冒涜を貪るもの



 ――神代(かみしろ) ちとせは部活を終え、帰宅の途中に通り魔が出現するという場所の付近にあえて足を伸ばした。
 もちろん、退治をするためだ。

 朝のホームルームの前の時間は、この頃出没しているという通り魔の話で持ち切りだった。
 出没時間は、黄昏(たそがれ)の頃から丑三つ時(うしみつどき)の頃まで。
 行動範囲は狭く、一定の範囲内に突然現れては、刃物で通行人を斬りつけていくらしい。
 被害者の身体には、共通の形をした傷が刻まれていた。
 腕や脚の場合もあり、胸や背中の場合もある。
 深さも大きさにも統一性はなかったが、傷の形だけはすべて一致していた。
 ――『十字傷』。
 犯行は同一犯の仕業だと推測された。
 もちろん、警察も動いていたが、捜査官の一人までもが、その通り魔に襲われ、重傷を負った。
 抵抗する犯人に、捜査官は止む無く発砲したのだが、弾丸を弾かれてしまい、驚いたところを斬られたのだという。
 しかも、周囲には他にも多数の人間がいたにも関わらず、彼の声は誰にも聞こえていなかった。
 それどころか、斬られるところすら目撃されていなかった。
 気づいた時には彼は血を流して倒れていたのだという。
 これは彼だけに当てはまることではなかった。
 この通り魔の被害にあったものの中には白昼堂々襲われたものも何人もいるのだ。
 その誰もが、他の通行人がまったく気づかないうちに斬られていたという。

 この世にあらざるモノの仕業。
 ちとせはそう確信していた。
 被害者の一人は猫ヶ崎高校の陸上部の後輩の女の子だった。
 部活の前に、着替え中のロッカールームで、彼女の腕に巻かれた包帯を見て、ちとせが聞き出したのだ。
 不幸中の幸いにも、後輩の斬られた腕の十字傷は傷跡も残らない程度の深さだったが、邪悪さを帯びた瘴気(しょうき)に侵されていた。
 瘴気と傷の具合から、犯人は、人に仇なす(あやかし)なのは間違いない。
 今までの被害者が一人も死亡していないことから、強力な妖ではなさそうだが、人に害を為すモノならば、放ってはおけない。
 姉の葵の治癒術の込められた霊具で後輩の傷を癒やし、瘴気も浄化させたが、ちとせは怒りに目を燃やした。
 肉体に傷は残らなくても、精神に刻まれた恐怖心はそう簡単に消えるものではないからだ。
 怯える後輩を安心させるように力強く頷き、ちとせは妖物退治を引き受けたのだ。

 ――ちとせの首筋に冷たい感覚が走った。
 いつの間にか、目の前に、サラリーマン風の男が現れている。
 貧相な中年の男だが、右手で握った日本刀は禍々しい妖気(チカラ)を発している。
 (くだん)の通り魔だろう。
 真正面から声も上げずに斬りつけてきたが、カウンターの廻し蹴りを打ち込むと、明らかに怯んだ様子だった。
 ――ちとせの予想通り、相手は強力な存在ではなかった。
 サラリーマンの動きは素人そのものだった。
 まるで刀に引っ張られるように斬りかかってくるだけだ。
 これまでは何体もの妖や魔と戦ってきたちとせには直感で分かった。
 ――本体は、『日本刀』だ。
 ちとせは身を捻って、突きを避けると、手刀をサラリーマンの手首に打ち下ろした。
 スーツを着た男の手から、刀が落ちる。
 カランっと金属音が道路に響いた。
 男が小さく呻いて、地面へと倒れた。
 その顔からは険が取れている。
 ちとせは退治して、安堵の息を吐いた。
「どうやら、このサラリーマンも『妖刀』に操られてた一般人みたいだね」
 妖は、『男』の方ではなく、『刀』の方のようだ。
 『刀』が、男の精神と肉体を乗っ取り、辻斬りを繰り返していたのだろう。
 そうすると、彼は加害者であると同時に被害者でもあるのだろう。
「このおじさんも助けしてあげないとね。それにしても、この『妖刀』……もしかして、『村正(ムラマサ)』かな」
 『村正』は、妖刀と呼ばれるモノの中でも有名な部類に入る。
 理由は単純で、かつての江戸の支配者である徳川家に仇を為すと謂われていたためだ。
 徳川家康の祖父・清康(きよやす)、父・広忠(ひろただ)は謀反人に村正で斬られて暗殺され、家康の長男・信康(のぶやす)が謀反の疑いで織田信長に切腹を命じられた時の介錯に使われたのも、家康の妻・築山御前(つきやまごぜん)の殺害に使われたのも、『村正』だったという。
 また一説には、大坂の陣で、真田幸村が徳川軍の本陣を急襲した折、家康に投げつけた刀も村正であり、江戸幕府転覆を企てた由井(ゆい) 正雪(しょうせつ)が所持していたのも村正だといわれているほどだ。
