子式部

 ええ、昔は、獅子は千尋の谷にわが子を落とす、てなことを申しましたが、最近では獅子でもない人さまが、わが子を橋の下に落とす世の中になったようですな……。

「なんやお前、また娘をイジメとんのか」
「お父ちゃん、うち、イジメなんかしてへんで。イジメられたんはうちのほうや」
「それはお前が子供んときの話やろ、何年前のこっちゃ」
「イジメられたほうの記憶は、いつまでも新鮮なもんでおます」
「そらそうやろけど……。それよりお前、娘にカップラーメンしか食わしたらんちゅうやないか。そんなんで栄養のバランスが取れると思とんか」
「うちかてちゃんと考えてます。きのうはシーフードヌードル、きょうはでかまるカレーらーめん、明日はチキンラーメンと、バランスばっちりでっせ。おとついは日曜日やったから、ちょっと贅沢してラ王」
「贅沢の方向間違うとるわ。たまには娘と一緒に遊びにいくとか、母親らしいことやったらどないや」
「そやかてうち、まだ若いんやもん。会いたい男もおるし、再婚かてしたいし。あの娘、再婚の邪魔や」
「ひとりで男遊びに狂って、それで母親か」
「子育てを放棄してうちを捨てた、あの男が悪いんや。うち悪くない」
「実の子供でありながら、まま子にも劣る扱いやな……お前、和泉式部ちゅう人のこと知っとるか」
「ああ、こないだプロレスやった狂言のおっさん」
「あれはイズミモトヤぢゃ。お前も古典くらい勉強せい」
「ああ、うちくらいの女がようさん出て、うちみたいなワガママ抜かすのんを、さんまがたしなめる」
「それはさんま御殿。和泉式部というのはなあ、昔のえらい歌詠みじゃ」
「コウダクミとどっちがえらいのん?」
「あんなファイナルファンタジーあがりのリュックもどき芸人と一緒にすな。和泉式部ちゅうのはな、天皇陛下のお目にとまるような立派な和歌をいくつも詠んだ、えらい人じゃ。そやがどこで生まれたんか、だれも知らん。一説によると奈良の神様が鹿に宿って、和泉式部を産んだともいう」
「その神様、歯が悪かったんやろか」
「その歯科ちゃうわい。馬と並べたらお前になるほうの鹿じゃ。そのせいか和泉式部は、美貌なんと歌がうまいんのと、もうひとつ普通の娘と違うところがあったそうやな。足の指が鹿みたいに、たったふたつしかなかったという。偶蹄類やな。それを隠すために和泉式部は、足がふたつに割れた靴下を発明した。それが足袋や」
「そんな余計なことせんかったら、うちら隣の国からチョッパリとか悪口言われんですんだのに」
「それは隣の国が悪いんじゃ。ともあれ和泉式部は、すばらしい和歌をいっぱい詠んだ女性やったが、歌とおなじくらい、恋多き女性やったそうじゃ。お前みたいに、男をとっかえひっかえしとった」
「お前みたい、ちゅうのは余計や。うちは男がほっとかんだけやねん」
「そやけど、男遊びをしながらも、けっして子育てをおろそかにはせんかった。そこが和泉式部のえらいとこや。小式部という娘がおったが、女手ひとつで立派に育てあげ、宮廷に仕える女官になり、母親にも劣らない、りっぱな歌詠みになったんや。お前もちぃと見習わんかい」
「そんなん、えらいええかげんやないか」
「なんでやねん」
「和泉式部の娘やから小式部、そんなええかげんな名前のつけかたあるか。そやったらうちの娘は小鈴香か。さんの娘は小さんか。さんまの娘は小さんまか。児泣爺の子供は小児泣爺か。長州力の子供は長州小力か。カトーの子供は小カトーか」
「一部、ほんまなんが混じっとるで」
「そんな名前のつけかたしたら子供がグレるで」
「小式部ちゅうのは、あだなみたいなもんじゃ。つまりそれだけ、和泉式部の名が有名やったちゅうことや。それだけにな、小式部がいくらええ歌を詠んでも、あれは母親が作っとるんじゃ、こっそり母親から教えてもろとるんじゃ、ちゅう陰口が絶えなかった」
「うちの娘も陰口が絶えないらしいで。あのお母さんがいるとねえとか、お母さんに毎日殴られて泣いてるらしいで、とか」
「全部お前が悪いんやないか。小式部のはそんなんやない。あるとき、和泉式部が、新しい旦那といっしょに丹後にでかけた」
「うちはディスコのほうがええな」
「踊りとちゃうわ。丹後ゆうたら京都の北のほうのこっちゃ。旦那が丹後に出かけるんで、それについていったんやな。旦那ちゅうのは藤原保昌や。金太郎さんの坂田金時なんかと一緒に、源頼光の四天王と言われた、どえらい豪傑や。それがある時、源頼光とともに、酒呑童子の退治を命じられた」
「なんや、酒呑んでる子供なんか、うちかてひとひねりで殺したるわ」
「童子ちゅうても子供ちゃうわい。身の丈2メートルにもなろうかという、女は犯す人は食うという怖ろしい鬼じゃ。そんなすごい化け物が、大鬼小鬼を従えて、丹後の大江山に棲みついて悪事を重ねとった。それでもさすが豪傑じゃ。小橋健太のようにぶっとい酒呑童子の腕を、保昌は名刀伯耆安綱でばっさり斬りおとした。名刀はのち童子斬りと呼ばれ、国宝として代々」
「なんや、たかが箒が国宝かいな」
「箒ちゃうわ、伯耆。いまの鳥取や。そこ出身の刀鍛冶、大原安綱が鍛えたから伯耆安綱」
「廓火事ちゅう落語があったけど、刀火事ちゅうのもあるんか」
「もうええわ。お前のボケにはついていけん。その藤原保昌が鬼退治に大江山に行くんで、妻の和泉式部も一緒についていったんや。その最中に歌の会があった。小式部もそれに出たんやが、意地悪な人が、小式部はん、お母さんからのたよりは、もう届きましたか、詠む歌はもう教えてもらいましたか、と」
「その意地悪な奴の子供、殺したったらええのに」
「お前はなんでも殺したがるな。それも子供を。小式部はそんなことせんかった。その代わりに、歌を一首詠んだな」

