血の継承



 闇は、どこにでも存在している。
 どのように明るい照明をつけても、それはただ光の当たらぬ場所の影を濃くするだけに過ぎない。
 ここ、欧州にも闇はあった。
 その闇が実体を持った名を、『グラム家』と言った。

 グラムの一族は、バイキングの偉大なる勇者『黄金の髪のユリア』をその祖先とする。
 ユリアは、闇夜の中ですら失われない美しい黄金色の髪と美貌を持った少女だった。
 北欧スウェーデン地方に生を受け、わずか十五歳にして彼女は一族の者で敵う相手がいない戦士となっていた。
 スウェーデン系バイキングは、ブリテン島を度々侵略したノルウェー系バイキングとは異なり、ロシアに進出したといわれている。
 だが、彼女は、屈強な男たちを率いて度々、ブリテン島を襲撃し、一族に莫大な富をもたらした。
 ユリアの恐るべき力に、畏敬の念を込めて、人々は『魔狼』と呼んだ。

 その後、ユリアの一族、即ちグラム家は、バイキングがキリスト教に改宗した後、彼らに習って貴族化した。
 だが、その恐るべき戦闘力に裏付された権勢は衰えを知らず、欧州各国の政変、戦争に深く関わり、暗躍を欲しいままにした。

 ――そう、まさに、魔狼の如く。

 深夜の社交パーティー。
 その華やかな小世界で一段と美しい華が咲いていた。
 豪奢な金髪に繊細な顔立ちをしたすらりとした長身の女性で、優雅に純白のイヴニングドレスを着こなしている。
 年の頃はまだ十代半ばと思われるが、若さだけではない彼女の美貌はパーティー会場の他の女性をすべて翳んで見えさせていた。
 憧憬の視線に包まれた彼女は、さながら、この満月の夜を祝福して降臨した月の女神のようであった。
 しかし、彼女は太陽のような女性と表現されるべきでない。
 表情がどこか空虚的で、この場を楽しんでいるという雰囲気が感じられないからだ。
 それに、彼女の視線は冷徹そのもので、女性特有の母性のような優しさとは無縁だった。
 冷ややかな月ではあっても、暖かい太陽ではない。
 彼女は、その冷徹な雰囲気も頷ける出自だった。
 グラム家。
 欧州の闇を統べ、裏社会から各国を貪る恐るべき魔狼の一族。
 その現グラム家の当主エイリーク・グラムの一人娘が彼女だった。
 名を、シギュン・グラム。
 『黄金の髪のユリア』の生まれ変わりとまで称された女性だ。
 始祖より代々受け継がれた美しい黄金の髪と類稀なる美貌を持ち、闇の力『降魔』の能力に長けた魔女。
 すでに、その力は現当主である父エイリークを超えているという噂だ。
「父上もまわりくどいことをさせる。このような茶番に私は興味はないというのに」
 シギュンは、父の命令で、このパーティーに賓客として赴いていた。
 権謀術数が渦巻く裏世界で、グラム家が権勢を失わないよう、表世界の権力者との繋がりを強化するために。
 そして、グラム家の次期当主としての顔見せとして、父エイリークはシギュンを代理として、このパーティーに参加させたのだ。
 もっとも、シギュンがグラム家の息女であることを知っているのは主催者と、ほんの一部の権力者にしか過ぎない。
 シギュンの出自を知らぬ愚か者が時折、彼女の美しさに酔いしれて声をかけて来るが、彼女の視線を浴びただけで退散していく。
 さすがに、シギュンも父の意向を無視するつもりはないが、なけなしの愛想を振り撒くのは、主催者だけで十分だった。
 この場には血もなく、死もない。
 畏敬や憧憬を込めて自分を見る者はあっても、死を恐れずに挑戦してくる者はいない。
 どろどろとした取引はあっても、背筋の凍る駆け引きはなかった。
 ――つまらない。
 そのつまらなさが、彼女に空虚さを与えていた。
 何度目かのため息が口を出る。
 と、黒服の男が、顔色を変えて駆け寄って来るのが見えた。
 グラム家に仕える従者の一人だ。
 今夜、運転手として、シギュンに付き従って来た男だった。
「シ、シギュンさま!」
「慌てるな。私に恥をかかせる気か? 話なら外で聞くわ」
 シギュンは、駆け寄ってきた従者を促して、パーティー会場の外に出た。

「それで、どうしたというの?」
 息を切らせたままの従者を、シギュンは睨みつけた。
 従者の顔は真っ青に染まっている。
「や、館が何者かに襲撃を!」
「襲撃……」
 従者の言葉に、シギュンの表情は微塵も変わらなかった。
 裏の世界では、襲撃など、よくあることだ。
 だが、その『よくあること』に従者は動揺している。
 ただ事でないことは、明らかだった。
「そう。で?」
「で、と、申されますと?」
「生存者はいるのか、ということだ。その慌てようでは一族全員死んだのかしら?」
 シギュンの声は淡々としていた。
 従者は寒気を覚えた。
 一族を殺されたのかもしれないのに、いの一番の言葉が、『全員死んだのかしら?』だ。
 それも、激情も動揺も微塵も含まれていない。
 冷静さを装うために感情を抑えているのかと普通ならば、考えるかもしれない。
 だが、従者は知っている。
 シギュン・グラムは、そのような感情とは無縁なのだ。
 感情がないわけではない。
 むしろ、闇の世界では感情が豊な部類に入るだろう。
 誇りを傷つけた愚者には激しく怒り、死の制裁を容赦なく与える。
 ただ、それ以外では、シギュンは唯一の家族である実父に対しても、他人のように接することが多い。
 圧倒的な力と天才的な才能。
 自分と対等な力を持ったものがいないのだ。
 だから、空虚さだけが、強く出る。
 人を殺し、血に染まった時だけ、シギュンは生き生きとしているように見えた。
 血に飢えているわけではないが、死と死が隣合わせの闇世界こそが、つまらぬものたちと関わらなくて済む彼女の居場所なのだ。
「生き残りがいるなら、詳しい話が聞きたいわ」
「はい。生存者はエイリークさまが唯一人……」
「父上が? バカな。グラム家の当主が一族を殺されて、おめおめ生きていると?」
 誇り高きグラム家の当主が、勝利か死かという戦いの中で敗北し、唯一人生き残っている。
 その事実に、シギュンの表情が険しくなった。
「シ、シギュンさま。じ、実の父上ですぞ」
「実父だからよ。それで、父上は今何処にいる?」
「はっ、専属病院の緊急治療室に」
「そうか」
 シギュンは、従者に背を向けた。
「お、お供します」
「いらないわ。父の代で、グラム家は滅んだのよ。私は『黄金の髪のユリア』に習うだけ」
 立ち去るシギュンの言葉を理解できずに、従者は呆然としたまま、彼女を見送った。