 真偽のほどは定かではないが、それは問題ではない。
 人の口端に上り、噂として流布し、伝承として形成されることで、『村正』はチカラを持ち、真に『妖刀』と化したのだ。
 そして、どういう経緯でこの街に流れ着き、この男に取り憑いたかは不明だが、刀としての本能――人を斬り、血を啜ること――に忠実に、通り魔を繰り返していたのだろう。
 とにかく、あとは、この危険な『妖刀』を壊すなり、封印するなりすれば、通り魔騒ぎは終息するだろう。

「もしもし、おじさん。ダイジョブ?」
 ちとせは、倒れているサラリーマンを起こそうと、屈み込んだ。
 そこで、初めて気づいた。
 サラリーマンの顔が、人間のものではなくなっている。
 (わら)を束ねたような形になり、鼻がない。
 両目と口はぽっかりと開いた真っ黒な穴へと変わっている。
 見れば、両手もいつの間にか、捩じった藁のようなものになっている。
「藁人形?」
 『妖刀』が作り出したモノだろうか。
 本体から切り離されたため、本来の姿に戻ったのか。
 そう思ったが、ちとせは次の瞬間、考えが間違っていることを知った。
 藁人形の両手が伸び、黒いオーバーニーソックスを穿いているちとせの両脚に巻きついたのだ。
「なっ……!?」
 驚きながらも、感覚を藁人形へと集中させる。
 しかし、――藁人形からは、妖力を感じられない。
「やっぱ、ただの人形なのに、……本体の『妖刀』からチカラの補給もなくて、なんで……?」
 浮かび上がる疑問に答えを得るよりも早く、今度は今いる『丁字路』の正面の壁の向こうに生えている樹木から枝が伸びてきて巻きつき、ちとせの両手の自由を奪った。
「しまっ――」
 罠だ。
 この『妖刀』は。
 そして、この『藁人形』もダミーだ。
 本当の敵は、別にいる。
 『丁字路』の正面の壁に黒い染みが浮かび上がるのが見えた。
 黒い三日月が三つ。
 笑った両目と、唇の両端が釣り上がった口。
道祖神(ドウソジン)の片割れの魂の器よ。ぬしを虜にする機会をずっと待っていたぞ」
 壁が不気味な声を発したと認識した時、ちとせの腹に衝撃が突き刺さった。
「かはっ……!」
 壁の口から、『黒い腕』が伸び、ちとせの鳩尾に『拳』が深々とめり込んでいた。
 咳き込みながら、唾液とともに肺の中の空気を吐き出す。
 意識が遠退く。
 簡単な祓いだと思っていた。
 だが、違う。
 これは。
 もっと根深い。
 『この場所』自体が、強力な妖異……。
 せめて、相棒の悠樹(ゆうき)を連れてくるべきだった。
 ここまでの妖異とは予想しておらず、一人でもどうにかできると思い込んでいたし、部活の後輩が傷つけられたことの動揺もあり、いきり立ってもいたのだろう。
「それでも、どうにかするしかないってね」
 ちとせが思考を入れ替えるスイッチを押すように言った。
 後悔はしても、後悔し続けはしない。
 猫のように眼力(めぢから)のある大きな瞳で、前方の壁の黒い染みを睨みつける。
 気合いを入れる。
 全身を青白い光が駆け巡る。
宇受賣(ウズメ)さま!」
 魂の繋がった芸能の女神に呼び掛ける。
 頭上に光が降り注ぐ。
 豊かな胸の谷間が覗く艶やかな衣を纏い、宝石を通した蔓草で長く美しい黒髪を飾った女神が天から舞い降りてくる。
 女神を身に降ろせば、その力をあまねく行使できる。
 目の前の妖異にも、十分に対抗できるはずだ。
 だが。
 異変が起こった。
 女神が、ちとせに身を重ねるよりも早く、四方から延びた蔓や蔦が、天宇受賣命の四肢に絡みつき、動きを封じてしまったのだ。
 天宇受賣命は神格らしく半霊体であり、物理的な力では拘束できないはずだった。
 それが今、手足を拘束されているちとせと同じような姿で空中に固定されてしまった。
 女神の顔には焦燥の、ちとせの顔には驚愕の色が浮かんだ。
 壁の黒い染みの笑みが陰惨さを増した。

 ――ちとせは、妖気の通った藁に両足首を、樹木の枝に両手首を拘束されていた。
 猫ヶ崎高校の制服であるブレザーは中の白いブラウスとともに其処彼処を引き裂かれ、清潔感のある水色のブラジャーとショーツが痛んだシャツとスカートから覗いている。
 しかも、酷いのは、ショーツの中央には両腿の間を通った鉄の鎖が食い込み、股間をギチギチと締め上げているのだ。
「うぐっ、あああっ、ぐっ、くぅ……!」
「さすがに頑丈だな。道祖神の片割れの器よ」
 正面の壁に現れている顔のような黒い染みが嘲りの混じった声で言う。
