暑気払い
「ダリぃ〜っ!!」
長い黒髪の左前髪だけを真っ赤に染め、背中に伸ばした何房かを金色に染めた派手な髪色をしている。
赤い前髪が顔の左半分を隠していたが、右半分の歪みから苛ついていることがすぐに分かった。
黒のキャミソールにデニムのボトムという格好で、ショルダーバックとギターケースを背負って、荒く息を吐いている。
「まだ、着かないのか。ダルくて、死ぬぅ!!」
三十一回目の「ダルい」がつるぎの口を出ると、彼女の前を歩いていた
「もう、つるぎ! ダルいダルい言わないでよ! 余計疲れちゃうじゃない!」
響は、つるぎとは対照的にショートカットで、服もつるぎの黒に対して白いノースリーブのサマードレスという格好をしていた。
ワンポイントでピンクシルバーネックレスを首にかけ、肩にはつるぎと同じ形のショルダーバックを抱えている。
「んなこと言ったって、ダルいモンはダルいんだよ!!」
「根性ないわね!」
「んだと!?」
「まあまあ、ふたりとも。怒ると暑さ倍増だよ」
つるぎと並んで歩いていた背の低い少年――
巨大なリュックサックを背負っているあたり、童顔で華奢な体型のわりには力があるようだ。
「う〜っ」
つるぎは不満そうにしながらも引き下がる。
が。
「そうそう、楽しくしましょう。ね? というわけで、親密に……」
最後尾を歩いていた
「ひいっ、し、秀一郎!?」
「仲良くしましょう」
「おまえは暑苦しいんだよォォォォォッ!!」
つるぎの渾身のアッパーカットに、秀一郎は吹っ飛んでいった。
――またたび島。
猫ヶ崎の海の入口、猫ヶ崎湾の沖に浮かぶ孤島だ。
島の全周は十数キロで、島のほとんどが森に覆われている。
気候は一年中涼しく、夏には避暑地として人気も高い。
また、古代遺跡が数多く点在しており、考古学的価値は計り知れないと言われ、多くの研究者がやって来る島でもあった。
そのまたたび島に、猫ヶ崎高校の軽音部、インディーズバンド『Lunar』のヴォーカル担当の月嶺響、ギター担当の諸刃野つるぎ、ドラム担当の鳳朱鷺、ベース担当の風祭秀一郎の四人は夏休みを利用して、またたび島に来ていた。
夏休みを利用した強化合宿という名目の集まりだったが、今だ目的の民宿に着かない。
高校生ゆえに自動車免許を持っていなかったのが、災いした。
港から出る公共交通は日に数本のバスだけで、響たちはそれに乗り損なってしまったため、徒歩で移動することになったのだ。
せめて自転車でも持って来れば良かったのだが、もはや後悔しても遅い。
「う〜っ、いい加減、足が痛くなってきた。もう歩けねぇ!」
「つるぎさん、あと少しですから、がんばりましょうよ」
先ほどから文句たらたらのつるぎを宥める朱鷺。
「仕方ないわねぇ」
休めそうな場所を探して、響がキョロキョロと周囲を見回す。
朱鷺も周りに視線を廻らせるが、如何せん彼は背が低い。
秀一郎が何かを見つけた。
「あっちに、座れそうな岩がありますね。あそこで休みましょうか」
「決定」
即座に、つるぎは秀一郎が示した方向に歩き出した。
「……まだ歩けるじゃないの」
響は肩をすくめて、つるぎの後に付き、その後に、朱鷺と秀一郎が続いた。
「おっ」
つるぎが嬉々とした声を上げる。
「どうしたの?」
響が不思議そうな顔をしてつるぎに尋ねたが、歩を止めた彼女の横に並ぶと理由がわかった。
岩のある場所から下ったところに小川が流れているのが見える。
「涼やかなるかな、涼やかなるかな」
つるぎが岩に腰掛けることなく、上機嫌に呟きながら小川へと降りていく。
「やっぱり、まだ歩けるじゃない」
少々呆れながらも、響もつるぎに続く。
朱鷺と秀一郎も二人を追って小川へと降りて行った。
「川辺は、空気がひんやりとしていて気持ちが良いわね」
風に髪をなびかせて、響が笑顔で言う。
その隣で、つるぎがサンダルを脱ぎ捨てて、素足を小川に浸けていた。
「水も冷たいぜ。朱鷺ちゃんもどう?」
傍らに来た朱鷺の手を引いて小川の中へと進んでいく。
「うわっ、つるぎさん、ちょっと……」
朱鷺が慌てた声を上げるが、空しく靴を脱ぐ間もなく引きずり込まれてしまった。
「びっしょびしょだよ、もう」
「イイじゃん、別に。服まで濡れたわけじゃないしさ」
「良くないよ、まったく」
そう言いながらも、朱鷺も小川の水に歩き疲れていた足が冷やされる心地好さに目を細めている。
