花鳥風月



「茶道部だぁ!?」
 影野(かげの) 迅雷(じんらい)の素っ頓狂な声が、剣道部の道場に響いた。
 すでに稽古の時間も終了しているので、道場内に残っているのは、迅雷と、剣道部部長・牧原(まきはら) 御杖(みつえ)の二人だけだった。
 何処かに潜んでいる可能性がないわけではないが、音羽(おとは) 千六(せんろく)の姿もなかった。
「ああ」
 御杖が迅雷に頷く。
「今からか?」
「まあね。ダメか?」
「いや、別にダメじゃねえけどよ。おれは茶道なんてガラじゃねえぞ」
「それもそうかも」
「おい、少しは否定してくれよ」
「アハハ、悪い悪い」
「で、一体何しに行くんだよ?」
「何をしにって、茶道部なんだからさ、茶の湯だよ、茶の湯」
 御杖が頬を掻きながら、迅雷の肩を叩く。
「茶の湯? そんなのにおれを誘ってどうする気だよ」
「まあ、心の修行って、トコかな」
「へへっ、なるほど、精神面の鍛錬って訳か?」
「たまにはそういう趣向もいいかなってさ」
「まあ、茶菓子でもご馳走になる気で行ってみるか」
「そうこなくっちゃね。あ、それから……」
 御杖が、迅雷に向かって、表情を引き締める。
「失礼のないようにしてよ」
「わかってるって」