 女性のもっとも大事な部分を痛めつけられる苦痛に身を捩らせながらも、ちとせが壁を睨みつけ続ける。
「道祖神……宇受賣さまのことか。おまえは……うぐぅっ!」
「我は辻神(ツジガミ)。それだけ言えば、ぬしにも、女神にも解かろう」
「辻神……!」
 辻神。
 それは、この『丁字路』や『十字路』のような道の交差した場所――『辻』に棲みついている魔物だ。
 辻は古来より、異界と繋がっているといわれ、辻神は異界から災いを呼び込むという。
 そして、この辻神の齎す厄災を防ぐために、路傍に祀られているのが、道祖神と呼ばれる男女一対の神だ。
 この道祖神は、道案内の神ともされる猿田毘古神(サルタヒコノカミ)と、その妻の天宇受賣命であるという説もある。
 天宇受賣命は神代家の祖でもあり、神代神社の祭神でもあり、ちとせが神降ろしの契約をしたことで魂と魂が繋がった女神でもある。
「道祖神でもある天宇受賣命は、路傍の厄を阻み、辻の災を支配する我の力を殺ぐ。だが、その魂――つまり、ぬしの魂もだが、砕き、取り込めば、辻から厄災(やくさい)をこの街へ呼び込む我が妖力は格段に増そう」
「ボクと宇受賣さまを生贄にしようってワケ?」
 ちとせは苦痛に耐えながらも、強気の態度を崩さない。
 目の前の辻神という魔物は、倒すべき邪悪だ。
「生贄をすぐに殺さないところが、三流っぽいよ、あなた」
「口だけは達者のようだ。道祖神も、天宇受賣命も、性交(まぐわい)に深き関わりのある神。ぬしにもこういう苦痛で魂を砕くのが効果的だ。だが、犯しはせぬ。性交で変に霊力を増されても困るゆえ」
 辻神は力を込めて、ちとせの股間に食い込んでいる鎖を引き上げた。
 メリメリと音を立てて、鎖がショーツに深く埋まり、女性の最も大事な部分への破壊圧が増す。
「はぐぅっ……!」
 ショーツに食い込む鎖の齎した股間を引き裂かれるような激痛が、ちとせの意識を奪う。
 ポニーテールを結った頭が項垂れ、半開きの唇の端から苦痛に絞り出された涎が流れ落ちる。
「酷いことを」
 ちとせが気を失ったのを見て、天宇受賣命が呻く。
 辻神は、ちとせの股間を鎖で締め上げる力を微塵も緩めず、天宇受賣命を見上げた。
「道祖神よ。ぬしこそ、この小娘の魂であり、この小娘こそ、ぬしの肉体」
 地面に転がっていた『妖刀・村正』が、ゆっくりと浮き上がる。
 そして、失神しているちとせの胸をザシュザシュッと二度斬り裂いた。
 高校生にしては豊かな胸を包んだ水色のブラジャーが赤く染まる。
「うわあああああああ!?」
 谷間の深い瑞々しい二つのふくらみに跨って、斜め十字の傷が刻まれ、ちとせが激痛に覚醒する。
「肉体を朽ちさすだけでは生贄にはならぬ。魂たるぬしには砕け散ってもらおう」
 血に濡れた『村正』は拘束されているちとせの背後へと回ると、また左右から背中を斬り裂いた。
「があっ、はっ……!?」
 背にも、斜め十字の傷が刻まれ、ちとせは再び意識を手放した。
「ぬしほどの神格には通常の刀では傷も付けられまいが、これは『妖刀・村正』。切れ味をとくと味わえ」
 今度は、空中に拘束されている女神の周囲を、『村正』が飛び回る。
 腕を裂かれ、腿を突かれ、胸を刺され、背を斬られる。
 そのたびに『女神の血』――精神の滴が、魂の雫が、点々と『丁字路』に降り注ぎ、壁や地面といった『辻神の一部』へと染み込んでいく。
 女神が苦痛の声を漏らすよりも早く、ちとせの悲鳴が上がった。
 苦悶の表情で女神が、ちとせを見下ろす。
 裂けた制服から覗くちとせの身体の其処彼処に、赤黒い痣が浮かんでいる。
 それは、女神の身体に刻まれた裂傷や刺傷と同じ箇所だった。
聖痕(せいこん)というわけではないが、ぬしと小娘は魂が繋がっているからな。ぬしが斬られれば、小娘も苦痛は味わうこととなる」
 ちとせは肉体に走る激痛で覚醒させられたが、すぐに鎖がメリメリと股間へ一層に食い込む痛みに絶叫を絞り出される。
 天宇受賣命もまた、全身を『妖刀』で膾斬りにされていく激痛に悶え、苦しみ、自分の身体を形成している魂を削られていく。
「さて、ぬしと小娘、どちらが先に魂が壊れるか」
 舌舐めずりでもするような声で、辻神が嗤った。

 ちとせの帰りがあまりにも遅い。
 携帯電話も繋がらない。
 神代 (あおい)が、奇妙な胸騒ぎを覚え、白衣に緋色の袴という巫女装束で、神社を出たのは陽の沈んだ後だった。
 悠樹の帰りを待ってからとも思ったが、今日は化学研究部の研究で帰宅はかなり遅くなるとあらかじめ聞かされていた。
