渚のナマ足マーメイド



 燦々と輝く太陽。
 雲ひとつない青空。
 真夏の風が潮の香りと漣の音を運んでくる。
 ビキニタイプのライトグリーンの水着の上に薄手のパーカーを着た女性が、デニムのホットパンツから伸びる長い脚の膝を抱えて、砂浜に座っていた。
 浮かない表情で、寄せては退く波を見つめている。
「ナマ足ヘソ出しマーメイド」
 そんな言葉とともに、ぴとっと頬にギンギンに冷えたビールジョッキが当てられ、女性は小さな悲鳴を上げて仰け反った。
「な、なにをする!」
「相変わらず暗い顔してるからさー。遊びたくなっちゃうじゃないー?」
「アホか」
 冷えた頬をさすりながらパーカーの女性が犯人を見上げる。
 まず、ビタミンカラーのホルターネックの水着に押し込められた重そうな胸が目に入った。
 次いで、左右の手に持たれた生ビールのジョッキが二つと、緩く巻いた茶色の髪に彩られた小顔が視界に映り込む。
 髪の毛と同様に色素の薄い大きな瞳。
 厚めの紅い唇。
 男受けのしそうな顔を見ながら、パーカーの女性は表情を曇り空に戻してため息を吐いた。
 こちらは、凛とした顔立ちとワイルドなウルフカットも手伝って、茶髪の女性とは対照的に隙のない女性に見える。
「わたしはあんたとは、とぉっくに遊び飽きた」
「自業自得じゃないのー、食いしん坊さん」
「うるさい。ていうか、あんたはまだ休憩時間じゃないだろ。抜け出してきたら、店が回んないんじゃないの?」
 パーカーの女性が、少し離れた場所に立っている小屋を示す。
 二人が共同経営している海の家『まぁめいど』だ。
「大丈夫だよ、アルバイトが優秀だからねー」
 そう応えて、茶髪の女性はパーカーの女性に左手の生ビールを渡した。
「だから、はい、かんぱーい」
「……乾杯」
 一瞬だけ逡巡する素振りを見せたものの、目の前の生ビールの誘惑には勝てなかったのか、パーカーの女性も、茶髪の女性にジョッキを合わせた。
 そして、二人は、ぐっと中身を喉の奥に流し込んだ。
「ぷはー、たまりませんなー」
「オッサンくさいわね」
「酒の肴にジャーキーどうー?」
「何のジャーキーよ?」
「ひーみーつー」
「……絶対食べないわ」
「食いしん坊のくせにぃ。安心してよ、わたしのじゃないからー。ほらほらー」
「うっさいわね、いらないって言ってるでしょ」
「……ところで、今年で何年目だっけー?」
「八百年目から数えてないって、いつも言ってるでしょ」
「もうすっかり、ババァだねー」
「あんたもね」
 二人は同時にため息を吐いた。
 そして、海へと視線を向けた。
 茶髪の女性が口を開いた。
「海は雄大だねー」
「そうね」
「ねーねー、海見てて思い出したんだけどー」
「なによ?」
「昔さー、大切な剣を舟から落としちゃった男がいてさー。そいつがさー、慌てて剣を落とした舟べりに印をつけてさー……」
「知ってるわよ、それ。『舟に刻みて剣を求む』だっけ? でも、男が剣を落としたところ、海じゃなくて、川でしょ」
「そうだけどさー、海か川かは関係なくてさー。なんていうか、まあ、あたしたちも同じようなモンじゃないー?」
「……そうかもね」
「はぁ……、『ルルイエ』に帰りたいー」
「はぁ……、人間に戻りたい」
 二人の双眸に哀愁が漂う。
 と、海面が盛り上がった。

 ざっぱーん。
 大きな波が寄せ、二人はずぶ濡れになる。
「モオオオオオオォォォォン!」
 奇怪な雄叫びが響き渡り、海が割れる。
 その中から丸みを帯びたシルエットが浮上してくる。
 禍々しい紅蓮の炎を宿らせた炯眼。
 ぬめった表面を持つ赤黒い巨体。
 無数の吸盤が蠢く何本もの触腕。
 それは、巨大な蛸だった。
 八本の触腕の間に薄い膜があり、それがまるで衣のようにも見える。
「うっわー、何か出たし」
「『ルルイエ』からのお迎えー?」