 ごんごん。
 ノック音が響き、扉が開いた。
「父上」
 グラム家の現当主エイリークは、薄っすらと目を開いた。
 エイリークの瞳に、純白のイヴニングドレスに身を包んだ娘が認識される。
「シギュンか」
 シギュンは、黄金の髪を靡かせて枕元まで近寄った。
 瞳には、瀕死の父親を労わる色はない。
 いつもの如く冷酷に輝いているだけだ。
「何者にやられたのです? 一族のものが総出で敵わぬとは……」
「ゲラルだ。ヤツの一派よ」
「理解できません。あの者の暗殺組織がいくら強大とはいえ、我が一族は精鋭。父上まで居られて……」
「"殺戮鬼械"だ」
「……?」
「ゲラルの人形よ。心を持たぬ幼い少年だったが、鬼神のごとき強さであった」
 エイリークが生き残ったのは悪運としか言いようがない。
「私は致命傷を食らったのだ。運良く降魔の力が、私を生き長らえさせたに過ぎぬ」
「そうですか。私はパーティーなどに興味はなかったのに、父上が悪いのです」
 シギュンは蔑むように父親を見やると、背中に流れ落ちる豪奢な金髪をかき上げた。
 サラサラと髪が流れ落ちた後、細身のナイフが、その手に握られていた。
 そして、そのナイフを父親の枕元に置いた。
「それに父上は生き残るべきではなかったと思います。さあ、見苦しい真似をなさらないように」
 このナイフで死ねと言うことに他ならない。
 娘の宣告に、父親は、一瞬、大きく目を見開いた。
 続いて、笑い始めた。
「……ふっ、ふふふっ、ははははっ、それでこそ、我が娘よ!」
「理解なされたならば、ご自害を」
「シギュンよ。おまえは、まさに魔狼だな」
 笑いを収め、実の娘の顔を見つめた。
「褒め言葉と受け取っておきましょう。どうしても、ご自害できぬというなら私が殺して差し上げます」
「確かに、グラム家の当主が生き恥を晒すわけにはいかぬ」
 エイリークは、そう言ったが、ナイフには手を伸ばさなかった。
「だが、私は自害はせん。おまえに殺されることにしよう」
「生き恥は晒せぬが自害はしない。言葉の意味が理解できません」
 父親の言葉は矛盾している。
「おまえに継承せねばならぬことがあるのだ」
「継承? 降魔の力ならば、すでに私は目覚めています」
 怪訝そうに、シギュンは父親を見た。
 すでに、彼女の降魔の力は父親をはるかに凌駕していた。
 今更、父親に教えを請う謂れはない。
「降魔師としての力ではない。我がグラム家が何故、魔狼と呼ばれているかわかるか?」
 エイリークの問いに、シギュンは淡々と答えた。
「欧州の闇に君臨し、各国を裏から貪り尽くすからではないのですか?」
「それも正しい。だがな、魔狼と呼ばれる真の理由は我らが始祖『黄金色の髪のユリア』が、降魔の力として契約した魔獣の力によるものよ」
「魔狼と呼ばれる魔獣……、まさか……」
 シギュンの瞳に初めて父の話へと興味が芽生えた。
「北欧最強の魔獣『フェンリル』だ」
「神を食らう狼」
 "氷の魔狼"フェンリル。
 北欧神話において、主神オーディンを食い殺した。
 まさに最強の魔獣だ。
「おまえには、それを媒介するだけの力があろう」
 エイリークには、その器がなかった。
 いや、始祖ユリア以来、神を食らい、月を砕く最強の魔獣を降ろせた者はいない。
 だが、エイリークは確信していた。
 シギュンにはその資質がある。
 ユリア以上の魔狼使いとして、闇世界を震撼させるであろう。
「私を殺せ、シギュン。そして、我が血で魔法陣を描き、我が心臓を捧げて、フェンリルを召喚するのだ」
 貴族化したグラム家は、再び略奪者バイキングに戻るのだ。
「自らの手で血の繋がりを断ち、魔狼に啜らせるのだ。ユリアより脈々と受け継がれる血をな」
 シギュン・グラムは、父の言葉に躊躇いもなく頷いた。
 満月を雲が隠し、病室は闇に包まれた。

「父上もバカな男だわ」
 純白だったイヴニングドレスを実父の鮮血で朱に染めて、シギュン・グラムは静かに呟いた。
「今少し早く、私に殺されていれば、今少し早く、私に魔狼の力を継承させていれば、グラム家の繁栄も続いたでしょうに」
 彼女の背後で、巨大な狼のシルエットが賛同するが如く咆哮を上げた。
 満月を覆い尽くしていた雲が晴れ、月光がシギュンの金髪を照らし出した。


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