コラム・60 正月行事
       
都会にながく暮らしていると、よほどうるさい年寄りでもいないと、正月行事なんてエエカゲンになりますね。表に門松まで立てる家はめずらしいとしても、ドアーの脇に松飾りをくっつけるとか、印刷された松飾り絵を貼り付けている家もありますね。
贈り物に貼る「のし」にしても、印刷された飾りを貼り付ける時代ですから、まあ、似たようなものかも知れませんがね。
でも、表の松飾りはやらなくても、玄関か、床の間には、三方(さんぼう)の上に米、かちぐり、干し柿、するめ、昆布などを入れ、上に餅をのせたものぐらいは飾る家がおおいようですね。三方(さんぼう)の飾り付けは「蓬莱(ほうらい)」といいますね。
まあ、地方によっては「お手かけ」とか「食積(くいつみ)」とも言うらしいけど、三方の飾り付け内容は全国そう変わらないようですね。だから、そうとう昔からの習俗らしいですよ。ところで、松飾りと三方の飾りは29日にやると九松(くまつ)で、苦待つに通じるので人は嫌がりますし、大みそかの31日にやるのは一夜松(いちやまつ)といって、これも嫌いますね。せっかくやるとすると、人の嫌う日は避けたいもの。
  
どうして、表に松飾りかと言うと、マツは火の古語だとする説がありますから、松飾りは帰ってくるセンゾ(祖霊)を迎える迎え火、送り火にかわる象徴だそうですね。
もともと、正月と盆は年に二度の祖霊祭だったそうですね。盆の古語はボニ。ボニはセンゾを迎える年棚の古語だそうですね。
ところが、盆のほうは早くから仏教に取り込まれ、死者の霊の供養行事になってしまったとか。
ですから、東日本では年末か正月に、御魂(みたま)の飯に箸を突き立てて祖霊に供えるとか、西日本では元日に墓参をする習俗がのこっています。
全国的には餅よりも里芋を重視する地方がおおいようですね。これは縄文時代の焼畑耕作の名残だとする説があります。
       
話が変わりますが、正月の縁起物の一つに、宝船の絵がありますね。ええ、帆掛け船に米俵や宝物を乗せ、七福神が乗り込んだ絵。
「なかきよのとをのねふりのみなめさめなみのりふねのをとのよきかな」という前から読んでも、後ろから読んでも同文の回文(かいぶん)歌が書かれています。
これを正月2日の夜、枕の下に敷いて寝ると吉夢をみるという伝承ですね。
江戸時代から明治時代にかけて、「たからぶね、たからぶね」といって、宝船の絵を売り歩く宝船売りがいたそうですね。捕物帖に江戸風物として、でてきますよね。
ところが、宝船はいまと違って、旧年来の災いを船に乗せて流すものであったそうな。
だから、宝船の絵ではなく、悪夢を食べてくれるとの言い伝えから、「獏(ばく)」の字をかいただけのものだったらしいですね。
これだと簡単に作れるから、やってみようかな。