ノイローゼ完治の実践技術、6.人によってなぜ性格が違う 18.目次 5.「心のクセ」からの方法の実践等 7.神経症にどうしてなるのか等              

ある兵士の話

 ある人が兵隊に行った時の話である。彼は他に一人の兵士と歩哨に立った。
夜間でもあり、兵舎から遠く離れた場所だったので、適当にさぼることが出来たわけだが、最初に一緒に歩哨に立った兵士は、少し経つと、たちまちグウグウといびきをかいて眠ってしまい、おかげで彼一人が一晩中見張りをするはめになってしまった。
 その次に一緒に歩哨をすることになった兵士は、前の兵士とは違って、なかなか眠らないので、今度は彼が先に眠り、そのあと交代で眠ってもらおうと声をかけると、彼はぶるぶると震えて居り、「敵が いつ来るかも知れないと思うと、とても眠れない」と答えた。
 最初の兵士も、二番目の兵士も、条件はほとんど同じである。
夜間、兵舎から離れたところであり、暗闇の中から、いつ敵が襲ってくるかも知れないという危険にさらされながら、一方はいびきをかいて眠ることが出来、もう一方はぶるぶると震えながら、見張ってくれる者がいても眠ることさえできずに不安におののいている。
 同じ状況におかれながら、人によって何故これ程違った反応を示すのだろう。
又、私達は多くの人との出会いによって、さまざまな性格の人がいることに気付くが、何故、人はそれぞれ性格が違うのだろうか。この二点について考えてみよう。
           

前頭葉に性格の中心がある

 それではまず、人間の性格の座はどこにあり、どのような仕組になっているかについて、考えてみよう。
 それをつかむ手がかりがここにある。(読売新聞「人間この不可思議なもの」から)
 「人間の前頭葉の働きが、おぼろげながらわかってきたのは、精神病患者に対する外科手術、ロボト ミーの副作用からだった。
 この手術は、チンパンジーの前頭葉損壊実験の奇妙な結果から考案された。
前頭葉をこわされたチンパンジーは、どうといった知能の低下もなく、日常生活も破壊前と変わりがなかった。破壊前とちがった点は、性格がおとなしくなっただけだった。
 ポルトガルの神経学者モニスは、この実験の成果を、狂暴性のある精神病患者に応用した。
 患者のこめかみの上部に穴をあけ、そこから前頭葉にメスを入れる。前頭葉とほかの脳の部分を結ぶ 神経繊維は切れるが血管などはそのままだから、危倹はない。
効果は劇的だった。鉄格子の病院に押しこめられていた狂暴な患者は、突然温和になった。退院して日常の暮らしができるようになった。
 この劇的な成功で、一九五○年代には、世界中で盛んに行われるようになり、モニスはノーベル賞を もらった。
しかし、この手術は、もう十年も前から行われていない。手術の副作用{欠落症状}が、人権侵害とさえいえるほどだとわかったからである。
 たしかに患者はおとなしくなった。知能の低下もない。記憶力もふつうだ。
しかし、その日暮らしの人間になった。その日、その日の日常生活に、その場かぎりののんきさで対応し、あすを思いわずらったり、将来への計画をたてたりしなくなった。
 自主的に、自発的に、自分の意見を表明したり主張したりしなくなった。そういう人と会話してみると、何がどうというのではないが、深みがない。ケロリとしている。なにかむなしいのである。
 こういう症状がわかってきて、ロボトミーは行われなくなったのだが、こうした欠落症状から逆に、人間の前頭葉がどんな働きをしているのか、どうやらわかってきた。」
この事実からわかるように人間としての性格の中心が、前頭葉にあるのがわかる。
           

前頭葉に感情の集合体がある

 人間としての性格の中心が前頭葉にあるのがわかったが、それでは、性格とは何であるか、又、どのようにして成りたっているかについて考えてみよう。
 性格とは、その人の場面場面に対する反応傾向や行動傾向であるといわれているが、ではそういう反応傾向や行勤傾向をさせている前頭葉の中のものはいったい何であろう。
 それはだれでも知っているようにその中心となるものは感情である。
反応傾向や行動傾向に関していえば、刺激に対して感情が働き、そういう傾向の反応や行動をさせる。つまり、感情の働きのパターンが表に現われる反応パターンや行動パターンでもある。
 そうすると、感情の働きのパターンが性格をつくっているということになる。
 本来人間はいろいろな感情を持っているわけであり、いわば、前頭葉はいろいろな感情の集合体であると考えることができる。
           

感情を心のエネルギーと考えて

 以上のことから人間としての性格は前頭葉にあり、前頭葉の中の感情の集合体が人間としての性格を形づくっていると考えられる。
 そして感情は、心を動かすエネルギーとしての要素を持っているので、「心のクセ」の本に載っているように感情を心のエネルギーとして捉えてみることが出来る。
  つまり感情=心のエネルギーという図式が成り立つ。
           

心のエネルギーとは

 それでは心のエネルギーとは、どういうものであろうか。それについて考えてみよう。
 私は自分の性格で悩んでいた時、偶然にも「心のクセ」という本に出会い、後に手に入れて研究することになった。
 その本に載っている心のエネルギーについて説明してみよう。
 心のエネルギーとはどんなものであるか、広瀬米夫著の「心のクセ」から引用してみると、