大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立

「大江山を越える道のりは遠くてけわしい、おまけに鬼まで出るんで、まだ母親からの文なんかもらってまへん、ちゅうこっちゃな。それに、行くのと生野、文と踏みをかけて、しかも大江山、生野、天橋立という丹後の三大名所を詠みこんだ、みごとな歌じゃ」
「なんや、駄洒落やんか」
「掛詞と言わんかい。駄洒落ゆうと、そこらの雑文みたいやないか。ぱっと即興でこんなみごとな歌を詠んでみせたもんで、それまでの陰口も、すーっと引いていったな。そやけどな、そんな幸せも長くは続かんかった。人間、櫛の歯が抜けるように、幸せは壊れていくもんじゃ。小式部も、美人薄命ちゅうのんかな、若い身空で、はかなく死んでしもた。娘に先立たれた和泉式部は、それはたいそう悲しんで、こういう歌を詠んだな」

あらざらむ この世のほかの 想い出に 今ひとたびの 逢うこともがな

「この世からいなくなってしまった娘に、もういちど逢わせてください、という母親のせつない気持ちやな。この歌を聞いた仏様も和泉式部をあわれみ、やがて死んだ和泉式部と小式部を一緒に、極楽に上げてやり、ふたりを菩薩にしてやったという。どや、お前も、ちょっとは見習わんかい」
「なんやねんお父ちゃん、ボサツくらい簡単やがな。うち、いつも言われてんで。お前はボサッとした奴ちゃと」
「全然あかんやないか。まあ、お前にそんな歌を詠めちゅうのが、そもそも無理やろけどな」
「なによお父ちゃん、うちかてそのくらいの歌、詠めるがな」
「詠めるんか」
「やらいでか。うちやったら母娘、両方の歌詠んだるがな。ちょっと綾香、こっちおいで。お母ちゃんと一緒に出かけまひょ」
「はーい、ママ」
「ちょっと綾香、この橋の上に立ってみ」
「はーい」
「大いに邪魔、育児の道の辛ければ、まだ踏みも水、まま子橋立て」
 どぼーんと橋から突き落としたつもり。
「さーて次は母親のほうやな。合憲ちゃん合憲ちゃん、あのね、うちの娘の思い出ためにお願いしたいことがあんねんけど」
「おばちゃん、なあに?」
「うちの娘とな、あんな、一緒に行ってほしいんや」
「どこに?」
「極楽」
「あらぼとけ、この子の墓の思い出に、今ひとたびの会う子供かな」
 ぐいぐいっと紐で首を絞めたつもり。うーん、だくだくっと血が出たつもり。

 どうにもペシミスティックなオチになってしまいました。すんません。ええと、それから、まさかいまさらとは思いますが、とんでもない濡れ衣だったらすんません。


ハナシにならない雑文祭


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