祭りを貪るもの



 満天の星空に美しい月が浮かんでいる。
 蒸し暑い夜風に乗って、祭り囃子が流れてくる。
 その音源は、猫ヶ崎視の郊外にある神代神社。
 わたあめ、やきそば、輪投げに射的を始めとして様々な屋台が立ち並び、提灯が煌煌と境内を照らす。
 神代神社の夏祭り。
 地元でもかなり有名なイベントで、数多くの人間が祭り独特の高揚するような楽しさを求めて足を運ぶ。
 神代神社では正月に行なわれる巫女コンテストと並んで盛大に行なわれる神事であった。
 そして、神代神社の祭神である天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が活躍する天岩戸の伝説に由来する祭典である。
 遥か古、神話の時代、弟神である須佐之男命(スサノオノミコト)の横暴を哀しんだ太陽神、天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、天岩戸(アマノイワト)と呼ばれる洞窟に身を隠してしまった。
 太陽の女神が隠れてしまった為、世界は暗黒に閉ざされ、魑魅魍魎が跳梁し、悪疫が流行、世界は地獄と化した。
 神々は身を隠した天照大御神を引き戻す策を協議した。
 天照大御神が天岩戸から出たくなるようにしよう。
 この世界に戻りたいと思わせるようにしよう。
 神々は岩戸の前で宴会を開くこととなった。
 そして、高天原一の踊り手、天宇受賣命が天岩戸の前で華麗な踊りを披露したのだ。
 華やかな音楽と、半裸で踊る天宇受賣命を見た神々の大笑いに興味を惹かれた天照大御神は、ついに天岩戸を開け、世界に光が戻ったという。
 この陽気な女神の功績を称え、この世界を照らす暖かな光を絶えさせないようにという祈りを込めて、神代神社の夏祭りは毎年、煌びやかに行なわれるのだ。

「すげぇ、盛り上がってんなぁ」
 影野(かげの) 迅雷(じんらい)が神社に集まった人の多さに感嘆の声を上げる。
 その隣で香澄が静かに頷く。
 神代神社は大きな神社ではあるが、普段はそれほど人の出入りの激しい場所ではない。
 しかし、正月の初詣と巫女コンテスト、そしてこの夏祭りの時期は、市の大半の人間が足を運び、境内を埋め尽くす。
 そして、集まった人の熱気と喧騒が、否応なしに祭りを盛り上げ、さらなる人を呼ぶ。
「去年より多いんじゃねぇか?」
「そうですね。今年は確か、メインイベントに響さんたちのライブも入っているそうですし」
「おおっ、『Lunar』のライブか?」
「ええ、ちとせさんがお願いしたと聞きました」
「ちとせのヤツ、相変わらず、そういうことには頭の回転が速いよなぁ」
 迅雷が感心したように首を縦に振る。
 と、その傍らから元気な声が迅雷に向かって飛んできた。
「ハイハ〜イ、いらっしゃいませませっ☆」
「ぬおっ、ちとせ!?」
 噂をすれば影。
 どこからともなく現れた声の主であるポニーテールの少女を、迅雷がぎょっとした表情で振り返る。
 迅雷の後輩であり、香澄の同級生である神代ちとせである。
「ばんはっと、先輩に香澄ちゃん」
「こんばんは、ちとせさん」
「おう、ばんは……って、ち、ちとせ。何だそのコスプレは?」
 ちとせの格好を見た迅雷が大袈裟に驚く。
 ちとせは、いわゆる巫女の装束を身に付けていた。
「誰がコスプレよ」
「いや、巫女さんルックだし」
「ボクは元々巫女さんよ」
