投擲
ミリア・レインバックは頬が火照ってくるのを感じていた。
ふっと息を吐く。
熱い。
どうしようもなく、熱い。
手にしたオールド・ファッションド・グラスにオン・ザ・ロックで注がれた
彼女はアルコールでは、酔うことなどできはしない。
蒸留酒など、水と同じだ。
人間の、夢。
彼女は、夢を貪る。
夢を見られぬゆえ、夢を貪る。
人の姿をしていながら人ではなく、人との関わりを持たずには存在しえない。
人間の生の光を奪う。
彼女の奥にあるのは、人間の光を奪う深遠の奈落。
生を滅する無限の喪失。
すべてを手に入れようとする永遠の枯渇。
ミリアが傍らに立てかけてある銀色の竪琴に、そっと指を触れる。
現代的な秘書スーツに身を包んだ彼女にはおよそ似つかわしくはないはずの竪琴は、だが、しかし、まるでミリア本人と一心同体であるかのように彼女と一緒にあることが自然と絵になっていた。
そこには、すべてから自由である彼女を唯一縛る、『ミリア・レインバック』の『名』が刻まれている。
人間の時間で遥か昔に出会った『ミリア・レインバック』のことを想い浮かべる。
まだ、足りていない。
あの修道女の誇らしい生の域には達していない。
あの一遍の曇りもない笑顔で旅立った神の下僕の満足には及んでいない。
あの『ミリア・レインバック』の名にまだ届いていない。
わかっている。
渇いた魂を潤すためには
自分自身の『ミリア・レインバック』の名を潤すには、生贄が必要なのだ。
彫られた文字をなぞる。
冷たい銀の感触が、細い指先から伝わってくる。
酔いが深まるのを感じた。
部屋の窓から夜風が吹き込んできた。
艶然とした黄金の髪がなびき、左側だけ目を隠すように垂らした前髪が揺れる。
ミリアは深い息を吐いた。
風は、酔い覚ましにはならない。
なぜなら、風こそが彼女の酔いを深めるのだから。
繊細で、剛毅で、そして、複雑な、風。
風を掴むことはできない。
だが、掴めないものほど欲しくなる。
絶対に手に入らないものだからこそ、欲しくなるのだ。
ミリアはテーブルの上に置かれていたナイフを手に取った。
その峰を真っ赤に濡れた舌で、なめ上げる。
冷たい輝きを放つ濡れた刃に、夢魔の美貌が映し出されている。
彼女はタイトスカートのスリットから覗く美しい脚を組んだまま、手を振った。
壁に貼った写真にダーツのように投擲されたナイフが突き刺さる。
「――坊やの果てた顔、拝みたいものね」
テーブルに両肘を立て、組んだ手の上に美しい顎を乗せる。
うっとりとした視線が壁の写真を射抜いている。
ナイフは写真に写っている少年の額を正確に貫いていた。