吾妻(あづま) ほまれは、ようやく、『第三音楽室』に辿り着いた。
 第一から第五まである音楽室の一つだが、彼女にとっては、授業以外ではほとんど用のない場所だ。
「ほまれ先輩」
 校内放送用のスピーカーから聞き慣れた声が流れてきた。
 神代(かみしろ) ちとせ。
 この猫ヶ崎高校の二年生であり、陸上部の副部長にしてエーススプリンターであり、猫ヶ崎(ねこがさき)市に古くからある神代神社の神職を務める神代家の次女。
 ほまれにとっては、想いを寄せる八神(やがみ) 悠樹(ゆうき)の同居人ということもあって、恋敵にも近い。
 近い、というのは、ほまれと悠樹、そして、ちとせと悠樹の関係が不明瞭だからだ。
 ほまれは悠樹へ告白をしてはいないし、ちとせは悠樹へ好意を持っているがやはり告白はしていないだろう。
 そして、悠樹は、ほまれを先輩として敬愛しており、ちとせには相棒として好意を持っている。
「ほまれ先輩」
「何ですの?」
 もう一度スピーカーから語りかけてきたちとせに、ほまれが若干不機嫌そうに返事を返す。
 彼女はひどい格好だった。
 普段は一部の隙もなく着こなしている学校指定のブレザーは其処彼処が切り裂かれており、短めのスカートもボロボロで危うく下着が見えそうになっている。
 自慢の巻き毛も乱れて、白い肌にはじっとりと汗が浮かんでいる。
 美の女神もかくやという造形の顔には疲労が濃く、血色も悪くなっており、目の下には隈ができているようにも見える。
「はやく、『第三音楽室』に入ってくださいって!」
 ちとせの声が上擦(うわず)っている。
 さすがのちとせも、この場にいないというハンデもあって、必死なのだろう。
 何よりも、今の今まで、ほまれが体験していたモノは危険過ぎる性質を持っている。
「追いつかれちゃいますよ?」
「わかってますわよ」
 そうは言ったものの、ほまれの扉にかけた手が微かに震える。
 しかし、後戻りはできない。
 テケテケ……。
 奇妙な音が徐々に近づいてきている。
 追いつかれれば、殺されてしまうだろう。
「がんばってください。『七不思議』のうち、四つはもうクリアしてますから、もうちょっとですよ」
「このわたくしが、『学校の七不思議』を体験しなくてはならないなんて……まったく、なんて日なのかしら……!」



七不思議を貪るもの



 『学校の七不思議』。
 それは、どこの学校でも一度は語られる定番の怪談。
 大抵は、『七不思議』なのに、数は六つで、七つ目を知ってしまうと不幸になるという。
 この猫ヶ崎高校にも、『学校の七不思議』というものが存在する。
 珍しく、いや、この猫ヶ崎高校だからこそか、『七不思議』の七つすべてが知られていた。

 一、異界へと続く『魔の十三階段』。
 二、第二家庭科室の『飛び回る包丁』。
 三、第一生物室の『動く人体模型とホルマリン漬け標本』。
 四、『テケテケ』。
 五、第三音楽室の『ひとりでに鳴るピアノ』。
 六、『メリーさん』。
 七、『トイレの花子さん』。

 以上の七つだ。
 もっとも、この七つは『メジャーバージョン』で、『マイナーバージョン』というのも存在するらしいのだが。


 ――吾妻ほまれは、その日、自身が部長を務めるテニス部の活動を終え、夕方の遅い時間に自分の居城である生徒会室へ向かっている最中だった。
 彼女はテニス部の部長であると同時に、この猫ヶ崎高校の生徒会長でもある。
 どちらの活動も疎かにはできない立場なのだ。
 しかし。
 いつも通り、生徒会のある最上階へと続く階段を上り始めた時、奇妙な違和感があった。
 それが、――『魔の十三階段』――彼女の『学校の七不思議』体験ツアーの幕開けだった。

 階段を上り終えた時、違和感は最大限まで増幅していた。
 窓から差す光が赤い。
 夕日にしても、赤過ぎる。
 外に目をやれば、夕方ではなく、夜の暗さになっていた。
 では、赤い光の正体は?
 そう思った次の瞬間、ほまれは息を呑んだ。
 赤い光は、月光だった。
 巨大な赤い満月が夜空に浮かんでいる。
 背筋が寒くなるほどの悪寒を感じ、震えがつま先から這い上がってくる。
 金色に染め上げ、巻き毛にした長い髪を振り乱して、周囲を確かめる。
 誰も、いない。
 空気が澱んでいる。
 息苦しい。
 気がつけば、蛍光灯が明滅を繰り返している。
 本能的な脅威に顔色が青白くなるのが、自分でもわかった。
 助けを求めるように、生徒会室の扉を勢いよく開ける。
 中に、誰もいない。

 どういうこと?