 ちとせの行方に心当たりはある。
 先ほどもテレビの猫ヶ崎市のローカルニュースで報道されていた『十字傷を刻む通り魔の事件』だ。
 通り魔の正体は不明。
 被害者も、その周りにいた人間も、事件発生時の記憶が曖昧で、有力な情報の提供はないという。
 ――これは、怪異ですね。
 人間の仕業ならば、警察に任せるべきだが、葵はこの事件に人外の気配を感じ取っていた。
 被害者がいきなり斬られたこと、犯人を覚えていないこと。
 そして、場所。
 さほど広い範囲に渡らず多発している。
 その中心にあるのは、『丁字路』――『辻』だ。
 万が一の時に備えて、霊術を施した霊具を何個か持つのを忘れなかった。
 霊力はちとせよりも葵の方が高い。
 だが、ちとせのように霊気を攻撃力に変換する魂振(たまふり)は不得意としていて、逆に、治癒術や結界術、封印術などの魂鎮(たましずめ)には素晴らしい才能を発揮する。
 姉妹で間逆のタイプだが、悪霊や悪魔を祓う時には、お互いの長所を活かした見事な連携を見せることができている。
「とにかく、行ってみるしかありませんね」
 葵が思考を入れ替えるスイッチを押すように言った。
 後悔はしても、後悔し続けることはしない。
 葵もまた、ちとせと同じで、前向きなのだ。

 だが、現場について、葵は恐ろしいほどの寒気を感じた。
 世界から色が失われている。
「結界……?」
 違う。
 すぐに否定が浮かんだ。
 ここは。
「ここは、『辻』……異界と限界を繋ぐ場所」
 これは結界ではなく、『この場所』が妖異そのものなのだと、直感していた。
「どうやら、妖異の正体は、辻神ですね」
「巫女よ、ぬしも道祖神の血族か。この小娘より、洞察力があるようだが」
 不気味な声が響いた。
 そして、目の前に手足を拘束されている少女の姿が、空間から滲み出るように現れてくる。
 少女は尻尾の部分の長い特徴的なポニーテールをリボンで纏め、猫ヶ崎高校の制服のブレザーと丈の短いプリーツスカートを穿いていた。
 だが、その姿は無残だった。
 ブレザーと中のブラウスは裂かれているために水色の下着が露出してしまっており、ブラジャーは乳房に刻まれた斜め十字の斬傷から溢れ出た血で真っ赤に染まっている。
 その他も、身体中に切り傷や刺し傷の痕を思わせる赤黒い痣が刻まれている。
 肉体のダメージを表すように、顔は項垂れ、唇の端からは血の筋が流れ落ちている。
 そして、何よりも悲惨さを伝えているのは、ボロボロのプリーツスカートから覗くショーツに深々と食い込んだ鎖だった。
 それはメキメキと音を立てて、水色の布に覆われた股間を痛めつけ続けている。
「ちとせ!」
 妹の名を呼んだが、返事はない。
 過酷な地獄の責め苦を受けて、意識が途絶えているようだ。
 違和感がある。
 ちとせは決して弱くない。
 いや、弱いどころか、大抵の妖異や悪霊では対抗できないほどに、強い。
 隙を見せたのかもしれないが、あの程度の拘束を脱出できないほどではないはずだ。
 そこへ、ポタポタと水滴が降ってくる。
「雨?」
 水滴は赤い色をしていた。
 血だ。
 葵が見上げると、信じられない光景が、そこにあった。
 全身が傷と血に塗れた、天宇受賣命が空中で拘束されている。
 女神の衣は、ちとせの制服以上にボロボロに裂かれ、いつもならば色香が漂っているはずの肢体をかろうじて隠す程度に巻きついている。
 ちとせと同じように結っている黒髪も乱れ、生気のない顔に後れ毛が数本張り付いていた。
 豊かな両胸には交差するように斜め十字に深い傷が刻まれ、背中も同じ斜め十字状の傷が刀で抉られている。
 よく見れば、女神の全身に刻まれている大小の傷すべてが十字の傷のようだ。
 手足を拘束しているのは、正面の壁から延びた真っ黒い四本の腕だった。
 五本目の腕が伸び、女神の腹を殴りつけると、項垂れていた天宇受賣命が目を大きく見開き、血を吐いて覚醒する。
 吐血が壁や地面に染み込むと、大気が震え、葵の感じている寒気が強くなった。
 今度は黒い腕が、女神の乳房を殴り潰す。
 豊かな乳房が頭頂部から、ぐにゃりとひしゃげる。
 見ている葵が痛みを感じるほどの破壊の一撃。
 再び、女神の苦悶の声とともに溢れ出た吐血と全身の数多の十字傷から滴った血が『丁字路』を濡らした。
 葵は理解した。
 やはり、敵は辻神だろう。
 道祖神の特性を持つ天宇受賣命の神気(チカラ)を吸い取っているのだ。