「違うだろうねぇ。毎年のことなんだから。あんたとわたしの妖気が凝って瘴気になってるんでしょ。アレは、それに呼ばれただけのモノでしょ」
「いあ! いあ! くとぅるふ ふぐたん!」
「ほら、無駄に目を輝かしてないで。とりあえずアルバイトと合流するよ、お姫さま」
「ちょっと待ってよー。水浴びちゃったからー。わたしの魅惑のナマ足が、ほらー」
「うっわー、超ビチビチいってるし。迷惑な体質だね」
 茶髪の女性の下半身は、鱗が生えて先端は魚類の尾びれに変じてた。
 見れば、やわらかに揺れる大きな胸を守っていた華やかな黄色のホルターネックの水着も、いつの間にか貝殻二枚に変わっている。
 頭部の両側からは、まるで角のように珊瑚のようなものが生えていた。
 その姿は、どこから見ても、伝説の上の『人魚』だ。
「迷惑って言われてもー、人魚はそういうモンなのー」
「わーってるわよ。仕方ないわね、担いでいくか」
「お姫さまだっこにしてよー」
「うざっ、この人魚姫うざっ!」
 そう言いながらも、パーカーの女性は、茶髪の人魚を抱え上げた。
「あんた軽いわね。くそっ、ムカツク」
「あなたは食いしん坊さんだからねー」
「あんたはあたしの倍以上食べてるだろ。いくら歳取らなくても太るからダイエットは欠かせないってのに、あー、マジムカだわ。やっぱ捨ててくか」
「ちょっ、見殺しにする気ー?」
「死なないだろ」
「死ななくても痛いもん。あなたも死なないんだから知ってるでしょー?」
「よく知ってる。だからだよ」
「うわっ、鬼畜発言キタよー」
 抱えた人魚と言い合っているパーカーの女性の周囲に影が落ちる。
 見上げれば巨大な蛸の怪物の触腕の一本が振り下ろされようとしていた。
「ほら、あんたがうるさいから!」
「えー、ちょっ、えー、関係ないでしょー」
「潰されたら死ぬほど痛いんだろうね。死なないけど」
「危機感ないよー、ちゃんと逃げてよー」
 迫る触腕。
 二人は美しい砂浜に内臓を撒き散らす覚悟をした。
 と、白い砂浜よりも白く、輝く太陽よりも眩い閃光が迸った。
 振り下ろされる触腕に、青白い光の球体が炸裂していた。
 衝撃で触腕が仰け反った隙に、パーカーの女性と人魚は叩き潰される危機を脱した。

比丘尼(びくに)さん!」
 パーカーの女性が光球と声が飛んできた方向に三つの人影を認める。
 一人は絹のような長い黒髪をしたおっとりとした感じのする女性、もう一人は尻尾部分の長いポニーテールをした活発な印象を受ける少女だった。
 年上の女性は、神代(かみしろ) (あおい)
 もう一人は、葵の妹の神代 ちとせだ。
 二人とも、水着の上から『まぁめいど』というロゴの入ったエプロンを身に着けていた。
 最後の一人は、茶味がかった柔らかそうな髪をした少年で、この場にいる女性陣の誰よりも「きれい」という表現が当て嵌まる整った顔立ちをしていた。
 神代家に居候している八神(やがみ) 悠樹(ゆうき)だ。
 彼だけは水着ではなく、肘まで捲り上げた長袖のパーカーと短パンという格好にエプロンをしている。
 細い眉と小さな下顎と曲線的な輪郭、そして、ほっそりとした身体つきが、女性と見間違えられそうな雰囲気を醸し出していた。
「海の家のお客さんは避難させましたから、安心してください」
「比丘尼さんと人魚さんもケガはないみたいだね」
「間一髪だったけどね。それにしても、悪いわね、毎年毎年」
 比丘尼と呼ばれたパーカーの女性が申し訳なさそうに言うと、三人は首を横に振った。
「いいえ。魂は、祝福とともに神の世界より来て、祝福とともに神の世界へと帰るべきもの。あなたがたの魂が、自然の摂理の中へ戻るまで、お付き合い致します」
「それに、こっちも適度に鍛えられるからね。海水浴に来る時の宿にも困らないし。今度、友だちと泊まりに来るからね、その前に『掃除』をしておかないと」