 生徒会のメンバーに、定例会を無断欠席するような不届き者はいない。
 書記の草影(くさかげ) (しのぶ)はもちろん、副会長の一条(いちじょう) 龍臣(たつおみ)も、会計の芦屋(あしや) 菜穂(なほ)も、休む時も遅れる時も、必ず一報を入れる。
 ほまれは自分の携帯電話を取り出した。
 着信履歴は、ない。
 それどころか……。
「圏外、ですって?」
 この猫ヶ崎高校の敷地内で圏外になったことなど一度もない。
 それが、この、状況で、圏外。
 しかも、誰も、いない。

 ほまれは絶望感を抑えつけながら、後ろを振り返った。
 上ってきた『階段』を。
 階下から続く『階段』を。
 一。
 二。
 三。
 四、五、六……。
 思わず数えてしまう。
 十、十一、十二……。
 十三。
 十三段。
 理由もなく、息を呑んだ。

「『魔の十三階段』」

 唐突に、その単語が頭を過ぎった。
 この猫ヶ崎高校で噂されている『学校の七不思議』のひとつ。
「普段は十二段の階段が、十三段になり、その階段を上った生徒は異世界へと消えてしまう」
 そう呟く。
 そんな……まさか……。
「その通りですよ、ほまれ先輩」
 唐突に、校内放送用のスピーカーから降ってきた声に、ほまれは表情を強張らせた。
 今の声には、聞き覚えがある。
「神代ちとせですけど、先輩、ちゃんと生きていますか?」
「なっ、い、生きてますわよ。失礼な娘ですわね」
 やはり、神代ちとせだ。
 いろいろな意味で忘れたくても忘れられない後輩の声だ。
「それにしても、ほまれ先輩、『魔の十三階段』を上っちゃうなんて、運が悪いですね」
「……もしかして、あなたが何かしたんじゃないでしょうね?」
 極度の緊張感を誤魔化すように、スピーカーに甲高い声を向ける。
「ボクは何もしてませんよ」
「本当でしょうね。あなた、だいたいオカルティックな事件に関わっているじゃないの」
 ちとせは神社の神職の娘だし、霊力(ちから)を持ち、除霊やら退魔やらを得意としている。
 言わば、心霊現象対策の専門家だ。
 ほまれも、それは知っている。
「まあ、今回、この猫ヶ崎高校の龍脈が乱れた元凶は把握しましたけど、ね」
「元凶?」
「花粉症です」
「はあ?」
「まあ、とりあえず、『ソッチの世界』から脱出するために、ボクのナビゲートに従ってください」
「こちらに来れないの?」
「ボクも出れなくなっちゃうと、それこそナビゲートもいなくなっちゃって永遠に抜け出せないってことにもなりかねないんで」
「そ、そう。それで、わたくしはどうすれば良いのかしら?」
「『ソッチの世界』から抜け出すには、『学校の七不思議』をすべて体験してもらう必要があります。ひとつだけ、すごく危険ですけど、どうにかがんばってください」
「へっ……?」
 吾妻ほまれは、自分が、テニス部部長や生徒会長にあるまじき、どれほど間の抜けた表情を浮かべていたか知る由もなかった。


 七不思議の一、『魔の十三階段』によって、異世界の校舎に引き摺りこまれた吾妻ほまれは、その後、神代ちとせの「ちゃんと生きてますか?」を何度も聞くハメになった。
 七不思議の二、第二家庭科室の『飛び回る包丁』で死にかけ、七不思議の三、第一生物室の『動く人体模型とホルマリン漬け標本』に殺されかけた。
 そして、今、廊下を、追いかけて来ているのが、七不思議の四、『テケテケ』だ。
 それは、神代ちとせの言っていた『すごく危険』なひとつだった。
 ほまれにしてみれば、他の七不思議も危険であるのだが、あの神代ちとせをして、「すごく危険」と言わせるだけの別格の脅威が『テケテケ』にはある。
 『テケテケ』。
 名前の響きは、どことなくかわいいが、その存在は体験者を恐怖に陥れるのには十分だ。
 『テケテケ』は、下半身が欠損した女子高生の亡霊で、その名の由来は、両腕を使って移動する時に「テケテケ」という音がすることから。
 都市伝説としても有名な部類で、北国の踏切で女子高生が列車に轢かれ、上半身と下半身とに切断された。
 だが、極寒のために血管が収縮して出血が止まり、数分間、上半身だけで生きていたが、苦しんだ末に亡くなった。
 その亡霊が、『テケテケ』となって、徘徊しているという。
 北国が事故の舞台なのに、なぜこの猫ヶ崎高校に出現するのか、それはわからない。
 同じ都市伝説でも、語り手と聞き手によって、内容は多岐に渡るからだ。
 ほまれに、はっきりわかっていることは、『動く人体模型とホルマリン漬け標本』の出没する第一生物室から脱出した後に、唐突に廊下に現れたソレは、ひどく恐ろしいモノということだけだ。
 殺意の宿った眼差し。
 青白い顔。
 乱れた黒髪。
 血に濡れた猫ヶ崎高校の指定ではないセーラー服。
 どこからともなく、廊下に現れた『テケテケ』は、両手で上半身だけの身体をゆっくりと持ち上げた。
 そして、一度後退してから、滑走するボブスレーもかくやという猛スピードで跳びかかってきた。
 第一生物室の扉に手を当てて、荒く息を吐いていたほまれが恐怖に目を丸くする。
 『人体模型とホルマリン漬け標本』のいる教室に戻るわけにもいかず、廊下の反対側へと身を避けるが、『テケテケ』の鋭い爪が、右肩の制服を裂き散らした。
 通り過ぎた『テケテケ』が急旋回して再び、ほまれへと進路を向ける。
 直前まで迫ったところで、ほまれは身体を捻った。
 今度は、ブレザーの背中の生地が裂かれたが、皮膚までは届いていない。
 テニス部で部長を務めている運動神経の賜物だろう。
 『テケテケ』は急に止まれず、激しい音ともに廊下の窓に激突した。
 粉々に砕けた硝子とともに、『テケテケ』が屋外へと落下していく。
 ほまれがほっと息を吐く。
 しかし、――微かな音が外から聞こえてくる。
 テケテケ、テケテケ、と。
 恐怖の色を顔に浮かべながらも、壊れた窓から外に視線をやると、眼下の壁を『テケテケ』が上ってくるのが見えた。
 小さく悲鳴を上げ、ほまれは一目散に駆け出した。
 壁を這い上がられ、窓から侵入されれば、また襲われてしまう。
 その前に逃げなければ。
 ちとせのナビゲートも、ほまれを急かした。
 七不思議の五、『ひとりでに鳴るピアノ』のある第三音楽室に逃げ込め、と。