 ちとせは天宇受賣命の器として、女神と魂が繋がっているため、女神を弱らせるために痛めつけられているのだ。
 そして、ちとせがダメージを負うことで女神が力を弱らせ、女神がダメージを負えばちとせが衰弱していく。
 これは、ちとせか女神かのどちらか、もしくは双方の魂が砕けるまで続く地獄の輪廻だ。

「ぬしも始祖たる天宇受賣命に殉じて生贄になると良い」
「拷問とは趣味の悪いことをしますね」
 いつもは穏やかな葵も表情は厳しく、声も重い。
 実の妹と、奉る女神を、これほどに痛めつけられて、怒らないわけがない。
「違うな。我は知りたいことなど何もない。ゆえに拷問ではない。ただ魂の破壊を欲するのみ」
「通り魔の件は?」
「チカラを欲するため」
「なぜ、チカラを?」
「ぬしたち人間を苦しめるためだよ。ぬしたちの負の感情こそ至高の美味ゆえ」
「なっ……」
「ぬしの怒りを感じるぞ。それもまた我には心地よし」
「……許し、ません」
 葵がこれほど怒りを顕わにするのは珍しい。
 善悪を両面から見ることを知っている。
 太陽は豊作をもたらす一方で、日照りで干ばつを起こす。
 雨もまた恵みを与えてくれるが、洪水なども引き起こす。
 善悪は、人間から見たものに過ぎないのだ。
 神でさえ、荒魂(アラミタマ)もあれば、和魂(ニギミタマ)もある。
 荒ぶる面と加護を与えてくれる両面を持っている。
 だが、この辻神は、邪悪そのものだ。
 肉親を嬲りものにされているという状況もあるのだろうが、辻神の純粋な悪意、そして、害意、それが許せない。
「ならば、かかってくるのだ。早くせねば、小娘が壊れるぞ」
 壁の黒い染みが耳障りに笑うと、ちとせのショーツに食い込んだ鉄の鎖が一層引き上げられる。
 女性のもっとも敏感な部分が磨り千切られてしまうのではないかと思われるほどの容赦のない勢いで鎖がショーツへとさらに深く食い込み、股間を抉った。
「ぐっ、うっ、あぐぅううっ……あぁ……ッ!」
 あまりの苦痛のためか、ちとせの意識が再び途絶えかけるが、女神が『妖刀』の襲撃で斬られ、すぐに苦痛によって再覚醒させられる。
「ちとせ!」
 葵の我慢は限界だった。
 これ以上、実の妹の苦しむさまを見てはいられない。
 両手の指の間に、白、黒、赤、黄、緑、そして、青の六色の勾玉をそれぞれ一つずつ挟むと、複雑な(いん)を切った。
 目の前に光り輝く五芒星(ごぼうせい)が浮かび上がり、勾玉にも青白い冷気が満ちる。
「はあっ!」
 葵が気合いの声とともに、五芒星の頂点を通して、白、黒、赤、黄、緑の勾玉を、そして、中心を通して青の勾玉を投げつける。
 六つの勾玉はすべて、辻神の本体であろう真正面の壁に直撃したが、それだけだった。
 爆発も何も起こらず、コロコロと地面を転がる。
「効かない?」
「それでは戦舞(いくさまい)囃子(はやし)にもなるまい。どうやら、天宇受賣命の血筋とはいえ、戦いは不得手と見える」
 辻神が壁から黒い腕を伸ばしてくる。
 葵は懐から鏡を取り出し、それを媒体として結界を張って防いだが、隙を見て反撃することはできなかった。
 ちとせであれば、黒い腕の大振りな攻撃を避けると同時に練っていた霊気を凝縮した強力な霊気球を辻神へ浴びせていただろう。
 だが、葵は慌てない。
 ちとせと同じ戦いは土台無理なのだ。
 霊術を駆使すべく、結界を解き、先ほどとは違う印を切る。
 しかし、その姿はあまりにも無防備だった。
 辻神が黒い腕を今度は二本伸ばし、葵の身体を挟み込むように押し潰す。
 途端に、葵の姿は霧散した。
「幻影とは小癪な」
 本物の葵は辻神に接近しており、五芒星の描かれた霊符(れいふ)を叩きつける。
 今度は、爆発こそ起こったものの、辻神はさしてダメージを受けた様子はない。
 逆に女神を切り刻んでいた『村正』を呼び戻し、葵へと飛ばす。
 葵は横に跳んで避けようとしたが、胸を浅く斬り裂かれた。
 巫女服の純白の布が舞い、豊かな胸に斜めに赤い筋が刻まれる。
 『村正』はすぐに反転し、もう一度、逆方向から葵の胸を斬り裂いた。
 ちとせや天宇受賣命と同じように、両乳房に渡って斜めの十字架が刻まれる。
 裂けた巫女服から豊かな胸がまろびでそうになるが、胸もとを隠す余裕などない。
 次の一撃はどうにか張った結界で弾き飛ばしたが、葵の息はすでに荒い。
 気力が衰えてきている。
 だが。
 あきらめる気はない。
 ――次は背中を斬られる。
 葵は思った。
 芸能の女神の胸と背には、斜め十字の傷が刻まれていた。
 ちとせの胸にも斜め十字の傷が走っていた。
