出会い



 私立猫ヶ崎高校の大講堂で今、入学式が行なわれていた。
 大学並みの施設を誇るこの猫ヶ崎高校は広大な敷地に校舎、構築物が数多く有している。
 その中でも大講堂は全生徒を収納できるだけの大きさのホールで、ちょっとした劇場よりもはるかに広い面積があった。
「これをご挨拶と替えさせていただきます」
 気位の高そうな女生徒の優雅な挨拶が終わり、拍手が巻き起こる。
 彼女は、生徒会長を務めており、猫ヶ崎高校の理事長の娘でもあるらしい。
「ねっ、次って、新入生の挨拶だっけ?」
 神代(かみしろ) ちとせが小声で隣の幼馴染に尋ねた。
「入試で主席合格した生徒が総代だよ」
 八神(やがみ) 悠樹(ゆうき)が小声で応じる。
 新入生の並びは特にクラス分けされているわけではなかった。
 とはいっても、クラス振り分けの通知はすでに届いている。
 ちとせと悠樹は同じクラスに配属された。
 幼馴染である二人は、中学時代も三年間同じクラスであったので、同じクラスになるのはこれが四年連続になる。 
 盛大な拍手とともに学年総代の女生徒がステージに上がった。
「うわっ、きれい」
 ちとせは思わず嘆息した。
 学年総代は、『絶世の』が付くくらいの美少女だった。
 ただ、その美しさは硬質の美しさではあった。
 長い黒髪には癖一つなく、顔立ちもまるで彫像のように整っているが、それが返っていかにも堅苦しい印象を持たせている。
「我々、新入生一同は、私立猫ヶ崎高校に入学します。これからよろしくお願いします」
 総代の女生徒は、透き通ってはいるがやたらと平板な声で挨拶を述べると向かい合った生徒会長に無表情に頭を下げた。
 一連の動作に生物的なやわらかさはなく、からくり人形のような機械的な動きだった。
「こちらこそよろしくお願い致しますわ」
 生徒会長は愛想笑いで応じた。

 入学式が終わると、新入生はクラスごとに教室で自己紹介の時間となった。
 高校という今までとは環境が一新した場で、新しい友人をつくるというのは、それなりに時間がかかりそうなものだ。
 悠樹も気さくな少年ではあるが、神代ちとせにはかなわない。
 気がねなく話しかけて、いつの間にか友人を増やすというのが彼女の得意技だ。
 もうすでに近くの席の生徒とさまざまな話題を話すまでになっていた。
 同じクラスになった同じ中学出身者は、ちとせの性格に救われたようにクラスに溶け込むことに成功していた。
「ね、悠樹。部活とかって決めた?」
 帰り道、校舎の入り口辺りで、ちとせが尋ねてきた。
「まだだけど、ちとせは決めたの?」
「うん、高校でも陸上続けるつもりだよ」
「そっか、陸上続けるんだ」
 ちとせは中学時代に短距離走のエーススプリンターとして陸上部を引っ張り、三年時には部長の大任を引き受けていた。
 走っている時のちとせの姿を思い出し、悠樹が頷く。
 風を切って走るちとせは輝いていて、格別に気持ち良さそうな表情をしていた。
「さて、ぼくはどうするかな。また化学部に入るのも良いかもしれないな」
 彼は中学時代は化学部に所属しており、この高校にも化学研究部があるらしいことは知っていたが、入学初日ということもあって、特に部活動のことまでは考えていなかった。
 ――そういえば、化学研究部の顧問の先生、すごい美人だったな。
 そんなことを思い出しながら、ふと、外に目をやると、あっと悠樹は声を漏らした。
「んっ、どしたの?」
「アレってさ」
「あっ、学年総代の……」
 悠樹の視線の先では、入学式で学年総代を務めた女生徒が大柄の男子生徒と何やらもめているようだった。
「ナンパかな?」
「悠樹も誘いたいんじゃないの?」
 ちとせが笑いながら言う。
 悠樹は曖昧に肩をすくめた。
 ちとせの目に愉悦の色がないことを認めたからだ。
 原因は、総代の女生徒が男子生徒相手に対してかなり不機嫌そうなことに気づいているからだろう。
 ちとせは性格上、揉め事を放っておけず、これから頭を突っ込むつもりだ。
 悠樹は確信し、ため息を吐いた。
 むろん、彼も揉め事から逃げるつもりはない。
 悠樹は強張った笑顔で、歩き出したちとせの後に黙ってついていった。