 ちとせは、この神代神社の神職を代々務めている神代家の次女である。
 長女の葵はいつも巫女の格好をしているのだが、ちとせはあまり着用しない。
 普段は猫ヶ崎高校の制服か、動きやすそうな服装のイメージが強い。
 だが、迅雷はちとせの巫女衣装は何度か目にしている。
 ちとせは『神降ろし』を行なうと古代の巫女の姿に変わる。
 しかし、迅雷が、ちとせの『神降ろし』ではない生巫女姿を見るのは始めてであった。
 それに、迅雷の脳内では『巫女』といえば、やはり、ちとせの姉、神代葵であった。
 葵は、清廉、大和撫子、おしとやか、と、ちとせと性格がまるで違う。
「むぅ、そういえば、そうだったな」
「むぅって何よ、むぅって」
 ちとせが抗議の声を上げるが、怒ってはいないようだ。
「まっ、良いわ。年に一度のお祭りだしね。細かいこと気にしても仕方ないってね」
 陽気な口調で笑顔を見せながら、ちとせがウィンクをする。
「ほいっ、迅雷先輩」
「ん、何だコレ?」
「射的の銃」
 言いながら、ちとせが奥を指差す。
「いらっしゃいませ」
「おっ、悠樹じゃねぇか」
 ちとせの幼なじみの八神悠樹がハッピを着て、爽やかな笑顔で突っ立ていた。
「何だ、悠樹。線細いかと思ったけど、結構ハッピとか似合うじゃねぇか」
「ははっ、どうも」
 悠樹は照れたように頭をかく。
「で、先輩。射的ゲームなんですけど、どうです? 一回百円ですけど」
 後ろに建てられた比較的大きな屋台の中に備えられた射的のゲーム台を示す悠樹。
 並べられた景品は、巨大な猫のぬいぐるみや、猫の携帯ストラップ、猫のフォトアルバムに、猫のジグゾーパズルなどだ。
 なぜか猫関係のグッズばかりだが、かなりの量と種類があるようだ。
「おもしろそうじゃねぇか」
 迅雷が袖をまくり、不敵な笑みを浮かべる。
「へへっ、こういうゲームは燃えるんだよな」
「天之川はどうする?」
 悠樹は迅雷が持っているのとは別の銃を取り出して、香澄に見せた。
「私は見学しています」
「了解。んじゃ、迅雷先輩どうぞ」
 悠樹は取り出した銃をくるりと回して抱え直すと、移動して迅雷の為に場所を空けた。
 迅雷が足元に白線が引いてある箇所まで進み出る。
「そこの線の外から狙ってください」
「よっしゃ。あの馬鹿でかい猫のぬいぐるみとか、狙ってみるか。的がデカいから一発だぜ」
「迅雷先輩」
「ん?」
「当てるだけじゃないですからね。ちゃんと弾の威力で落とさないと駄目ですよ」
「お、落せるのか? あのデカさを!?」
「落とした人いますよ」
「誰だ?」
「ロックさんです」
「なぬっ」
 ロックは先頃まで神代神社に居候していたイタリア人だ。
 実は元マフィアの一員で、二挺拳銃の使い手だった。
 最近、結婚した。
 相手は、織田鈴音という武術の達人で、こちらも一時期神代神社に居候していた。
 二人は結婚すると、自前のイタリア料理店『Suono della Bell』を開き、幸せな新婚生活を送っている。
「一撃必殺でしたよ」
「マジかよ」
「マジです」
「だが、落としたヤツがいるなら、このおれも落としてみせるぜ!」
 影野迅雷、負けず嫌い発動。
「ははっ、がんばってくださいね。あれ最後の一つですから」
「あれで最後か」
「値が張ったんで仕入れた数が少ないんですよ。ですから、残りの一つ、早い者勝ちです」