秀一郎は二人を羨ましそうに眺めている。
朱鷺とつるぎは恋人同士で、時折二人だけの世界に入ってしまう。
秀一郎は周囲にはいわゆるプレイボーイと認知されていて、実際何人もの女性とデートをしたりしていたが、特定の恋人といえる存在はいない。
女性に不自由しているわけではないが、こういう場面に遭遇すると無性に羨ましくなってしまう。
響も付き合っているといえる人間はいないはずだが、秀一郎がいくら声をかけても付き合ってくれるような兆候は見せてくれない。
あくまでも彼女にとっては、秀一郎はバンドのメンバーの一人に過ぎないようだった。
――響さんとああやって睦み合いたいもんだよねぇ。
秀一郎が軽くため息を吐き、バンドの歌姫を見やる。
響は小首を傾げていた。
「響さん?」
不審そうに秀一郎が響の名を呼ぶ。
響は目をぱちくりとして、秀一郎を見上げた。
「何か聞こえない?」
「つるぎさんと鳳くんの声じゃないですか? さっきから、イチャついてますよ、あっちで。うらやましい。ぜひ、響さんもぼくと……」
「……違うよ。二人の声じゃない。それに、小川のせせらぎでも、小鳥のさえずりでもない」
「ふぅむ」
秀一郎も耳を澄ませてみる。
ショキ。
ショキショキ。
ショキ、ショキ。
「……何やら聞こえますね。確かに、つるぎさんでも鳳くんでもないようですが」
「あたしたちがどうしたって?」
つるぎと朱鷺が小川から上がってくる。
秀一郎は首を横に振った。
「いいえ、つるぎさんたちではなくてですね。何やら、音なのか声なのかわからないものが聞こえてくるんですよ」
「音なのか」
「声なのか」
「わからないもの?」
つるぎと朱鷺も首を捻りながら耳を澄ます。
ショキ。
ショキショキ。
ショキ、ショキ、ショキ。
「おっ、ホントだ。何か聞こえる」
「けっこうリズミカルですね」
「あっちの方から聞こえてくるみたい」
響が耳に手を当てながら、小川の上流を指差す。
確かに、この奇妙な音だか声だかは上流から聞こえてくるようだ。
「行ってみる?」
響が皆に尋ねると、残りの三人も興味がある様子で頷いた。
小川沿いに上流に歩いていくと、『それ』はだんだんと大きく、はっきりと聞こえてきた。
どうやら、『それ』は、歌のようだ。
歌っているのは一人ではないらしく、何色かの声が混じり合っていた。
「あれか?」
つるぎが川べりにしゃがんでいる三つの人影に気づいた。
三人ともザルで何かを洗っているようだった。
全員が十代半ばくらいの少女だった。
「信号機?」
少女たちを見た響が小首を傾げる。
赤、青、黄。
三者三様、染めているのか、派手な髪色をしていて、それぞれ髪の毛と同じ色の小袖のような服を着ている。
ただ奇妙なのは、頭の上に耳がついていることだ。
しかも、人間の耳ではない。
猫の耳、犬の耳、狐の耳。
三者三様、それぞれ違う動物の耳をしていた。
彼女たちが、ザルで何かを洗いながら、歌を歌っていた。
「ショキ、ショキ」
「小豆とごうか」
「ショキ、ショキ、ショキ」
「人とって食おうか」
「ショキ、ショキ」
どこか朗らかで陽気な歌が止まる。
三色の少女たちが、『Lunar』のメンバーを見返していた。
響が声をかけようと口を開きかけるが、それは、三色の少女たちの声に阻止された。
「うわっ、なんだおまえたち!」
「人間だ」
「人間だ」
三色の少女たちは驚いてた様子で、相談を始める。
「どうする、
犬耳少女が、猫耳少女の顔を見る。
「どうしようか、くねゆすり」
猫耳少女は腕を組んだまま、犬耳少女に目だけを向けた。
「どうする、小豆洗い」
狐耳少女が、猫耳少女の顔を見る。
「どうしようか、
猫耳少女は腕を組んだまま、狐耳少女に目だけを向けた。
「どうしたものか」
「どうしたものか」
犬耳少女『くねゆすり』と、狐耳少女『洗濯狐』が首を捻る。
猫耳少女『小豆洗い』は組んでいた腕を解いた。
そして、いつの間にか、右手に大量の小豆を、左手に大きなザルを持っていた。
「小豆とごうか?」
そう言って歌い始め、くねゆすりと洗濯狐が合いの手を入れていく。
「ショキ、ショキ」
「人とって食おうか?」
「ショキ、ショキ」
「よし」
「ショキ」
「食うことにしよう」
「食うことにしよう」
「食うことにしよう」
「ショキ、ショキ、ショキ」
「サムラァーイ」
「サムラァーイ」