 ほまれの躊躇は一瞬だった。
 扉を開け、音楽室へと逃げ込む。
 息吐く間もなく、駆け込んだ背後で扉がピシャッと音をってて勝手にしまった。
 ガチャりッと鍵のかかるような音までが聞こえてくる。
 確かめてみたが、やはり、扉は開かないようだ。
 しかし、これは『テケテケ』も中には入って来れないということだろう、と前向きに考える。
 そして、大きく深呼吸をして、気分を少しずつ落ち着かせる。
 これから体験であろう『ひとりでに鳴るピアノ』などは、『テケテケ』に比べれば、七不思議のオアシスだろう。
 もっとも、その『ひとりでに鳴るピアノ』の後の七不思議の最後の二つ、『メリーさん』と『トイレの花子さん』であることが、『テケテケ』と同じく有名な都市伝説であることが恐ろしくはある。
 だが、オカルトの専門家であるちとせは『テケテケ』が一番危険だと言っていた。
 ならば、まだ希望は持てる。
「ほまれ先輩、ちゃんと生きてますか?」
「おかげさまで、生きてますわよ。制服はボロボロにされましたけれど」
「ケガは?」
「肩を少し傷ものにされましたわ。ひどいことをしますのね、あの都市伝説も」
「怨念が噂で実体化した感じですからね。身体を上下に真っ二つにされなかっただけ、マシですよ。……っと、そろそろ、目の前のグランドピアノから『月光』が流れるはずです」
「『月光』というと、ベートーヴェンのピアノソナタ第十四番かしら?」
「たぶん」
「たぶん?」
「ボクはあんまし、そゆことは詳しくないんで。『月光』って、曲が流れるってことしかわかりません」
 ちとせはスピーカーから、この音楽室のピアノの怪異の話を続けた。
「曲を最後まで聞き終えなければ、音楽室から出ることができないけど、『テケテケ』も入って来れないから、その点は安心してください。それから……」
「それから?」
「ピアノの演奏中に『メリーさん』からの電話もかかってくるはずです」
「……『メリーさん』って、七不思議の六の?」
 『メリーさんの電話』と呼ばれる都市伝説。
 捨てられた人形から、持ち主へ「わたし、メリーさん。今、ゴミ捨て場にいるの」と電話がかかってくる。
 電話を切ってもすぐにかかってきて、「わたし、メリーさん。今、公園にいるの」、「わたし、メリーさん。あなたの家の前にいるの」、「わたし、メリーさん。今、あなたの部屋の前にいるの」と、少しずつ近づいてくるという。
 そして、最後には――。
「わたし、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの」
 その後、持ち主がどうなったかはわからない。
 『テケテケ』同様に、この猫ヶ崎高校が舞台となる必然性のない怪異だが、なぜか『学校の七不思議』に数えられている。
「そうです。『メリーさん』にも、一応気をつけてください」
「一応?」
「ええ、『テケテケ』も、クリアしたし、『メリーさん』は、ちょっと、まあ、たぶん、ダイジョブだと思うんで」
 ほまれは、『メリーさん』も『テケテケ』と同じく、都市伝説がもとになっているとしたら、かなり危険ではないのかと危惧している。
 だが、ちとせはあまり気にしてないようだ。
「奇妙なことを言うのね?」
「まあ、そのうちわかります。それよりも、音楽室から出られるようになったら、『テケテケ』との再遭遇に気をつけて、ボクの教えた『トイレの花子さん』の出る女子トイレまで逃げきってくださいよ」