「早い者勝ちって言っても次はおれの番だしな。おれで終わりだろう」
「ここの射的は順番制じゃなくて何人か同時に撃てるんで」
 悠樹が説明を付け足す。
「そうなのか?」
「ちとせがその方が面白そうだっていうんで、そうなってます」
「まあ、確かに面白いかも知れんな。しかし、ちとせのヤツはホント、そういうことには頭が回るな」
 ちとせの先程いた場所を迅雷が振り返るが、既にその姿はない。
「当の本人はどっか行っちまったみたいだな」
「ちとせは今日はかなり忙しいですからね」
 ちとせも神社の娘として、姉の葵と手分けをしながら、神社のあちらこちらを飛び回っているらしい。
「しかし、何人か同時に撃てるってことは争奪戦もありえる訳だな、この射的」
「先を越されないように気をつけてください」
「へへっ、そんなに時間をかけるつもりはないさ。ロックは一撃だったんだろ、あれと同じ巨大猫を」
「ロックさんのはクリティカルヒットでしたからね。一発で決めるのは難しいと思いますよ。んじゃ、迅雷先輩もがんばってください」
 悠樹は気合いの入った迅雷を激励して、迅雷の次の客に対応するために下がった。
 と、迅雷の後ろの客の顔を見て、悠樹の表情が一変した。
「ああっ、ど、どうも、いらっしゃいませ」
 悠樹は顔に慌てたような表情を浮かべながら、迅雷の後ろの客に銃を渡す。
 銃を受け取ると、相手は口元に微笑を浮かべて、悠樹に深々と頭を下げる。
 そして、優雅に前に進み出た。
 それを見ていた香澄も、少しびっくりした顔で後ろに下がった。
 そんな二人の様子にも、集中している迅雷は気づかない。
 猫のぬいぐるみに標準を合わせる。
 もう、猫しか見えない。
 猫まっしぐら。
 しかし、迅雷が引き金を引こうとした瞬間。
 猫のぬいぐるみの眉間に弾丸が命中した。
 ぐらりと微かに揺れたものの、猫が倒れる気配はない。
 撃ったのはもちろん迅雷ではない。
 弾丸が発射されたのは迅雷の横だ。
「当たりましたのに!」
「ぬおっ!?」
 唐突に横から怒鳴られて、迅雷は仰け反った。
 そして、自分を押し退けて入り込んできた相手に視線を向ける。
 揺れる黄金の巻き毛、長い睫毛、意志の強そうな瞳、高い鼻梁、形の良い唇。
 高校生でありながら均整の取れた身体を上品な浴衣に包んで、ライフル銃を模したモデルガンを抱えている。
 『女王、降臨』
 そんなフレーズが迅雷の頭に連呼される。
「ちょっと邪魔ですわよ! ど真ん中に陣取ってないで、もう少し横にずれてくださらない?」
 甲高い声で、不機嫌そうに迅雷を睨みつけてくる。
「げげっ、ほまれかよ」
「んまあ、やたらと大きくて邪魔だと思ったら、影野じゃないの」
「何してんだよ?」
「お祭りですわ」
「んなことは、わかってるっつ〜の!」
「射的ですわ」
「それもわかってる」
「では、何が聞きたいというんですの?」
 ほまれが肩の辺りの髪を手で掬い上げながら、迅雷に問い返す。
 迅雷は自分の銃を、猫のぬいぐるみに向けた。
「何で、あのぬいぐるみを撃ってんだ?」
「欲しいからよ」
 ストレートな答え。
 今更何を言ってるのとばかりに、ほまれの唇にやや嘲笑的なものが浮かぶ。
「そうだな」
 ほまれの煽るような目に、迅雷が深々と頷く。
「だが!」
「何よ?」
 迅雷の逆接に疑問符を顔に浮かべるほまれに視線を向けたまま、にやりと笑った。
「ぬいぐるみはおれが頂く!」
 パァン!