「ブシドォー」
「スーパー」
「ヴァンダミング」
「アクション」
「ショキ、ショキ、ショキ」
猫耳と犬耳と狐耳が、ニタリと笑って、響たちに詰め寄る。
だが、響たちは特に反応を示さない。
小豆洗いたちは頭の上に、はてなマークを浮かべた。
「ショキ?」
「何で逃げない?」
「何で逃げない?」
不審そうな小豆洗いたちに、、つるぎが言った。
「何でっていうか、おまえら全然怖くないし。むしろ、かわいい系だろ」
「が〜ん!?」
「そ、それが妖怪に対する反応か!」
「失礼だぞ」
小豆洗いたちが顔を真っ赤にして、ぷんぷんと怒る。
しかし、響たちの反応は恐怖に怯えるというには程遠かった。
「妖怪?」
「人間にしか見えないけど?」
「もしかして、耳のあたりのこと?」
「コスプレってやつじゃないのか?」
人間たちの勝手な言い草に、妖怪少女たちは可憐な唇の両端から、ぬうっと牙を覗かせる。
「我、小豆洗いは、小豆を洗いながら歌う妖怪だぞ。フハハハハハハ、恐ろしいだろ!」
「我、くねゆすりは、
「我、洗濯狐は、洗濯をしながら歌う妖怪だぞ。クハハハハハハハ、恐ろしいだろ!」
「怖がれ」
「怖がれ」
「怖がれ」
シャーッと蛇のように舌をチラつかせながら、猫耳たちが毛を逆立てる。
それでも、響たちは動じなかった。
動じられるわけがない。
どこから見ても、妖怪少女たちは、プリティであり、コケティッシュであり、ラブリーでしかなかった。
それでも、あえて付け加える言葉があるなら、マヌケという表現だろうか。
「ごめんなさい」
「無理だな」
「すみません」
「全然怖くありません」
四人が全員首を横に振ると、 小豆洗いたちは、どんよりとした表情になった。
「ひ」
「ど」
「い」
いたいけな姿の少女たちの落ち込みように、悪いこともしていないのにもかかわらず、響たちに罪悪感が沸き起こる。
空気が、ひたすらに重い。
響はフォローをせずにいられなかった。
「でもでも、歌はすごく良かったよ」
「ショキ?」
「ねっ、つるぎ?」
響がつるぎに同意を求める。
「ああ、演奏したくて堪らなくなるくらいにな」
つるぎはギターをケースから取り出して、掻き鳴らした。
「ををっ」
「おまえ」
「すごいな」
三匹の妖怪少女がギターの音色に感嘆の声を上げる。
続いて、朱鷺がスティックを取り出した。
ドラムセットはないが、岩や木を縦横無尽に叩く。
響いたのは掠れ気味の音だったが、それでも妖怪少女たちを驚かせるには十分だった。
「ををっ」
「おまえも」
「すごいな」
秀一郎もケースから取り出したベースを鳴らした。
妖怪少女たちの口から三度目の感嘆が漏れる。
「ををっ」
「おまえも」
「すごいな」
『Lunar』の三人の技量の高さに、三匹の妖怪は興奮していた。
メンバーの最後の一人、月嶺
響に妖怪たちの視線が集まる。
響は前の三人のように楽器を取り出さない。
小豆洗いたちが好奇心を隠さずに詰め寄る。
「おまえは?」
「おまえは?」
「おまえは?」
問いに応えるように、響の口から美しい声が旋律をもって流れ出た。
歌だ。
三匹の少女妖怪の目が丸くなる。
そして、響の歌と初めから一体であったかのようにバンドのメンバー三人がそれぞれの音を奏でていく。
三匹の少女妖怪は、びくんと身体を揺らし、動きを止めた。
うっとりと眼を閉じる。
響たちの歌と演奏が天と地に響き渡る。
感に堪えぬといった、ため息が漏れる。
「おう……」
「おう……」
「おう……」
「すばらしい」
「すばらしい」
「すばらしい」
「これほどの」
「音楽は」
「
「もはや」
「がまん」
「できない」
「やるか?」
「やるよ」
「やるよ」
小豆洗いが、くねゆすりが、洗濯狐が妖気を立ち昇らせる。
小豆を洗う音が、何かを揺らす音が、何かを洗う音が、鳴り出す。
それは、『Lunar』の演奏を邪魔をする雑音にならない。
自然と重なり合う。
『Lunar』のメンバーがにこやかに笑った。
演奏のテンポがショキショキという愉快な音色を得て弾む。
小川が、木々が、空が、感応する。
すべてが弾む。
小川では小魚が、木々の上ではリスが、空では小鳥が静かに聞き惚れていた。
音が、符が、詩が、視覚できる形を成したように、周辺を席巻し、天へと昇っていく。
『Lunar』と三匹の妖怪少女たちは、いつ終わるともなく、演奏を続けた。