 『月光』の美しい調べが流れてくるのに、そう時間はかからなかった。
 この異世界に来てから体験した怪異は、家庭科室の『飛び回る包丁』、生物室の『動く人体模型とホルマリン漬け標本』、そして、廊下を追いかけてくる『テケテケ』だ。
 それらに比べれば、この『ひとりでに鳴るピアノ』の、なんと平和なことか。
 ほまれは、ほっとしたような気分になる。
 もちろん、緊張感は抜けないが、それでも、幾分か心が休まるというものだ。
 と、その時だ。
 携帯電話が震えた。
 着信を知らせるバイブレーション。
 ディスプレイには番号は表示されていない。
 非通知だ。
「……これが、ちとせさんがいっていた『メリーさん』からの電話」
 微かに震える指で通話をオンにして、恐る恐る携帯電話を耳に当てる。
「はい、もしもし。吾妻ですが」
『わたし、メリーさん』
「……!」
『今、校門にいるの』
 愛らしい声がそう告げると、ほまれは恐ろしさに両目を見開き、通話を切った。
 だが、すぐに、携帯電話が振動した。
「もしもし……」
『わたし、メリーさん。今、昇降口にいるの』
「ひっ……」
 小さく悲鳴を上げる。
 今度は、向こうから通話が切れた。
 やはり、近づいてきている。
 あの『メリーさん』が――。
 逃げることはできない。
 『月光』が終わるまで、音楽室を出ることはできないのだ。
 ちとせは『テケテケ』は音楽室には入って来れないと言っていたが、『メリーさん』は出入りできてしまうのではないか。
 『テケテケ』のように駆けてくる存在ではなく、いつの間にか背後に立ってくる怪異なのだ。
 この音楽室に入って来れない理由はない。
 再び、携帯電話が振動した。
『わたし、メリーさん』
 ほまれが、ごくりと唾を飲み込む。
 次はどこ?
 どこまで来ているの?
『今、第二家庭科室にいるの。って、きゃあああああああああ!?』
「えっ?」
 電話の向こうから聞こえる甘ったるい声が、悲鳴に変わった。
『包丁が!? 包丁があぁぁ!?』
 通話が切れた。
「ちょっ、第二家庭科室って、……まさか、『メリーさん』も『飛び回る包丁』に……?」
 携帯電話が震えた。
 通話をオンにする。
『はぁ……、はぁ……、はぁ……、わ、わたし、メリーさん。今、第三生物室にいるの。って、うっそぉぉぉ!? またぁぁ!?』
「……これは、『人体模型とホルマリン漬け標本』に襲われているわね」
 『メリーさん』への対応をちとせがさほど心配していなかったことを思い出し、ほまれが「なるほどね」とため息を吐く。
 たぶん。
 あまり好ましい言い方ではないが、マヌケなのだ。
 『メリーさん』は。
 ――震える携帯電話の通話を繋げる。
『死ぬ……何あの『人体模型』怖い。『ホルマリン漬け標本』もめっちゃ襲って来るし。って、もしもし、わたし、メリーさん。今、廊下……ぎゃあああああああああああああああああああ!?」
 電話が切れた。
 『テケテケ』に遭遇したのだろう。
 聞き惚れるような演奏を続けているグランドピアノに背にして、扉へとげんなりとした視線を向ける。
 扉の向こう側で起きている惨事を想像し、もう一度、大きな息を度吐いた。
 しばらくして、携帯電話に非通知の着信が来た。
「もしもし、メリーさんかしら?」
『そ、そーよ、わ、わたし、メリーさん。今、ようやく『テケテケ』から逃げ切ったの。じゃなくて、今、音楽室の前まで来たからね。覚悟しなさいよ!』
 だいぶ酷い目にあったのだろう。
 危機を脱し、獲物の近くまで着たメリーさんのテンションは高くなっているようだ。
『わたし、メリーさん!』
 背後から、甘ったるい声が聞こえてきた。
 その時だった。
 ちょうど、『月光』が、終わったのは。
『今、あなたの後ろに……ぴゃあああっ!?』
 バタンッという大きな音がして、ほまれが振り返る。
 グランドピアノの突上棒が外れ、落ちてきた屋根に挟まれて白い靴を履いた両足をバタバタさせている白い髪に白いドレスの少女が目に入った。
 彼女が『メリーさん』なのだろう。
 ほまれは半眼で彼女を見ながら、こめかみをヒクつかせた。
 そして、音楽室の扉に手をかけた。
 鍵は開いたようだ。
『おいこら、見なかったことにするな! ちょ、マジ、待ってください!』
 後ろで喚き声が聞こえたが、ほまれは何も見ず何も聞かなかったことにして、音楽室を出た。