 葵はやさしげな微笑みの表情で、ちとせはにやりとした不敵な笑いの表情を浮かべた。
 悠樹が海面に浮上している巨大な蛸を見ながら言った。
「今年の妖異は、大蛸ですか」
「あれは『衣蛸(ころもだこ)』ですね」
 そう答えたのは、葵だ。
「普段は普通の蛸と変わらない姿なのだけれど、船が通りかかると衣のように身体を広げて襲いかかり、海中に引き摺りこんでしまうことから、そう呼ばれている妖怪よ。人魚さんと比丘尼さんの妖気に当てられて巨大化したのでしょう」
「さすが葵さん。本職の巫女さんだけに妖異や伝承の知識が豊富ですね」
 葵の説明を聞き、悠樹は感心したように頷いたが、ちとせは肩をすくめた。
「去年の『海坊主』の方がかわいかったよね。一昨年の『柄杓(ひしゃく)幽霊』はキモ怖かったけど」
「ちとせ。おしゃベりは、このくらいにしておきましょう」
「そうだね。ではでは、退魔といきますか」
 戦闘態勢に入ることを明示するように、三人がエプロンを脱ぎ捨てた。
 神代姉妹の水着姿が惜しげもなく晒される。
 葵は露出を嫌ってか、水着の上に薄手のパーカーを羽織っているが、それでも、やわらかで大きな胸は深い谷間を作り、これでもかとばかりに自己主張をしている。
 ウェストやデニムのショートパンツから伸びる太腿もムチッとした肌の弾力を感じさせるが、それが逆に全体的に女性的で、やわらかそうな印象を助長させていた。
 そのおっとりとした雰囲気と清楚な長い黒髪とが合い混じって、癒し系という言葉が自然と浮かんでくる。
 ちとせは、白のビキニ。
 姉には及ばないものの、高校生にしては豊かな胸は美しい丸い形を描いている。
 水着の三角の布は面積が狭く、芸術的なラインを誇る豊かな胸を支えるには少々頼りなくも見える。
 そして、胸とは対照的に引き締ったウェストと健康的な長くきれいな脚。
 夏の砂浜で視線を集めそうなスタイルの良さだったが、観光客が避難した今、砂浜にいるのは、姉と悠樹と比丘尼と人魚、そして、衣蛸だけだ。
 この水着姿を友人たちに披露するのは、この仕事が終わってからだ。
「ムチムチボディの姉に、スレンダー巨乳の妹ー。たまりませんなー」
「アホなこと言ってないで邪魔になるから下がるわよ、ヘンタイ人魚」
 腕に抱えた人魚の脳に虫の湧いている発言を嗜めながら、比丘尼が戦場と距離を取るように後ろに下がる。
 衣蛸が、触腕に打撃を受けた痛みと怒りのために咆哮を上げながら、砂浜へと上陸して来たのは、その直後だった。
「ギュルアアオオオオオオオッ!」
「いっくよ!」
 ちとせが気合いとともに全身に霊気を巡らせ、衣蛸へ向かって駆ける。
 一気に間合いを詰めようとするが、横へ跳ぶ。
 数瞬を置いて、今まで走っていた場所に触腕が叩きつけられる。
「危なっ」
 気づくのが遅ければ、危うくぺしゃんこにされるところだった。
 葵が後ろから援護するように、霊気を凝縮した球体を放つが、衣蛸の巨体はそれを受けても無傷だった。
「……私程度の霊撃では、軟体にダメージを吸収されてしまうようですね」
 葵が憂い顔で言う。
 先程、比丘尼と人魚を救ったのは、ちとせの霊撃だった。
 ちとせは身体能力に優れているし、魂振(たまふり)と闘技にも長けている。
 対して、葵は魂鎮(たましずめ)と霊術にはすぐれた能力を有しているが、霊気を攻撃力に転換するのは苦手だった。
 だから、後方支援に回っているのだが、援護のつもりで放ったとはいえ、霊光球で傷一つ付けられないとは。
 どうやら、衣蛸は予想以上に手ごわい相手のようだ。
 悠樹も全身に霊気を巡らせ、その力を『そよ風』から『暴風』へと変換していく。
 前髪が風になびき、パーカーの裾がはためき、ビーチサンダルが砂浜を離れ、身体が宙に浮く。
 そして、ちとせ以上の速度で、衣蛸へ突撃を敢行する。