 猫ヶ崎高校茶道部部室。
 正座をしている袴姿の女性が一人。
 艶やかな長い黒髪に、切れ長の瞳、凛とした顔立ちの美女であった。
「失礼します」
「御杖様、よくお越し頂きました」
 迅雷と御杖が部屋に上がると、女性は静かに礼をした。
「すげえ美人じゃねえか」
 迅雷が思わず呟く。
「風月さん。よろしくね」
 御杖と女性が挨拶を交わす。
「そちらは?」
「ああ、コレは、剣道部の後輩で影野迅雷」
「コレって、おれはモノか!?」
 迅雷がわめく。
 風月が静かに迅雷の方に向き直った。
「!!」
 視線に射ぬかれて迅雷の動きが止まる。
「なんて、静かな眼だ」
花鳥院(かちょういん) 風月(ふうげつ)と申します」
「あ、ああ。おれは、影野迅雷だ」
「風月さんは、迅雷と同学年だったな」
「へえ、そうなのか。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願い致す」
 風月は軽く微笑むと、お茶の仕度をはじめた。
「うおぅ、御杖、何か緊張するぞ」
 迅雷が、御杖に耳打ちする。
「アラ、アンタでも緊張するの?」
「しょうがねえだろ。お茶の相手がこんな美人だなんて聞いてないぞ」
「かわいい方が嬉しいだろ?」
「ま、まあな」
「もっと、楽になさって、けっこうですよ」
 小声だ会話を続ける迅雷と御杖に、茶を点じながら、風月が眼を向ける。
「楽にって言ってもなぁ」
 迅雷が唾を飲み込む。
 あの眼を見ると、どうにも緊張が解けない。
 風月の眼は、透き通っていた。
 あんな瞳ははじめただ。
 荒れ狂う波というモノがない静かな視線だった。
 冷徹などとはまるで違う、気高い静かな光だった。
「心の修行か。連れてきてもらってよかったかもな」
 風月が、茶を立て終わり、御杖の前に、茶碗が置かれる。
「どうぞ」
「いただきます」
 御杖が、礼儀正しく茶を頂く。
「けっこうなお手前で」
「ありがとうございます」
 いつもは姉御肌の御杖が礼儀に気を使っているのを見て、迅雷は少々おかしさを覚えた。
 御杖が茶碗を迅雷の前に置く。
「ホラ、アンタの番だよ」
「え? 御杖の飲み掛けを飲むのか!?」
 迅雷が、茶碗に手を伸ばす。
「い、いただきます」
 緑色の液体が、茶碗の中に見える。
「あんま、うまそうじゃねえなぁ……」
 迅雷は一気に中見を飲み干した。
「!!」
 迅雷の表情が変わる。
「うめえっ!!」
 迅雷が膝を叩きながら大声で叫んだ。
 風月が迅雷の方を驚いたふうに見つめる。
「ちょ、ちょっと、迅雷! 行儀が悪いわよ」
 御杖が、叱咤する。
「お、おう。す、すまねえ、あんまり、美味かったからよぉ、つい、な」
 迅雷もさすがに、恐る恐る風月の方を覗いながら頭を掻く。
「まったく、風月さんに、ちゃんと謝りなよ」
「おう、そうだな」
「謝ることはない。素直に感想を述べることは、良いことです」
 風月が、迅雷と御杖に言った。
「礼儀作法は、心根ですから」
 迅雷と御杖は、キョトンとした顔で向き会っていたが、微笑み合うと風月に向き直った。
「風月さんて、すごいわね」
「ああ、まったくだ。……ん?」
 突如、迅雷の背後に殺気が生まれる。
「きえぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
 振り返ると、奇声を発しながら、木刀を大きく振りかぶっている男がいた。
「なっ!? 千六!?」
「御杖ぇ!! ワシも連れて来て欲しかったダニぃ!!」
 迅雷は紙一重で、木刀をかわした。
「アンタは騒がしいから、イヤなの!!」
 御杖が、千六に向かって怒鳴る。
「御杖〜!! 見ててくれダニ!! 迅雷にメイドを贈ってやるけんの〜!!」
「おまえは何人だッ!?」
「だいたい、メイドを贈ってどうする気? 冥土に送るんならわかるけど……」
「好きなんだ、御杖ぇぇぇぇぇ!!」
 再び木刀を振り下ろす千六。
 かわす迅雷。
「ったく、あぶねえなぁ……って、風月!? やべえ!!」
 迅雷がかわした千六の剣筋の先に、正座したままの風月がいた。
「と、止まらっなっいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!??」
 千六も慌てたが、勢いが突いた木刀は止まらない。
「風月ッ!!」
「風月さんッ!!」
 迅雷と御杖が叫ぶが、風月は動かない。
 静かな目のまま、千六の木刀を見据えている。
「!」
 木刀が風月に直撃する瞬間、風月が動いた。
 懐から、扇子を取り出す。
 そして、千六の木刀の腹に扇子が重なり、木刀の筋が微妙にズレた。
 迅雷の眼でもそこまでしか確認できなかった。
 次の瞬間には、千六は空中に投げ出されていた。
「きょげぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
 千六は受身もとれずに顔面から畳みとぶつかった。
「あの千六が、一瞬で投げられてる!?」
「は、速え!?」
「お粗末」
 ビシッ!!
「ぎゃっ!?」
 閉じた扇子で、軽く千六の額を叩いた。
 そして、扇子を手前に置くと、風月はいつもと変わらぬ様子で静かに礼をした。

「コイツ、ホントに、ただの茶道部かよ?」
 迅雷が目の前で起きた出来事に目を丸くする。
 大和撫子然としている風月のその姿に似合わぬ強さに舌を巻いていた。
「強いとは思ってたけど、ここまでなんて……」
「御杖は知ってたのか?」
「まあ、ね。彼女、剣道、薙刀、柔道、合気道、空手、その他諸々、武芸百般免許皆伝なのよ」
「何ィ!?」
「しかも、茶道に書道、華道、日舞にも精通しているって」
「文武両道って訳かよ。すげぇ、奴なんだな」
 迅雷が嘆息する。
「悪いね、迷惑かけちゃって。コイツにはお灸据えとくよ」
 御杖が、千六を後ろ襟を引きずりながら、風月に謝罪する。
 風月は怒ってはいないようで、迅雷は、ホッとした。
「また、来ても良いかな?」
 部室の外で、御杖が頭を掻きながら、風月に尋ねた。
「はい、もちろんです」
「おれもちょくちょく来させてもらうぜ。心の修行にな」
 迅雷が、真正面から、風月の瞳を見据えて笑った。
 風月は、静かな視線のまま、微笑んだ。
「いつでも、歓迎致す」


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