 廊下に出ると遠くから、また音が聞こえてきた。
 テケテケ、テケテケ、と。
 戦慄する。
 『メリーさん』に対する何倍もの恐怖が、全身を駆け抜ける。
「ほまれ先輩」
 スピーカーから、ちとせの声が聞こえてきた。
「次で最後です。さあ、はやく」
「わかってますわよ」
 ほまれは全力で疾走した。
 ボロボロに傷んだ制服から下着が見え隠れするが、気になどしている暇はない。
 そもそも周囲に誰もいない上に、生命の危機的状況にあるのだ。
 テケテケという音が段々と大きくはっきりとしてくる。
 後ろを一瞬だけ振り返った。
 上半身だけの女子高生が猛然と追いかけてくる。
「ああっ……」
 絶望に身を浸しながら、ひたすらに駆ける。
 ほまれも、テニス部の部長だ。
 体力や運動神経には自信があるし、先程は上手くあしらえた。
 だが、基本的には逃げるしかない。
 走っている最中に、制服のポケットにしまった携帯電話がブルブルと振動した。
 無論、取り出す余裕などない。
 メリーさんの相手などしていられない。
 無視する。
 と、右足首に何かが絡まった。
 下に視線をやると、足首を掴んだ『テケテケ』が見上げていた。
 動転。
 そして、『テケテケ』の力で強引に転倒させられる。
 尻餅を吐いたところに、鋭い爪の横薙ぎが来た。
 小さく悲鳴を上げて、身体を捻る。
 胸から下のブレザーとブラウスの前面、そして、ブラジャーの下半分の布が持っていかれ、胸の下部と腹部が剥き出しになってしまったが、紙一重で傷を負わずには済んだ。
 ブラジャーの取れかかっている高校生としては十分に大きく艶やかな胸の下半分を隠す余裕もなく、尻餅を吐いたまま、両手を使って後ろに下がる。
 しかし、それで、万全の態勢での全力疾走ですら逃げ切れるかわからない『テケテケ』から、距離を置けるはずもない。
 この世のものではないモノの鈍く(くら)い眼差しが、愉悦を帯びたように見えた。
 『テケテケ』が、鋭い爪を振り上げた。
 その時だった。
 制服の懐から、甘い声が流れてきた。
『通話をオンにしなくても無駄よ。わたし、メリーさんだもの。さっきはしくじったけど、今度は逃がさないわ』
 そして、唐突に、そう、唐突に。
 ほまれの目の前に白髪白服の少女が姿を現した。
『わたし、メリーさん。今、あなたの正面にいるの!』
 白い前髪は長く、両眼を隠していたが、唇に浮かんだ歓喜が、メリーさんの勝利の確信を現していた。
 が。
 とりあえず、ほまれは忠告してやった。
「メ、メリーさん、後ろを見た方がよろしくてよ」
『えっ?』
 メリーさんが振り返る。
 『テケテケ』が爪を振り下ろそうとしていた。
『ちょまあああああああああああああああ!?』
 ガキイッ。
 鈍い音が鳴り響いた。
 メリーさんが咄嗟に振り上げた携帯電話が、『テケテケ』の爪を防いでいた。
『うわああん、またこんな状況だし!』
 メリーさんが泣き叫ぶ。
 その間に、ほまれは立ち上がり、身を翻した。
「メリーさん、後はお任せしましたわよ」
『なにゅっ、勝手に任すなぁぁ!?』
 もちろん、その抗議には微塵も耳を貸さず、ほまれは全力で逃げ出した。

 ――『トイレの花子さん』という都市伝説、あるいは怪談、あるいは七不思議は、それらのカテゴリーの中では、もっとも有名な部類に入るものだろう。
 伝わっているのは、学校の女子トイレに現れるという話。
 トイレの個室のドアをノックして、花子さんに呼びかけると返事があり、個室から、おかっぱ頭の赤いスカートを穿いた女の子が現れるという。
 そして、あまりにも有名な怪奇現象のためか、その結末としては、『個室に引きずり込まれる』、『殺される』、『異世界へ連れ去られる』等々、バリエーションも豊富にある。
 大抵、小学校が舞台なのだが、この猫ヶ崎高校にも『トイレの花子さん』はいるらしい。
 この先にある女子トイレの入口から三番目の個室に。
 ほまれも、その噂話は何度か耳にしたことがあった。
「確か、三番目の個室のドアを三回ノックして、『花子さんいらっしゃいますか?』と尋ねると出てくるでしたっけね」
 最後の七不思議――『トイレの花子さん』。
 それを突破できれば……できれば?
 この悪夢のような世界から脱出できるのだろうか。
「ほまれ先輩、ちゃんと生きてますか?」
「……どうにか、ね。『テケテケ』は『メリーさん』に足止めしてもらってますわ。……『テケテケ』に足はないというツッコミは間に合ってますからね?」
「そーゆーツッコミはしないけど、足止めしてもらってるんじゃなくて、足止めさせてるんでしょ」
「主観の問題ですわ。それで、あとは『トイレの花子さん』だけね?」
「ええ、まあ、この高校の花子さんは危害を加えて来ることはないんで安心してください」
「あら、そうなの」
 ちとせの言葉に安心を感じると同時に、少しだけ拍子抜けする。
 今までの七不思議に危険なものが多かっただけに、最後の『トイレの花子さん』も、『テケテケ』級の危険度を覚悟していたのだ。
 ほまれは、ほっとしたことで、自分の姿があられもないことを思い出し、羞恥に頬を染める。
 ブレザーも、ブラウスも、裂かれて腹部が露わになっているし、裂かれて取れかかっているブラジャーからは胸のふくらみの下部も見えてしまっていた。
 だが、今の状況下では、両手の自由は確保しておきたい。
「仕方ないですわね」
 ほまれは盛大なため息を吐き、そのまま、女子トイレへと入った。

