街歩き

はじめに
 尾道を散策するのが好きなので、毎年広島から出かけています。
尾道市内のみ散策することもあれば、少し足を伸ばして瀬戸内の島々へ出かけることもあります。
尾道に限らず近場に良い所があれば、これから先、随時紹介して行くつもりです。

これまでの街歩き案内(文と写真)
1997/08/15:京都の北山地区・・・金閣寺
1997/05/31:京都の東山地区・・・なぜか京都を徘徊する
1997/04/29:宮島の厳島神社・・・日本三景と世界文化遺産の島
1997/04/12:さくら散る尾道・・・散り行くさくらと坂の街
1997/02/02:雪の尾道市内・・・冷たい雪が降りしきって、本当に寒かった

〜 街歩き紹介 〜
京都の北山地区

昨年から続けている通信教育のスクーリングで、京都に10日間ほど滞在した。
学校が北山のふもとにあり、金閣寺へ歩いて10分の距離なので、講義の合間に訪れてみた。
京都へはこれまで片手以上訪れたことがあるのだが、金閣寺に行った記憶がない。
25年以上前に家族旅行で京都を訪れた際、行っていたらしいのであるが全く憶えていないのだ。

スクーリング中は結構忙しく(夜間をのぞく)、なかなか時間がとれなかったのだが、
なんとか時間を作って炎天下の中、汗をかきかき歩いて行った。
鹿苑寺境内に入り、しばらく歩くと池の向こうに金閣寺が見えてきた。
くだんの金閣寺は、改修工事も終わってプラモデルのように光り輝いていた。
本当に見事であった。

学校への帰り、左前方の小山を眺めていると「大」の字を確認した。
京都の夏を彩る、送り火の「左大文字」である。
今年は8/16に開催されるらしいが、今回は時間の都合でパス。

その他、京都は小道を歩いていると至る所にこのような祠が見られる。
よく見るとお地蔵さんが祭られているのだが、お供え物も頻繁に取り替えられているようである。
さすがは宗教的にも歴史のある京都ならではである。
このような光景は、インドにあるヒンズー教の聖地・バラナシにも見られる。
信仰心は古今東西、共通のようである。

京都の東山地区

京都に行く機会があったので、清水寺、八坂神社のある東山地区を歩いた。
京都には午後に到着、そんなに観光するつもりもなかったので、
清水寺で時間をつぶし、気がついたら夕方前になっていた。
京都は、おりしも修学旅行シーズンで、有名観光地は修学旅行生でごった返しているらしい。
案の定、清水寺周辺も10代の若者たちの波状攻撃にさらされていた。

清水寺といえば清水の舞台が有名である。
何度も来たことがあるのだが、舞台の前が谷になっていることは今回気づいた。
音羽の滝(右下)の水が沢となって市内へ流れ出ている。
むし暑い陽気だったのだが、さすがに沢の上の舞台に立てば涼しく感じる。

清水寺の後は、土産物屋の並ぶ参道を経て三年坂、二年坂を下って高台寺、八坂神社、円山公園と歩いた。
この周辺はもろに観光地なのだが、通り沿いに趣のある建物が多く、さすがは京都と感心した。

宮島の厳島神社

JRで宮島の厳島神社に出かけてきました。
昨年末、厳島神社(弥山の原生林)は広島市の原爆ドームと共に世界文化遺産に登録されました。
おまけに、今年は毛利元就の生誕500年にあたり、NHKの大河ドラマも好評放映中です。
そのせいか、このところ宮島を訪れている観光客が過去最高を記録しているそうです。
フェリーターミナル前の広場では、外国人カップルの大道芸がウケていました。

宮島のシンボルと言えば、海の上に浮かぶ朱塗りの大鳥居ですが、
瀬戸内海は干満の差が大きいため、干潮の時には地面が見えてしまいます。
今回はたまたま満潮に近く、ねらい通りの大鳥居が見られました。
この鳥居は地面(海底?)に杭を打つことなく、そのまま置いてあるだけで直立しています。
厳島神社の回廊もまた、海の上に浮かんでいました。

厳島神社の社殿は、平安時代の代表的な建築様式である「寝殿造り」で有名です。
20余棟の建物が、本社を中心にして、西回廊と東回廊で結ばれています。
平安時代、平清盛が大造営した厳島神社は、その後も室町幕府の足利氏、山口の大内氏、
広島の毛利氏、広島城主の浅野氏らに崇められ、栄えてきました。

まずは、神社の南東入り口から東回廊に入ります。
東回廊が最初に折れ曲がった所で、潮の満ちてきた入り江の向こうに大鳥居が見えます。
東回廊と客神社の向こうには、丘の上の五重塔が見えます。

本社を正面左側から眺めると、背後にはご神体の弥山原生林。こちらは正面右側から。
本社のセンターライン上には国宝の高舞台があって、神事には能が舞われます。
朱色の柱が林立する板の間を周回すると、西回廊につながります。
「酒どころ」と言われる広島の銘酒が、一堂に会していました。

厳島神社の西回廊を出て少し歩くと、入り江の奥に社殿が見られます。
さらに海岸べりを歩いてゆくと、ひっそりとたたずむ清盛神社がありました。
厳島神社の美しい屋根越しに、五重塔も見えます。
東回廊の屋根越しには、大鳥居も見えます。
新緑の黄緑と五重塔の朱色は、ほぼ補色関係にあります。

商店街を歩いていると、世界一の大しゃもじを見つけました。
樹齢270年のヒノキの大木を、豪快にくりぬいて作ったそうです。
こんな大きなしゃもじ、いったい誰が使うのでしょうか?

