眠りましょう 夢を見よう

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃぁん」

 

 まだ幼い、少女の声。

 姉を呼ぶ、幼妹の声。

 

「どうしたの?」

 

 首を傾げて応じる。

 

「あのね、蝶々さんが蟻さんに運ばれてるの」

「それで?」

「蟻さんのお家に運ばれちゃうの?」

「うん、蟻さんのご飯なの」

「ぁ……」

 

 妹は、言葉に詰まって下を俯く。

 姉は、そんな少女を見て、自分も数年前はこうだったか、と懐かしい思いに駆られる。

 それは何処にでもよくあるありふれた状況。

 

「蝶々さんは可哀想だけど、蟻さんも食べないと死んじゃうでしょ?」

「……でも、蝶々さん、悪いことしてないよ」

「それは……」

「蝶々さんは、蟻さん食べないよ?」

「……」

 

 姉は何と答えたものかと、曇り空を見上げる。

 この空模様のように、答えは明瞭でない。

 そは常しえの真理。

 悩み悩み悩み抜き考え考え考え抜き。

 死ねば思考は無に帰す。

 先祖代々続けて、人類が滅びるまでの永遠の作業。

 

「どうして蟻さんだけ蝶々さんを食べるの?」

 

 一方通行。

 簡易化してしまうなら、この四文字。

 弱肉強食。

 

「蝶々さんの方が、蟻さんより弱いから」

「でも蟻さんの方が小さいよ? 蟻さん、いっぱいいなきゃ蝶々さんに勝てないよね?」

「……」

 

 自分にだって分からない。

 お父さんやお母さんに訊かないと分からない。

 でも、今は姉妹で留守番中。

 誰にも訊けないから、この小さな頭で考えるしかない。

 

「そうはいっても、とにかくいっぱいの蟻さんは蝶々さんより強いんだから」

「弱いと食べられちゃうんだ」

「そう、ね」

 

 無邪気な妹の言葉が重く響く。

 

「でも鈴音、お姉ちゃんより弱いけど、食べられないよ?」

「弱くても、私は鈴音を食べないわ」

「どうして?」

「愛してるから」

「愛してると、強くても食べないの?」

「うん、そうよ」

「じゃあ食べられちゃうのは、愛されていないのなんだ」

「……」

「鈴音のこと嫌いな強い人は、鈴音のこと食べちゃう?」

「……そうされないように、鈴音も強くならないと」

「うん! お姉ちゃんも一緒に強くなろうね?」

「私は……才能ないから……」

「さいのー?」

「うん、お姉ちゃんは、そんなに強くなれないの」

「……お姉ちゃん、食べられちゃうよ?」

「大丈夫よ……あ、じゃあ、鈴音が護ってくれる?」

「鈴音がお姉ちゃんを?」

「うん」

「……うん、鈴音、お姉ちゃんまもってあげる」

「お願いね?」

「うん、やくそく」

「約束……」

「鈴音は、強くなってもお姉ちゃん食べない。お姉ちゃんまもってあげる」

「くすっ……」

「お姉ちゃんも、何か約束」

「え? ……そうね。じゃあ……」

「うん」

「お姉ちゃんは、鈴音を傷付けない。お姉ちゃんも、鈴音を護ってあげる」

「えー、でも、鈴音の方がお姉ちゃんより強くなるんだよ?」

「ふふっ……今に分かるわ……護るということの意味を……」

「お姉ちゃん、お母さんから聞いたようなこと言ってる!」

「う、うるさいわね……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……一瞬の走馬燈。

 あの日の約束。

 救いようのない外れた道から助けてくれた鈴音。

 私の心を護ってくれた鈴音。

 約束。

 ああ、私は守れなかった。

 そんな約束さえ忘れてた。

 鈴音もきっと忘れてたことね。

 いや、忘れてた……?

 ……覚えてたからこそ、あそこまで必死に?

 ……今となっては、どうでもいいこと。

 もうあの娘にしてあげられることはない。

 私にしてあげられることは……

 ……何?

 

「……」

 

 私を護ってくれていた、別の存在への感謝の言葉。

 ああ、それくらいなら私にもできる。

 

 ごめんなさい鈴音。

 ありがとう鈴音。

 

「おまえはあたたかいね」

 

 ごめんなさいケル。

 ありがとうケル。

 

「(あなたも充分あたたかい)」

 

 ケルにそう言って貰えるのなら……

 そう。

 冷たくなるのは、身体だけ。

 

 さぁ。

 眠りましょう。

 夢を見よう。

 


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