 コン、コン、コン。
 噂通りに、三番目の個室のドアを三回ノックすると、ほまれは中へと呼びかけた。
「花子さんいらっしゃいますか?」
 訪れる沈黙。
 しかし、それは一瞬。
「ウース」
 艶のあるアルトが返ってきた。
 個室の中から。
 キィッと音がして、扉がゆっくり開いていく。
 そして、個室の中に、ガラの悪そうな女生徒が立っていた。
 長い黒い髪は前髪を一直線に切り揃えられている。
 黒い眼、白い肌は純和風で、顔立ちも悪くはないが、目つきがやたらと悪い。
 服は猫ヶ崎高校指定のブレザーではなく、スカートの裾が足首まである真っ赤なセーラー服を着ている。
 真紅のスカーフを揺らしつつ、懐から、――煙草に見えたが――実際はシガーチョコらしきものを取り出して口にくわえた。
「よォ、ごくろうさん」
 先程と同じ低めの艶のある声で、その女生徒が声をかけてくる。
 ほまれは戸惑った。
 自分の想像していたことと違う事象が起きたことに対して、だ。
「あの?」
「ハナコだよ、ハナコ」
 鮮烈な紅のセーラー服を着た女生徒はそう答えた。
「えっ、『トイレの花子さん』?」
「そうだよ」
「はぁ? トイレの花子さんって、おかっぱの女の子じゃ……?」
「おかっぱだろ、ちょっと伸びてるけど。姫カット。それと、真っ赤なスカートも穿いてるし」
「でも、小学生ではないわよね?」
「ここは高校だろ。小学生がいたら、おかしいじゃん」
 サラサラとしているらしい髪の毛をかきあげ、美しい形の唇の端を吊り上げた。
「神代ちとせの指示通り『七不思議』ツアーは全部体験してきたか?」
「え、ええ……」
「悪ィなァ。すぐに、もとの世界に戻してやっから安心しなよ」
「あなたが戻してくれるというの?」
 ほまれの声に応えたのは、目の前のハナコではなく、ちとせの声だった。
「そう、この『トイレの花子さん』が戻してくれるよ。ていうか、このヒトが元凶だしね」
「元凶?」
 ちとせの言葉に眉をひそめるほまれ。
「この『トイレのハナコさん』はさ、猫ヶ崎高校に古くから住みついてンのよ。ヌシみたいな存在?」
「人をデカイ魚みたいにいうなっつーの。私はね、歴代の生徒の青春の悩みやら思春期の想いやらが、凝り固まってできた感じのモノなんよ。アンタたちの意識だって少しは入ってんだからね」
 ハナコが銜えたシガーチョコを唇で器用に上下させながら抗議のような説明のようなことを口にする。
 それを受けて、ちとせも続ける。
「この場所(トイレ)ってさ、龍穴(りゅうけつ)なのよね」
「龍穴?」
「要は、パワースポットってこと。それでいろいろな『気』が凝縮して、このヒトができたってトコだね」
 オカルト関係には疎いほまれにはよくわからない話だった。
「それで、なぜ、このヒトが元凶なのかしら?」
「それが、さ。ちょいと、私、体調崩しちゃってさ。うん、今年スギ花粉がめっちゃ多いから」
「花粉?」
「ああ、私ってば、花粉症なんだよね、怪異なのに……くしゅん!」
 見かけによらないかわいらしいくしゃみをしたハナコをジト目で見つめるほまれ。
「それでさ、ちょー厳しかったワケ。で、龍脈(りゅうみゃく)の影響がモロに、校舎に出ちゃったワケ」
「ちょっ、まさか……」
「その『まさか』だよ、ほまれ先輩。『ハナコさん』の花粉症が原因で、ほまれ先輩は、そんな目に遭ってンのよ」
「なァんですってぇぇ!?」
 ほまれがもともと吊り気味の両目をさらに吊りあげ、金色の巻き毛を逆立てた。
 ハナコは頭の後ろに手をやりながら、朗らかに言った。
「うん、まあ、そういうことなんだな、これが。でも、もう、強力な薬飲んで、マスクも揃えたから」
「最初から用意しときなさいよッ!」
「いやァ、予想外の花粉量でさぁ、いつもより、めっちゃキツかったんだって、怪異なのに。ハッハッハッ」
「笑い事じゃないわよッ!」
「それにあまりマスク好きじゃないんだよね。マスクをすると、『口裂け女』と間違われるじゃん? ただでさえ、私ってば、赤い服着てるから、『赤マント』にも間違われるかも知れないってひやひやしてんのにさ」
「間違えないわよッ! ていうか、周囲に間違えるほど人がいないでしょッ!? ていうか、これ以上、都市伝説呼ぶのじゃなくてよッ!?」
「キンキン叫ぶなよォ。すぐにもとの世界に戻してやるってば。『七不思議』をクリアしてきたことで、龍脈の乱れが直って、道筋もできたからな」
「道筋?」
「ああ、まあ、いろいろとあるんだよ。『あちら側』と『こちら側』を繋ぐにしても、よ。『魔の十三階段』からの順路で七不思議を体験することによってだね。乱れていた龍脈が……」
「そういう説明は結構ですわ。専門家にお任せしますから、早くなさって」
「ほいよ。『あちら側』で、神代ちとせも『(ゲート)』の準備もできたようだし」
 個室の奥にあるタンクが、渦巻き状の怪しい光を放ち始める。
「これが『(ゲート)』だ。『あちら側』で、神代ちとせと私の分霊(わけみ)が、出口を維持してるはずだから、早く帰りな」
「言われなくても、こんなところ一刻も早く立ち去りたくてよ」
 元凶を睨みつけながら、ほまれが渦へと一歩踏み出そうとした時。
 女子トイレの入り口の扉が、爆音とともに破砕した。
 驚いて、振り返る。
 煙の中を破片が舞い散る中、二つの影が浮かび上がってくる。
 ほまれは頬をヒクつかせた。
 影の正体に見覚えがあった。
 ひとつは、『テケテケ』。
 上半身だけの女子高生の死霊。
 もうひとつは、『メリーさん』。
 真っ白い髪に、真っ白いドレスを着た、真っ白い肌の少女。
 『メリーさん』は、『テケテケ』を右肩に担ぎ上げていた。
『はぁ、はぁ、はぁ、……わたし、メリーさん。今、『テケテケ』を倒したの』
 『テケテケ』は白目を剥いていた。
 もともと怖い存在だが、さらに恐ろしい表情に見えてしまう。
 上半身の断面が、向こう側にあることをほまれは感謝した。
『許さない。あなた、絶対に許さないわよ』
 『メリーさん』が、気絶しているであろう『テケテケ』を放り捨てるなり、ほまれを指差し、鬼気迫る声で言った。
 ほまれは全身を硬直させた。
 最後の最後で、『テケテケ』ではなく、『メリーさん』に追いつかれるとは。
『めっちゃくちゃにしてやる。携帯電話責めにしてやるぅ。バイブレーション機能の恐ろしさを忘れられないようにしてやるわぁ』
「あ、あなた、何を言ってますの?」
『いや、何を言っているのか、自分でもよくわからないけど、とにもかくにも、恐怖体験させてくれたお礼はさせてもらうわよ』
「恐怖体験って、あなたが勝手にわたくしの後を追ってきただけでしょ。それに、わたくしももう十分恐怖体験味わいましてよ?」
「メリーさん、とりあえず、落ち着きな。このお嬢さんは、もう『七不思議』をクリアしたんだよ」
『落ち着いていられますかって、げぇっ、ハナコさん!?』
「げぇっとはなんだ、げぇっとは……」
 ハナコが面倒くさそうに言いながら、ほまれをシガーチョコで示す。
「見ろよ、メリーさん。お嬢ちゃん、こぉんなボロボロなんだから、許してやれよ。胸だってポロリしそうだしさ」
「アホか! どこ見てるのよ! ていうか、ハナコさん、元凶は、あなたでしょッ!」
 ほまれが、青筋をこめかみに浮かべ、すごい剣幕で()くし立てる。
『確かにボロボロだけど。ポロリもしそうだけど。……下乳(したちち)すごいわね、高校生のくせに。わたしなんて、ぺったんこよ!』
「メリーさんも、どこ見てんのよッ!」
 悔しそうにしながらも無い胸を張るメリーさんに、ほまれが怒鳴る。
「おみ足が見事です。私には無いけど」
 おどろおどろしい声の主は、目を覚ましたらしい『テケテケ』だった。
「あなた、シリアスなホラー枠じゃなかったのッ!?」
「あ〜。もう、キンキンと甲高い声で、うるせーし。さっさと帰れ」
「なんて言い草なの、元凶のくせにッ!」
「悪いとは思ってるさ。思ってるだけだけど、な」
「ひどっ……」
「んじゃ、そろそろマジで送り返してやるよ。まだ本調子じゃないから、長い時間の『(ゲート)』の維持はキツいンでね」
 一際渦巻き状の光が大きくなり、その中心にほまれの身体が引っ張られていく。
 どうやら、本当に、これで、『学校の七不思議』は終わりらしい。
 ハナコが手を振りながら、声をかけてきた。 
「『あっち側』で、神代ちとせにイジられないようにな。そのボロボロのカッコとか、よ」
「そ、そういえば、あなた、ちとせさんが向こうにい……」
「おう、私の分霊(わけみ)と一緒に出口を維持しているから、よろしくな。それから、ブラ落ちそうだぜ」
「えっ、あっ、ちょっ……!?」
 慌てて胸を両手で押さえつけるほまれを、ハナコはニッと笑って見送った。
「あでゅー」

