クリスマスケーキ



「う〜っ、寒い寒いと思ったら、ちらつき始めたな」
 天から舞い落ちてくる雪を見上げ、織田鈴音は白い息を吐いた。
 ぶるっと身を震わせて己の身体を抱きしめ、マフラーに顔をうずめる。
 制服の上から着込んだハーフコートとマフラーで上半身の防寒は完璧だが、プリーツスカートの裾から覗く健康的な生足が冷える。
 イルミネーションが照らす街頭は、クリスマスのにぎやかさに彩られていた。
 ところかしこで、赤い服を着た白いひげのおじいさんに扮した販売員が忙しそうにプレゼントやケーキを物色する客を引いている。
 鈴音は手にした買い物袋にちらりと視線を移して、マフラーの中でため息を吐く。
 買い物袋の中には、生クリームや卵といったケーキを作るための材料が詰められていた。

 クリスマスケーキを手作りしたい。
 そう言い出したのは、鈴音ではない。
 彼女の姉、霧刃だった。
 霧刃は「霧の刃」などという厳つい名前は似合わない。
 父は姉に「霧の葉」や「霧の羽」と名づけるべきだったと、鈴音はひそかに思っている。
 または自分の「鈴音」という名前と逆にすべきだったのではないかとも思っていた。
 姉は生来病弱で床に臥せっていることが多く、虫も殺せぬという表現こそが似合っている儚い女性なのだ。
 父としては退魔師の家系である織田家の長女でもある姉に、弱き人々を妖魔や悪霊たちから守るための破邪武術・天武夢幻流を継がせるつもりで名づけたのだろう。
 だが、身体の弱く、やさしい性格の姉に武術を継がせるのは、父もあきらめざるを得なかった。
 両親は男子にも恵まれなかったため、英邁闊達であった次女の鈴音が後継者に選ばれた。
 血を吐くような厳しい修行を強いられ、天武夢幻流のすべてを叩き込まれてきた鈴音だが、武術を敬遠する姉を蔑んだことは一度もない。
 それどころか、鈴音は霧刃のことを、誰よりも清く、誰よりも美しく、誰よりもやさしいと思っている。
 姉を世界で最も敬愛している。
 修行のあまりの過酷さにくじけそうになるたびに、見守る姉のぬくもりが鈴音を支え、奮い立たせてくれた。
 そんな霧刃が顔を赤らめ、必死の調子で鈴音に訴えたのは昨夜だった。
「ケーキを作りたい。鈴音にも手伝って欲しい」
 鈴音ははじめ、その頼みを断った。
 武術の修行に明け暮れていた自分に、ケーキなど作れるとは思えなかったからだ。
「母さんに教えてもらった方が良いんじゃないか」
 とも、提案した。
 鈴音と霧刃の母は家庭的な人物で料理の腕も折り紙つきである。
 時折、和菓子も洋菓子も作ってくれる。
 その点で先生として申し分ないし、母も娘が教えて欲しいと頼めば喜んで協力するはずだ。
「お母さまには頼んだわ」
「まさか断られたのか?」
 虚を突かれたような顔の鈴音に、霧刃は首を横に振った。
「快く引き受けて下されたわ」
「それじゃ、別に問題ないじゃないか」
 霧刃はまた首を横に振った。
「お母さまとは一度一緒に作ったの。この前」
 鈴音は思い出した。
 一週間ほど前に父と修行中の鈴音に母が差し入れのケーキを持ってきてくれたことを。
 そういえば、あの時、母も霧刃も何も語らなかったが、姉は何かを期待するような眼差しで鈴音と父を見ていた気がする。
「先週食べたケーキ?」
「そう、ほとんどお母さまが作ったようなものなのだけれど」
「つまり、今度が本番?」
 こくりと頷く霧刃の頬は微かに赤い。
「私があの人のために作りたいといったら、お母さまはわからなくなったら教えてくださるといってくれたわ」
 ツッと目を伏せ、振り絞るように、小さな小さな声で、霧刃は言った。
 姉が言う「あの人」を鈴音は当然知っている。
 姉が心底愛している男性。
 退魔の才能も武術の才覚もないが、生真面目でやさしく、病弱で気弱な霧刃を支えてくれる芯の強さを持っている好青年だ。
 ――なるほど。
 鈴音は母の心を察した。
 霧刃が自分から行動を起こすことは滅多にない。
 今回は、彼氏のために自分でケーキを作りたいという想いがよほど強いのだろう。
 母は娘の「やりたい」という想いを汲んで、あえて「手伝う」とは言わなかったに違いない。
 だが、それならばなおこと、と鈴音は思う。
 恋人のための手作りケーキなのだ。
 霧刃がひとりで作った方が良いのではないのだろうか。
 そう言った鈴音に対して、霧刃は顔を真っ赤にして首を激しく横に振った。
「自信が、ないもの」
「こっちはもっと自信ないぜ。あたしじゃ逆に姉貴の邪魔になるって」
「そんなことないわ」
 縋るように鈴音の腕を掴んだ霧刃の手に力がこもる。
 霧刃の目は潤んでいた。
 必死さが伝わってくる。
 あの気弱な姉が、懸命に、頼み込んでくる。
「わかったよ」
 鈴音はため息を吐きつつも、力強く頷いた。
 敬愛する姉の懇願を断れるはずもなかったが、鈴音はよくよく考えてみたところ、姉妹でそういった時間を持ったことはないことに気づいたのだ。