 こちらからは見えないが、背中にも同じような傷を『村正』で抉られているはずだ。
 『村正』の癖か。
 否。
 『村正』は、刀だ。
 相手を斬るための道具に過ぎない。
 十字傷は、辻神の仕業だ。
 きっと、『儀式』に違いない。
 辻神は『丁字路』や『十字路』に潜む魔物。
 生贄に、『自分の刻印』たる『十字』の傷を負わせることで、魂を取り込みやすくしているのかもしれない。
 何しろ、生贄は、辻神の天敵の道祖神と、その巫女だ。
 『自分の刻印』をつけることで、獲物より優位に立つに越したことはないだろう。
「なら、私の背中を狙ってきなさい」
 そう口の中でつぶやく。
 破れかぶれではない。
 冷静だ。
 もちろん、簡単に斬らせるわけにはいかない。
 すでに胸からの出血のひどいこの身体で、動けるだけ動かなくてはならない。
 『村正』が飛んでくる。
 全身の運動神経を駆使して避ける。
 すると、予想通り、くるりと方向転換して、背中を狙ってくる。
 葵は地面を転がって避け続ける。
 動けば動くほど、巫女服の白衣の前面の大部分が赤く染まり、緋色の袴も血が染み込んで色を濃くしていく。
 地面に突き刺さる『村正』。
 その間に身を起こす。
 だが、すでに意識は朦朧としている。
 辻神の黒い腕が伸びてくるのが見えた。
 強烈な一撃が、腹に打ち込まれる。
「かっ、ふっ、……あぁっ……!」
 衝撃で胸の傷が開き、出血が増す。
 さらに左右から伸びてきた二本の黒い腕が、葵の両腕を捉えた。
 そこへ、地面からもう二本の黒い腕が生えてきて、緋色の袴ごと葵の両脚を鷲掴みにした。
「あっ、……かっ、ぐぅっ、あああっ!」
 万力のような力で締め上げられ、葵の手足が軋んだ音を立てる。
 そこに別の拳が、もう一発鳩尾を突き上げるように打ち込まれる。
「ごほっ……」
 競り上がってきた赤い液体の欠片が空気とともに吐き出される。
 意識が薄れる。
 ダメよ。
 まだ、早い。
 焦点の合わない目で、遠くを見つめながら、葵はどうにか意識を繋ぎ止めた。
 もう少しだけ……。
「なかなかの気力だが」
 辻神の嘲弄の声が響き、葵の背に二度の灼熱が走った。
 『村正』に斬られ、斜め十字の印を刻まれたのだ。
 血が溢れ出して背中を濡らしていく。
 白衣はもはや前も後ろも真っ赤に染まっている。
「この程度で、私が屈すると思っているのですか」
 気力を振り絞って、できるだけ挑発的に言った。
「まだそのような口がきけるか」
 辻神がそう返してきたので、無理やりに唇の端を釣り上げる。
 うまく、笑えただろうか。
「よかろう。まずは、ぬしの魂から砕いてやろう」
 辻神の反応を窺う限り、小馬鹿にした笑いを浮かべられたようだ。
 左右から伸びてきた黒い腕が、葵の肌蹴かけている血染めの白衣から覗く豊かな両胸を握り潰した。
「くっ、ああああっ!」
 乳房を潰される激痛に(おとがい)を反らせて、葵が悲鳴を上げる。
 さらに、地面から新たな黒い腕が伸びてきて、緋色の袴の上から、葵の股間を鷲掴みにした。
「はっ、ぐぅっ、うああああっ!」
 脳天に突き抜ける痛みが、葵から絶叫を絞り出す。
 ――でも、まだあと少し……。
 両胸と股間が、血に染まった白衣と緋色の袴の下でミシミシと軋んだ音を立てている。
 だが、地獄の責め苦に等しい苦痛を与えられて尚、葵は意識を失うことを拒み続ける。
 その一方で、生贄が手も足も出ずに絶叫を上げる様子は、辻神に嗜虐の愉悦をもたらしているようだった。
「今少し時間をかけて、じっくりと痛めつけ、ぬしの魂が砕けるまで、苦しむさまを楽しむとしよう」
「……いいえ、あなたには残念なことですが、時間切れです」
「何?」
 不審の声を上げる辻神を遮り、何かを呟くような声が聞こえてくる。
 朗々と。
「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ……」
 ちとせの声だ。
「……ちとせ、あとは任せましたよ」
 葵は勝利を確信し、安堵し、そして、意識を手放し、ガックリと項垂れた。
 拘束されているため、倒れることもできず、未だに両胸と股間へ破壊圧を加えられ続けているが、その表情は穏やかだった。
「小娘がなぜ?」
 辻神の疑問が形となったように『辻』を覆う瘴気が揺れる。
 その答えは、ちとせの足もとにあった。
 六つの勾玉が転がっている。
 白、黒、赤、黄、緑の勾玉が、ちとせを中心として、五芒星を描いていた。
 葵が辻神に叩きつけたものだ。