 天之川(あまのがわ) 香澄(かすみ)は、新入生の学年総代を務めた。
 彼女にとってそれは名誉なことというほどのものでもなかったが、別に嫌なことでもなかった。
 だからといって、どうでも良いことというほど、無関心ではない。
 仕事を任されるという事は、彼女にとって楽しいことの一つであることは確かだからだ。
 香澄は入学式の後のクラスでの自己紹介などを終え、帰宅の用意も終えていた。
迅雷(じんらい)さん、遅いわ」
 香澄は、待つのは嫌いではないが、時間にルーズなのは嫌いだった。
 香澄を待たせてるのは、影野(かげの) 迅雷(じんらい)という男だった。
 この高校の在校生で、まだ二年生ながら剣道部の主将の席にあった。
「香澄」
 後ろから声がかかった。
「……迅雷さん、三分五十一秒の遅刻です」
 香澄が振り向くと、迅雷が立っていた。
 引き締まった長身で美形と言って良い顔立ちをしている。
 ただし、その全身から発せられている威圧感は獣を思わせた。
「細かいことは気にするなって」
「……ふぅ」
 香澄は反論に口を開きかけたが、疲れたような表情でため息だけを吐いた。
「香澄」
「はい」
「入学おめでとう」
 迅雷の両手が香澄の美しい頬を挟む。
「迅雷さん、やめてください」
 香澄が頬を赤く染めて、迅雷の手をどけようとする。
「ああ、香澄はこういうのは嫌いだったな」
 迅雷が喉で笑いながら、香澄の髪を両手で梳いた。
 さらさらと流れ落ちる髪、少女の頬の紅潮が深まる。
「か、からかわないでください!」
「怒った顔もかわいいぜ」
「もう、知りません!」
 そっぽを向く香澄。
 ――少しからかいすぎたな。
 迅雷が香澄をなだめようとした瞬間。
「ぐはっ!?」
 ガツンという鈍い音とともに迅雷の脳天に星が回った。
「じ、迅雷さん!?」
「大丈夫?」
 目の前で迅雷が崩れる姿に驚愕する香澄にそう言いながら、沈没した男の後ろから現れたのは、ちとせだった。
「しつこい男って困るよね」
「迅雷さ……先輩! 大丈夫ですか!?」
「あれ?」
 予想外の反応にちとせが小首を傾げる。
「いって〜!? 何だってんだよ!?」
 迅雷が後頭部をさすりながら、むくりと起きあがった。ついで、ちとせを睨みつける。
「いきなり何しやがんだ、テメーは!?」
「あれ? しつこいナンパじゃないの?」
「ちっが〜う! ていうか、おまえは、しつこいナンパだったら後ろから殴るのかぁ!?」
「まぁ、時と場合によっては」
「危ないヤツだな。ていうか、おまえは誰だっつーのッ!」
「あはは☆ ボクは、ただの通りすがりの……」
「ちとせ!」
 悠樹が追いついてきた。
「そう、神代ちとせ。それがボクの名前さ」
 ちとせが顔の横で指を振りながら、歌うように自己紹介をする。
 勘違いをごまかしているらしい。
 ――へ、変な女だ。
 それが影野迅雷の神代ちとせに対する第一印象だったが、口には出さない。
 また殴られそうな気がしたからだ。
 影野迅雷は、猫ヶ崎高校では古い言い方をすれば番長とも呼ばれるような存在だったが、この変な女――神代ちとせには本能的な脅威を感じていた。
 脅威といっても、蛙の蛇に対するものではない。
 威圧感や圧迫感でもない。
 ――下手なことを言うとおもちゃにされる。
 そういった脅威だった。
「んで、こっちは幼馴染みかつクラスメイトの八神悠樹」
「あ、どうもよろしくお願いします」
 状況を把握してない悠樹は、ちとせに紹介されるまま頭を下げた。
「お、おおう。こっちこそよろしくな。おれは影野迅雷。剣道部の二年だ。で、こっちは、今日入学した天之川香澄だ」
「天之川香澄です」
 何となくため息をついているような感じで香澄も名乗った。
 話してみると家もけっこう近くらしいというのでみんな一緒に帰宅することになった。
 校門の近くまで来ると、やたらと色っぽい女性が新入生へのチラシ配りだか何だかをしていた。
 気にする風もなく、ちとせたちはその横を通り過ぎる。
 女性がチャーミングな笑顔でチラシ入りのティッシュを手渡してきた。
 拒否するでもなく全員がそれを受け取る。
 ちとせ、悠樹、迅雷。
 香澄が受け取った時、女性の瞳に一瞬、妖しげな光が宿った。