 一本目、二本目、三本目と次々と襲ってくる触腕を避け、本体へと迫る。
 七本目の触腕の横を通り抜け、ぎりぎりで最後の一本をも潜り抜ける。
 だが、その瞬間。
 視界が真っ黒に染まった。
 衣蛸が口から瘴気を吐いたのだ。
「うわっち!」
 慌てて急旋回し、どうにか瘴気の範囲から逃れる。
 ちとせもどうにかして巨体に近づこうとするが、それを成し得ないでいる。
 触腕一本一本の動きはそれほど速くはないのだが、やはり、八本という数が多過ぎるのだ。
 八本の触腕は、文字通り縦横無尽に動き回り、時には風を唸らせて飛来し、時には砂浜を揺らすほどの威力で振り下ろされた。
 ちとせと悠樹が同時に仕掛けるが、衣蛸は巨体に似合わず器用なようで、触腕を自在に動かして二人を翻弄する。
 葵は葵で攻撃力不足のために援護もままならない。
 と、衣蛸が唐突に口から真っ黒な瘴気を吐いた。
「ちょっ、まっ!?」
 進路を阻まれたちとせが、バックステップでどうにか避ける。
 だが、着地際を狙われた。
 横薙ぎに振るわれた触腕が、ちとせを襲った。
「うぐぅっ!」
 吹き飛ばされ、砂浜を無様に転がる。
 衣蛸の目が鈍く光る。
 その口から、どす黒い瘴気が大量に吐き出された。
「ちとせちゃん!」
「アルバイト妹!」
 比丘尼と人魚が、大量の瘴気に呑まれたちとせを見て叫ぶ。
 瘴気の毒が全身に回れば、無事では済まないだろう。
「グギョオオオオオオオオオオオオオ!」
 勝利を確信したのか、衣蛸が雄叫びを上げる。
 だが、ゆっくりと瘴気が晴れ始めた時、衣蛸は信じられないものを見た。
 薄まった瘴気の中から、ちとせが平然として飛び出してきたのだ。
 ちとせが瘴気に呑まれた場所には、葵が両手を広げて立っていた。
 青白い光の障壁が彼女の周囲に展開されている。
 結界術だ。
 ちとせの窮地に駆け付けた葵が瞬時に結界を展開して妹を守り、そして、ちとせは瘴気晴れると同時に疾走したのだ。
「姉さんの結界術は天下一品だからね」
 退魔の仕事で多くの人物と出会っているちとせも、補助霊具なしでこれほどの結界を瞬時に展開できる使い手を姉以外に知らない。
 自分のことのように姉の結界術の腕を誇りつつ、ちとせは衣蛸の目の前で高く跳んだ。
 そして、空中でくるりと回転し、ちとせは蹴った。
 『風』を。
 いつの間にか彼女の後ろによりやや高めに跳び上がっていた悠樹の巻き起こした『風』を。
 ちとせが瘴気に呑まれても、彼女が無事だと確信していた悠樹の巻き起こした『風』を。
 蹴った反動と、その身へ纏った『風』の作用で、弾丸の速度で衣蛸へ迫る。
「ゴギャアアアアアアアアアア!」
 衣蛸が苦悶の叫びを上げる。
 ちとせが衣蛸の眉間を霊気の宿った拳で射抜いたのだ。
「グモオモオオオオオン!」
 衣蛸が目を血走らせ、眉間に留まった敵を落とそうと触腕を一本振り上げる。
 だが、その触腕が、ちとせに届くことはなかった。
「どりゃああああ!」
 気合いの声が響き渡り、衣蛸の触腕が弾かれる。
 弾いたのは、比丘尼。
 ただし、彼女が霊撃を放ったのでも、素手で殴ったのでも素足で蹴ったのでもない。
 両手で尾びれを握った人魚を衣蛸の触腕に叩きつけたのだ。
 それも、顔面から。
「ふべっ!」
 涙目で鼻血を流して奇妙な声を上げる人魚を触腕から引き剥がして、砂浜へと着地する。
「えーっ、つーか何この扱い、えー? 最初に叩き潰されてた方がましじゃないの、これー? 聞いてるのー?」
「聞いてないわよ。さあ、今のうちよ!」
 人魚の葛藤を無視して、ちとせに衣蛸へのとどめを促すように叫んだ。
 うっわ、今のマジ痛そうだったんだけど、比丘尼さん気にしてないしー!?
 ていうか、人魚さんも文句言いながら笑ってるしー!?
 ドSとドMのコンビにしか見えないしー!?
