論 文 要 旨

 

本研究は、戦後のわが国における産業技術博物館の成立過程を検証し、設置形態、目的、手法ならびに収集資料などを分析することによって、公的事業としての産業人材育成(以下、「人材育成」とする。)施策を抽出し、新しい時代に適した産業技術博物館を構想するものである。また、博物館にストックされた技術史資料を再編集し活用することによって、地域の産業活性化の可能性を見出し、博物館の新しい役割を提案しようとするものである。

 

1章「序論」では、まず本論文の目的と意義について述べ、既往の研究を概観し、本研究の位置付けを行った。

 

2章「公立科学館の成立過程と公的事業としての人材育成」では、わが国の産業技術博物館のおよそ67%を占める公立科学館の成立過程を検証し、そこで展開された公的事業としての人材育成施策の変遷について考察した。

2.1「公立科学館の成立−1960年代−」では、公立科学館が誕生した1960年代の背景について考察した。戦後復興のための人材育成を目的として理科教育の充実が意図されたが、第1次ベビーブームによる児童・生徒の急増によって理科室が普通教室に転換されており、小中学校での実験観察の機会が失われていた。これを解消するために、地方自治体によって共同利用実験室を起点とする小規模な科学館が誕生し、その後、産業界、学界の支援を受け、ドイツ博物館をモデルとする実物志向の市立名古屋科学館が教育委員会以外の部局によって誕生した。戦後の教育改革に呼応して基礎教育を重視する文部省に対し、実践的能力の習得を目指す産業界が支援した大規模な産業技術博物館が公的施設として成立した。高度経済成長期において、人材育成が公的事業として位置付けられていた証左を示した。

2.2「公立科学館の変化−1980年代以降−」では、1980年代における公立科学館急増を考察した。1970年代にはオイルショックや公害問題が顕在化し、それまで高度経済成長を支えてきた科学技術に対する批判が噴出した。このような時代にも関わらず、模型や実験装置によって科学技術の原理原則を理解させる大規模な公立科学館が数多く設置された。これらは政令指定都市を中心とする大都市の教育委員会であった。地方自治体の予算推移を示す行政資料を分析することによって、第2次ベビーブーム世代の児童・生徒急増に対応するための学校建設資金が1980年代の科学館建設に結びついた事実を論証した。設置者の意向によって理科教育支援が展開され、高度経済成長期に萌芽した産業技術博物館のコンセプトは継承されず、公的事業としての人材育成は後退したことを示した。

 

3章「企業博物館の成立過程と地域産業活性化−電力PR館の事例を通して−」では、産業技術博物館の一角を占める企業博物館の代表的な存在といえる電力PR館の成立過程と、地域産業活性化の可能性について考察した。

3.1「電力PR館の成立過程」では、電力PR館の建物と土地の充当方法に着目しその成立過程を考察した。初期の電力PR館が発電所建設工事の視察者対応施設を起点に持ち、その後、発電所見学を希望する地域住民に対し受動的に公開され、次第にエネルギー・環境問題の普及啓発に積極的な姿勢を見せるようになっていった経緯を明らかにした。

3.2「電力PR館に保存された発電所建設記録映像の活用」では、電力PR館に保存された発電所建設記録映像が、発展途上国などでの地域の実情に合った発電所の建設を支援するツールとして活用可能であることを示した。初期の電力PR館の設立目的は資料保存ではなく、発電所見学の事前学習にあったが、企業博物館の成立過程の検証によって発電所建設記録映像の存在が導かれた。博物館の成立過程は、博物館資料の探索に重要な意味を持つことを示した。

3.3「技術史資料の活用による地域産業活性化方策の提案」では、産業技術博物館に収集された技術史資料の活用による地域産業活性化について問題提起した。技術史の活用は、既存技術を組み合わせて迅速な商品開発を図る最近の企業における研究開発動向に合致するものであり、技術史資料を知的財産として認知し、産業技術博物館を産業技術情報センターとして位置付けることを提案した。そこでは公立の産業技術博物館や大学の関与も重要で、産業技術情報公開の果実は地域における産業クラスターが享受する可能性の高さを見出した。

 

4章「結論」においては、本研究で得られた結果を総括し、既存施設の連携による新しい産業技術博物館の構想を提案し、今後の課題について述べている。

 

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