飛んでイスタンブールとエーゲ海_エピローグ

 なにぶん10泊11日(トルコ国内は7泊8日)という短い期間での旅だったので、
トルコ観光のハイライトとも言うべきカッパドキアや、南部地中海岸のアンタルヤにも行けずじまいだった。
残念だが、こればっかりはしょうがない。
自分なりに、今の与えられた環境を最大限に利用してよく頑張ったんじゃあないかと思う。
渡航費用が夏の繁雑期で往復¥240000、国内交通費が¥20000、そして
現地滞在費がトルコ¥25000、シンガポール¥3000で合計¥288000。
航空運賃が総費用の85%を占めている現実はあるものの、これを高いか安いかと見るのは本人次第。
少なくともオレは安いと思っている。
もしもこれを読んでトルコ・イスタンブールへ「行きたい!」と思ってくれる人がいればオレは幸いだ。
10日以上の連続休暇と、時期外れの安い航空券を手に入れることが出来れば、もう旅の50%は終わったようなもの。
どんどん行ってみればいいと思う。
きっとその人なりの「いい旅」が出来るものとオレは信じている。

 半年前から楽しみにしていた「トルコ」という国は、出発前に想像していたよりもはるかに治安が良く、
美味しい食べ物が豊富で、物価も安く暮らしやすい国であった。
今世紀初めに、トルコ共和国の初代大統領・ケマル=アタチュルクによる大胆な近代化がなされた影響が大きいためか
人々の生活水準も比較的高く、イスタンブールなどは高速道路も走る大都会であった。
一方では、イスタンブールをはじめとして至る所に残る歴史的遺産(遺跡)が印象的であった。
出発前に、ある程度の準備(歴史)をしていたことも旅先での感動をより深めてくれたはずである。

 今ふと目を閉じるとトルコ・イスタンブールの様子が昨日の事のように思い出される。
ガラタ橋のたもとで繰り広げられる「ドラマ人間模様」。
イスタンブール・スルタンアフメット地区の丘にあるブルーモスクやアヤソフィア、
そしてシュレイマニエジャミイなどの”超巨大ジャミイ群”。
それぞれにローマ帝国やオスマン帝国の歴史を感じることが出来るすばらしい建築物であった。
アジアとヨーロッパとの接点・ボスポラス海峡。
トロイの遺跡やエフェソスの遺跡に降り立った時などは、自然とオレの得意のセリフである
「ついに来てしまったか!」を吐きながらしばらく感動のあまり立ち尽くしていた。
そして、憧れのエーゲ海は快晴の空を映してどこまでも青かった。
これらの強烈な印象は、720枚の写真と共にオレの心の中にしっかりと焼き付き、いつまでも残っていることだろう。

 セルチュクで会った謎?の人物”トシオさん”、”B級ロカンタ”のオヤジさん。
アヤソフィアホテルのタラットさんなど、いかにも人の好さそうで親切な人達との出会いも懐かしい思い出だ。
そして、セルチュクで会ってイスタンブール→シンガポールと色々とお世話になったAさんにも
ひと言お礼を申し上げておきたい。

旅行記の終筆でオレの「トルコ・イスタンブール行き」はすべて完了。
720枚の写真と、この「飛んでイスタンブールとエーゲ海」、そしてオレの心の中には
11日間のトルコ・イスタンブールでの素晴らしい思い出を残すことが出来た。
また機会があれば行ってみたい国だ。
「さあ、次は行きたくないけど行ってみたい国・インドかぁ?・・・・・」。

1993年9月23日(木)10:36自宅にて

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