 トトトッ、と、ほまれは無意識に踏鞴(たたら)を踏んだ。
 柔らかい感触があって、足が止まる。
 焦って、いつの間にか閉じていた両目を開ける。
 目の前に、猫のような大きな瞳があった。
「ほまれ先輩、お疲れさま」
 尻尾部分の長いポニーテールを振って、その眼力(めぢから)のある瞳の持ち主が、言った。
 神代ちとせだ。
 思わず、周囲に目をやる。
 女子トイレのようだ。
 しかし、先程までいたトイレとは雰囲気が違う。
 ――少し明るさが増したような?
 そして、はっとして、正面に視線を戻す。
 ほまれは明らかにちとせに抱きついていた。
 両手を腰に舞わして、がっしりと。
 ――意外とイイ匂いがしますのね……って!?
 我に返り、真っ赤になって、跳び退る。
「ご、ごきげんよう、ちとせさん。いろいろと面倒をおかけましたわね。お礼申し上げますわ」
 平静を装って、そう応える。
「それにしても、ほまれ先輩」
「なんですの、真剣な顔をなさって?」
「エロい格好ですね」
「なっ!?」
 ほまれは自分の制服がボロボロなのを思い出し、真っ赤な顔がさらに赤みを増した。
 咄嗟にブラジャーの取れかかっている胸を辛うじて形を保っているブラウスを使って隠し、痛みの激しいスカートを下着の見えないように押さえつける。
「ふふっ、隠しきれてませんよっ。おっきいなぁ」
「あなただって大きいでしょ!」
「まぁね」
 ちとせが緩く巻いたリボンタイの上、第二ボタンまで開けたブラウスの胸元に指を突っ込んで、ひらひらともう片方の手で風を送るような仕草をする。
 ブラウスの中で窮屈そうにしているボリュームのある胸の谷間が覗くが、ちとせは気にした様子もない。
 また彼女のスカートは、猫ヶ崎高校の制服のもともと短いチェック柄のプリーツスカートをより、愛用のオーバーニーソックスとの相性を考えて、さらに短くカスタムをしており、太腿も露わになってる。
「相変わらず、はしたないわね」
 逆に、ほまれの方が気恥ずかしくなる。
「男子の前じゃやりませんよ」
 そう応えるちとせの後ろから、真っ赤なセーラー服を着た黒髪の女生徒が、ひょいっと顔を出した。
「おっと、とりあえず、戻ってこれて良かったじゃん。エロい格好だけど」
「誰のせいだと思ってますのッ! 元凶のくせに偉そうですわねッ!」
 ほまれが、キッと睨みつける。
「ちょっと怖いけど、イマドキの女子高生はエロエロだね」
「エロエロじゃありませんッ!」
「だって、二人ともエロい格好じゃん」
「だから、わたくしは、あなたのせいでしょッ! ちとせさんはともかく」
「ボクのこともエロエロって言うンじゃないってのッ!」
「そんなにマジ怒りするなよ。色っぽいことはイイことじゃん」
「それならそうと言い方があるでしょッ!」
「色っぽいなら、色っぽいって言えッ! エロエロとか言うなッ!」
「悪かったって。ハッハッハッ……ハ、ハ、ハッくしゅんッ!」
 二人の怒涛のツッコミをハナコは笑って受けようとして、思わず、呼吸が乱れ、くしゃみをした。
 艶のある低い声に関わらず、かわいらしいくしゃみだった。
 見かけによらず、かわいかった。
 そう、くしゃみだけで済んだなら、かわいかった。
「やばっ、整った龍脈が……」

