第5話 留学したい

 大学ではサクソフォーンを専攻し、第3話に登場した阪口新(さかぐち・あらた)先生に指導していただきました。阪口先生が武蔵野音楽大学の講師をやめられたのは私が卒業すると同時でしたから、私はとても幸せでした。卒業後、もっとサクソフォーン音楽を勉強してみたいという思いにかられ、そのことを先生に相談してみました。サクソフォーンと言えば、フランスが本場。当然、私もフランスのパリ(パリには世界的に有名なサクソフォーン奏者で指導者のダニエル・デファイエ氏ほか、優秀な方々がいます)か、ボルドー(日本ではワインで有名ですが、ジャン=マリー・ロンデックス氏という優れた演奏者・指導者がいます)、またはリヨン(名前は忘れましたが優秀な指導者がいます)に行ってみたいと思いました。ところが、私の思いをよそに、先生は「アメリカにヘムケという人がいる。大室君などもそこで習ったんだよ。もう一人、野田君という人もいったんだけど…。そこに行ったらどうかね」。
 私は、私のサクソフォーンを一番理解してくださる先生の助言をもとに、アメリカに留学する準備をはじめました。 留学が簡単にできるわけではないのは当然ですが、まずは、アメリカ留学に関する本、資料を求めました。本は栄陽子さんのものですが、これには多くのことを学びました。自分をここまで奮起させてくれ、かつ精神的に成長させてくれた本はありません。また、そこには実際留学するための細かな情報が載っていました。それらの情報をもとにアメリカの大学の資料を赤坂見附の日米教育委員会に行きました。そこで詳しい資料と情報を入手し、実際にその大学の願書を取り寄せることになります。そんな中で、いろいろな方にお世話になりました。手紙の書き方は、当時、大学の先輩がいたビュッフェ・クランポンという外資系楽器会社の国際担当の方、アテネフランセ(英語学校)の英語の先生、アメリカの大学の様子は前述の大室勇一先生にお聞きし、大学に入るための推薦状は、阪口先生と大学の先生方に書いていただきました。財政面では両親。この方々の援助によってアメリカに行けることになりました。暑い夏の日、友人に見送られ私はアメリカに出発することになりました。(つづく)

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