 銃声が鳴り響き、弾丸がぬいぐるみを直撃する。
 しかし、ぬいぐるみは倒れない。
 驚くべきことに、ぬいぐるみの腹に当たった迅雷の弾丸は、簡単に弾き返されてしまった。
「ぬおっ!?」
「間抜けですわね」
 驚愕する迅雷を、ほまれが半眼で笑う。
「うるさい!」
「うるさいのはそっちですわ。だいたいその程度の腕なら、さっさと退場なさった方が良いのじゃないかしら?」
「何だと!? テメーだって落とせなかったじゃねぇか」
「おほほっ、先程はただの小手調べですわ。すぐにこのわたくしの所有物として見せますわ」
「そうはいかねぇぜ。あのぬいぐるみは、おれが必ず撃ち落して見せるぜ」
「いいえ、撃ち落とすのは、このわたくしです」
「うぬぬっ」
「むむむっ」
 睨み合う二人。
 闘気と闘気のぶつかり合いに大気が震動する。
 そして、二人は同時に悠樹を振り返った。
「悠樹!」
「悠樹さまっ!」
「弾!」
「弾を下さい!」
 悠樹は慌てた様子もなく、二人に箱詰めの弾薬を大量に手渡す。
「二人とも、がんばってくださいねっ」
「悠樹さん、笑ってないで止めてください」
「大丈夫だよ、天之川」
「悠樹さんが止めないのなら、私が実力行使で……」
 冷たい表情で無感情に言う香澄。
「大丈夫だって。いつものことだし」
「そう言われると、そうですけど」
 屋台の中からは凄まじい雄叫びと高周波並みの高笑いが弾けている。
 迅雷とほまれの二人が、マシンガンのように弾丸を撃ち続けているのだ。
 しかし、猫のぬいぐるみは、不落の城塞のように、いくら撃たれても不動のまま、二人を嘲笑っている。
「なぜだぁ、なぜ落ちん!」
「おほほっ、落ちなさい、さっさと落ちなさい!」
「オラオラオラオラァァ!」
「お〜っほっほっほっ!」
 唐突に香澄の目の前に悠樹の手が突き出された。
 香澄が何事かと目を丸くする。
 悠樹の手に握られた物から甘い香りが漂ってくる。
「はい、リンゴ飴。せっかくのお祭りだよ。天之川も楽しまなきゃね」
「そう、ですね」
 香澄は、ため息をつきながらも、覚悟を決めたようにそれを受け取った。

「さぁて、皆さん!」
 射的の屋台が異常な熱気に包まれている中、マイクを通した声が神代神社全体に響き渡った。
「ちとせさんですね」
 香澄が声の主に気づいて、悠樹に話しかける。
「ん、あそこ。もぐもぐ……」
 悠樹は、たこ焼きを頬張りながら、境内の奥に作られた舞台を指差した。
 ちとせがマイクを持って境内全体を見回しているのが見える。
「射的ゲームやら、射的ゲームやら、射的ゲームなどが異常に盛り上がっておりますが!」
 長いポニーテルを振り乱す大げさなリアクションに、客の多くが引き付けられる。
「ここで本年のメイィィィィンイベェェェェェンッ!」
 ぐっとマイクを握り締め、ウィンクをしながら大声を張り上げる。
「皆さんご存知! インディーズバンド『Lunar』の生演奏っ!」
「うおおおおおおおおおっ!」
 ちとせの激しい勢いに釣られて、神社中の客が歓声を上げる。
 空気を揺るがす凄まじいざわめきに、天之川香澄も興奮してきたのか、頬を微かに赤く染める。
「ノッていますね、ちとせさん」
 香澄が悠樹を振り返る。
 いつもの香澄より、活発な声だ。
 悠樹は食べかけのやきそばを飲み込んで、大きく頷いた。
「夏だからね」
「そういう問題ですか?」
「ははっ、そういう問題だって」
 言い切る悠樹。
 普段は真面目で優しそうだが、どんな状況でも、やり取りでも楽しんでいるようなこの軽口。
 やはり、この人は、ちとせさんの幼馴染みだ。
 香澄は、そう確信した。
「天之川も行ってくれば?」
「えっ?」
「ちとせと並んで叫んでくれば、すっきりするよ」
 悠樹の言葉に、ぎょっとした表情を見せる香澄。
 それから、驚くべきことに、大げさに肩をすくめて、ため息をついた。
