死は突然やってくる。
病気、老衰、自殺、他殺、そして、事故。
いかに魔術が発展し、信仰の力が増そうとそれを止めることはできない。
そう、女神リレミアーナが、ただ一つ起こすことのできない奇跡。
黄泉から死者を呼び戻すこと。
それだけは、どんな魔術の天才にもできないことだった。
恋人の骸は冷たかった。
天才と呼ばれても。
彼女を殺したのは自分だ。
彼女がいなければ。
哀れな自分には何も残らない。
いや。
苦しみは残る。
もう一度。
もう一度、彼女を抱き締めたい。
強い。
強い想いだった。
作:エル
お、お久しぶりです。リンネです。
ボクは今、ちょっとキンチョーしています。
王宮『ウィッチ・クラフト』に来てるんですね、はい。
窓からは、姉さんが勤めている『大神殿』が見えてます。
王宮の次に大きな建物です。
帝国の人は全員、女神リレミアーナさまの信者ですからね。
国教ってヤツです。
別に、強制ではないんですけど。
姉さんは病床の大神殿長に代わって、神殿を取り仕切っています。
「リンさま」
隣りから、リア・カステラーデが声をかけて来ました。
空から降ってきた謎の少女です。
ただいま記憶喪失で、過去を知る人募集中です。
セレネ姉さんに憧れて、リレミアーナさまの熱心な信者になりつつあります。
性格はおしとやかで、姉さんと比べるべくもありませんが。
「どうしたの、リア?」
「いえ。リンさまって、偉い人なんですね。王宮とかに出入りできるし」
「リンリンが偉いんじゃなくて、リンリンのお姉さんが偉いのよ」
リアと反対側の隣りから、ルッカが言いました。
どうも、ボクがリアと仲良く話している時には、声が不機嫌です。
確かに、ボクは別に偉くありませんが、そこまで断言しなくても良いじゃないかとは口には出しません。
事実は事実です。
「そう、ですか」
「それに、リンリンの師匠のアイネさんも帝国随一の魔術師だし、メディアさんも帝国騎士団長の娘だし…」
首を傾げるリアにルッカが言います。
「偉くないのは、リンリンと私とリアくらいかしらねえ」
「あら、私は偉くないわよ」
ドアが開いて、メディアさんが入って来ました。
相変わらずの美貌です。
凛々しい眼差し、豪奢な金髪。
でも、頬が紅いのは…。
「今日も、お昼から飲んじゃったし」
やっぱり。
お酒大好きですね。
いつも酔っ払ってますけど、騎士団長であるお父上に怒られないのでしょうか。
「それに、私はリンくんを尊敬するわ。あの寝起きの悪いセレネを毎朝起こしてるんだからね」
笑いながらメディアさんが言いました。
確かに、姉さんの寝起きはサイアクです。
もちろん、本人の前では決して言いません。
まだ、死にたくありませんから。
「で、メディアさん。あたしたちっていうか、リンリンを王宮に呼んで何の用ですか?」
ルッカが尋ねます。
ルッカとリアは、ボクにくっついてきただけで、正式に呼ばれたわけではありません。
ボクも呼ばれた理由は、まだ知りません。
メディアさんのテキトーな用事なら、アイネ師匠の館で十分だと思うんですが。
「ルシアがね」
メディアさんが、顎に手を当てて悩ましげな声で切り出します。
物凄く色っぽいです。
ドキドキ☆
「ルシアって?」
「首相さんよ、首相さん」
「ル、ルシア首相ですか?」
「そう、それそれ」
それそれって…物みたいに…。
ルシア=カタリナ=メルキッサ。
リレミナ帝国初の女性首相です。
セレネ姉さんと並んで、帝国始まって以来の才女です。
どうやら、メディアさんとも仲が良いみたいですね。
そういえば、巷では、『剣のメディア』、『政治のルシア』、『聖女のセレネ』で帝国三賢女とか言われてましたっけ。
「で、彼女がね」
