感傷
淡い光が窓から部屋の中に差し込み、黄金色の髪が冷たい輝きを反射する。
シギュン・グラムは夜空に浮かぶ月を見上げながら、スーツの懐に手を伸ばす。
煙草の箱を取り出すが、あいにくと最後の一本であることに気づいた。
迂闊なことだとは思ったが、苛つきを見せずに最後の一本を取り出し、空になった煙草の箱をくずかごに投げ捨てる。
ストックもない。
手に入れに行くのも、今夜は億劫だった。
煙草を指で弄びながら、テーブルの上に視線を移動させる。
そこには一枚の写真が飾られている。
恋人との写真ではないし、家族との記念写真というわけでもない。
そこにはシギュンに似た面影の一人の貴婦人が写っていた。
彼女の母だった。
彼女の母はシギュンを産み、すぐに亡くなった。
自殺だったという。
原因は、不明。
父と母の婚姻は、欧州裏社会の大勢力だったグラム家としての政略結婚だったのは間違いがなく、もしかすると父と母の間に愛がなかったのかもしれない。
ならば、自分はなぜ生まれたのか。
母はなぜ自分を産んだのか。
そして、どうして、自ら命を絶ったのか。
母への思慕などというものが自分にあるとは思っていない。
何しろ記憶すらないのだ。
ただ、存在をまったく知らない母という生き物に興味がないといえば嘘になる。
今日は、見知らぬ母の命日だった。
シギュンはため息を吐いた。
今宵はいくらか感傷的になっているようだ。
――この"氷の魔狼"ともあろう者が。
自嘲気味に口元を歪め、煙草を咥えた。
実の父を殺し、すでに自分の手は血で染まっている。
かつての恋人も自分の手で、その命を奪った。
今でも鮮明に覚えている。
心臓を貫いた時の生暖かい血の感触。
それはぬくもりだったか。
――彼らの命は、私に生をくれた。
だが、ただ一人。
ただ一人だけ、望んでも自分に生をくれない存在がいる。
「母上、いくらこの私でも、物心ついた時に死んでしまっていたあなただけは、永遠に殺すことができない」
シギュンはマッチに火を点けた。
燃え上がる小さな炎に照らされて、写真の中の貴婦人が橙色に染まる。
「私にはあなたの記憶がない」
炎を母の顔に近づける。
写真に炎が触れる寸前で、シギュンはマッチの動きを止めた。
炎はマッチの軸棒部分に燃え広がり、シギュンの指を焼き始める。
「あなたは私を産んだだけで、私に生をくれなかった」
己の指を包み込む炎を気にかけた様子もなく、貴婦人を睨みつけた。
その瞳に憎悪はない。
思慕もない。
何もない虚ろな光だった。
「あなただけは……」
シギュン・グラムは、左手で写真立てを倒した。
「あなただけは私のものにはならない」
全身で椅子にもたれかかり、テーブルの上に足を投げ出す。
勢いで金髪が靡き、前髪が垂れて、顔の上半分を隠した。
指先を焼く炎で、煙草に火を点じる。
「……何とも残念なことだ」
無感情にそう言いながら、シギュン・グラムは紫煙を吐いた。
冷やかな黄金の髪に隠れた彼女の表情は窺い知れなかった。