「ありゃ、鈴音じゃない」
 後から声を掛けられて鈴音は振り向いた。
 肩の辺りで切りそろえた髪を茶色に染めた少女が立っていた。
 鈴音と同じ制服の上にファーコートを着込み、その手には大きな紙袋を持っている。
「トモかよ」
「かよ、とは何よ」
 トモと呼ばれた少女が不満そうに口を尖らせる。
 小塚智子。
 鈴音のクラスメイトで親友と呼べる存在のひとりでもある。
「ねえ、鈴音」
「ん?」
「クリスマスパーティー、誰狙う?」
「は、ぁ?」
「サポートするわよ?」
「いや、別に……」
「ちょっと、鈴音ってば、しっかりしてよね。アンタ男女問わずに人気あんだからね。その気になれば、よりどりみどりよ?」
「よりどりみどりは、トモだろ」
 小塚智子は勉学よりもおしゃれを本業としているような少女で、浮いた話は多いのだ。
「退魔師だか拝み屋だかわかんないけど、修行ばっかりしてないで、鈴音も少しくらい恋愛すればイイのに」
「あたしは自分のことより、姉貴のサポートで忙しいんだよ」
「まぁたお姉さん?」
「またってなんだよ、またって」
「だぁってぇ、何かあるたびに、お姉さんお姉さんお姉さんって」
「そんなに連呼してねぇだろ」
「ホ〜ンット、鈴音ってシスコンよね。でも、少しだけわかるな。霧刃さんって、すごくキレイで、それでいて守ってあげたくなっちゃうもんね」
 鈴音の親友である智子は織田家にも何度か足を運んだことがあり、霧刃とも顔見知りであった。
 その美貌と儚げな雰囲気を智子は思い出していた。
 鈴音を陽の美しさとするならば、霧刃は陰の美しさがある。
 鈴音を春夏の雰囲気だとするならば、霧刃には秋冬のイメージがあった。
 まるで裏と表のような個性だが、姉妹それぞれに良さがあった。
「手のかかる姉貴でね」
 鈴音は苦笑した。
 ため息を吐くように出た鈴音の言葉の裏を見抜き、智子が笑う。
「お姉さんを手伝うことができてうれしいくせに」
「うるせぇな」
 一人っ子の智子は織田姉妹の仲の良さをうらやましく思うと同時に、このような親友を持てたことをうれしくも思った。
 それだけに、と、恋愛に興味を持たない鈴音に心の中で肩をすくめる。
 ――手のかかる友人を持った身も考えてよね。
 智子にすれば、顔もスタイルも性格も申し分ない鈴音が恋愛の一つもしないで修行とやらに明け暮れているのはもったいないとしか言いようがないのだ。
「んじゃ、鈴音、お姉さんのサポートにかかりっきりでパーティー忘れないでよ?」
「ああ」
 念を押してくる口やかましい親友を見送り、鈴音は帰路に着いた。

