インドでワシも打ちのめされた_プロローグ

 インドへ行くことになった。
日本では”印度”、中国では”天竺”とも言う。
そんなことはどうでもよいのだが、インドである。
「ついに!」と言うべきか、思えばワシはこの1年間、何かにとりつかれたように海外、
それもアジアの怪しげな国を中心に旅してきた。
今現在、ワシの生業(なりわい)はごくごく平凡なサラリーマンなので旅の日程は悲しいほど短く、
とても「旅を充分に堪能した!」とは言えないものの、
ある時は生活レベルや生活様式の違いを目の当たりにして「う〜む・・・」と考え込み、
またある時は荘厳な建築物や雄大な大自然に圧倒されながら「むむむむ・・・」とうなったりしたものだ。
それでも、短い旅は短い旅なりに楽しむ?ことが出来、強烈な印象となってワシの心の中に刻まれることとなった。

 近頃の「海外旅行」と言えば西海岸やハワイとかオーストラリアとかがフツーである。
なにも初めての海外旅行で、わざわざ言葉の通じない中国(北京・内蒙古9日間)へ
行きあたりばったりの個人旅行などしなくてもよさそうなものではあるが、
この海外ひとり旅(いわゆるワシの「海外戦略プロジェクト」なのだが)、
「とにかく、若いうちに体力的にも精神的にもキツイ発展途上国を旅して、
 経済大国ニッポンとの違いを自分の肌で感じてみたい!」
「つらいけどやっぱり自由で気ままなひとり旅がしたい!」
などという前向きでわがままなモチベーション(動機)から始まったものなのだ。
そんなワシが、最後の海外ひとり旅の目的地として選んだのがインドなのである。
ではなぜインドなのか?
世界にはもっと未開の土地はいくらでもあるだろう。
しかしインドほど様々で強烈な個性、生き方をしている人間を「ワーッ!」とかき集めて
グツグツと”とろ火”で煮込んだような社会はないだろう。
それこそ、あふれるばかりの札束を握りしめた飽食の億万長者から、路上で生まれ路上に散ってゆく物乞いまでが、
オノレの信条におもむくままに悠久の歴史に身をゆだねている社会・・・・・。
「1億総中流意識」の単民族国家でヌクヌクと生まれ育ったワシにとって、
インドは「そりゃあもう、何でもありーの!」であり、
いつもワシの旅の大きな目的の一つとなるカルチャーショックも、そこらへんにゴロゴロ無数に転がっているはずだ。
そんな中にひとり身を投じるということは、はっきり言って「日々これ戦い」を意味する。
インド経験者のほとんどが、無意識のうちに優越感にひたりながら心持ちニヤケ顔で口にする
「いや〜、強烈でしたよ!」にビビリながらも、なんとか五体満足、無事に行って帰ってきたいものだ。

 今回ワシがどうしても行きたい「インド」はふたつ。
ひとつは、ガンガー(ガンジス河)中流域にある”ヒンドゥー教聖地中の聖地”、「ガンガーの沐浴」で有名なバラナシ。
そしてもうひとつは、あらゆるタイプの人人人、車車車、犬犬犬、カラスカラスカラスが、
いっしょくたになってあふれかえって、「もうどうにも止まらない!」カオス状態の熱気に包まれた町・カルカッタである。
このふたつはワシがどうしても落としたくないインドの町なのだ。
短い日程なので、本当はこのふたつを訪れることが出来れば”御の字”なのだが、
インドにも世界に名だたるA級観光地はあるのだ。
それはインドを訪れる人の憧れのマト、
ガンガーの支流・ヤムナー河岸にたたずむ美しくも巨大な、ムガル帝国時代の王妃の墓「タージマハル」だ。
インドに来て、あのタージマハルを見ないで帰るのも何だかシャクなので、
タージマハルのあるアーグラーも目的地に加えることになった。
今回のワシの全日程は10泊11日(機中泊含む)。
相変わらず超短期ではあるが、 ここのところ定着している”海外戦略プロジェクト”の総仕上げにふさわしい「いい旅」にしたいと思っている。


93インドに戻る あしあとに戻る トップページに戻る 旅行記集に戻る