 そう心の中で思いながら頬に冷や汗を垂らしつつ、ちとせは衣蛸の眉間に突き刺した拳から霊気を流し込んだ。
「オゴガオオオオオオオ!」
 打ち込まれたちとせの霊気が、衣蛸の巨体の隅々まで暴れまわる。
 やがて、その内部で爆発が起きた。
「グァァァァアアアアア!!」
 衣蛸の断末魔が木霊する。
 突き刺していた拳を引き抜き、ちとせが砂浜へと着地すると同時に、衣蛸の巨体が力を失って崩れ落ちた。

「おつかれさま」
「おつかれさまでしたー」
 比丘尼と人型に戻った人魚から労いの言葉が朗らかな声とともにかけられる。
 場所は、比丘尼と人魚が経営する海の家『まぁめいど』。
 ちとせたちが退魔を含めたアルバイトをしている処でもある。
「特にアルバイト妹はすごかったわー」
 人魚が言う。
「そんなことないですよ。姉さんと悠樹の手助けのおかげだし」
 照れたように笑うちとせに、人魚は首を横に振った。
「いやいやー、ホントすごかったよー。衣蛸にとどめの霊気を打ち込んだ時、すごい揺れてたよー」
「えっ……?」
「胸」
「んなっ……!?」
 ちとせが赤面して白い水着に包まれた胸の隆起と谷間を両手で隠す。
 もちろん、ちとせも自信があってこそ、大胆な水着を着ているのだが、人魚の指摘は予想外に過ぎた。
「戦いの最中にどこ見てるんですか!」
「アルバイト妹は、胸の形が良いからさー。釘づけー?」
 ばこんっ。
「はぎゅー!?」
 人魚の頭に比丘尼が持ったトレイが叩きつけられる。
「ごめんねー、こいつアホだから」
「誰がアホー?」
「あんたよ。ほら、ちょっとは手伝いなさい」
 比丘尼が大皿に盛られた無数の狐色の球形をした小麦粉料理を、ちとせたちの前に置く。
 たこ焼きだった。
「これって、さっきの?」
「そっ、衣蛸」
「食べられるの?」
「味見したから大丈夫」
 比丘尼が一つ食べて見せる。
「ムラサキダコっていう足の間に膜のあるタコは水っぽくてあまりおいしくないんだけど、あの大ダコは外見似てるわりにはけっこうおいしいわよ」
「まだまだいっぱいあるからねー」
 人魚もテーブルに皿を並べていく。
「ほら、刺身もあるしー、ゆでたのもあるよー。食べきれなくても食いしん坊さんが処理するから大丈夫」
「食いしん坊さんって、誰だよ?」
「あなた」
「誰が食いしん坊だっ。それに、ダイエット中だと言ってるだろうがっ」
 比丘尼がポンッとトレイで人魚の頭を叩いた。
 ツーッと人魚の鼻から血が垂れ落ちる。
「あー、また鼻血が出てきたー。あなたのせいなんだからー、ポンポン叩かないでよー」
「うっさいな。そのまま出血多量で死んでしまえ」
「死なないわよー」
「知ってるよ。何百年付き合ってると思ってんの?」
「何百年ていうか、千年以上ー?」
「あー、もう、ムカツクな」
「自業自得でしょー。食いしん坊さんが、お父さんが持って帰ったあたしのお肉食べたから死ねなくなっちゃったんだからさー」
「あー、もうっ、クソおやじめ。もっと、まともなお土産持って帰ってきてくれてれば、こんなバラされてもすぐに復活するプラナリア女と付き合わなくて済んだのに」
「二人とも相変わらず仲良いですね」
 悠樹がたこ焼きを一つ口に入れ、口喧嘩を絶やさない比丘尼と人魚に言った。
「どうしてー」
「そう見えるかな!?」
「ほら、息もぴったり」
 声を重ねて同時に叫ぶ二人に、追い打ちをかけたのは朗らかな笑顔でポンっと手を叩いた葵だった。
 比丘尼と人魚は、決まりの悪そうな表情でお互いの顔を見ながらため息を吐いた。
「……付き合い長いからね」
「……千年以上だもんねー」
「不老不死なんてね」
「なんてねー」
 どんよりとした空気を纏わりつかせながら、自分たちでジョッキに生ビールを用意する。
「来年は『ルルイエ』に帰れると良いね」
「来年は人間に戻れると良いねー」
「あはは」
「かんぱーい」
 比丘尼と人魚は乾いた笑いと憂鬱な声でジョッキを合わせ、一気に喉の奥へ流し込んだ。


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