 台所に陣取った霧刃も鈴音も白い三角巾を頭にかぶり、エプロンを身に着け、ケーキ作りを始めていた。
 手際よく泡だて器でシャカシャカと卵をかき混ぜている霧刃。
 その横で、鈴音が神経質そうに砂糖を量りに乗せている。
「鈴音、そんなにこだわらなくても」
「姉貴、基本だぜ、基本。基本で量を間違えたら味がおかしくなっちゃうだろ」
「そんなに変わんないと思う」
 霧刃がいかにも気弱そうな顔を上げて困惑した表情を浮かべてため息をつく。
 鈴音は真剣な顔でボールの中のアーモンド粉に量った砂糖を混ぜ合わせ、卵白を加えて練り上げ始める。
 デコレーション用のマジパンを作るのだ。
「いやいや、姉貴。あたしだって姉貴の愛情をあの人に伝えるために手伝ってんだ。手は抜けないよ」
「!」
 鈴音の言葉を受けて、霧刃は顔を真っ赤にして俯く。
 そして、恥ずかしさを誤魔化すように泡だて器を握る手に力を込める。
 シャカッ、シャカッ、シャカッ!
「あ、姉貴ものすごく泡立ってね?」
「シャカシャカシャカッ!」
「いや、シャカシャカシャカじゃなくて、もう十分だろ」
「シャカシャカシャカシャカシャカシャカ……」
「もしも〜し」
「え、あ?」
 霧刃がはっとしたように手を止める。
 そして、自分の過ちに目を伏せて、ふぅっと儚い息を吐く。
 まだ頬の赤い顔は妹の鈴音から見ても、ドキリとするような美しさだ。
「これ、大丈夫かな」
「大丈夫だろ」
 かき混ぜにかき混ぜた生地をオーブンに入れる。
 焼き上がるのを待つまでに、鈴音の作ったマジパンでケーキを飾るデコレーションを作り始める。
 二人の手の中でマジパンがさまざまな形に変わっていく。
「鈴音、それ何?」
「サンタ」
「……私の記憶ではサンタクロースはおじいさんだった気がするけど、どうして女の子?」
「姉貴バージョンのミニスカサンタ」
「や、やめてぇ」
「冗談だよ」
「心臓が止まるかと思ったわ」
「大げさだな。ていうか、姉貴が言うとしゃれにならないって」
「だって、鈴音が驚かすから」
 霧刃にしては珍しい、明るい、そして、いたずらっ子のような笑顔を見せた。
「で、姉貴のそれは……トナカイか」
「見える?」
「見える見える。かわいい」
「よかった」
「でも」
「何?」
 キョトンとする霧刃に、今度は鈴音が意地の悪い笑顔を向ける。
「デカいハートとか作らないのか?」
「え?」
「恋人のためのケーキってそういうのかと思ってた」
「そ、そんな恥ずかしいもの作れないわよ」
「んじゃ、あたしが代理で作って姉貴が作ったということに」
「やめてぇ」
 姉妹の仲睦まじい会話は時折、霧刃の悲鳴を混ぜながら、スポンジケーキが焼き上がるまで途絶えることはなく続いた。

「クリーム塗るのって難しい」
 生クリームをスポンジに塗りながら、霧刃が辟易とした口調で嘆く。
 うまく塗ろうとしても、どうしても、でこぼこになってしまう。
「ケーキが丸いからかしら?」
「いや、ケーキは丸いだろ。まあ、確かに円だから塗りにくいだろうけど。生クリームが硬いんじゃないか?」
「……そうかも。失敗しちゃったな」
「大丈夫、大丈夫」
「鈴音、最初、細かく砂糖を量ってた緻密さが嘘みたいに大雑把に言わないでよ」
「フォローに突っ込まないでくれ、姉貴」
 だんだんと形になっていくケーキに二人は目を輝かせながら盛り付けを懸命にこなしていく。
 生クリームで模様を描き、イチゴとマジパンで作ったサンタやトナカイ、クリスマスツリーなどを乗せる。
 仕上がったケーキは少々不恰好だが、それがかえって暖かな手作り感をあふれさせていた。
 霧刃と鈴音は同時にため息を吐いた。
 そして、顔を見合わせて笑った。
「鈴音」
「ん?」
「ありがとう」
「姉貴」
「ん?」
「がんばれよ」
「うん、がんばるわ」
 姉妹はもう一度顔を見合わせて笑った。


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