 香澄がこういう行動を取るのは珍しい。
「さすがにそれは無理ですよ」
 口元が微かに微笑んでいる。
「残念だなぁ」
 あまり残念そうでもない口調で、残念がる悠樹。
 そして、舞台の上に視線を戻す。
 大歓声が上がった。
「ハイ、皆!」
 舞台の上には、すでにちとせの姿はなく、『Lunar』のメンバーが姿を揃えていた。
「今日はお祭りだけど、ここの神社の女神さまは、日本一の芸能の女神さま!」
 リーダー兼ヴォーカルの月嶺響が、マイクを片手にウィンクしながら、トレードマークのショートカットを揺らす。
 夏らしく、タンクトップとマイクロホットのジーンズで決めている。
「というわけで……」
「ガンガン行くぜぇ!」
 響の隣でギターを担当している金髪の不良っぽい少女、諸刃野つるぎがギターの弦をかき鳴らす。
「さあ、今夜も」
「月が舞い降りた!」
 ドラム担当の鳳朱鷺と、ベースの風祭秀一郎が息を揃えて叫ぶ。
 それが、ライブの始まりだった。
 激しくギターの弦をかき鳴らす音が響き渡り、それと不思議と調和したドラムのリズムが観客の魂を打つ。
 その二つを貫く力強いベース音に乗って、夜空から降臨した天使の歌声が世界を震わせる。
 情熱と理性が程よく交じり合った空間がそこにあった。

 一方その頃。
「全然落ちない」
「くっ、何て強敵なのでしょう」
 こちらは情熱が理性を超えた空間。
 迅雷とほまれの二人はまだ射的で、ぬいぐるみを落とせないでいた。
 二人には『Lunar』のライブなど眼中になかった。
 視界にあるのはお互いの姿と、標的の巨大な猫のぬいぐるみのみだ。
「悠樹、弾追加だ!」
「悠樹さま、新しい弾を頂けるかしら?」
 二人が悠樹を振り向く。
 と、同時に二人の視界で影が走った。
「天が呼ぶ! 地が呼ぶ! 人が呼ぶ!」
 影は辺りを所構わず飛び回る。
「何!?」
「何ですの!?」
「正義の使途、音無スー、猫のぬいぐるみをゲットに推参!」
 ずさぁっと砂埃を巻き上げて、一人の少女がライフル銃を片膝立ちに構えて立ち止まる。
「今度はスーかよ」
「クロちゃんはどこかしら」
 迅雷はげっそりした表情で少女を見つめ、ほまれは辺りをきょろきょろとしている。
 クロというのは、少女、音無スーの飼っている猫で、ほまれのお気に入りだった。
 どうやら今はいないようだ。
 残念そうにため息をつくほまれ。
 スーは二人に構わず、ライフルの引き金を引いた。
「超爆裂天撃弾!」
 ずどおおん。
「え?」
「あら?」
 スーの放った銃弾は、迅雷たちが狙っていた猫のぬいぐるみをいとも簡単に撃ち倒した。
「じゃ、悠樹くん、貰っていくわね」
「音無、すごいね」
 見事ぬいぐるみ猫を撃ち落としたスーに、悠樹が拍手を送る。
「正義の力よ」
 意味不明の根拠を挙げて、笑顔で力強く、猫のぬいぐるみを受け取るスー。
「んじゃねっ!」
「楽しんでいってね」
「もちろんよっ」
 スーは悠樹に片手を上げて去っていった。
「……」
「……」
 疾風怒濤の展開に、唖然とする迅雷とほまれ。
 見守っていた香澄も少し固まっている。
「……」
「……」
「よっ、悠樹、客の入りはどうだい? あん、迅雷じゃないか」
 ライブとは裏腹に訪れた一瞬の沈黙を打ち破って、また新たな人影が乱入してきた。
 悠樹はその人影に、にっこりと微笑む。
「まあまあですよ、鈴音さん」
 織田鈴音。
 武術の達人にして、最強の人妻。
 スーよりも前に、射的でぬいぐるみを撃ち落したという話題が出たロックの妻である。
 まだ二十歳の若さで、スタイルも抜群だ。
 豊かな胸にサラシを巻いて、ハッピを羽織、頭には鉢巻をしていた。
「今度は鈴音かよ」
 迅雷が、げっそりとした顔で、鈴音を見る。
 ぬいぐるみをスーに取られて気力を失っているらしい。