「あの勾玉は、我を攻撃するためのものではなかったというのか」

 ちとせの全身は生気に満ちていた。
 彼女の真下にもう一つ、青色の勾玉が転がっており、青白い光の柱で、ちとせを包んでいた。
 ちとせの傷がみるみると癒されていく。
 治癒術の込められた勾玉。
 そして、その癒しの光の柱は、空中に拘束されている天宇受賣命にまで届いていた。
 女神の全身の斬傷や打撲傷も、すぐに塞がっていく。
 バキンッ。
 金属音が響き、ちとせの股間を絶え間なく締め上げていた鉄鎖が砕け散った。
 すでに、両腕を拘束していた木の枝と、両脚を戒めていた藁人形は、燃えて炭となって崩れ落ちている。
 もはや、ちとせを縛るものは何もない。
 そして、同時に、天宇受賣命も、四肢の自由を奪っていた蔦や蔓を引き千切り、殴打を与えてきた黒い腕を、眼力(イヴィルアイズ)の圧力だけで粉々に砕いていた。
 女神を縛るものも、何もない。
「あの巫女は、最初から、ぬしを治癒するために勾玉を放ち、ぬしが回復するまで我の注意を惹きつけていたというというのか」」
「金は水を生じ、水は木を生ず……」
 驚愕を帯びた辻神の声を無視して、ちとせは方陣を発動するための詠唱を続けた。
 その間に、天宇受賣命が、舞い降りてくる。
 焦燥に駆られた辻神が、ちとせの首を狙って、『村正』を飛ばしてきた。
 先ほどまで獲物を嬲っていた余裕は、辻神にはすでにない。
 神降ろしが完全に終わる前に首を貫くための必殺の一撃だ。
 だが、次の瞬間に響いたのは、肉を貫く音でも、血の噴き出る音でもなかった。
 呪われた妖刀『村正』の呪われた刀身が、真っ二つに折れる破砕音だった。
 飛んできた刀を恐れることもなく、天宇受賣命が踵落としで砕いたのだ。
「かなり好き勝手に斬り刻んでくれましたからね。せめてもの意趣返しです」
 中心から折れ別れた刀身が勢いを減じて女神の後ろへと飛んでいくが、そこで詠唱を続けていたちとせは『村正』の亡骸をひょいっと身軽に避けた。
 そして、ちとせと天宇受賣命の姿が重なる。
 ズタズタに裂かれていた猫ヶ崎高校の制服が、古代の巫女装束へと変わる。
 神降ろし、完了。
 天宇受賣命の魂とちとせの魂が完全に結合し、女神の力が全身を満たす。
 ちとせの顔に会心の笑みが浮かぶ。
「こぉ〜んなにかわいい女の子を痛めつけてくれたり、姉さんを血塗れにしてくれたり、色香漂う女神さまの全身を斬りまくってくれたお礼はきっちり受け取ってもらわなくちゃね」
 陽気な調子だが、抑制された怒りを含んだ声で、ちとせが言う。
「ふっふ〜ん、人間の負の感情も大好物って言ってたよね。ほら、ものすごい怒りの感情をあげちゃうから、遠慮しなくて良いのよ」
 ポニーテールを結っていたリボンが彼女の高まる霊気に耐えきれなくなって解け、長い髪がぶわっと舞い広がる。
 そして、笑顔を真顔に変え、右手を前に突き出した。
 眼力(めぢから)のある猫のような大きな瞳で、辻神を睨みつけながら、手のひらをぐっと握り締めた。
「喰らえ、五色霊方陣(ごしきれいほうじん)ッ!」
「――ッッッ!!!」
 ちとせを中心とした五芒星の頂点から五色の眩い光の球体が飛び出す。
 向かう先は、辻神の本体と思われる正面の壁。
 不気味な笑みを浮かべていた黒い染みの形は、驚愕の表情へと変っている。
 天宇受賣命の神力(チカラ)は、辻神の天敵である道祖神の特性を持つのだ。
 辻神にとっては致命的な打撃を受けることになるだろう。
「オオオオオオオオオオオオッ!?」
 それは断末魔か、命乞いの叫びか。
 どちらにせよ、地獄を見せられたちとせには聞く価値のないものだ。
 五色の光球が同時に辻神へ着弾し、辺り一帯は閃光に包まれる。
 それで終わりではない。
 次の瞬間、ちとせの両手から放たれたとどめの巨大な霊光球が放たれた。
 そして、落雷のような爆裂音が響き渡った。
 それが、通り魔の犯人――妖異『辻神』の最期だった。

「はあッ、はあッ、はあッ、はあッ!」
 ちとせが荒い息を吐きながら、よろめく。
 神降ろしが自然と解け、天宇受賣命がその身から浮かび上がる。
 巫女装束から、ボロボロの制服姿に戻ったちとせは、その場に両膝を折った。
 黒のオーバーニーハイソックスが汚れるが気にしている余裕はない。
 酸素を貪り、咳き込み、また酸素を貪る。
 拘束され、女性のもっとも大切な部分を痛めつけられるという屈辱に耐え、冒涜的な拷問まがいの暴行に晒され続けたちとせは極度に体力を消耗していた。