「あ……」
 ほまれとちとせが小さく声を上げた時には、すでに風景は一変していた。
 場所は、女子トイレではなくなっていた。
 切れかけの蛍光灯が明滅しており、肌寒い霊気が廊下に漂っている。
 ほまれには見覚えのある光景だったし、ちとせもここがどこなのかをすぐに理解していた――。

 ……。
 …………。
 ……………………。
『わたし、メリーさん。今、『こちら側』の放送室のいるの。これより、わたし、メリーさんこと白井(しろい) メリーと』
「テケテケこと嘉島(かしま) 麗子(れいこ)が、『猫ヶ崎高校の七不思議』マイナーバージョンを実況しちゃいます」
『前回覇者の吾妻ほまれさんと、今回初挑戦の神代ちとせさん、協力してがんばってくださいね!』
「とりあえず、今回も『七不思議』を突破して、元凶の『トイレの花子さん』まで辿り着いてください」

『それでは、本来なら、これで『七不思議ツアー』の異次元に招待されるはずの七不思議マイナーバージョンの一!』
「『廊下を追いかけてくる血に濡れた無数の手のひら』からスタートです!」


 ――女子トイレの入り口から三番目の個室で、ハナコはシガーチョコを銜えながら、遠くを見るような目をしていた。
 黒髪をかきあげ、呟くように言う。
「『七不思議』は終わらない、か。……なんちって」

「あなたのせいでしょッ!」
「ボクまで巻き込むなッ!」
「うわっ、速ッ!? クリアするの速ッ!?」
「わたくし、二周目ですから、あまりなめないことですわねッ!」
「ボク、霊力あるんだからね。ちょちょいのちょいだよッ!」
「よくも、よくも、二回もこんなところに飛ばしてくれましたわね、覚悟なさいッ!」
「人のことエロエロだのなんだの言った上に、『七不思議』ツアーまでさせてくれちゃって、……こうなったら、あなたも剥いてあげるわっ!」
「あっ、二人とも落ち着け、落ち着けッ! 金髪のお嬢さんその裁縫バサミはなんだッ!? おい、神代ちとせ、その五芒星の描かれた御札はなんだッ!? うわっ、バカ、やめ……ぎゃあああああああああああ!?」


>> BACK