「鈴音かよって何だその反応はよ。そういう迅雷。おまえは、何やってんだよ?」
「いや、何って言われてもなぁ」
 迅雷が隣のほまれに救いを求めるように視線を送った。
「わたくしに振らないでくださる?」
 怒ったようにほまれが迅雷を睨みつける。
「何だ、暇なのか」
 鈴音が迅雷とほまれを交互に見ながら言った。
「別に暇だったわけではありませんわ。わたくしの華麗なる腕前を披露するためのゲームを模索しているところなのです!」
「なぬっ!?」
「だって、このままでは終わるに終われないでしょ?」
「確かに、すっきりはしねぇな」
 二人は鳶に油揚げを浚われた状態だ。
 とにもかくにも、中途半端に燃焼してしまっている。
 この燻りは中々収まりそうもない。
 鈴音は二人のもやもやとした顔を見て、良いことを思いついたように、にやりと笑った。
「なら、二人とも、金魚すくいをやらないかい?」
 鈴音が後ろの屋台をクイッと指差す。
 そこには射的ゲームに夢中で気づかなかったが、金魚すくいの屋台が出ていた。
「金魚すくい……」
「金魚すくい……」
 迅雷とほまれが同時に呟く。
「景品は、これ」
「あっ、それ……」
「ここの射的でロックが取ってきた猫のぬいぐるみだぜ。使っても良いだろ、悠樹?」
「ええ、別に。せっかくのお祭りですしね」
 悠樹が大らかに頷く。
「ということで、やるかい? 迅雷とそっちのお嬢さん」
「よろしいですわ!」
 ほまれが歓喜に満ち溢れた甲高い声を上げた。
 そして、迅雷をビシッと指差す。
「金魚すくいで勝負よ、影野!」
「望むところだ! 今度こそ必ず、あの猫のぬいぐるみはおれが頂く!」
 バチバチッと視線をぶつけ合う二人。
「おお、気合入ってんなぁ」
 鈴音が陽気に笑いながら、火花を散らす二人に金魚すくい用のモナカを渡す。
 第二ラウンド開始!
 二人はもうダッシュで金魚たちが泳ぐ水槽に駆け寄り、モナカを振るい始めた。
 その様子を見ながら、香澄がため息をつく。
「エンドレスのような気がするのは私だけでしょうか」
「いや、きっと祭り中ずっと、あの調子だと思うよ」
 悠樹は涼しい目で笑って答えた。
「それとも、止めてくる?」
 迅雷が物事に熱中すると止まらないことは、一緒にいる時間が一番長い香澄が一番良く知っていた。
 特に今回は相手が、負けず嫌いの権化、吾妻ほまれだ。
 どうにもなるまい。
 悠樹の言葉に香澄は軽く首を横に振り、もう一度ため息をついた。

 そこへ、夜風に乗って良い香りが流れてきた。
 穀物の焼かれた香ばしい匂い。
「鈴音サン」
 真夜中にサングラスをかけた青年が、両手に程よく焼かれたとうもろこしを持って姿を現した。
 悠樹や鈴音と同じハッピを着ている。
「おっ、ロックか」
 鈴音の夫、ロックだった。
「ハイ、お土産です」
「焼きとうもろこしか」
「おいしそうだったので買ってきたンだけど」
 手に持ったとうもろこしと、その場にいる鈴音、悠樹、香澄を見比べた。
「ちょっと数が足りないようですネ。悪いけど、半分ずつでどうぞ」
「ありがとうございます」
 悠樹が受け取って、焼きとうもろこしを半分に割り、香澄に手渡した。
「あっ、でも……」
「まあまあ、迅雷先輩も怒りはしないって」
「わ、私が言いたいのは、そんなことでは……」
「んじゃ、どんなこと?」
「……悠樹さんって、けっこう意地悪ですね」
「そんなことないよ」
 しれっとした口調で受け答えする悠樹。
 香澄は赤面しながら沈黙して、観念したように焼きとうもろこしを口に運んだ。
「……おいしいですね」
「ほら、食べて良かった」
 悠樹は香澄の顔を一瞬だけ見てそう答え、すぐにとうもろこしに視線を戻して一心に頬張る。
「……」
 香澄はまた、大きなため息をついた。

「ハイ、鈴音サン」
「うっ、あっ、おう、ありがとよ、ロック」