「積極的なエネルギーについて」

「怒りの四つのタイプ」

 「心のエネルギー」とはどういうものであるかということを、いちばん理解しやすいのは、われわれが、怒りを発する時に動くものであろうと思う。そこでまず怒りについて考えてみよう。

 Aの人は、怒りが火山の噴火のように直線的に爆発する。そして爆発したあとは、どことなくスカッとするような気がする。(A型)

 Bの人は、風船の中に、圧力がたまるのと同じように心がモヤモヤしかけてきて、遂には、風船がパンと破裂したような怒り方をする。ところが怒ったあとも圧力がゼロになってくれないので、依然としてスカッとしない。(B型)

 C型の人はまず小さな怒りを発する。それがみるみるうちに雪ダルマ式に大きくなってたけり狂う。しかしやっとおさまったとしても、あとは決してスカッとしていない。(C型)

 Dの人は、他人の言動を見たり、聞いたりした瞬間、あるいは自分の気にいらないことを見たり聞いたりした瞬間、全く反射的に怒りを発するが、それはいわば浅いところから出てくるものであって、Aのタイプのように深いところから出ていない。
 しかし「待ったなし」という点と怒ったあとなんとなくスカッとする点はA型と同じである。(D型)(怒られた相手から見ればむしろA型以上にケロッとしている)

 この四つは積極的なエネルギーである。たくさんの人を平均してみれば心のエネルギーは約十種類あり、その約半数は積極的なものであり、約半数は消極的なものである。」
 

「弱気のエネルギー」(神経質のエネルギー)

積極的なものについてはわかったと思うので、今度は消極的エネルギーの代表的なものについて「心のクセ」から引用してみよう。
 「消極的エネルギーの代表選手は何かといえば、何ごとでも引っ込み思案に判断する。くよくよする。取越し苦労をする。決断力が弱いというクセを出させるエネルギーである。
 おだやかに晴れた大空のような心に、不安や心配ごとが一点の雲のように出てくる。
 するとみるみるうちにその黒雲が大空いっぱいに広がるように、不安や心配ごとが心全体を占めてしまう。このエネルギーはこういうはたらきをする。
 またときには、払っても払っても一つのしこり(具体的な心配ごととか気にかかること)が追っかけるように襲ってくる。
 たとえば職場で、ほんの些細な失敗をした。もうすんでしまってほかの人は気にしていない(かも知れない)のに、自分一人だけいつまでも気にしているというようなこともある。
 そして、何か別の仕事をしているあいだはどうにか忘れることができているが、その仕事が終ったとたんに例のしこりが逆襲してくる。
 そんなに激しくない程度にこのエネルギーが動いている時でも、どこでも必要以上の遠慮をする。
 ちょっとしたことに、いわゆる劣等感をもつ。決断力に乏しく、行動がすべて控えめである。自分でも私はなぜこんなに気が弱いのであろうと思うことが多い。
 すんでしまったことがしこりとなっていつまでも頭にこびりつく。現在直面していることにはキッパリ決断できない。将来のことを取越し苦労する。
 まさに過去、現在、未来のすべての苦労をいつまでも背負って生きていかねばならない。
 このエネルギーの非常に強くはたらく人が、何かの都合で、孤独な生活を送らなければならなくなったときのやり切れなさは、このエネルギーをもたない人には、とうてい理解できるものではない。時として、体がどこかへ吸い込まれていくような淋しさに襲われるのである。」
 冒頭に引用した二人の兵士を比べてみると、神経質のエネルギーをより多く持っているのは当然ながら後から歩哨に立った兵士ということになる。

「知的に遠心力の強いエネルギー」

「母が子どもを叱る時「くどくど」で簡単にふれておいたが、考えを連鎖反応的に次々と浮かばせるエネルギーがある。
 このエネルギーは心のはたらきが非常に流動的であって、遠心力がよくはたらく。
 一つのことにむすびついていないから、既成概念にしばられることが少なく、他人が思いつかないような新しいアイデアを思いつく。
 また次つぎに新しいことに着手しても頭の切り替えがすぐできるので、何をさせても器用である。いわゆる利口である。
 考えが次々に連鎖反応的に浮かんでくるが、それを自分では「よい知恵」が浮かぶと思っていることが多い。
 しかしはたして「よい知恵」といえるかどうか疑わしい場合もある。いわば頭脳の小手先の器用さにすぎないのではないか。こんな感じが自他ともにするときもある。(中略)
 このエネルギーと、例のとりこし苦労をさせるエネルギーとの組合せをもっている人は心配ごとが起きると必要以上に苦しまねばならない。」

 そのほか、人にさからうエネルギー(うつ病にはこのエネルギーが関係しているのではないかと思われる)や焦点のしぼれないエネルギー、開放的なエネルギー(このエネルギーが躁うつ病に関係あるのではないかと私は思っているのだが)等があるが詳しく知りたい方は、日本生産性本部から出ている広瀬米夫著の「心のクセ」を読んでほしい。