「はい」
「紅茶マニアなのよ」
「は、はあ?」
「セレネは珈琲マニアでしょ?」
「そういえば、そうですね」
姉さんは珈琲豆の銘柄に、とてもうるさいのです。
南方の大都市デルタで獲れた豆の珈琲が一番好きですね。
「で、私はお酒マニア」
十人十色です。
『お酒のメディア』、『紅茶のルシア』、『珈琲のセレネ』ですね。
「そのルシアがね。リンくんに頼みがあるんだって」
「頼みですか?」
「ええ。で…」
「はい?」
「外で待たせてあるから、呼んでもイイ?」
「ええっ!?」
ルシア首相の顔は知っています。
ですが、やはり、遠目や絵で見るのと実際に会って見るのとでは印象が違います。
怜悧な女性という印象が強かったのですが、近くで見ると何だか優しそうです。
でも、さすがに目は鋭いです。
切れ長で綺麗な目ですけど。
「ご機嫌よう、はじめまして。リンネ=グレース」
透明感のある美しい声です。
宮廷会議では政治を語る刃となるんでしょうけど、今は琴を奏でた音のように気持ち良いです。
「は、はい。はじめまして、ルシア首相」
「ルシアで良いわよ」
「それは、無理よ、無理。リンくんは律儀な上にシャイだから」
メディアさんが、言います。
いや、そんなことは…。
ルルルルルル、ルシア………首相。
やっぱり、無理でした。
「かわいい性格じゃないの。セレネの弟には勿体無いわ。この際、養子にもらおうかしら」
ルシア首相が小首を傾げて、爆弾発言です。
養子ですか?
でも、ルシア首相って、ボクの姉さんと同じくらいの歳じゃ…?
「アンタねえ…」
メディアさんが溜め息をついて、額に手を当てました。
二日酔いでしょうか。
「まぁ、冗談はさておいて」
ルシア首相が、にっこりと微笑みました。
「冗談、ですか。ほっ…」
「冗談に聞こえないわよ」
リアとルッカが、ポツリと言います。
う〜ん、二人の影が薄くなっています。
メディアさんとルシア首相が強烈過ぎるせいでしょう。
ここに姉さんが加われば、きっと凄いことになると思います。
オソロシヤ、オソロシヤ。
「で、リンネくんに来てもらったのは…」
「はいっ」
「お使いを頼まれて欲しいのよ」
「はいっ?」
「私の個人的な用なんだけど」
「はぁ…」
「私、紅茶が好きなの」
「ええ、メディアさんに聞きました」
「伝説の紅茶があると聞いたわ」
「伝説の紅茶…」
きっと、とっても、美味しいのでしょう。
「それを探してきて欲しいの」
「伝説の紅茶をですか」
「そうそう。私自身が行きたいんだけど、首相っていう立場もあるし」
ルシア首相は、腕を組んで悩ましげに眉を寄せました。
色っぽいです、はい。
「それに、セレネから聞いてるけど」
「は、はい?」
「リンネくん、料理の腕が良いみたいじゃない。だから、舌は確かでしょうから、伝説の紅茶の紛い物を掴まされることもないかなって」
「は、はあ…」
「てことで、お願ね。旅費は出すから♪」
ルシア首相がボクの手を取って、ぶんぶん振りました。
ボクは首を、がっくんがっくん縦に振っていました。
「リンくん。哀れだわ」
ルッカが、そんなボクを見て溜め息をつきました。
そう思うなら止めて欲しいんだけど、と心の中で呟きました。
紅茶が好き。
珈琲が好き。
酒が好き。
人にはいろいろな好みがある。
それらがすべて無に帰すること。
二度と、美味い食事を取れぬこと。
愛すべき家族とも、信頼できる友人とも別れること。
永遠の別れ。
哀しい別れ。
死。
死が生を輝かすのではなく、生が死を輝かす。
だからこそ、懸命に生きる。
だからこそ、唐突の死は衝撃なのだ。
だからこそ…
私は…
もう一度だけ……
-The END-
もはや、何も語りますまい。