「へえ、実家が神社か。お祓いとかできんのか?」
「もちのろん。幽霊退治は得意だよ」
 代々神社の神職を務める家系のちとせには霊能力があった。
 とはいっても霊気を操る力はこの街ではさほどめずらしいものではない。
 この街の特殊な地形が特殊な能力を生むらしいと評判だった。
 真偽はともかく、この猫ヶ崎市は戦時中に魔道都市として機能していたという噂まであった。
「で、影野先輩と天之川さんは、どんな感じなの?」
 ちとせが妙な笑みを浮かべながら、迅雷に耳打ちした。
「どんな感じ?」
「だから、キスとかしたの?」
「おいおい、勘弁してくれよ。香澄はそういう話、嫌いなんだよ」
 香澄は非常に堅物で、人前では恋愛関係の話などまったくしない。
「香澄!?」
 機嫌を覗うように後輩に目をやった迅雷が突然大きな声をあげた。
 見れば、香澄の顔は真っ青で、呼吸も乱れている。
「香澄、どうした!?」
「迅雷さん……」
「おい、香澄!」
 迅雷が崩れ落ちそうになる香澄を抱き止める。
「……校門の辺りから……少し気分が悪くて……」
「どうしたの?」
 ちとせが心配そうに覗き込んできた。
「気分がすぐれないらしい」
 迅雷が休める所を探すのを悠樹に頼もうとした時、香澄を見ていたちとせが呟くように言った。
「……精気欠損」
「どうした?」
 眉を寄せて顔を曇らせるちとせに迅雷が詰め寄る。
「病気じゃないよ。香澄ちゃん、精気を吸われてる」
 ちとせはそう言うと、懐から呪符を取り出した。

