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元 禅 師/御 歌
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トップページ/Hot Spot/Menu/最新のアップロード/ 女流歌人: 里中 響子 |
No.1 | 峯の色 渓の響もみなながら 我が釈迦牟尼の 声と姿と | 2008.10.17 |
No.2 | 春風に 吾が言葉の散りぬるを 花の歌とや 人のながめん | 2009. 3. 5 |
No.3 | 草の庵 夏の初の衣替え 涼しき簾 かかるばかりぞ | 2009. 7.14 |
<1>
我が釈迦牟尼の 声と姿と...
(峯( みね ) 渓( たに ) 釈迦牟尼( しゃかむに )) 【道元禅師/『正法眼蔵』・・・41歳の時】
<里中 響子> 「この歌は、宋の詩人/蘇東坡(そとうば)が、廬山(ろざん)で作った詩に由来しています。渓声山色に 接して悟りを開いた蘇東坡...そして、若くして渡宋した道元禅師の、深い禅的境涯が示されて います... 輝く峯の色も、清透な谷川の音も、みな御仏の姿であり、御仏の声であり...それはすなわ ち、“我の内に響く谷川と、峯の輝き”なのだということです。内外打成一片(ないげ・だじょう・いっぺん)... 心の内側と心の外側というものは、本来、“境界が無く・・・表裏一体であり・・・主体と客体は不可 分のもの”ということです。そこに、“悟り/覚醒”の広大な風景が広がっています。それを知るに は、自分自身が峯の輝きとなり、谷川の響きとなってみることです... 量子力学/波動関数を発見したシュレーディンガーは、こう言っています...“主体と客体は、 1つのものである。それらの境界が、最近の物理科学の成果で、壊れたということではない。そん な境界などは、もともと存在していないのである”...彼がこう言っていたのは、20世紀初頭の 頃/今から100年近くも前のことですね... さて...21世紀初頭/人類文明の新しいステージは...“仏教的・覚醒/悟りの風景”と、 現代物理学がさらに接近し...“智慧の道”が、“新たなホモサピエンスの文明形態”と、“生態 系との協調関係”を、創造・創出していくものと思われます」
岡田健吉@zu5kokd1 ( 2014/11/8)
《季節の短歌》・・・道元禅師 連想する歌。
谿声便是広長舌
〔渓声便ち是れ広長舌 〕 八万四千偈のお経・・・この悟りを、後日、どのように語ったらよいのだろうか・・・) ★ 無情説法は・・・無情である天地自然が仏法を説くこと。
私の尊敬する道元も芭蕉も、みな早世(そうせい/早く世を去ること)。道元は享年54歳、 芭蕉は享年50歳。天命は濃く短かい。 私は…とうにその歳を越え…70歳まで生きれば満足も… 空の雲は…穏かに流れて行く …
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<2> 春風に 吾が言葉の散りぬるを 花の歌とや 人のながめん
(吾( わ )が 言葉( ことのは )の ) 【道元禅師/『正法眼蔵』】 <里中 響子> 「かろやかな春のリズムを感じるお歌ですね。道元禅師が、どのような情景で歌ったものかは 定かではありませんが、いにしえの桜花爛漫の永平寺の情景が思い浮かばれます。春風に のって、凛とした極楽浄土が流れて行くようです。 お歌にも示されているように、これは単に花を愛でている風景ではありません。春風の中 で語られる禅師の言葉は、桜花を通して、そして風や空気を通して、仏法的な真理を伝えて いるのです。表面的なかろやかな花を愛でる風景の奥に、深い存在の覚醒と真理が結晶化 していることを教えているのです。 でも...それを知った上で、春風や光の乱舞に身を任せ、極楽浄土のリズムに流されて 行くのも、風流です...」 |
<3> 草の庵 夏の初の衣替え 涼しき簾 かかるばかりぞ
(庵( いお )/ 衣替( ころもが )え /簾(すだれ ) ) 【道元禅師/『正法眼蔵』】 <里中 響子> 「旧暦の夏は、今よりも早く...昔の衣替えというのは、何度かあったようですね...でも、 草庵で修業に励む質素な生活には、そうした季節の折り目はいかほどの意味もありません。 清廉で、厳しく、発心に燃える若者の修行には、せめて涼しい簾をかけるのみです。これは、 今、眼前にあるある修行の時を、ひたすら励め...ということですね。 厳しさの中に、道元禅師の限りない禅的な優しさが溢れています。私も時を越えて、何も かも捨てて、禅師のおられるその道場に、飛び込みたい渇望にかられます...でも、今も 昔も、そうした修行の場は存在します...」
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