さくら散る尾道

またまた尾道に行って来ました。
前回が2月だったのでまだ日が浅いのですが、
散り行く「さくらの風情」と「ラーメンの風味」に誘われて出かけました。
今回はサクラがまだ残って街が騒々しいので、JRでのアプローチです。

前回とは打って変わって朝からピーカンの晴天です。
まずは、JR尾道駅から踏切を渡り、メジャーな「小寺めぐりコース」を歩きます。
映画のロケ地にもなった土堂小学校をかすめて持光寺に入ります。
持光寺境内には、いわゆる”這い”松がありました。
持光寺そばには懐かしい雰囲気のたばこ屋さんがあって、狭い路地の先には海が見えます。

持光寺から海福寺へ行く途中の公園では、満開のさくらがまぶしかった。
光明寺下にあるJR山陽本線の陸橋は、自転車で渡れる映画「転校生」のロケ地です。
宝土寺境内では、春風にあおられてハラハラと散り行くさくらが趣深い。
池に落ちていたさくらの花びらは自然のモザイク芸術でした。

いつものラーメン屋さんで腹ごなしした後、ロープウェイ乗り場下から千光寺に登ります。
樹齢900年!と言われる艮神社の大クスノキは、いつ見ても圧倒されます。

千光寺へ登る途中、天寧寺の三重塔越しに尾道水道を望むポイントがあります。
千光寺の境内からは眼下に尾道水道が眺められます。こちらは浄土寺山と尾道市街。
文学のこみちを過ぎると、展望台のある千光寺山山頂です。

千光寺山展望台からは向島行きフェリーの往来もよく見られます。
展望台から千光寺へ下る坂道は、この時期さくらのトンネルとなります。

映画のロケにも頻繁に登場する長江小学校を経由して、御袖天満宮→大山寺→れんが坂と歩きます。
れんが坂を降りたところから少し歩いたところに西国寺があります。
この、天平年間の創建と言われる仁王門には大わらじがあります。

いつ訪れても静かな西郷寺は室町時代(1353年)の開基。
今日は、境内が”ハトの巣窟”と化しているかのような浄土寺まで歩きました。

思いがけず訪れた天寧寺境内のしだれ桜は本当に美しかった。
寺のある風景は、被写体としてとても魅力的です。

雪の尾道市内

広島市内から尾道へは、山陽自動車道を使うと2時間もかからない。
尾道と言えば、古くから港の町、坂の町、古寺の町、文学の町として有名で、
最近では、大林宣彦監督の映画ロケ地としても有名になりました。
尾道へは、春夏秋冬何度も訪れましたが、それぞれに趣があって、何度来ても飽きない町です。

今回はまず、千光寺山にクルマを置いて、某尾道ラーメン屋さんを目指しました。
道中みぞれが降っていましたが、すぐに止むだろうという希望的観測に反し、
次第に雨足が強まり、気温の低下と共に、気が付くと湿っぽい雪へと変わっていました。

千光寺から眺める尾道水道は、晴れていれば「これぞ瀬戸内!」といった感じの眺めなのですが、
今日はあいにくガスに包まれていて、四国はおろか、芸予諸島の島々さえ見えません。
千光寺から天寧寺へと石の階段を下りて行けば、尾道らしいタイルばりの小道がありました。
坂道(石の階段)は、JR山陽本線のガード下をくぐる所で終わります。

いつものラーメン屋さんで腹を満たした後、商店街を抜け、フェリーで対岸の向島へ渡ります。
向島フェリー桟橋の前が、すぐバスターミナルとなっており、小ぎれいな待合室があります。
この待合室は、大林宣彦監督の新尾道三部作「あした」のロケセットを、そのまま移築したものです。
待合室の中には、映画で使われていた架空の看板も残っていました。

再びフェリーで尾道へ引き返し、ロープウェイ下にある艮神社の大クスノキを眺めました。
このクスノキの樹齢は、およそ900年と言われており、それはそれは見事な大木です。
御袖天満宮へ上る石の階段が、映画「転校生」で尾美としのりと小林聡美が転げ落ちた石段です。
その後、れんが坂を経由して西郷寺まで歩いたのですが、雪が強く降ってきたので引き返しました。

ますます雪が強くなり、今にも積雪しそうだったので、
帰路は、山間を通っている山陽自動車道を避け、ずっと海岸沿いの一般道を走って帰りました。


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