 ――廃屋に造られた彼女の城で、彼女は快楽を味わっていた。
 健康でうら若い純潔の乙女の精気。
 しかも、内在する霊気が非常に高い。
 極上の味がする。
 彼女にとって、この上ない美酒だった。
「フフフ、潜在霊力の高い娘だったから、どうかと思ったけど意外と簡単だったわ。眠っている霊力が高くても開花していなければ、抵抗もできないようね」
 唇の端から銀の雫を垂らしながら、潤んだ目で呆けたような口調で独り言をいう。
 そうとうハイテンションになっているようだ。
 だからかもしれない。
 彼らが近くに来るまで気がつかなかったのは。
「おい」
 当然の声に、彼女は飛び上がった。
「だ、誰!?」
「おまえか。香澄を苦しめているのは」
 迅雷、ちとせ、悠樹が部屋の入り口に立っていた。
「あの娘と一緒にいた人間か」
 彼女は舌なめずりしながら立ちあがった。
「さっさと観念して、ちゃちゃっと、香澄ちゃんを解放しなさい!」
 ちとせがビシッと彼女を指差していう。
「人間のご都合で、食事を取り上げられたんじゃたまんないわぁ」
 彼女は懐からムチを取り出した。
「んじゃ、力ずくでもやめさせるよ!」
 ちとせが迅雷と悠樹に目で合図を送る。
「人間如きが、このサッキュバスのレイチェリアに勝てるとでも?」
 彼女――レイチェリアは妖笑を浮かべながら手を振った。
「なっ、サッキュバス!?」
 ちとせが、ギョッとしたように、目を見開く。
 ある程度の退魔の知識を持つ者としては、当然の反応だった。
 サッキュバスは人間の精気を貪るという夢魔で、死をもたらす魔術さえ操ることができる恐るべき存在なのだ。
 相手が高位の魔族だと知って動揺するちとせを嘲笑うように、レイチェリアが両手で不可思議な印を描く。
 一瞬後、レイチェリアの周りに闇が生まれ、その中から奇妙な生物が十体近く姿を現した。
「グレムリン!」
 緑色の肌をした奇妙な生物の正体を見破り、悠樹が叫んだ。
 妖魔グレムリン。
 二十世紀初頭から姿を見せ始めた比較的新しい妖魔だ。
 機械やコンピュータを狂わせる力を持ち、第二次世界大戦中には多くの爆撃機の計器に異常動作を(もたら)したといわれる。
 長い歴史背景を持つサッキュバスに比べれば、はるかに低級だが知性は高い。
「気をつけて。けっこう速く飛ぶよ。それから水をかけると増えるから……」
 翼持つ悪魔の空中からの攻撃は厄介だと、ちとせが忠告する。
 だが。
「滅」
 ちとせを庇うように前に出た迅雷が一言小さく呟いた。
 次の瞬間、グレムリンの姿はすべて掻き消えていた。
「へっ?」
 ちとせが目を丸くする。
 悠樹が目を丸くする。
「どどどどどどどどどーして!?」
 召喚したグレムリンを一瞬で塵に変えられた、レイチェリアが驚愕を隠そうともせずに叫ぶ。
「おまえがおれを怒らせたってコトだ」
 迅雷はそういうと女悪魔を睨みつけた。
 彼の太い左腕が青白く光り輝いている。
「ありゃっ、影野先輩も霊力があるわけね。それにしてもすごいわね。一瞬であれだけのグレムリンを全部を消し飛ばしちゃうなんて」
 ちとせと悠樹が生唾を飲み込む。
「次はおまえだ」
 香澄を苦しめられたことに対する憤怒の表情を隠そうともせずに迅雷が一歩一歩、レイチェリアに近づいていく。
「おれは女は斬らん主義だが。香澄を苦しめた報いは受けてもらうぜ」
「うっひゃあああああ!?」
 グレムリンの一瞬で倒されたのがよほどショックだったのか、レイチェリアは腰を抜かした。
 尻餅を着いたまま必死に後ろに下がる。
「ちょっと、来ないでぇ!」
 泣きながら叫ぶ。
「このバカ! アホ! 人でなしぃ!」
 レイチェリアにすでに戦意はかけらもないようだ。
 ちとせは何か、レイチェリアがかわいそうになってしまった。
「しょうがないじゃないの! 人の精気吸わなきゃ生きていけないんだからぁ!」
 迅雷がレイチェリアの目の前まで近づいた。
「それもほんのちょっとだけよ! 人間みたいに余計なものまで欲しがったりしてないわよぉ!」
 迅雷はため息を吐いた。
「はぁ……、今日はつくづく、変なヤツに遭遇する日だぜ」
 迅雷はどっと疲れたような表情で、レイチェリアに言った。
「香澄にかけたの術を解きな。そうすれば許してやる」

 ――帰り道。
 黄昏。
 影野迅雷は少し不機嫌だった。
 彼は香澄を背負っていた。
 それは良い。
 香澄の面倒を見ることに不快さなど感じるはずもない。
 問題は、周りだ。
「ちょっと、さっきの『変なヤツ』って、ボクも含まれてるってこと!?」
 ちとせがうるさい。
 その横で悠樹が我関せずを貫いているのを迅雷は恨めしく思う。
 そして、もう一人。
「迅雷さまっ、香澄ちゃん背負うの交代しましょっか?」
 と、しきりに迅雷に気を使うレイチェリアだ。
「ええいっ、悠樹、ちとせを静かにさせろ!」
「あたしが静かにさせてあげますぅ」
 なぜか、レイチェリアが応じる。
「きゃあっ、どさくさにまぎれて精気吸おうとしないでよ!」
「イイじゃなぁい。ちょっとくらいぃ」
「だいたい、何でついてくるのよ!」
「え〜っ、だってぇ、迅雷さまに惚れちゃったんだものぉ」
 迅雷の顔にさらなる疲れが浮かぶ。
 どうやらこの夢魔は迅雷の使い魔になる気が満々らしい。
「……迅雷さん」
 背中から香澄の声が聞こえた。
「悪いな、我慢してくれ」
 迅雷が香澄をいたわる。
「いいえ、とても騒がしいけれど……」
「騒がしいけど?」
「……いいえ、何でもありません」
「そうか」
 迅雷が再び、ちとせとレイチェリアの標的となり、眉根を寄せ、顔をしかめる。
 悠樹はちとせの後ろで苦笑している。
 ちとせたちをどやしながらも、迅雷は、「一段と高校生活が楽しくなりそうだ」と感じていた。


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