 ロックも焼きとうもろこしを二つに割り、片方を鈴音に差し出した。
 赤面しながら焼きとうもろこしの半分を受け取る鈴音。
「半分こか」
「半分こですヨ」
「半分こだな」
「半分こですネ」
「ははっ、はははっ……」
 鈴音は嬉しそうに焼きとうもろこしを口に運んだ。
 ロックもとうもろこしを食べながら、『Lunar』が演奏を続けている舞台へ目をやる。
 ショートカットの少女は素晴らしい歌唱力の持ち主で、他の三人の高校生とは思えないほどの演奏の腕前だった。
 それに、詩も良いし、曲も良かった。
「そろそろクライマックスみたいですネ」
「ああ、あのバンド、ちとせの友だちっけか。燃えるものがあるよな」
 ちょうど曲が終了し、ヴォーカルの響が汗を拭う。
 他の三人も真夏の夜のライブで汗まみれになっていたが、気力はまだまだ十分だった。
「さて、今夜最後の曲!」
「未発表の新曲だぜっ!」
「『Suono delle campana』!」
「イタリア語で、『鈴の音色』です!」
 最後の最後に新曲お披露目とあって、観衆が大歓声を上げる。
「なっ!? あたしたちの店の……!?」
 そんな中、鈴音の顔が驚きに包まれていた。
 それはそうだろう。
 『Lunar』の新曲のタイトルが、自分たちの店の名前と同じだったのだから。
「おい、ロック! これは一体……!?」
「ちとせさんの仕業だそうです」
 ロックは鈴音を落ち着かせるように種明かしをした。
 顔に隠し切れない喜びが浮かんではいたが。
「ちとせか。くっそうっ、やられたぜ」
 鈴音が拳をぐっと握り締める。
 顔が紅潮している。
 怒っているのではない。
 ちとせの仕掛けた大仰なびっくり箱に対して、恥ずかしさと嬉しさをどう表現していいのかわからないのだ。
 鈴音の嬉しい困惑をよそに、ヴォーカルの響は熱唱していた。
 曲はノリの良い明るい曲だった。
 孤独だった一人の女性が、様々な人たちと出会い、小さいが幸せな家庭を築く。
 そんな内容の詩だった。
 聞き惚れていた鈴音が目じりを指で拭った。
 とても、安らいでいた。
「……イイ曲だな、ロック」
「ええ」
「あたし、何だか最近涙もろくなってきたよ」
「……鈴音サン」
 ロックが鈴音の肩を抱いた。
 鈴音は一瞬だけ、驚いたような表情を浮かべたが、すぐにロックへ身体を預けた。
 『Lunar』が曲を終えると、その日一番の拍手と歓声が神代神社を包み込んだ。

「作戦大成功ってね☆」
「うわっ、ちとせ、いつの間に!?」
 突然、後ろに現れたちとせに悠樹が驚きの声を上げる。
 ちとせは悠樹の横に移動すると、鈴音とロックと寄り添っているのを見ながら、ガッツポーズを取る。
 祭りも盛況だし、ちとせとしては何の文句もない状況だった。
 まさに大成功。
「ふふっ、らぶらぶセンサーに反応があったからね」
 ちとせがポニーテールを指に絡めて、揺らす。
「……ポニーテールで?」
 香澄が唖然とした表情で、ちとせを見る。
「香澄ちゃんもしてみる? ビンビン来るよ?」
「……結構です」
 香澄はまた、大きなため息をついた。
 だが、すぐに口元に笑みが浮かぶ。
「でも、来年は考えてみましょう」
 香澄も、この祭りを楽しんでいた。
「ををっ、それは楽しみだね☆」
 ちとせがパンッと胸の前で手を合わせた。
 その後ろの屋台では迅雷とほまれがまだ金魚すくいをやっている。
 全部の金魚を取り尽くしてしまいそうな勢いだ。
 また、前方では、ロックと鈴音が抱き合っている。
「いやぁ、今年の夏も、いろいろ暑くなりそうだね☆」
 ちとせは、前後を交互に見ながら、猫のように目を細めて楽しそうに笑った。
 猫ヶ崎の夏は、まだ始まったばかりだ。


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