ノイローゼ完治の実践技術、4.社会へ出てからのノイローゼ体験 18.目次 3.少年時代の神経症体験など 5.「心のクセ」からの方法の実践体験等     

社会へ出て

 高校を卒業して、最初は東京へ出て就職したが、半年くらいでやめて故郷へ帰り、近くの町工場へ勤 めた。
 その冬、休日や退社後を利用して自動車教習所へ通った。教習所では、教習車に乗る直前になると、 いつも気がかりなことが頭に浮かび、それにはからい、打ち消そうとして、自分自身に言いきかすので 心はノイローゼ状態になり、車の運転にも集中できず、みじめな結果になってしまった。
 この自動車学校をもうすぐ卒業する時期に、その町の書店で森田療法の「ノイローゼの治し方」とい う書物を見つけた。
 町工場で働いている時は、自分のしていた仕事は、全く危険な要素はなかったが、たまに違った部門 へ行ってドリルや工作機械を使ったりすると、そのドリルの先に触れたくなったり、工作機械に指など を吸いこまれるような気持がよく起きた。
 この会社では事務の仕事もしたが、いつも取越し苦労がひどかった。しかし、この町工場で働いてい て、ある時期まで、ひどいノイローゼ状態にならなかったのは、森田療法の本を読み、失敗しながらも 、自分なりに実践したことと、この町工場は夏のシーズン中は休日は少なく、残業や日曜出勤も多く、 またシーズンオフの冬は友達と遊びに行ったりして、忙しく生きていた為だと思う。
          

アメリカでノイローゼ再発

 会社の取引先商社がアメリカにあり、出荷した商品の修理の為、毎年、一人か二人が六力月から一年 くらい、その商社へ派遣された。私も先輩社員と二人で派遣された。アメリカのアパートに二人きりに なった時、淋しさが襲ってきた。
 そして心が不安定になり、自分では冶ったと思っていたノイローゼ状態におちいった。
 そのアパートの台所にあった包丁や、食事用のナイフやフォークを見ると、先輩社員にケガをさせるのではないかという不安が起きた。以前と同じように、そんなことはしないはずだとか、絶対にしないとか自分自身に言い聞かせたので、拡大した不安・恐怖の為、身動きできないような状態になり、仕事が手につかない状態になってしまった。
 今までのノイローゼ状態の中でも、最大のピンチだった。私は自分で持っていった禅と精神分析とい う本を読んだ。それから、私達の前に派遺された別の先輩社員のおいていった「心のクセ」という本が アパートにあったので、それも読んだ。
 その本(心のクセ)を読んで、私は、心のクセは傾斜すると書いてあるところに目を吸いよせられた 。私はまだ自分のノイローゼが治っていないことに気がついた。
 しかし、森田療法を本のとおり実践し、ノイローゼが治ったと信じていた私にとって、異郷の地でノイローゼにおちいったことのショックはひどく、そのままだらだらと仕事も手につかないままに過ごした。
 会社側では私の精神状態の悪いことを考えてくれたのだろう、予定よりも早く帰れることになった。
           

アメリカから帰ってきて

 日本に帰ってから、一日目は家で休み、二日目に森田療法をやっている診療所を訪ねた。そこで診 療所の博士と一時間ばかり面接をしたが、入院はしなかった。
 アメリカに行った時、私は禅と精神分析という本を持っていったが、その本を何度も読み、入院をし てまで森田療法をやらなくても、座禅をすればノイローゼは必ず治ると信じたからである。(この時、 「心のクセ」という本は自分の本ではないので手もとになかった)
 三日目から会社へ行き、家へ帰ると座禅を始めた。そして、精神的に健康な人と私とはどこが違うの だろうと考えてみた。私の場合、座禅と言えるかどうかはわからない。疑間に思ったことやノイローゼ の原因、どうすれば治るかなどを座って考え続けたのである。
 そうして、二時間位すわっていると、自分で恐怖を感じた時に、自分自身に強く言いきかすことが自 分の心に反作用を起こすことがはっきりと頭に浮かんだ。
 私とノイローゼにならない人との違いは不安や恐怖を感じた時、ノイローゼにならない人はそれにかかわらないで流してしまうのに、私の場合、それにかかわって自分の意識によって自分の心を変えようとする。その為、かえって不安や恐怖を大きくしてしまったことに気がついたのだ。
 私はさらに休日も夜も座禅を続けた。いろいろな疑問をもって座禅をすると、その結果だと思うが、 一週間くらいしてから会社の休み時間等に、答が頭に浮かんでくることもあった。
人生の意味等で悩んでいる人にとっては、座禅は最も良い解決法ではないかと私は思っている。
 座禅をすればなぜ解決するかというと、それは座禅をして一事に精神を集中する為、心のエネルギー が開放され、心の状態に変化が起こり、その人のまわりの状態は変わらないし、論理的にも問題は解決 できないかも知れないが、その人自身の内面が成長することによって不安はなくなり、人生を開いた心 で見ることができるようになるからだ。
(外の世界は変えることはできないが、その人の内面は変えることができる。人生の意味等で悩む場合、問題を提起するのは弱気のエネルギーである)