 魂の繋がっている天宇受賣命の受けた暴虐も、精神に根深いところにダメージとして刻み込まれている。
 傷だけは葵の治癒術で完治していたが、立てないほどに疲弊していた。
 その肩がポンッと叩かれる。
 さすがに、ビクリとして振り返ると、巫女装束を血に濡らした葵が立っていた。
 彼女も相当にダメージを受けているようだが、凛とした佇まいは、それを感じさせない。
 しかも、それでいて、あたたかくやさしい雰囲気の微笑みを浮かべている。
「姉さん、ごめん。油断しちゃったよ」
「いいえ、強敵だったわ。傷跡が残らなければ良いのだけれど」
 ちとせも葵も治癒術で傷自体は塞がっていたが、両胸と背中の斜め十字の傷は思ったより深く、白い筋がまだ残っている。
 この後も傷痕(きずあと)が残らないように、治癒術や薬によるケアが必要だろう。
 『辻』を支配していた辻神が消え、世界には日常の色が戻っているが、すでに陽が没してから、だいぶ時間が経っているために周囲は暗い。
 夜空に浮かんだ月の光と、道路脇の電灯、それに近隣の家から漏れる明かりだけが、神代姉妹と女神を照らしていた。
「それにしても」
「どうしたの、ちとせ?」
「辻神がさ。道祖神も、宇受賣さまも、『マグワイ』に深き関わりのある神って言ってたんだけど、『マグワイ』ってなんだっけ?」
「そ、そそ、それは……」
 葵は気恥ずかしそうに頬を桜色に染めた。
「宇受賣さまはほら、天岩戸(アマノイワト)の時の例の踊りとかですね。ええ、まあ、そういう系統は得意というか、その、……そう、後の天孫降臨(てんそんこうりん)の時には猿田毘古神さまと『マグワイ』を……」
「道祖神は男女で一対、陽と陰で一対とするもの。餅つき道祖神というものもあります。『マグワイ』というのは、男と女の餅つき。つまりは、男女の交わり――『セックス』のこと」
 天宇受賣命が上から声を落としてきた。
 艶やかな声の中に嬉々とした響きがある。
 天宇受賣命の軽い調子の説明を聞いて、葵は耳まで真っ赤になっている。
 ちとせも顔が赤いが、興味は深々のようだ。
「そういうことについて詳しく知りたければ、高天原(タカアマハラ)ではワイ談の一番の名手として知られている私が、あれやこれや詳しく教えてあげましょうか?」
「うわっ、高天原で一番のワイ談の名手って、何ソレ!? ……って感じなんだけど」
天照大御神(アマテラスオオミカミ)さまですら、こっそり、あの岩戸の中に私を招いて聞きたがるくらいですよ」
「えっ、ちょっと、天照さまのイメージが……ボクの中だと輝けるような美人で、清楚で、大和撫子で且つ戦女神で……」
「あの人……じゃなくて、あの女神さまは美人だけどエロエロですよ。それに、実は引きこもりで、夜はいつも例の天岩戸に閉じこもって、携帯ゲームとかもやってますし。しかもエロゲ」
「エェェエ!? マジ? それってば、マジ?」
 女神は艶やかな笑みを浮かべて頷いたが、ちとせを促すように言った。
「ゆっくりとワイ談を聞かせてあげたいところですが、……今は面倒事に巻き込まれる前に、この場を退散した方が良いのでは?」
「確かに、ボクたちってば、衣服がボロボロで血塗れだし、警察が来ると厄介だね。それに、違う怪異に出会うのも、ゴメンだし」
 体力の残り少ない身体に鞭打って、ちとせが立ち上がる。
「宇受賣さまも、ボロボロなんですから、気をつけて帰ってくださいよ」
 女神は陽気に振舞っているが、天宇受賣命の道祖神としての側面は、辻神と対極を為すものだ。
 辻神による暴虐は、女神にも相当の消耗を強いているはずだ。
 だが、天宇受賣命は、疲弊を感じさせない動作で軽やかさに頷いただけで返事はしなかった。
 そして、ちとせと同じく猫のような眼力のある大きな瞳を夜空へ向けた。
 その半透明の姿が徐々に薄くなりながら、舞うように天へと昇っていく。
 月光の中で、天宇受賣命が振り向いた。
「ワイ談を聞きたくなったら、いつでもお呼びなさい。楽しい『マグワイ』の仕方も享受してあげるわよ」
「……って、事件を解決して、天に帰るって時のセリフがそれッ!?」
「……宇受賣さま。さすがに、少し自重してください」
 ツッコミを入れる神代姉妹に、月の光に溶けていくように天に昇っていく女神は悪戯っぽい表情を向け、ウィンクをして姿を消した。
 辻神によって行われた凄惨な暴虐と瘴気の痕跡を浄化するような色香を残して。


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