や金庫を抜けるのだと信じ込んでいた。クリスティは最初の夫との離婚騒動の渦中、第二人格が出現してわけもわからず各地をさまよっていた。シムノンは人間嫌いと女好きが交互に現れる性格で、家族も遠ざけて田舎の別荘に籠もりきるかと思えば、都会を徘徊して売春婦を求めさすらったという。江戸川乱歩には自信と自信喪失が交互に訪れ、日本の推理小説を背負って立つ抱負を述べたとたんに断筆して下宿屋を経営したりした。横溝正史は重症の閉所恐怖症で、外に出ることのできない飛行機や電車には乗ることができず、言えば下ろしてもらえる自動車、しかも勇気づけに魔法瓶いっぱいの日本酒を抱いていないと乗ることができなかった。
 これらのケースに比べると、今の推理小説家は思い詰め方が足りないのではないか。有望なのは京極夏彦だが、彼が化粧してコスプレ写真集を出したとしたら、小説ももっと面白くなるのではないか。
 ……いや待て、志茂田景樹の小説は面白いか?


9月4日(水)
 ぎょうざで大失敗。
 田舎で手作りぎょうざを大量にこしらえたというので、うちにもクール宅急便で送られてきたのです。それを冷凍保存していて、きょう食べようと前日夜に冷蔵庫に移して、きょうの晩、いざ焼こうとすると。焼こうとすると。
 なにしろ皮も手作りなので、市販のものよりずっともちもちしているのです。それを冷凍して解凍したため、水分がたっぷりと与えらりたのです。もちもちに水分が供給されてもちぃもちぃになり、さらにもっちりぃもっちりぃとなり、そしてどういうことになりるのかというと。
 諸星大二郎に「生物都市」という漫画があります。宇宙からのバクテリアだか宇宙線だかの影響で、金属やプラスチックなどの人造物が生物と癒着し、くっつきまくり、しまいには人類はその作ったものと一緒に水っぽい団子のようにもちぃもちぃべたぁべたぁとくっつきまくりるのです。
 そゆぎょうざになってしまいました。
 解凍せず冷凍のまま焼いていたらよかったのだなあ、と後悔するも後の祭り。やむなく生物ぎょうざをむしり、ちぎり、皮が破れてしまったら適当に修復し(もちぃもちぃの皮なので簡単に修復できる)、とにかく焼いて食ったらうまかった。ぎょうざ生物かも。
 文体を勝手に拝借したkasumiさんごめんなさい。なんかこういう話はこの文体が合いそうな気がしてしまったので。


9月2日(月)
 すっかり幼女メイドの霊が棲むという噂のわが家ですが、ウチにもともといたのは荒川に誘う被災者の霊です。幼女メイドはよるねこさんが連れてきました。なんでも製図や法律の話が大好きだそうですが、私にはバビロンの架空園やマヌ法典の話くらいしかできそうにありません。
 主婦になればいいと多くの方から言われましたが、だれか雇ってくれないでしょうか。毎日食事つくります。洗濯もします。できるだけ掃除もします。ゴミも分別して出します。わいているショウジョウバエもなんとかします。ゴキブリはまだいません。ゴキブリ亭主になります。
 基地は条約を結べば歓迎します。あのだだ漏れオートロックは無防備な姿勢でゴミ出しに出る馬鹿の救済措置です。三回ほど塀を乗り越えました。

 妙にみなさん沈黙を守っていたと思っていたら、なんか一週間かけて力作を執筆しておられたようで。
 実際の貴族的サロン的な高尚な雰囲気とはまったく異なる具合にみなさん歪曲されておりますが、面白かったのでオフレポを集めてみました。順不同。
 「うまうまでへでへ」(Oasys in the Desert)
 「幼女メイドに誘われて」(むーちょ)
 「潜入レポ」(むーちょ)
 「皆でぎゅうぎゅう」(しましま倶楽部)


9月1日(日)
 どちらもテレビで見たのだが、九万人を集めたダイナマイトのグレイシー対吉田の試合よりも、その前日に見た新日本プロレスマットの高山対藤田の試合の方がよかったなあ。
 高山は自分のことを、「新日本のザコ怪獣どもが団結して数の力で押してようやく撃退できるが、撃退するだけで殺せないからまた襲来するキングギドラ」と称していたが、長身でやや猫背で構えるたたずまいはむしろゴジラに似ている。対する藤田は、高山に身長では劣るものの、肩口の筋肉が盛り上がったあの姿はまさにキングコング。
 ゴジラ対キングコングの試合は、ノーガードの壮絶な打撃戦の末、高山に軍配が上がった。やっぱりこういう試合の方が、妙に萎縮した格闘技戦より面白い。
 こういう試合、今の新日本のレスラーはできないだろうなあ。蝶野は年老いたし、永田は受けられないだろうし、佐々木は小粒すぎるし。もっともNOAHならできるかというと、高山と怪我する前の小橋くらいしか思いつかない。他団体となると言わずもがな。強いて言えば、WWEのアンダーテイカーとゴールドバーグが、つまらないシナリオ抜きで真面目にやり合ったらできるだろうか。


最新日記へ